そんな穿鑿をしてちゃ、味が悪くなるよ

「そんな穿鑿をしてちゃ、味が悪くなるよ」ということで、何事も気にしすぎることは効用を半減させてしまうことにもなりかねません。

しかし一方で、ある程度気にしないと、ロクでもないものが出てきたり、騙されたりもするので厄介です。

特に海外に行くとそれは顕著で、ある程度気をつけておかないとぼったくりバーの被害に遭うということもありますし、ちょっと道を聞いただけでガイド料として結構な金額を請求されたりもします。

ただ、気をつかうということは、それだけ楽しみが半減するので、楽しみのためになるべく気にしない方が良いということになります。

そんな中、「気を遣うということは楽しみが半減するから気にしないでおきなさいよ」ということを見越して、料金を明示せずにぼったくる店もあるので困りものです(お通しやサービス料、保証金といったよくわからない商慣習)。

何だかそれを「男の作法だ」とか何とか言っているのはどうかと思います。「単にカッコつけたい人達相手にぼったくっているだけじゃないか」という感じがしてしまいます。

「女連れが、細かい金を気にしている無様な姿を見せるのか?」

という脅迫でしかありません。まあ僕はそれに屈することはありませんが、気の弱い人なら折れてしまうかもしれません。

僕はそれを作法とは思いませんし、正々堂々としていないような人に世話になる気もなければ、基本的に「自分を楽しませてもらおう」という欲自体が無いので、人に連れて行ってもらうというケースを除けば、関わることはありません。

楽しみに関して言えば、楽器をやっていると、その楽器の音への深度が深まり、同じように楽曲を聞いていても味わいが変化していきます。それと同様に料理に関しても、作っていれば味覚や手の込みよう等々によってさらに味わいが広がるということになります。

そういえば、先日「じろりと白眼をむいて」で触れていましたが、最近X JAPANのToshlさんの「洗脳 地獄の12年からの生還」を読んでみました。

その文中に1997年のX JAPAN Last Liveにおける描写が出てきたので、今一度観てみようと、大晦日のLast Liveの映像を観てみました。

すると、今まで気づきませんでしたが、なんとなくToshlさんが折れて、YOSHIKIさんがそれに怒り狂うように破壊衝動のまま、一瞬若干走り、hideさんがそれを抑えるというような瞬間がありました。

本来はどうなのかはわかりませんし、真相の細かいところまではわかりませんが、心境を知るとそんな風に見えていなかった部分までも見えるようになるという感じがしました。

ただ、そんなふうにも見えるというだけで、最初からそんな目線でしか見ていなかったら楽曲に集中することは出来ないという感じになるのかもしれません。

まあ今まで幾度となく観た映像なので、「まあいいか」とも思いますが、20年以上経ってからしか気づかないこともあるんだなぁということも思いました。

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