「自然のまま。」

京都という街は、文化都市だと言われています。

しかし文化そのものがいいかどうかは別問題です。世の中では文化水準の良し悪しや高さ低さを評価する傾向にありますが、「文化」そのものがいいものなのかどうなのかは全く議題に上がりません。

まず、文化というものそのものは良いものであるという盲目的な是認があります。

たまにわざわざそれに逆らうことをアートだとするトンチンカンな人(裸でドロの中に飛び込むことをアートとする人)がいますが、それも生命維持活動とは関係のない行動なので文化には変わりありません。

「文化」については以前「文化的」で少し触れましたね。

今回は最近やたらに使われる「インバウンド」、「インバウンド事業」について触れましょう。

インバウンド

残念ですが、外国人などを京都に呼び込んで喜ぶのは観光で食っている人たちや、地方消費税などが入る地方自治体だけです。

地元京都人は迷惑がっているはずです。

特にやめていただきたいのが、観光客を意識して自然を壊すことと、交通の便が悪くなるようなことを行政がやってしまうことです。

たとえば京都市が「みなさん京都にいらしてください」と宣伝していても、それは京都市という行政機関の意見であって、京都人の総意ではありません。

A 何がインバウンドじゃい

ということです。よくわからない横文字を使えばいいというわけではありません。

安価なゲストハウス

ちなみに安価なゲストハウスというものも増えてきました。

実はゲストハウスはグレーゾーンの脱法的な行為です。

普通、宿泊ということになると旅館やホテルのようなところしかできないのですが、いわば一戸建ての一室を一日単位で賃貸する(間貸しですね)という構図をもってすり抜けているのが実情です。最近では一棟貸しも多いようですね。

不動産を所有している不動産系の会社が運営しているゲストハウスなどは、宅建主任者が在籍しているので、まだいいですが、素人が運営しているところはグレーどころかアウトでしょう。旅館業の認可も受けておらず、それをすり抜けるために短期リースという構図という方法論をもってしても、自己所有の物件というわけでもなく、運営者が宅建主任者でもない、ということはかなりアウトです。

まあそのうち見せしめ的に摘発などがあるでしょう。

少し脱線しましたが、「何がインバウンドじゃい」です。

ただでさえ他府県ナンバーにイライラしているという実情

日本を代表するほどの観光地として扱われている京都では、地元民としては外国人だけでなく、ただでさえ他府県ナンバーにイライラしているという実情があります。

A 車で来るな

ということになります。

特に京都や大阪は、その他の地方と交通事情が違います。郊外型の造りにはなっていない上に、二輪車の数が半端ではありません。おそらく他府県ナンバーは京都の自転車とバイクの数にイライラしているでしょう。

しかし、私達地元民は、そもそも来てほしくないのです。

観光に来てあげているくらいに思っているかもしれませんが、それで「おおきに」というのは土産物屋や宗教テーマパークくらいです。

ひとまず直進優先ということを忘れないでいただきたい。

基本は碁盤で直線的な道ですが、たまにS字になっている所などがあります。

以前、こちらは直進だったものの、奈良ナンバーの右折車にクラクションを鳴らされたことがあります。

A 早く奈良に帰りなさい。一生京都に来なくていいよ!

昨日は、神戸ナンバーに追い越し禁止箇所で追い越しされました。

別にちんたら走っていたわけではなく、次の信号で必ず引っかかることがわかっていたから、というやや減速だったのですが、神戸ナンバーはものの見事に追い越しながら、見事に次の信号で引っかかっていました。

A 早く兵庫に帰りなさい。一生京都に来なくていいよ!

インバウンド事業を他府県民がやっている

これは仕事などを通じてわかったことですが、京都の観光を扱っている事業や、そういうタイプの記事を書いているのは意外と近隣の他府県民や、地方から出てきた学生が京都に居着いてその上で、という場合が多いという感触です。

おそらく傍から京都に来て、京都に感銘を受けて、それを伝えたいという気持ちが起こるのでしょう。

しかし、たいていの記事などは

A 他の雑誌に書いてあることの使い回し

ということです。

それが証拠というわけではありませんが、地元民がひっそりと景観を楽しむような場所の記事など無く、そのような場所はガラガラかつ、他府県ナンバーを見たことがありません。

そのようなことで、おすすめスポットが「鴨川」などということになるのでしょう。

以前も書きましたが、鴨川は何キロあると思っているのでしょうか。

そういうわけで、何がインバウンドじゃい

出直して来い、ということになります。

他府県民が浅知恵の猿知恵で京都を語るな、ということです。

観光に来た感想くらいならいいですが、自称京都通みたいな面はやめていただきたい。

京都人は京都通などという概念はありません。ラーメン屋がラーメン通だと言わないように、車メーカーの技術者が車通だと言い張らないように、というようなことです。実際はラーメン通よりラーメンを知っていますが、ラーメン通という自覚はありません。所詮「通」などただの消費者で、素人だということです。

ちなみに「床」と言われる川床には一度しか行ったことがありません。周りには行ったことのない人がほとんどです。そもそも行きたいとすら思わない、というのが地元民です。

しかもああいうところを運営しているのは実は他府県民が多いというのが実情です。

つまりは他府県民が京都ブランドを使って他府県民や外国人を相手に商売をしているということです。

そこには京都は不在です。

地理的には京都ですが、そんな所には京都はありません。

と、京都人からみなさんへのお知らせでした。

おすすめスポットは、教えません。

日常を観光目線で非日常に変えること

「自然のまま。」 曙光 337


京都では数年前から外国人、特にアジア系の外国人旅行客に汚染されてきているフシがあります。観光公害というやつです。条例によって規制が入りましたが、一時期ゲストハウスというものがやたらと乱立し始め、市街地のど真ん中、そして住宅街において外国人がどんちゃん騒ぎしたりするようなことが起こり始めました。

風習に無知な旅行者

京都という場所は言語的な音韻や行動の感覚からくる違和感から、内か余所かを無意識レベルで選別してしまうという部分があります。通常「そんな排他的な考えはよそう」という感じになりますが、都人には都人なりの言い分があります。

けふは誰某がよき京入なる

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