表と裏と社会性と匿名性
一時期やたらにインターネット上で著者を示そうとか実名で公開させようとするような流れがありました。しかしそれは、インターネットの役割として相性が悪く、頓挫する形になりました。 まあインターネットの匿名性は、時に社会の中で問題となることがありますが、そうした場合被害者側の思いばかりが語られ、匿名性がもたらした害悪だということが語られたりしています。 そうした問題自体は、インターネットにまつわる一つの問題としての側面として、事実として検討して

芽が出るまで穏やかに待つこと
結果が出ることを焦ると全てが台無しになることがあります。 待つ時には待たねばならないと言う感じです。 焦燥感から物事を待てずにフライングしてしまうと、せっかく現れるはずだったものが姿形を変えてしまうことがあります。また逆に痛みを恐れて判断が遅れると損失がひどくなることもあります。だから穏やかに過ごすのが一番です。 「成長を温かく見守ること」で結果的にうまくいくとか、芽が出るまで穏やかに待つことによって、万事うまくいくということはよくあり
対人恐怖と人間不信への対処
対人恐怖と人間不信への対処について触れていきます。 人間不信や疑心暗鬼が加速すると、人によっては他人と接するのが恐いという感じになりますし、人によっては攻撃的になってしまったりします。 自分の「自我」を含めて人の意識は不安定です。なので、人を心底信用することはできませんし、それはそれで大いに理解できることですが、恐怖を感じたり攻撃的にならざるを得ないというのは「この心」にとっても苦しいことなので、「それとこれとは別次元のこと」として捉え

真面目と怠惰
真面目と怠惰というコントラストがあります。真面目は良くて怠惰はダメだとかそんな感じですね。 「真面目だけど不器用」 とか 「真面目でいい人なのにうまくいかない」 ということがよくあります。 もちろん真面目なことはいいことですが、真面目なようで実は真面目っぽさにかこつけた怠惰であることがあります。そうなるともったいなかったりしますので、逆説的な怠惰について触れてみます。 真面目で誠実というのはすごく良いのですが、それに甘んじることで本質か
内発性と自発性
一見同じように見えてしまう「内発性」と「自発性」は、似て非なるものであり、「内発的」と「自発的」というものも異なる概念です。 まあ言葉の定義というものは、各々の方々によって違ったりしますが、ここでは、アリストテレス的に内発性と自発性について少し触れていきます。先程、類語について触れていたのでそのついでです。 世の中では内発的動機づけと称しながら、人をマインドコントロールしようとする人たちがいます。新入社員研修などでもありがちです。 その

見栄や恥に釣られる甘い客
見栄や恥に釣られる甘い客ということで、恥の意識とマインドコントロールについて少しだけ触れていきましょう。 マインドコントロールの要因はいくつかありますが、用いられやすい心理的要因として「恥の意識」があります。 恥をかきたくないということに始まり、カッコをつけたいとかモテたいという意識があると、意志決定をコントロールされてしまい時に「甘い客」として取り扱われてしまう他、最悪の場合は世間でいうところの「洗脳」をされてしまいます。 北九州監禁

些細な力の無限連鎖
もう随分と前のことですが、弱体化した支店を立て直す敏腕管理者の方がいました。僕が実際に目の当たりにした良きリーダーの一人です。 彼は今でも僕の中での「理想のリーダー像のモデル」として重要な位置にいます。 彼が見せた「些細な力の無限連鎖」という奇跡のような復活劇について振り返ってみようと思います。 凄腕の支店長がやってきた ある時、売上が極端に低迷する支店に凄腕の支店長がやってきました。 従業員たちの心は諦めかつ退廃的になっていて「サボっ
ウジウジが続く時は極論や極端な発想で思い切る
ウジウジが続く時、そんな時は微妙なストレスが日々心身を痛めつけてきます。 変なウジウジが続く時、極論や極端な発想で思い切ると、意外とあっけなくそれが解決したりします。 友人や知人に相談なんかをして「そんなことは関係ない」とか「気にするほどのことじゃない」と言ってもらったとしても、なんだか頭では理解することができつつ、心の内では納得できずにウジウジが続く、そんな時があります。 ウジウジしている時というのは、少なからず葛藤があるときです。本

