タグ別アーカイブ: 文化・芸術

文化・芸術・風習などについて

そんな穿鑿をしてちゃ、味が悪くなるよ

「そんな穿鑿をしてちゃ、味が悪くなるよ」ということで、何事も気にしすぎることは効用を半減させてしまうことにもなりかねません。 しかし一方で、ある程度気にしないと、ロクでもないものが出てきたり、騙されたりもするので厄介です。 特に海外に行くとそれは顕著で、ある程度気をつけておかないとぼったくりバーの被害に遭うということもありますし、ちょ

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体験する主体としての一人称感覚

好き嫌いの範疇になりますが、幼少期の頃から「浅いもの」が嫌いであり、浅い付き合いも好きではありません。 「人馬一体」という言葉がありますが、人馬が一体になろうと思えば、相手のことはもちろん自分のこともよくわかっているという状態でなければなりません。その上でいかに信頼し、双方が自己開示するかというところが、人馬一体を叶えるものであると思

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こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか

こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか

「こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか」という風習はたくさんありますが、「いつまでも黙認されている理由」としては、「どちらでもいい」という要素の中、取り留めて被害も少なく、反証材料もないという感じのもの、そして、「採用するにしろしないにしろ、その前提となる全体の構造が不明瞭」というような部分があるような気がします。 「誕

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総員玉砕せよ! 水木しげる氏

総員玉砕せよ!

「この『総員玉砕せよ!』という物語は、九十パーセントは事実です」 と、あとがき「あの場所をそうにまでして…」で記されているように、水木しげる氏の実体験に基づく「ほぼノンフィクション戦記物」である「総員玉砕せよ!」。 一年ちょっとくらいになりますが、「水木しげる 魂の漫画展」に行った時に知ってその場で買いました。「総員玉砕せよ!」の単行

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内容の解説は無用

内容の解説がありがたい場合もあれば、「内容の解説は無用」という場合もあります。 そんな内容の解説は無用であるという場合の最たるものは、ユーモアや笑いの類ではないでしょうか。 そうしたものは、解説された瞬間に芸術性、侘び寂び、奥ゆかしさが消えるというのは少し前にも触れていましたが、地域文化的な差ということなのか、地元京都、とりわけ洛中で

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カメラ好きの一つの特徴

「笑う月」の中で安部公房氏はカメラ好きの一つの特徴を次のように述べています。 「マニヤがカメラに求めているのは、単なる実用主義的な現実ではなく、むしろ空想なのである。シャッターを押すことで、世界の部分を手に入れる手形にサインをしたつもりになれる。その瞬間の自己欺瞞がたのしいのだ。当然のことだが、どこか意識の片隅には、それが自己欺瞞にす

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操作が面倒な高級機

基本的には機能がどんどん追加されていくというのが機械の進化のあり方であり、そのうち限界を超えて「操作が面倒」ということになっていって、次には「簡単操作な方が流行る」ということがよく起こっています。 Wordが基本になれば、パソコンとプリンタという組み合わせが主流になるだろうと思いつつも、結構しばらくの間、「ワープロ」が修理されながら使

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フィルムの使用量は信じがたく低い

安部公房氏の笑う月が刊行された昭和五十年の時代においても、「フィルムの使用量は信じがたく低い」と表現されるほどに、日本においては、カメラの所有数に比べてフィルムの消費量は著しく低いということのようでした。 現代においてフィルムカメラを使用するということは、もはやマニアの域に達していると言わざるを得ません。 デジタルカメラが普及し、携帯

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レコードを置き、針をのせた

僕が自発的にレコードを置き、針をのせたのは、高校生くらいの時だったでしょうか。 基本的にはCDで、微妙にカセットテープ世代でもあり、思春期にMD、デジタルオーディオプレーヤーといったものに変化していった世代ではありますが、「ベースをくれた英会話の先生のお兄さん」が使っていたパワーアンプを自宅に持って帰ってきた際、家にあったレコードプレ

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こんなふうに淡々と、日常茶飯のように

ある人にとっては難しく、また難しいからこそワクワクするようなことであっても、またある人にとっては日常茶飯のように淡々とこなすことができるものであったりします。 そんな日常茶飯事レベルになった時、当然ながらその余裕さに比例して、それに「なりたい」という気持ちやワクワクは消えていきます。 それがなく渇望している人にとっては、嫉妬や羨望の対

