システムや機械の利用と依存
システムや機械の利用と依存ということで、利用と依存についてでも書いていきましょう。もちろんシステムや機械自体は悪くないという部分もありますが、機械への依存が増えると、本質的なクオリティは下がってしまう場合もあるというような点について触れていきます。 特に今に始まったことではありませんが、現代においてもひとまずいかにして「人の代わりに機械にやらせるか」という方向で技術開発は進んでいます。 それ自体は別にいいのですが、単にシステムや機械を利用することと依存することは全く別物です。 全体像を理解した上で、部分を機械に代替
表と裏と社会性と匿名性
一時期やたらにインターネット上で著者を示そうとか実名で公開させようとするような流れがありました。しかしそれは、インターネットの役割として相性が悪く、頓挫する形になりました。 まあインターネットの匿名性は、時に社会の中で問題となることがありますが、そうした場合被害者側の思いばかりが語られ、匿名性がもたらした害悪だということが語られたりしています。 そうした問題自体は、インターネットにまつわる一つの問題としての側面として、事実として検討してくべきポイントとなります。しかしながら、いわゆる加害者側にも動機の発生から実際の
異常な「?」や「意味・解説」「類語と例文を示すこと」を評価すること
最近では、そのへんから引っ張ってきたような意味や解説を並べたもの、類語と例文を並べるだけのページが増えてきました。 それ自体が確かに言葉の学習としての価値があるのならは良いのですが、概ね類語として示されているものは類語であってイコールではない、決定的な差異もあるのにそれが示されていないという形で、本質的な部分からは乖離しているような気がしてなりません。 異常に「?」がついていたり、意味や解説というワードを入れていたり類語や例文をよくよく吟味もしないまま掲載している感じです。 単純には、あまり良く考えていない人たちが
設計者・開発者たちの「評価への迷い」
いくらコンピュータをうまく利用したとしても最終的にそれらを利用するのは人間なので、いかにコンピュータを人間ぽく動かすかということが各種設計者たちの最大の課題になっているはずです。 いつの時代でもスパマーというものはいて、設計者・開発者の人たちが考えたアルゴリズムの裏をかくということがイタチごっこで起こっています。 AI(人工知能)への皮肉とドラえもんの設計で触れていましたが、概ねそうした設計をする人たちというのは人が良すぎる傾向にあり、我が事を基準として「人間は最も理性的な判断を採用し、最も理性的な行動を取る」と考
海外からのアクセスへの対応
どこまで正確なものなのかはわかりませんが、海外からの検索エンジン経由のアクセスが結構あります。 以前はアメリカとフランスばかりでしたが、世界各国かなりの広範囲からアクセスがあるようになってきました。 もちろんリファラースパムなどではなく、データを参照する限り純粋な一般ユーザーさんです。 アメリカは依然として日本の次に多い感じですが、以前は2トップだったフランスからのアクセスよりも、カナダやマレーシア、台湾、オーストラリア、タイ、イギリス、韓国、ドイツそしてインドからのアクセスが増えてきているような感じです。まあ一部
AI(人工知能)への皮肉とドラえもんの設計
AI(人工知能)への皮肉として、先程無駄な遊びをしてみました。人工知能自体への否定的な考えは無いのですが、人工知能への期待を寄せている人たちへの皮肉的な遊びとして個人的に楽しんでみたという感じです。 いつの時代も、革新的な考えを提唱する人たちは概ね「人が良すぎる」と言えばいいのか何というか考えが甘い人たちばかりだったりします。経済学でいえば、アダム・スミスもケインズもカール・マルクスなどもそうですし、アインシュタインですら「人は理性的にだけ行動する」という前提で考えてしまっていたというような感じです。 機械学習と言
ネット広告の品質と品性
詐欺的な商法を叩く割に、その脇でちゃっかりとそうした広告を表示することで収益を上げているという落語的な感じに爆笑したので、記念に書き記しておこうと思います。 最近また「ネット広告から集客して情報弱者からお金をむしり取る系」の人たちが問題になったりしていたようです。胡散臭いネット広告で釣りのようなことをして、あまりインターネットに慣れていない人を騙すような形でお金を荒稼ぎする方法です。 昔からこの手の情報商材詐欺のようなものは常に一定のマーケットを持っていて、なぜかそれにハマってしまう人たちも一定数いるという感じにな
運営元の都合
インターネットを取り巻く環境は日進月歩で変化しており、数年単位で「運営元の都合」により、今までの全てが無に帰する場合もあれば、「忘れたいのに忘れられない」ということが起こったりします。 そういえば来年でGoogle+が廃止されるようです。今までに上げられた投稿の取扱がどうなるのかは知りませんが、もし完全に消えてしまうのなら、そこでの投稿、やり取りされた全てが無に帰するという感じになります。 SNS系に限らずですが、新しく生まれていったネット上のサービスは、それまでにあった「やり取りや記録のあり方」の代替手段となって
情報の整理と情報源
