Z会・サービス精神で相手の意識のブロックを解く
そう言えばさっきの投稿「自分のみじめさをこえて高まること」で「Z会として意識のブロックを解いていく」をしっかり書こうかなぁとおもったら、ベランダにいるスズメバチが気になって、あまりはっきり書けなかったので、続きを書きます。 まあ特定キーワードを使ってもいいのですが、あまり書くと検索エンジンなんかが反応してきますからね。 一応Z会についてはこちら「Z会」 いろいろな段階を突破する 飛び込み営業をしたことがある人としたことがない人では、その
病気に対する思想!
病人が少なくともこれまでのように、病気そのものについてよりも、自分の病気に対する自分の思想についてより多く苦しむことがないように、病人の空想を鎮静すること。― これは重要なことだと私は思う!だからそれは些細な事ではない!さて諸君はわれわれの課題がお分かりになるか? 曙光 54 「さて諸君はわれわれの課題がお分かりになるか?」というような表現をするからこそ、ニーチェは言葉足らず感が指摘されるフシがあります。しかしながら何でもそのまま「わか
黄金と飢餓
彼が触れるすべてのものを黄金に変えるような人間が、時折いるものだ。ある日彼は、彼自身そのもののために餓死しなければならないことを発見するであろう。 曙光 486 前半 最近またよくいろいろなところから会社宛にDMが届くようになりました。 創業時も、法人の登記を見てたくさんの事業者が勝手に送りつけてきますが、会社が継続しているということが理由で第二段階ということになるのか、また、よくわからないDMがちょろちょろ届くようになりました。 会社
新しい魂の医者はどこにいるのか?
慰めという薬は、それによって人生が、現在人々が信じているあの苦しみにみちた根本的な性格をはじめて手に入れるようになったものであった。人間の最もひどい病気は、彼らが病気にうち勝つことから生じた。 曙光 52 前半 今まで一度も入院はしたことがないのですが、ちょくちょく身体がおかしくなることがよくありました。 特に胃腸です。毎年このシーズン、夏が終わり秋が差し掛かる頃の9月上旬から中旬は、胃腸に激しいダメージの来るシーズンです。十代の頃に二
重くなる
諸君は彼を知らないのだ。彼は多くの錘(おもり)を身体に吊るすことができる。しかし彼はそれらをみんな一緒に高く持ち上げる。そこで諸君は、諸君の小さな羽ばたきに応じて、彼はこれらの錘を身体に吊るしているのだから下に留まりたいのだ!と結論する。 曙光 475 ニーチェはたまにこういった曖昧で対象を名指しせずにつぶやいたりするので文学的だと言われることがあるのでしょう。 さて、重くなる、重たくなるということで、体重の増加について触れていきましょ
近代人の養育
すべてを食べる人間は、一番上等の種ではない。 曙光 171 中 うまい飯屋を「知っているだけの人」の類については、さんざん触れてきました。 しかし、味覚など本人の感性しだいであり、結局は頭の中で合成しているだけのことです。錯覚させようと思えばできてしまうことです。 しかし錯覚させなくても、たとえば白米や塩などであっても、よくよく味わうとなると、味を追いかけるのに相当の集中力が必要になります。 本当に集中して食べると、ご飯だけでもものすご
第七日に