パワハラの境界線
世の中では、パワハラが問題になることも多いですし、僕もたまにパワハラ野郎という概念を使うことがありますが、そうしたパワハラの境界線を捉える上で、面白い人がいたことを思い出しました。 定義上パワハラは、パワーハラスメントなので、嫌がらせ要素が必要になり、職場への悪影響が発生していることが定義上の要件となります。 そういうわけでただ単に客観的に暴力的な指導であるからと言ってパワハラと判定することはできません。 それをパワハラとするには、やは
明日や未来が見えない時の対処法
人が絶望する時、それは「明日や未来が見えない時」がほとんどです。 うつが語られる時、世の中では体調とか考え方とかそうしたものが中心になりがちですが、「ぽっかり空いた何か」をどうすればいいのかということについては、ほとんど示されません。 体を良くするとか現状をハッピーにするということはいいですが、そうしてネガティブ要因を何とかしたとしても、それでも「この先どうすれば良いのか?」ということを誰も教えてくれません。 人生において「嫌だ!」と思
超人思想と力への意志(権力への意志)
超人思想と力への意志(権力への意志)について触れていきます。 超人思想とは、ニーチェが「ツァラトゥストラはこう言った(Also sprach Zarathustra)」あたりで示した、能動的ニヒリズム的に生きる姿といった概念です。「生の肯定」として、永劫回帰の中で「生きること」を肯定して生きるという感じです。 力への意志(権力への意志,Der Wille zur Macht)とは、生の本質として、内的条件が外的に適応するというものではな
八割方はすぐに叶う時代の一眼レフカメラ
技術が進むにつれて、ある程度の地点までは誰でも簡単にたどりつけるようになっていきます。その裏では素人目には理解不能なレベルでのすさまじい高度な技術が組み込まれていたりします。 素人が簡単に操作できるとすれば、その簡単さに応じてその裏にある技術のレベルは高いものになっています。 そのような感じで、以前まではプロの領域だったものであっても八割方はすぐに叶う時代になってきたりしました。 それはプロの価値が下がるということではなく、ラスト二割の
虚飾や虚栄を支える他人の目
「虚飾や虚栄を支える他人の目」ということで、見た目で態度を変える人たちについて、そして、それが影響し虚飾や虚栄を繰り返してしまう人たちの意識の中身を少し覗いてみましょう。 虚飾とは、中身は薄いながらも見栄から外見を飾ることであり、虚栄とは、体裁を気にして栄えているかのごとく振る舞うことを意味したりしますが、共に実質的にはペラペラなまま、着飾ることや高級品を所有することを筆頭に外面だけ飾るということになります。 どこからが虚飾や虚栄で、ど