少し前からチョロチョロとブログ内を編集したりしています。まあ鋳直しというか情報の整理という感じになるでしょう。 文字として書き起こす手前にはまとまりとエネルギーがあり、それが言語として具体化されているということになっていますが、それが具体的情報として形なって、さらに配列されていくになると一種の僕の頭の中と同じような構造になってきます。 言語化される時にフィルターは通される形になりますが、概念が具体的な記述として形になり、それらが関連性を持って配置されていくので、まさに頭の中に近いような形になります。 情報源の浅さか
アクセスが増えるとスクレイピング対象となる
アクセス数が増えてくると色々な問題が出てきたりします。 まあ意図的な文の大半をコピーするようなことは本当に稀にしか起こっていませんが、機械的なスクレイピング対象となったりしているようです(スクレイピングについては後述)。悪質な著作権侵害とまではいかないのかもしれませんが、何だかそんなことをする輩の悪しき心を成敗してやったほうがいいと思うのでちらほらスパム通報などをしています。 というような感じなので覚書です。 数ヶ月前は、コメントスパムによってサーバー負荷が高まり表示速度が遅くなったりしていました(鬱陶しいコメント
鬱陶しいコメントスパムを弾くためしばらく中国からはアクセス禁止です
鬱陶しいコメントスパムをひとまず弾いていこうかなぁ、ということで、まずはコメントスパム大国中国からのアクセスをすべて弾くことにしました。 新しい記事を公開した途端にその日のページ応答速度が遅くなるので、「何でだろうなぁ」と考えていました。 常連さんと言っても数は限られていますし、それほど極端にボットがやってきているという感じでもありません。 feed関連の更新通知にしても公開後数秒くらいの問題だと思いますし、一体何が起こっているのだろうということを考えました。 まあ原因は間接的にfeed・pingらへんにあるのです
広告による威厳の喪失
家にテレビもなければ、もちろん新聞もとっていないので、世間のニュースに関しては全く無頓着で無関心という感じで、普段あまり広告に触れることがありません。しかし、なんだかんだでネット上の様々なページに表示される広告なんかを見る機会があります。 その手の広告は、広告対象となる商品やサービスに比例するように品質が低いものも多くあり、そうした広告に顔写真などが利用されるということは、その人の威厳を喪失させてしまうのではないか、と思ったりします。 そうした広告自体が鬱陶しいですし、広告に込められているメッセージ自体が刷り込まれ
ゲームと知能
僕はファミリーコンピュータと同い年であり、小学生の頃はスーパーファミコン全盛期であり、小学校高学年くらいから中学生の頃はセガサターン・プレイステーションの登場によってそれにどっぷり浸かるような世代です。 ファミコンが1983年、スーパーファミコンが1990年、セガサターン・プレイステーションが1994年ということで、まさに成長期がゲーム全盛期という感じになっています。 そんな中、「ゲームをすると頭が悪くなる」などと囁かれていましたが、我が家では全く逆の立場をとっていました。 あまりコンピュータのことを分かっていない
ネット空間での人格
古くは掲示板、最近では動画共有サイトや匿名系SNSなどなどでの振る舞いがよく問題になっていますが、考えてみるとネット空間においては、少なからず人格が変容しているのではないかということを思っています。 一部の人において、それは「その人のその部分」というような一部的なものではなくて、インターネットに触れている時は全く別の人格になっているというような感じです。 匿名性がある方が、普段の主要な社会的役割の制限なく自由に活発な議論ができるというメリットがあります。 例えば、会社勤めの人で性同一性障害のある人が実名でそうした話
記事をパクっていくアフィリエイターたち
たまーに記事がパクられていくようです。 広告収入のために記事をパクっていくということをしている人がいます。 アフィリエイターというか、アドセンス広告収入などを得ようとしている人ですね。 まあ常連さんならおわかりの通り、このブログの内容は僕にしかかけないような内容です。 特にサイドに表示しているPV数の高い記事がパクられがちのようですが、見つけ次第どんどん通報していますので、 パクリコンテンツアフィリエイターの方は、 僕およびGoogleの制裁を心待ちにしてください。 ワクワクするでしょう? リンク付きの引用ならまだ
iPhoneから普通の携帯電話へ
ついにiPhoneから普通の携帯電話へ変えることになりました。 iPhoneやSNS、通話アプリケーションのテクノロジー(といっても特に進化しているわけではありません)を否定的にとらえているわけではありませんが、多少なり得ていた意識のノイズと、集中力の分散、つまり意識の負荷を軽減して、文字通り浮いた時間と労力と、少しばかりのお金を、さらに有意義に配分するということにしました。 これからますますシンプルに、煩わしいものがさらに無くなっていくでしょう。 情報化とは言われるものの、情報量が膨大になればなるほど、その要は、
ブラウザ系ウイルス(広告系)
親友から電話がかかってきて、なんのことかと思えばブラウザに変な広告がバンバン出てくるということでした。ゾゾを見ていて商品詳細に飛ぼうと思ったら変なサイトに飛ばされる、つまりは内部リンクですら外部扱いされるみたいなパターンでした。 三日間くらいあれこれ対策を練っていたそうですがイマイチ根治には至らず、「お金を払うから直してくれ」という感じで呼び出されました。別にお金はいらないと思いつつも、親友宅に着くとすでに封筒に用意してありました。ということで一応の有償サポートになってしまいました。 ひとまず怪しいものをアンインス