「諸君はあれを私の創造として賞賛するのか?私は自分の重荷になるものを片づけたにすぎない!」 曙光 463 序 「第七日に」 「うーん…どうしよう…」という久しぶりの混乱がやって来ました。現在お腹が弱っていることも原因かもしれません。お腹が弱っているのでエネルギーを吸収できず、慢性的にフラフラだったりします。 銭湯の電気風呂に浸かりながら、「湯船から上がってトイレに行くべきか、それとももう少し浸かって腹を温めるべきか」という葛藤というもの
緩慢な療養
疲れというものは結構軽視されています。どうせ療養するなら思いっきり療養した方がいいのは明確ですが、ただ休んでいてもなかなか疲れは取れるものではありません。 以前勤め人だった頃に、年配の上司に「ビタミン剤は歳がいくと効果を実感するぞ」と教えてもらったことがあります。しかしビタミンでは追いつかないことがあります。 今現在も気力はあるのですが、どうも神経が修復しきっていない感じがしています。 日々は一日万機。最も多忙だった時は、本当に全身が痙

正しさと限界
禁欲の教えは、感性的な衝動が狂暴な猛獣であるためにこれを根絶しなければならないような人々にとって、うってつけの考え方である。しかし実際またそういう人々にとってだけである。 曙光 332 これはZ会について触れろということでしょう。今回はZ会、つまり「絶倫すぎる男たち」について触れていきます。 世の中には絶倫になりたい人、食べ物などで何とか絶倫になりたいというタイプの非Z会の人がいますが、「絶倫すぎる男たち」=Z会は、基本的には食事等だけ
空が暗くなる
晴れやかなところにいると気分も晴れやかになるように、どんより曇り空だとなんだか感傷的になったりする時があります。 陽の光はそれほどに気分にまで影響したりしますが、どんより空が暗くても、それはそれで味わい深かったりします。小糠雨などは絵になります。 といっても、空が暗くなり気圧が下がってくると、心境は少し変わってきます。思うままに情緒だけを味わえればいいのですが、どうもそうはいかないようです。実際に体が反応してくるので致し方ありません。
歓待
歓待の習慣の意味は、他人の敵意を麻痺させることである。もしわれわれが他人をもはやさしあたって敵とは感じない場合には、歓待は減る。歓待は、悪意をもったその前提が盛んである限り、盛んである。 曙光 319 歓待(かんたい)は、「手厚くもてなすこと」ということで、「歓迎!」と「接待!」だということですね。まさに「他人の敵意を麻痺させること」が主たる目的になっています。つまり歓待は誰かの敵意を麻痺させて、身を守ろうとするような意味があります。
夕暮れの判断
終わって疲れているとき、その一日の仕事や、一生の仕事を反省すると、だれでも普通は憂鬱な観察をするに至る。これはしかしその一日や一生のせいではなく、疲れのせいである。 曙光 317 前半 朝は思考が働き、夕方は感情が働く、というようなことがよく言われます。確かに頭は午前中のほうが働きます。しかしパソコン作業は深夜のほうが捗ります。 「なぜなのか」ということを考えた時に、数日にわたってなぜなのか観察してみることにしました。 生理的なことは知
われわれが極めて疎いギリシア的なもの
東洋的であれ近代的であれ、アジア的であれヨーロッパ的であれ、これらすべてのものは、ギリシア的なものと比較すると、嵩高(かさだか)なことや、崇高なものの表現としての巨大な量を楽しむことが、特有なことである。われわれは、ペストゥムやポムペイや、アテナイにおいて、またギリシア建築術全体の前において、ギリシア人が、どんなに小さな量で何か崇高なものを表現することができ、また表現することを好むかに驚くのに。― 同じようにギリシアでは人間自身が、彼ら
諦めるな!