「操作できる」という実感
リアリティを高める重要な要素としての「操作性」や「操作できるという実感」、そして「自分の意志で情報が変化する」という点や反応がない場合に起こる憤りなどについて触れていきましょう。 ― 映画やドラマ等々を長時間視聴することは難しいものの、ゲームなら半日でもやり続けることができる理由はどこにあるのかということをふと考えました。 昨年から観続けているXファイルですが、全話で200以上あるのでまだまだ終わりません。DVD一本で4話入っており、1
感謝の効用のカラクリと注意点
「感謝」について、感謝の効用のカラクリと注意点についてでも触れていきます。 胡散臭い自己啓発やスピリチュアリズムなどが蔓延してからというもの「感謝」が安物になりました。 言霊が云々なんてなことを言いながら、何にでも感謝しろというような一種の社会的圧力すら出てきているような感じもします。 ありがとうなんて思ってもいないくせに「ありがとう」とか「感謝してます」みたいなことをひとまず言っておけばいいというような風潮があります。 それはそれで時
鈍い人たちの言動に直接反応せず、自らの洞察力を活かす
「鈍い人たちの言動に直接反応せず、自らの洞察力を活かす」ということで、世の中にいる鈍感な人たち、図太い人たちなど、いわゆる「気が回らない人たち」に対して辟易するのをやめて、そうした人たちの気の使えなさを見抜ける自分の洞察力を活かしていきましょうというようなことについて触れていきます。 以前、鬱になる人は繊細で頭が良いというようなことを書いたことがありましたが、それは適当に言ったわけではありません。 論理矛盾に気付く能力や共感力があるから
不確かさが面白さを作る
思えば「不確かさ」が恐怖をもたらし、一方で面白さももたらしているのだなぁということを思うことがあります。 ゲームにおけるゲーム性を考えてみた時、絶対に勝てるようなものはゲームとして成り立ちませんし、面白くもなんともありません。逆に絶対に勝てないというものもゲームとして成り立ちませんし面白くはないはずです。 まあ対象がどのようなものなのかがわからなければわからないほど恐怖ともなりますが、ある程度はそれが何かを把握した上で、不確かさとか不確
記憶からの影響・記憶の臨場感を下げる方法
うつ状態にある時、何かを始めようと思っても記憶からの影響によって、ストップがかかってしまう事があります。 行動をする時でなくても「記憶を思い出して嫌な感情が起こってしまう」ということもあります。 そんな時にはこれからご紹介する「記憶からの影響・記憶の臨場感を下げる方法」を使うと、記憶からの影響を弱めることができます。 まあこれは結構有名な方法であり、心理療法家であれば概ね誰でも知っているような方法になりますし、特に危険性はありません。
本能的な相性のスイッチ
お近づきになったような女性に関して思い返してみると、同じようなタイプの人に好かれ、同じ名前の人に好かれということが不思議なくらいに起こっていたりします。 昔お付き合いしていた彼女にそっくりな女性の上司が職場にいて、ある時ふと「別れた元夫とよく似てるの」なんてなことを言われ、その元夫さんにそっくりだという息子さんの写真を見せてもらったら顔も体格も僕に似ていたというようなこともありました。 「息子によく似ていると言えばいいのに」ということも