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それに、モデルと言っても

本人にとっては自己顕示欲を始めとする自尊心獲得ゲームとなり、他者にとっては欲を刺激するものとして捉えられがちなモデル等々の職業ですが、経済社会の中ではどうあがいてもそれに携わる人が繰り上がり式などで役割を担うことになります。 世間が求めていないものは需給が成り立たないということになるため、少なからず求めに応じて役割を担う人が必要になっ

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燃やしてしまった写真

デジタルデータとして残すというのが基本となった現代では、写真を燃やすという行動が未だに個人レベルで起こっているのかはわかりませんが、昔はよく写真を燃やすという描写がよくありました。今それを垣間見れるのは、抗議行動かカラオケのイメージ映像くらいのような気もします(実際にあるのかは知りません)。 そういえば、中学校卒業の頃の話になりますが

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追跡の恐怖

いつの時代も潔く去ることをしないストーカーのような存在はいて、それはきっと無くなることはありません。 そういう僕も何度かストーキングされたことがありますが、そうしたときには逆にストーカー相手に遊んでしまうことにしています。 追跡の恐怖から逃れるためにと「ストーカー撃退法があればなぁ」と思うこともあると思いますが、そうしたストーカーに対

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空気を引き裂く弦の音

空気を引き裂く弦の音

あまり街中に行かないので今ではどんな感じになっているのかはわかりませんが、音楽において、特にライブ会場においてある時から劇的に盛り上がることよりも「怪我人を出さないこと」の方が重視され、不完全燃焼感が増してきました。 個人的には、十代の時にダイブして肩から落ちて怪我をしたりもしましたが、自己責任なのでまあいいかぁという面もありつつ、そ

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高岡市 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー

水の王国 とやま 2019 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー

氷見市の光禅寺と忍者ハットリくんロードを出て翌日向かったのが高岡市の藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーです。 藤子不二雄A氏の次はもちろん藤子・F・不二雄氏。当然です。 ちなみに本日9月3日はドラえもんの誕生日。 藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーは、高岡市美術館の2階にあります。 〒933-0056 富山県高岡市中川1丁目1-30

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光禅寺&忍者ハットリくんロード

水の王国 とやま 2019 光禅寺&忍者ハットリくんロード

石川県羽咋市を出て向かった先は富山県氷見市です。 目的は氷見うどんと光禅寺です(そして、忍者ハットリくんロードに行きました)。 まず向かった先は藤子不二雄A氏の生家光禅寺です。 さてどこに車を駐めようかと思っていたら、目の前が無料駐車場でした(土日のみ利用可のようです)。 光禅寺 藤子不二雄A氏の生家であり小学生の途中まで過ごした光禅

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兼六園

いしかわ百万石物語 2019 兼六園

昨年岡山に行った時に、三名園の一つである後楽園に行きましたが、今年は同じく日本三名園のひとつ兼六園です。 千原ジュニア氏の「14歳」に出てきたことから、以前から行ってみたいなぁと思っていた場所です。 言わずと知れた名園兼六園。約11.7haの日本庭園です。 感覚的なものですが、ところどころなんとなく京都御苑を歩いているような感じになり

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極めつけのまとまり

結構な頻度で旅のお供に持っていく曲「自由へ道連れ」ですが、改めて聴いてみると極めつけのまとまり感があり、奏者たちの技量がモノを言う感じがするなぁと思ったりします。 技量が追いついていない場合、安いグルーヴになるという意味で、コピーするのが難しい曲だと思います。 各パートをコピーすることはできても、バンド単位でまとまることは極めて技量が

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Sleep

かなり個人的な感覚ですが、雨の日に山盛りの本を目の前に積んで読み耽るような日にぴったりな曲です。 20代の時、特にやることもなく、外も雨で一人時間を満喫したい時によく読書のお供にsurvival of fattestを聴いていました。 その中の5曲目がこちらLagwagonのSleep。 お供と言いながらも聴きながら読むことはなく、聴

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ご縁の国しまね 2019 足立美術館

ご縁の国しまね 2019 足立美術館

ご縁の国しまね 2019ということで、先日足立美術館に行ってきました。といっても今回は、島根県には足立美術館にちょっと寄ったという程度でした。 日本一の日本庭園という評価を受けているという感じでしたが、地元が京都という土地柄ということもあってか日本庭園には慣れている感があるのと、「評価+そこそこの料金」からハードルが上がっていたので、