「諦めるな!明らめろ!」というような、言葉遊びをするつもりはありません。そういうちょっとした落語家のようなことして興味関心を惹こうというようなことがよくソーシャルネットワークで行われています。 今回は、気合と根性で突き進みつつ、どうもうまくいかない時の対処法について触れていきましょう。 世の中では様々な方法論が語られていますが、実務的なことは実務的なこととして参考にしてもいいですが、それよりももっと簡単で今すぐにできる実践的な事柄をお伝
病人の認識について
病人に気を使いすぎると、かえってその人の治りが悪くなるという場合があります。病中のままの方がその人にとって都合のいいケースがあるからです。 そういう考え方の原因は、人にもよると思いますが、特に幼少期の記憶があります。学校はサボれる、テレビは見放題、ジュースとまではいかないがスポーツドリンクは買ってもらえる、周りが優しくなる、というような記憶です。 そしてもうひとつ厄介なのが、医者に通ってよくならないのに、まだ医者にばかり頼るという点です
時代に適した美
時代に適した美ということで「平安美人」という言葉が、現代では侮蔑に使われることもあるように、時代時代で美しさの基準は変化していきます。ある程度の「調和」という意味で一定の傾向はあるものの、一応変化していきます。 つい先日も触れましたが、間違っても80年代だけは繰り返してはいけません。いつまでも美しいとされるようなものはたまにありますが、時代時代の流行りが組み込まれたものは、やはり扇動されていることは否めません。 目や顎の好み ところで、
気づかれないままでは破壊しない
そもそもは認識の誤謬、錯覚というものから起こる悲劇ばかりですが、単純に日常のモヤモヤというものは、奥深くに眠っている「何か」が引っかかっていることがほとんどです。怒りの本音で触れましたね。錯覚がなくなればすべてがガラッと変わり、一気に消えますが、それは少しハードルが高いのかも知れません。 トラウマはそれが何かがわからないからトラウマと呼ぶのと同じように、無意識レベルでの心配事などなど、その奥にあるものがなかなか見えません。 理由が見えに
やはり英雄的
われわれがほとんどあえて口にしないほどいたって評判が悪いけれども、有益であって必要であることは行うこと。―これもやはり英雄的である。ギリシア人は、ヘラクレスの大きな仕事の中に厠の掃除を入れることを恥としなかった。 曙光 430 「やはり英雄的」ということですが、なぜか二十歳くらいから、英雄ならば「ひでお」、正義なら「まさよし」、勝利なら「かつとし」と読んでしまう癖がついてしまいました。 引用にある大きな仕事は、ヘラクレスがヘラによって狂
われわれのどこが最も精巧であるか
自律訓練法というものをやったことのある人は経験があると思いますが、思うだけで本当に手が温かくなったりします。そう感じるだけでなく本当に温かくなるのだから、錯覚でも何でもありません。 自律訓練法は、右手が重いと意識するだけで本当に重く感じてくる、右手が温かいと意識すれば、右手が本当に温かく感じられ、実際に体温も上がったりするというようなものです。それを両手両足でやったり、「頭が涼しい」というような感じで進めていくものです。詳しいやり方は調
差がわかる
アイツこと自我とは、何かと何かを分ける機能ですが、ここで重要になるのは差がわかることと、差をつけてしまうことは全く別物だということです。差がわかるのは機能が純化されているだけで、差をつけてしまうのは観念による判断、という思考の産物だからです。 音楽をやろうという時に、耳コピができない人がいますが、僕はそれが信じられません。何十本も楽器があるような曲なら、スコアを見ずに耳コピすることは時間の無駄のような気がしますが、巷にあるような曲で、な
身体の限界と楽しみの限界
僕は体育会系ではありませんから、身体の限界と銘打っていますが、特に運動能力的なことについて触れるわけではありません。いわゆる五感を通しての楽しめる限界についてです。 やたらと楽しいことを求めてしまうのは「アイツ」の仕業ですが、楽しみについて以前少し考えたことがあるので、一応書き記しておきましょう。 必要以上にお金を欲しがってしまうのは、ひとつは安心感、もうひとつは楽しみを求めるせいですね。安心感については今までにもさんざん書いてきました

アルコールの影響
