感謝する
一グラン感謝の心と感恩が多すぎる。― するとわれわれは悪徳で苦しむようにそれで苦しむ。われわれは自分の自主性と誠実ともどもに、良心の疚しさの手中に陥る。 曙光 293 (※一グラーン(Gran)は、0.06グラム。薬量の単位<注釈より>) 過去記事を見ても、「感謝しなさい! 曙光 5」「感謝を拒絶する 曙光 235」と、またまた同じよ
一種の誤解
誤解というものは厄介ですが、いつでもどこでも付きまとってくるものです。 「スプリンクラー」と「スクリンプラー」、どちらが正しいかはっきりわかったのは20代後半のことです。コントなどで、「道場六三郎氏」役を「六場道三郎」という名でやられてしまっては頭の中は混乱の一途を辿ります。 洞爺湖につられて「トーベ・ヤンソン」か「トーヤ・ベンソン」
不遜
不遜とは見せかけで偽りの誇りである。しかし誇りにまさしく特有な点は、それが遊び事も、偽装も、偽善もできないし、願いもないということである。― その限り不遜とは、偽善の才能のない偽善であり、非常に困難なものであり、大ていは失敗するものである。 曙光 291 前半 不遜(ふそん)、つまり思いあがりであり、へりくだる気持ちのないこと、これを
浪費
興奮しやすく突飛な性格の人々にあっては、最初の言葉や行為はほとんどいつも彼ら本来の性格を特徴つけるものではない(それらは環境によって示唆されたのであり、いわば環境の精神の模倣である)。しかしそれらはたしかに語られ、なされたのであるから、その後に続く性格に基づいた本来の言葉や行為は、しばしば調停や、回復や、再忘却などに費やされざるを得な
美徳に反対のことを言うことが禁じられる場合
臆病者の間では、勇敢さに逆らうことを言うのは低劣に響き、軽蔑を引き起こす。そして無分別な人間は、同情に反対のことが言われると憤激を示す。 曙光 289 先月、「いろんなことに挑戦していきたい!」「どうしてでしょうか?」という問答について少し触れました。「挑戦したいからです」への挑戦状ですね。 「臆病者の間では、勇敢さに逆らうことを言う
上品な人々の悲劇
心からの親密さをうまく示すことの出来ない上品な人々は、その上品な性格を、慎しみ深さや、厳格さや、ある種の親密さの軽蔑などによって推測させようと努める。彼らの強い信頼感は姿を見せることに恥じらいを抱いているかのようである。 曙光 288 よくビジネスマナーなどの研修で言葉遣いについて研修をすることがありますが、相手尊重した版、こちらが遜
二人の友人
友人同士がいた。しかし彼らは友人ではなくなり、どちらの側からも同時にその親交を解いた。一方は、自分が誤解されすぎたと思ったからであり、他方は自分が知られすぎたと思ったからである。―しかし両方共その際間違っていた!― 彼らのうちどちらも、自分自身を十分には知っていなかったからである。 曙光 287 ニーチェは時折、古典落語のような事を言

お客さんのお客さん
昔、頭文字Dを観ている時に、ふと思ったことがあります。 乾信司との最終戦でも出てきたブラインドアタックですが、かつてのバトルでは、相手の車体を見るのではなく、相手のヘッドライトの照らしている先を見る、という旨のことを言っていました。 同じようなことを、似非コンサルタント達に言いたい、いや、言いたいと思った瞬間に本人や、そんなコンサルに
家畜、愛玩動物、およびその同族
最も兇暴な敵として、はじめから植物や動物の間を荒らし廻り、最後には、衰弱し不具になったその犠牲のために、さらに思いやりさえ要求するような生物の側からの、植物や動物に対する感傷ほど、嫌悪するべきものがあろうか!この種の「自然」に面したとき、人間―もし彼が考える人間であるとすれば―にとっては何よりも真面目がふさわしい。 曙光 286 「家
うさぎの斜頸
先日、養子のうさぎが、「もげているのか?」と思えば、ずっと同じ方向に首を傾げていたので、おかしいなぁと思いつつも、朝のうちは様子を見ていました。外出後も同じ方向に傾けていたので、「やはりおかしい」と思いながらも既に夜だったため、動物病院も開いておらず、てんやわんやになりました。 ひとまず動物病院の診察券を見ると、土曜日も午前中だけは開
自我はどこでおしまいか?