保証期間は1年です
たいていの家電などはメーカー保証が1年になっています。 この「保証期間1年」というものに関してトラブルがありました。 昔学校で習ったのですが、隠れた瑕疵(欠陥)については、変に販売店保証などをつけると、瑕疵担保責任の特約になって「知ってから1年」ではなく、契約時に設定した期間に限定されてしまうというようなことを聞きました。 参考までに瑕疵担保責任について 瑕疵担保責任 第570条 売買の目的物に隠れた瑕疵があったときは、第566条の規定を準用する。ただし、強制競売の場合は、この限りでない。 第566条 略 前二項の
友達申請とお知らせ
「人脈を広げたく友達申請をさせていただきました。よろしければよろしくお願いいたします」 SNSはほとんど触りませんが、こういった類のメッセージがよく送られてきます。月に数件でしょうか。それどころか社長同士の集まりに行ったりすると、その名簿を見て検索してただ友達申請してくる人もいます。 名刺交換すらしていないのに友達申請をしてくるという感じですが、どういった神経をしているのでしょうか。 いずれもロクでもない人なのは明確なのですが、こんなもので「友達」になって、人脈なのでしょうか。それにたいていどころか、そうした友達申
おもんなさの加速
何度も繰り返していますが、この世にはおもんないグループというものがあります。もちろん検索経由の方はわかりませんが、ひとまずはこのサイトの常連さんではないことは確かです。 みなさんが、たとえばiPhoneの新機種が出るたびに有給をとって「バブルの父」と「ゆとりの息子」で発売2週間前に東京に出てきて並ぶような類の方ではないことは知っています。また、みなさんが、そんな方に差し入れをもっていくような類の方ではないということは以前から気づいています。 それはいつの時代でもあったものですが、インターネットの普及によりその露出が
シェア
おそらく最近の流れは「シェア」という言葉を流行らせようとしてきたのでしょう。シェアとは元々共有という意味がありますが、ここではインターネット上、とりわけSNSでの共有行為について触れていきます。 繰り返しになりますが、僕は違和感を大切にしています。 「共有」というものの本意は、もちろん何か感じたことや、ものをみんなで味わおうというものですが、コミュニケーションとしては「ただひとり、あの人には伝えたい」であるべきなのではないかとふと思いました。 「ただひとり、あの人には伝えたい」 別にそうガチガチにとらわれることもな
実験にお付き合いいただければ幸いです
先日、ある宗教法人のプロパガンダ映画(アニメ)をあえて観てみました。 別にそこの団体を否定するという動機で観たのではないのですが、「ふーん」というような感じで観てみました。 すると配給は大手の会社でした。 声優も有名なアニメのキャラクターを担当している方の声でした。 声優の方は、プロダクションに脅されている可能性があるので、何とも言えないですが、当の会社はお金を積めばなんでもやってしまう、というのが残念でした。 拝金主義者が拝金主義を否定する映画を制作しているのだから、字義通り矛盾が生じています。 ― 方便というも
引き締め(ブログやSNS)
インターネットの世界はどんどん加速して、いろいろな機能がすぐに追加されます。 でもあるラインを超えると、どうしても次には制限をかけたほうが流行ります。 今更ながらそんなことを思い返したので少しだけブログやSNSについて触れてみます。 ブログが流行り、そして閲覧対象者の関係でどんどん公開状態が引き締められていったような感じの流れについて触れていきます。 誰にでも見られる可能性が「抵抗」になったブログ 昔はブログが流行りました。 でも誰にでも見られる可能性があります。 嫌な人にも見られる可能性があります。 そして、その
ただのゲーム機とレイトマジョリティ
数年前だったと思いますが、宣伝だけうまい会社の人が「現代のビジネスマンはiPhoneとiPadを使いこなして…」みたいなことを言っていました。 それは単にB層のレイトマジョリティ向けのパフォーマンスにしか過ぎないと思いますし、スマートフォンやタブレットに対して、僕はただのゲーム機だと思っています(B層戦略 概要)。開発するという要素はほぼなく、使うだけの機能ばかりですからね。 イノベーター理論におけるレイトマジョリティ(後期追随者) ちなみにレイトマジョリティというのは、いわば「後期追随者」であり、ある革新的なもの
今はプリンタでポンと出るんだからさぁ
僕は中学生の時に、ようやく本体とモニタの分離型が出だしたころのMacを使っていました。その後すぐにWindows98を使い始めて、この頃からインターネットライフを楽しんでいます。 小学生の頃はワープロで遊んでいました。日記のようなものをつけたり、はたまた外字エディタでモーグリを書いてみたりという程度ですが、それはそれで楽しかったような覚えもあります。 中学生以降、ベースに熱中してからというもの、しばらくパソコンを触らなかった時期がありますが、未だに忘れられない出来事があります。成人してからの話です。 バンドのメンバ