減量と省エネルギー

20代前半の時、職場の近くにある弁当屋に「唐揚げジャンボ」たるものがありました。ノーマルサイズのからあげが13個入っています。僕はほぼ毎日食べていました。そして、それでは足りなくなり、お昼には唐揚げジャンボとカップヌードルを食べるほどになりました。

そんなこんなで13キロほど増えました。みるみる太っていったわけですが、またすぐに戻りました。特にお金はかけていません。

ダイエットというキーワードはインターネットの世界でも競争が激しいワードですが、たいていは「何とかして商品を売ろう」というモノにしか過ぎません。

医師のお墨付き、などなどの権威付けでなんとか売ろうとしますが、あの手の広告に騙されてはいけません。騙そうとしているわけではないのかもしれませんが、あれらのデータより大切な点があります。が、それはあまり語られません。お金になりませんから。あまり本音をアナウンスすると、経済社会がガラッと変わってしまうかもしれません。

すなわち、健康食品というかダイエット産業と広告屋があまり儲からなくなり、失業者だらけになるかもしれません。

ただ、すぐにはそうならないでしょう。

本当は簡単なことなのに、「難しく考えなければ勉強した意味がない」という教育過程での洗脳が解けるには、気づきが欠かせません。

いくら完璧な論証をして、頭で納得しても「うーん」と、どこか不服そうに「わかったけどやらない」が先行するのがオチですからね。

たとえば「親」や「親友」や「彼氏彼女」と、道端のミミズが同価値です、といっても理解できないでしょう。初めて「なんで価値あると思っちゃうんだろうなぁ」ということで、「何かを上位に置く根拠なんてないんじゃないか??」とセンチメンタルな青年は気づいたわけですが、その人はブッダと呼ばれていることを知っている人は、寺の坊主でも珍しいと思います。これと同じように、固定観念による「感情の抵抗」があるため、簡単なことでも、なかなか受け入れ難かったりします。

物理的・行動的ポイント

いきなりオチのような話をしますが、物理的、行動的なポイントはほとんどありません。

たった2つのことです。

  1. 好きなものをよく噛んでおいしく食べて、満腹になったら食べることをやめること
  2. コンビニくらいは歩いていくこと

以上です。

よく「炭水化物は~」みたいなことを言う人がいますが、食べたいものを適量食べればそれでよし、特にこだわる必要はありません。

決して我慢してはいけません。深夜であろうが「よく噛んで満腹になるまで」は食べてください。

我慢すると感情エネルギーが抑圧されて、結局続かず、身体的にはカロリーの高吸収、行動的には暴飲暴食を招きかねません。

絶対に空腹を我慢してはいけませんが、腹は徐々に減るものです。急激な衝動的な空腹+イライラは「アイツ」による騙しであることはあまり語られません。意外と脱水だけだったりします。水分不足を空腹と混同させる能力を持っていますので、「水を飲んでから考える」という感じでこれは対応できます。

感情エネルギーの矛先

どうしても衝動的にお酒を飲んでしまう人、お金を使いすぎてしまう人、そして食べてしまう人には、行動的制約や、意志の力を期待してはいけません。

そんなものは、一時的なカンフル剤にしかなりません。しばらくの間は行動を止められるかもしれませんが、我慢した分だけ何かに跳ね返ります。たいていは以前よりひどい飲酒・浪費・暴飲暴食ですね。

語弊なく言えば、これらの人は「自尊心」が不足しており、それの穴埋めに衝動的にそれらの行動を起こしてしまいます。

簡単に言えば「愛に飢えている」ということになります。

そこで「愛をあげればいいのか」ということになりそうですが、そんなことをしても一時的なものにしか過ぎません。これらの人は愛を求める割に与えることはあまり頭にありません。もしくは過剰なまでの自己犠牲を行っていたりします。そういう渇望感の源流をその人自身で探らない限り、周りの人の行動は徒労に終わるでしょう。

「自尊心」や「他者からの愛」は、あって困るものではないですが、ないと困るというものでもない、ということに気づけば、突発的衝動は自然に無くなります。

気分というものは、寝て起きればたいてい変わっています。

ということは、無理やり思い込もうとする「意志の力」などあてになりません。イライラするだけです。そのイライラの方が問題だということを肝に銘じてください。

ブーストにはなるけど…

世に溢れる「ダイエット商品」や「ジム」なども、一応、減量のブースターとしての機能は否定しませんが、一歩間違えればそれを必須条件にしてしまう点と、先の最も重要な点を忘れてしまうという危険性があります。

たいていの商業的なダイエット法には注意書きがあります。

「ただし、これを続けられた場合ね」

という点です。

どうやったら続けられるか、という工夫についてはあくまで「儲けよう」という視点でしか記載されていないことでしょう。

「続けていただくために定期便のご案内です」

といった具合に。

それに無理は絶対にしてはいけません。

走ると不快になるのなら、歩けばいい、ということになります。

トンチンカンな行動と省エネルギー

いつも思うのですが、走っている人を見ると、本当に無駄なエネルギーの使い方をしていると思います。歩いたり走ったりすると気分が変わったりするので、別に好きにしてもらえばいいのですが、仕事中はだらだら歩いているのに、わざわざウェアまで買って夜な夜な走っているのですから。

以前にも書きましたが、生きるための行動以外でエネルギーを使うのは、ほかの動物では見当たりません。動物はあくまで食料を取りに行ったりするためだけに動きます。

この走っている人たちが、少しでも物を運んでくれたら、世の長時間労働は少しはマシになるのではないか、といったことをいつも思います。

歩くくらいなら本当に体にいいことは間違いありません。

ただ、ジムなどで鍛えだすと、逆に体に悪いというようなことをいつも思います。老化とは血管の酸化です。体の余分な脂肪や老廃物が流れきるくらいで終わればいいものを、「モテ」を意識してか、ムキムキになろうとします。過度な運動は酸素の消費と、内臓への負担が増えます。そうなると運動といっても、軽く血行をよくする歩行くらいで十分です(限界や転機における体の再生

もうすっきりした体になったのなら、粗食であまり動かない、というのが一番 動物として正しい姿です。たくさんの筋肉をつけてしまったらその分エネルギーを浪費します。ということは、たくさんの食料を消化吸収せねばなりません。内臓は大変ですね。

結局は、うさぎのように食事以外、日中はでれーんと寝ているのが一番正しい姿なのだ、ということになります。


「適正な量の食事」という感じで言えば、既に2500年以上前に実践されていた元祖ダイエットアファメーションを実践してみるというのもおすすめです。

元祖ダイエットアファメーション

Category:miscellaneous notes 雑記

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