大ていの人々は、自分たちが知っている事柄を引き立てるものである。まるで、知っていればそれがすでに自分の所有物になるかのようである。自我感情の所有欲には切りがない。 曙光 285 前半 自我は関連性と言うもので成り立っていますから、というような話を先日、「自我は一切を持とうとする」というところで触れたどころか何度も何度も言っているような
新しいものを古いと申し立てる
多くの人々は、新しい出来事の話を聞くと興奮するように見える。彼らは、新しい出来事がそれを先に知った人に与える優越を感じるのである。 曙光 284 新しいギャグほど寒気を催すものはありません。歌モノやリズムネタ、一発芸など、小学生が真似をするようなものは絶望的なはずですが、大の大人になってもそのようなことを面白いことだと思っている人がい
家庭の平和と魂の平和
われわれの普通の気分は、われわれが自分の環境を維持することのできる気分に依存している。 曙光 283 自分の環境を変化させる事こそ、「ひとまず今のままでも大丈夫なのに新しく危険なことをする必要はない」という抵抗感を一番感じる時です。家庭の平和と魂の平和という言葉のごとく、気分としての平和な状態を強く望んでいます。 確かに新しく危険なこ
美しさのもつ危険
この女性は美しくて賢明である。ああ、彼女が美しくなかったら、どんなにはるかに賢明になったことだろう。 曙光 282 本であっても人の話であっても、その情報がどんな情報であれ、情報というものならば、内容とそれ以外の属性は切り離さなければなりません。 その人の経歴や肩書などの属性は、その情報を解釈するにあたっての単語のもつ意味、つまり定義
自我は一切を持とうとする
人間は一般に、所有するためにのみ行為するようにみえる。少なくとも、一切の過去の行為をあたかもわれわれがそれによって何かを所有しているかのように見なす言語は、この考えを暗示している(「私は語った、戦った、勝った」ということは、私は今、私の言葉、戦い、勝利を所有している、ということである)。これとともに人間は何と貪欲に見えることだろう!過
順位
第一に浅薄な思想家がいる。第二に深い思想家―事柄の深みに入り込む人々―がいる。第三に徹底的な思想家がいる。彼らは事柄の根本を究明する。― これは、単に事柄の深みに降りて行くことよりも、はるかに大きな価値のあることである!― 。最後に頭が泥沼にはまりこんでいる思想家がいる。これはしかし深みのしるしでも、徹底性のしるしでもない!彼らは愛す
ひとつの模範
私はトゥキュディデスのどこを愛するのか?私が彼をプラトンよりも深く尊敬する原因は何か?― 彼は人間と出来事のあらゆる典型的なものに、最も広範囲で最も偏見のない喜びを感じ、そしてどの典型にも、ある量のよい理性が属していることを見出す。これを、彼は発見しようと努める。彼はプラトンよりも大きな実際的な公正さを持っている。 曙光 168 前半
iPhoneから普通の携帯電話へ
ついにiPhoneから普通の携帯電話へ変えることになりました。 iPhoneやSNS、通話アプリケーションのテクノロジー(といっても特に進化しているわけではありません)を否定的にとらえているわけではありませんが、多少なり得ていた意識のノイズと、集中力の分散、つまり意識の負荷を軽減して、文字通り浮いた時間と労力と、少しばかりのお金を、さ
刑務所の中で
私の眼は、どれほど強かろうと弱かろうと、ほんのわずかしか遠くを見ない。しかもこのわずかのところで私は活動する。この地平線は私の身近な大きな宿命や小さな宿命であり、私はそこから脱走することができない。どんな存在のまわりにも、中心点をもち、しかもこの存在に固有であるような、ひとつの同心円がある。同様に、耳がわれわれをひとつの小さな空間の中
子供らしい
子供のように生きる― したがって自分のパンのために戦わず、自分の行為に決定的な意義が属していると信じない― 者は、いつまでも子供らしい。 曙光 280 温泉やスーパ銭湯などに浸かっていると、他の客の中に騒がしい子どもがたまにいますが、動きまわるだけでなく「奇声を発する」という場合があります。それが集団となると狂騒と表現するのがふさわし

第600回投稿記念&祝一周年