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みどりのマキバオー

突然現れたマキバオー

ゴールデンウィークのある日、起きた途端に頭の中で「走れマキバオー」が流れ始めました。 するとその日は一日「んあ?」という感じになります。 走れマキバオーを観ているだけで、マキバオーやカスケードはもちろん、「あ、モーリアロー」とか「サトミアマゾン!」「アマゴワクチン!」「んー・・・ニトロニクス!」「ベアナックルやん」という感じになり、や

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骨格と装飾と問題

文章と音楽は全く別物かのように見えたりもしますが、知っている人は知っているように、骨格と装飾といった感じで、中心となる部分とオマケの部分があります。 また、そこにある美しさは、フィボナッチ数列から導かれる黄金比のような法則性もあります。そういうわけで、本来文理芸は切り離されているものではありません。 言語なら言語的意識、音なら聴覚とい

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ある人にとっての「面白い」が、ある人にとっては「面白くない」のは、なぜなのか

ある人にとっての「面白い」が、ある人にとっては「面白くない」のは、なぜなのかという点についてフロイト的にでも触れていきましょう。 世間では、あることを面白いと思う人がいる一方、そのことを面白くないと判断する人たちもいて、両者の中で軋轢が生まれたりもします。その様子自体が若干面白いのですが、無駄な争いですし、「この心」として怨憎会苦を得

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祝五周年

本ブログも五周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1480記事目になります。今回も祝四周年の時と同様に、単純に祝五周年というタイトルです。 「五年経つとこんな感じになっているのか」という感じです。 祝四周年の時点で、1140記事だったのでこの一年で340記事を書いたことになります。書庫の増設等もありましたが、この一年もまあまあ書

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fender usa precision bass 1998

相棒プレシジョンベースとの20年

今年で我が相棒フェンダープレシジョンベースを手にとって20年になります。二代目なので、その前からベースを弾いていましたが、初代はお下がりの貰い物だったので、100%のマイベースではありませんでした。 新品のまま我が家に来たベースはこのプレベのみ。ということで100%僕専用であり、相棒としてこの20年間を共に過ごしてきたことになります。

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日々を彩るアウラと駄アウラ

なんだかんだで年数回旅立ったりしていますが、日常これといって刺激を「求める」ということはありません。元々怒りが強く排除の方に気が向くくらいであり、かつ、放っておいても刺激はやってくるので「不足している感じがない」という感じです。 で、勝手に刺激は展開されていってしまうので「日々を彩るアウラと駄アウラ」といった感じでそんな日々の様子につ

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ピアノの先生と幼き日の弱さ

なんだかんだで小学一年生から六年生までピアノを習っていました。 きっかけは何だったかはっきり覚えていませんが、「ピアノを弾きたい」と父に言うと、数日後家にピアノが届き、さっそく近くのピアノ教室に通うことになりました。 最初の1年くらいは多分楽しかったと思いますが、その後すぐに辞めたくなりました。 なぜならピアノ教室の先生と合わなかった

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谷野杢蔵(歌の勝ち負け)

ついでなので、いかにも昔話的で、できれば日本昔ばなしでやって欲しい感じのお話もありましたのでご紹介しておきます。 現在ところ検索しても一切出てこない感じなので、おそらく「まんが日本昔ばなし」にはない作品だと思います。もしタイトル違いなどで類似作品があったら誰かに教えていただきたいくらいです。 三人馬鹿に引き続き、もちろん今回のお話も、

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三人馬鹿

古い土着の昔話の中には、非常に良い示唆に富みつつ、非常に洗練されているものが見つかることがあります。 それもまた「名もなき方が作り出した」というところに魅力があります。 そのような感じで、以前にご紹介した「ふるさと和気 民話編」の中から僕が爆笑した僕好みの昔話をご紹介します。 民話・昔話の類型としては、笑い話となっていますが、笑い話を

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園長先生のクレヨン

つい先日のことですが、カール・ラガーフェルド氏が亡くなられたそうです。 かなり前からカール・ラガーフェルド氏を知っているような口ぶりですが、その存在と名前が一致したのは去年の夏頃でした。 真鍋島で船の運行がイレギュラーになり、出戻り後に次の便を待っている間、テレビ画面にコシノジュンコ氏が登場していたのでそれを見ていました。 その話を父

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