マルチ商法会員を社長仲間と弁護士と共同で脱マインドコントロールしてみた
先日、マルチ商法会員の若者を社長仲間と弁護士と共同で脱マインドコントロールしてみました。経済団体の会合に現れたマルチ商法会員(社長仲間の友人)を社長仲間たちと弁護士の方を交えて、脱マインドコントロールを試み、脱会までの糸口を作ってみたと言うような感じです。 一応「マルチ商法(MLM)と洗脳」の続編のような形ですが、何かの役に立つかもしれないので、その時の実際のやり取りを残しておこうと思います。 マルチ商法、MLM(マルチレベルマーケティ
自分を制限しているものを観て限りなく壊せ
「自分を制限しているものを観て限りなく壊せ」なんてな大それたタイトルです。少なくとも自分を制限しているものを見極め、それをどんどん壊していきましょう。 だいたいうつ状態の時は、ちょろちょろと「うつ改善にプラスになること」を試みる方向で考えてしまいますが、ゆるやかに改善していくというアプローチには限界があります。 特に精神の上では、壁を壊すように破壊力を伴ったような思い切りが必要な時があります。 そういうわけなので、今回は自分を制限してい
「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処
「キャー!」「きゃあん!」といった超高周波の奇声を絶叫する子供が激増してきました。 家の前、飲食店、スーパーなどの小売店、そして温泉ですら、「無線のチューニング」並みの「キャー!」「きゃあん!」という子供の奇声が聞こえてきます。これは完全に公害です。 最初に言っておきますが、「うえーん」や「えーん」「ぎゃあああ」といったように、怪我をして泣いているとか、赤ん坊が泣いているという場合の声ではありません。 だいたい女の子の方に多いですが、幼
「は?」となる心理学者たち
安物の心理学の本には、絶望的な心理学者による絶望的な実験結果が引用されていたりします。 小学生くらいでも「は?」となるレベルです。 そうした実験結果を報告する心理学者は「本当に頭は大丈夫か?」と思ってしまうレベルであり、それを引用して根拠になるかのように思っていることも絶望的です。 「アメリカの〇〇州立大学のナントカ博士が300名程度の学校の先生を対象に調べたところ、自信がある人ほど職場でいきいきと仕事をしていたというのだ」 「ギリシャ
孤独や孤独感と「独立して自由であること」
孤独や孤独感と「独立して自由であること」という感じで、孤独や孤独感を中心にまたまとめておきます。そして孤独という概念から「他との関連性から独立して自由であること」についても書いておきます。孤独感に苛まれた時に「軽い脱却」を叶えた「孤独感についての独り問答」についても触れてみます。 まず、孤独であることや孤独感は、「分離」が前提になっており、分離の感覚がなければ孤独感は全てなくなります。 世の中では、寂しいとかひとりぼっちだとか、そうした
何かが切れる瞬間
寝て起きてしばらくしてまだまだボーッとしている時、変な気がかりが起こることがあります。たいていはすぐに何とも無くなるのですが、稀にすごく嫌な気分になることがあります。 しかしそんな時は、ほとんど必ずそのすぐ後に何かが切れます。切れる瞬間が明確にわかるような感じで何かが切れます。 そしてだいたい何かに没頭することになります。その間嫌な気分になることはありません。 そういうわけで嫌な気分は一瞬だけであり、それで終わりです。 変な感じなのです
同情と共感
同情と共感についてまとめておきます。同情と共感は似ていますが、己の心にどう影響するかが全く違うので、似て非なるものとしてその違いについても触れていきます。 英語的な話をすると「同情」は「sympathy」であり、「共感」は「empathy」と言う感じになりますが、もちろんそれが心理学者なのか哲学者なのかといったことを筆頭に、その言葉を扱う人達によって若干の定義は違ってくるでしょう。 しかしながら、概ね同情は、相手の感情に同化し一緒に感情
人を信用することと人間不信
「人を信用することができない」 ということが人を苦しめる最たるものの一つです。 しかしながら、人間不信ということに限定することなく、何事も信用し切ることはできませんし、かといって一切の信用がなければ社会生活はままならないという構造になっています。そんな中「信用しようとすること」自体が疑いを含んでいるため理屈の上でどう考えようがその信用問題についてはなかなか答えを導き出すことはできません。 そんな中、それを解決する方向性を示唆したのは、夏
目先しか見えないと改善の価値がわからない
目先しか見えないと改善の価値がわからないということで、目先の物事しか見えない人たちにとっては工夫や改良を継続して繰り返していく「改善」の価値がわからないというようなことについて触れていきます。 人は感情的になっているときほど本能よりの思考しかできなくなっているため、思考としての「過去」や「未来」というものを想定できなくなったりします。 ということで、今現在以外に意識が向くことで煩悩が起こるという面もありますが、今以外を思考上で想定できる
数多のビジネス書が結局精神論ばかりになる理由
数多のビジネス書が結局精神論ばかりになる理由という感じで、世の中で出版されるビジネス関連の本が精神論とか心のあり方に落ち着いてしまうワケについて触れていきます。 具体的なハウツーが欲しいのに、なんだかんだで書いてあることは精神論だったり考え方だったり、心のあり方だったりという感じに落ち着いているというようなやつです。 まあそれを嫌だと思う人も結構いると思いますが、どうしても最終的にはその人のマインドが大きな影響を及ぼすのでビジネス書にお
感情のくだらなさに気付いたのなら
ほんの稀にですが、感情に苛まれそうになる場合があります。それは苦しい感情であり、苦しい状態です。 もちろんすぐに脱するのですが、そんな時はいつも「くだらないなぁ」と思います。 そんなことを一番最初に思ったのが高校生の時です。 どんな理由だったかは忘れましたが、ある時何かに悩むように何かを考え、嫌な感情に苛まれていました。 そこで十代にありがちな「友人と遊ぶ」ということを思いつき、電話をしてみたのですがあいにく友人はバイト中であり、電話は