これで600記事目になります。ということで第600回投稿記念の回かつ当サイト一周年記念です。 常連さんいつもご高覧ありがとうございます。年間を通しての変化やサイトの成長を見守っていただきありがとうございます。おかげさまでサイトボリュームも膨大に、インデックス数は1200ページを超え、アクセス数も開設三ヶ月目と比較すると8倍ほどになりま
実践的対処法 意識を傍観し感情をその場に置き去る
いきなり「自分というものは錯覚ですよ」といっても意味がわからないどころか、おそらく理解に向かおうとすらせず、すぐに匙を投げてしまいます。うつに対する実践的対処法としては、手始めに「意識を傍観し、感情をその場に置いていく」という手法はいかがでしょうか。 いかがでしょうか、ということはどういうことでしょうか。いわば半分仮止めのような状態で

10年前の日記 理解者との共同作業
ハードディスクを整理していると、ちょうど10年前、2005年3月23日 水曜日に記したであろうテキストデータが出てきました。その内容は以下のようなものです。 ヒロユキとタロー 忍空という漫画のアニメ、53話「友情の舞台!ヒロユキの秘密」が小学校の時から頭に焼き付いて離れない、という内容でした。ペンギンを含め、鳥好きと言うのもあるとは思
腹の底から笑ってやれ
うつテーマであるものの、連続して長文かつ、すぐには理解できないような話になりましたが、何度も繰り返すように葉を摘み取るだけのことからは脱却してください。 現実的とされること、社会的な評価などを解明解決してもいいですが、その恐怖心発端のそわそわへの対応が根本的な問題だということです。 のどが渇けば何かを飲めばいいですが、それ以上の「誰か
意識の分野の解消法その2 なるべく関係を謝絶する
拒絶と謝絶というと少しのニュアンスの違いから大差があります。どちらも相手からの要求を拒むことですが、抵抗感のニュアンスが少し異なります。対象が物であれば、相手、つまり物から何か要求されているわけではありません。では誰に要求されているのか。 それはアイツこと自我です。相手は相手として独立して存在していようがいまいが、認識結果から意識の中
意識の分野の解消法その1 抵抗感の破壊
ある内容をその属性の外部から見てみるという状況が訪れない限り分からない、ということがあります。いつまでたってもわからない、という場合は、俗にいう井の中の蛙のようなもので、ある小さな世界の中にいるからこそ客観視ができないというものです。 それは、「外の世界に飛び出すのがいいぞ!」というようなものだけでなく、事実真偽は傍からでないと判断で
われわれが芸術家になる点
だれでも或る人を自分の偶像にすると、その人を理想に高めることによって自分自身に対する弁明を行おうとする。彼は疚しくない良心を持とうとするため、それによって芸術家になる。彼が苦しむとしても、無知に苦しむのではなく、無知であるかのような自己欺瞞に苦しむのである。曙光 279 前半 アイドルに陶酔している人をよく観察してください。 さて、「
親切な記憶
高位の人は、親切な記憶を仕入れるのがよい。すなわち、ひとりひとりについて、一切の考えうるよい点を認め、その背後は棒引きにすることである。それによって彼らを快く依存させることになる。人間は、自分自身に対しても同じような取り扱いができる。 曙光 278 前半 「一切の考えうるよい点を認め、その背後は棒引きにする」 この手法はいたるところで
つまりは煩悩 苦しさの原因と結果と解消の方向性
煩悩とは一体何でしょうか? 煩悩の解消というと、欲があってそれを解決するには、欲を無くすか、欲の対象を叶えるかというような面で語られますが、そんな単純な雑談程度のものを超えて、苦しさの原因と結果と解消の方向性について書いていきます。 よくよく見てみると単独カテゴリとしては、現段階で、最も数が少ない項目になっています。それだけ安易には触
暖かい徳と冷たい徳
冷静な大胆さ、毅然とした態度としての勇気と、熱烈な、半ば盲目的な勇気― 双方がひとつの名前で呼ばれている!しかし、冷たい徳は暖かい徳とどんなに異なっているだろう! 曙光 277 前半 おそらく昔から、誰よりも冷徹だと自負しています。今では怒りもしませんが、切り捨てという意味では、切り替えが早いと思います。特にビジネスシーンではこの要