ひとりでいる時は全く酒を飲まなくなったのですが、あえて飲んでみたらどうなるのだろうということで、飲んでその様子を具に観察するということをしてみました。 つまり、おそらく最後になるであろう独り酒です。 ただ、動機が普通のそれとは大きく異なります。アルコールは身体や気分や頭の働きにどう影響するのだろうというようなことを観察するために飲んでみるということなので、やけ酒でもなんでもありません。 たまに宗教屋が「酒を飲んではならない」ということを
メガネと視力
十代の頃から左右の視力に結構な差があって、右は1.2、左は0.5など、そのあたりをうろうろしています。大昔に聞いた原因は「横になってのゲームのしすぎ」だそうです。特に気にならなかったので、ずーっと放置していました。 二十代の頃に同僚に誘われてメガネを買ってみました。昔からメガネは似合いません。「胡散臭そうになる」というのが大多数の印象だそうです。一応それを回避するためになるべくフチのないものを買ったのですが、つけた瞬間の視界のクリアさは
水の味
以前は水で酔うというようなお話をしましたが、今回は「おいしい水」について触れていこうと思います。 「きき水」などなど水の味を語るにあたって、硬水や軟水についての分類、つまりミネラル分についてばかり語られますが、味を構成しているものはそれだけではありません。 「ボルビック」か「クリスタルガイザー」か「コントレックス」か「いろはす」かと言ったきき水や、「南アルプスの天然水」か、「奥大山の天然水」か、「阿蘇の天然水」かといったきき水の範疇を超
減量と省エネルギー
20代前半の時、職場の近くにある弁当屋に「唐揚げジャンボ」たるものがありました。ノーマルサイズのからあげが13個入っています。僕はほぼ毎日食べていました。そして、それでは足りなくなり、お昼には唐揚げジャンボとカップヌードルを食べるほどになりました。 そんなこんなで13キロほど増えました。みるみる太っていったわけですが、またすぐに戻りました。特にお金はかけていません。 ダイエットというキーワードはインターネットの世界でも競争が激しいワード
タイヤの細いチャリとロハスな人
おそらく昔に比べてかなり安価になったのでしょうか、ウェーイの矛先としてタイヤの細いチャリンコが街にたくさん現れるようになりました。 また、SNSが普及した影響からか、「ロハスな人」に生活スタイルを語られたり見せつけられることも多くなりました。 ということでタイヤの細いチャリとロハスな人についてでも書いていきましょう。 タイヤの細いチャリ 最近よくタイヤの細いチャリンコを見かけます。昔から土日の周山街道などではよく見かけましたが、彼らは本

磯をかぐ 改
昔は現代のようには「明かり」がありませんでした。 「古典を読むと、闇夜、匂いで人を嗅ぎ分けていたというような記述もあります」というようなことを読んだことがあります。 何もかもが平均的を目指す世の中は「無臭」がよいとされています。 臭いのも嫌かもしれませんが、「量産化されるスタイル」に対しての奇抜さのように、匂いも大切にしてみてはいいのではないでしょうか。 ニオイを気にする人ほど、自分の臭さには気づいていません。そして異常に潔癖だったりし

ゆかたビフォーアフター
浴衣というものは何のためにあるのでしょうか。 旅館に泊まって浴衣で寝ると、昔はほぼ確実に翌朝下痢になっていました。足を冷やすとダメなはずなのに、「足は無防備でいけ」という仕様になっています。 朝方になると必ずぐちゃぐちゃの浴衣姿と、5時に下痢で起こされる僕がいました。頭寒足熱の精神はどこにもありません。 特に、帰る予定が二軒目三軒目と飲みに誘われ、スーツなどのままビジネスホテルに泊まった時などは最悪です。 スーツのまま寝るわけにはいかず
ノンアルコールで酔う
ノンアルコールで酔うということで、ノンアルコールビールやコーラ、水でも酔うということについて書いていきます。 最近はめっきりお酒を飲まなくなり、集まりの付き合い以外ではほぼほぼ飲みません。 一人で飲むことはもっと前からしていません。 僕は発泡酒があまり好きではないので、付き合いの場でビールが無く発泡酒オンリーならいっそ飲みません。 むしろコーラを飲むでしょう。 ノンアルコールで酔ってしまう理由 ノンアルコールビール そんなわけで、ビール

RUNNERS HIGH
「このままの勢いが続けばいいのに」 そう思って、続かないのは寝るからです。たくさん寝ると、気分が大きく変化します。特に大酒なんかを飲んで、昏睡なんかするとそれまでの勢いはだいたい失速します。 気分にとらわれている間は、絶対に続くことはありません。 大きく気分が変わる出来事があればしなしなヘタっていきます。 ― 一時期、休みが「月に一度あるかないか」、という時期がありました。 半年から一年くらい続いたのですが、ある時夕食を摂ろうと座った瞬