くたびれた服装

意図的にくたびれた服装やおじさんっぽい服装で出向くことがあります。

あえてちょっと劣化したような服を着ていくということになりますが、もちろんそれは皮肉的な遊びであり、服装で態度を変える人や服装を自慢する系の人で遊ぶためにやっています。

兵法というわけではないですが、相手に「慢心」を作るということも、相手にその実力を出させないという方法になりますし、隙きを作ってもらうということにも一役買います。

あまりにカッコをつけたい人たちは、僕が忍者ハットリくんポーチから目薬を出すと、こぞって軽いため息を吐いてくれます。

忍者ハットリくんポーチ

忍者ハットリくんポーチ

彼らを意識してこれを使っているわけではありませんが、「きっと溜息をつくだろうなぁ」と思いながらポーチを取り出したりしています。

言っては何ですが、比較的都会育ちの人ほど、こうしたものを受け入れてくれる傾向にあります。つまり、都会育ちではなくて、まだ飽きていない人ほど、ため息をついてくれます。

一定以上のスコアに達した時に飽きて自然体になる

個人的な感想ですが、「街中に行く」ということをスコアとして考えた場合、ある一定以上のスコアに達した時に飽きて自然体になるという感じになるのではないかと思っています。

そしてそのスコアは、基本的には街中に行った回数で決まりますが、感受性の強い若年の時であればあるほど、年齢に反比例するような係数がかかるのではないかと思っています。

そして、「自然体になる」というのがポイントで、別にそれが高級品であろうが何であろうが、本人が自然に好きなのであればそれでいいということになります。

逆に言うと、自然体ではない場合、本質的にはそれほど好きではなくても、今の最先端とか、こういうスタイルであれば評価されるとか、そうしたものを加味してしまうということです。いわば他人を条件としたような無駄な要素が付いているというような感じです。

まあ京都レベルにはなりますが、なんだかんだで一番行っていたのは中学生から高校1年生くらいまでの間でした。なので高校2年生くらいになると行きもしないという感じになっていました。

その間は一応様々なものに目新しさを感じ、新鮮な刺激をたくさん受けたというのは事実です。しかしながら以下のような理由により、飽きというよりも本来的な意味での諦めが生じたという感じになります。

「それ一色」的な流行

当時はまだ、ある程度分散はしつつも一応それ一色的な流行のようなものがありました。偽物が出回るほどの流行というものもよくありました(好一対への下馬評)。

流行するからにはそれがカッコいいとされている、というような風潮があったということになりますが、メディアで見る場合は、それはもうかっこいい人がやっているのでカッコよく見えます。しかし、街に出るとそれを模倣しつつも、「…」な人も発見することができるわけです。

そういうわけで、僕と同級生は当時「ベルト垂らし」に強烈な寒気を覚えたりもしました。

当時一応カッコいいとされているということで、「女子にモテるのではないか」と一瞬迷いが生じましたが、「別ポイントで稼ぐから勘弁してくれ」と思ったりもしました。

ということで、現役でたまにやる「くたびれた服装」はベルト垂らしのようなものではありません。

そのような経験を繰り返すうちに、くだらなさを感じ「別ポイントで稼ぐ」ということにしていこうと思いました。

で、よくよく観察してみると、そんな服装によるモテは、初めの入口程度で、「一発で決めなければならない系」で有利になるということはあっても、学校や会社など長期的に接するようなコミュニティ内ではほとんど意味をなさないということに気づいたという感じです。

まあそんな諦めが生じるまでには一定の経験値が必要になる、というようなことを思っているので、まだ道の途中の方々を見たときには、「ふふふ」という感じで、諦めのきっかけを与えるべく、皮肉によって示唆を与えているという感じになります。

笑う月(一覧)

鞄を持たずにいれば


見た目を豪華にすればするほど、確かに周りの大半の人は態度を変えます。だから、見た目で判断する人をある意味で騙したければ虚飾であろうが見た目を豪勢にしておけば良いという感じになっています。自尊心の問題として単に体裁を気にして虚飾や虚栄に走るというだけでなく、実際に周りの人の対応が変わってしまうため、さらに虚飾や虚栄を加速させてしまったりもします。

虚飾や虚栄を支える他人の目

Category:笑う月

「くたびれた服装」への2件のフィードバック

  1. コメント失礼致します。「ベルト垂らし」!ものすごく懐かしいです!
    私が中2~中3のころに流行っていました。
    とくに印象的だったのはとある男子で、小室哲哉にソックリな髪型をし(ちなみに顔も似ていました)冗談抜きで、白い布ベルトを地面に届くほど長く垂らしていました。
    そして、そいつは学年でたった1人だけ地元の公立高校落ちていました。
    女子にモテていた様子もないですし、内申点を大幅に下げるリスクを犯してまでする価値があることだったのかなーと、今思えば笑っちゃいます。
    ちなみに、ハットリくんのポーチ可愛いですね。かなりのレア物ではないですか?

    1. コメントどうもありがとうございます。
      確かに長髪+地面に届くほどのベルトという組み合わせの方はちらほらいたような気がします。
      当時あのベルト垂らしがどのように流行りだしたかはわかりませんが、流行りだしてしばらくしてからは、大型スーパーの小中学生用の服コーナーに吊るしてあるパンツ類に「廉価型のベルト垂らし用カチャベルト」が予め装着され販売されていたりしました。
      「長ければ長いほどよい」という感じは、まさにエリマキトカゲ理論のままであり、身体的大きさの拡張と注目を集めるための振り子のような意図があるように思えました。
      その後、携帯電話のアンテナを変えるような文化も登場し、「着信のたびにアンテナが光る」というようなものが流行りだしました。そしてまた大きければ大きいほど良いという感じになり、どんどんアンテナが巨大化していったような気がします。
      そういうことを思い返すと、「長く、離れている方がモテる」というシュモクバエの目のように、一種の本能的な衝動から来ているのかもしれないと思います(しかしながら、現代の人類は、物理的な大きさより情報空間での大きさの方に惹かれます。なので、モテません)。

      なお、ハットリくんポーチは、数年前、家電屋の通路に並んでいるガチャガチャで入手したものなのでレアというわけではないと思います。

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