タグ別アーカイブ: 心理

心理・意識・精神について

じろりと白眼をむいて

意図的にじろりと白眼をむいている様はまだしも、日常的に白眼をむいている様は、精神に狂いがあるというか洗脳されている人という感じがします。 比較的最近のことになりますが、経営者会合において「持続可能な云々」の絡みで、外国の十代の人が表立ってスピーチしている動画を観たことがありました。 目がイッています。 ああいうタイプの人は、だいたい誰かにマインドコントロールされているという感じがするのでまともに相手にしてはいけませんし、発していた発言も

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気に入らない貰い物は、そのまま突き返してやるのが一番だ

「気に入らない貰い物は、そのまま突き返してやるのが一番だ」ということで貰い物です。 人から物を貰うということにあたっては、基本的にはありがたく頂戴したりしますが、そんな中でも一応昔から「嫌いな人からは飴の一つも貰わない」ということを基本にしています。 ということで、物を貰うということについて一元化しているわけではありません。悪意を含めて相手の思いを受け取るのか否か、というところをどう取り扱うのかによって、精神の負担が変わってくるからです

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顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい

何かしらの犯罪に関しては、「顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい」というのが常であり、赤の他人に対するものであれば、実利だけが目的とされるものの、顔見知りに対するものであれば怨恨というものが含まれるからということになるでしょう。 実利の部分が金品なのか、愉快犯における愉快さなどの無形のものなのかはわかりませんが、赤の他人を標的にしたものであれば、そうしたものを獲得することが目的であり、なるべく無駄なことをせずにリスクを低減したいということは

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ゴミは砕かれた人間の伝説なのかもしれない

笑う月によると、「ゴミ捨て場から聞こえてくる悲鳴」は、咀嚼されはじめた有用性の叫びであり、「まだ自分がゴミそのものではないという自覚、もしくは幻想」が、かろうじて日常を支えてくれているシャボン玉の皮なのだ、というような感じで描かれていたりします。 咀嚼されはじめた有用性の叫び 「自分はまだ有用性を失ったゴミそのものではない」という叫びは、至るところで見受けられたりします。自尊心の補償というものの一種ではありますが、「まだまだいけるぞ」と

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廃物、もしくは廃人のイメージ

廃物、もしくは廃人のイメージに一種のかっこよさを感じ、退廃的な雰囲気に酔っているような感じの人もいます。 別に完全燃焼したというわけでもないにもかかわらず、その廃人感に一種の美徳さえ感じ、そこに僅かばかり含まれるような芸術性と同化することで、自己陶酔しているような感じです。 まあそんな人を観察してみると単に何かの資格試験に落ちたとかそうした程度だったりします。 「期待したルートから脱落して絶望」といった感じでしょうか。 ただそうした「期

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人間を咀嚼する大地の口

人間を咀嚼する大地の口 ― それは現代においては、インターネット空間、そしてその入口として用いられている、かなり広範囲の層にまで広がったスマートフォンの画面かもしれません。 混乱、意識の散らかり、気力の不足、それらの要因を静かに観ると、気力を奪い取られているという構造があるように見えます。 実際に役立つ部分と比較すれば割に合わないような、気力の浪費が起こっており、端的には、時間を潰せているのではなく、気力を奪い取られていると考えるほうが

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何か呼びかけてくる声を聞く

ふっと何かが呼びかけてくる声を聞くことがありますが、そんな声もまた自分の意識の奥底から起こる声であるため、とりわけ何かすごいものというわけでもありません。 しかしながら、リラックス度合いに応じてそうした声の質は高く、逆に混乱していたり、ぼーっと軽い催眠状態に入っているような時に聞く声はあまりロクでもないものであったりもします。 「直感」などといったところで、それほど大した直感でもないという感じです。 「当てにしても良さそうな声」は、集中

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多少はプロの心境に近づきはじめたしるし

プロというものを定義するにも様々な尺度から考えることが出来ます。一般的にプロと言うと「それ一本で食えるか否か」というような点で語られる事が多いですが、プロの心境ということになると、それそのものに何かしらの楽しみや価値や喜びを見出しているかどうかという点で捉えることもできそうです。 根本的に小学生から脳筋体育会系とは合いませんが、スポーツにしろ仕事にしろ何にしろ、ライバルというものに対する心持ちが、プロの心境であるかどうかを決定づけていく

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不可能にかけた、一瞬の緊張

日常少なからず「き、緊張するなぁ」という瞬間があると思いますが、そんな時は「自転車で走っていて目の前に段差があり、もうどうにもかわせないという時に、段差の衝撃を受け入れるような感じ」でやり過ごすことができるはずです。 そのような感じで、「次に起こりうること」を受け入れていた方が変な体制も取らずに済みますし、変な体制で突っ込んでコケて怪我をするということも防ぐことができます。 無駄な緊張というものは、「できること」と「できないこと」を区別

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期待を失わずにいられる空想家

期待ということはある意味での確信がないということであり、空想というと絵空事という感じなので「期待を失わずにいられる空想家」という表現はあまり適していませんが、概ねそのような感じで過ごすと毎日が爽快になります。 今お金がないとして、にっちもさっちもいかないという状態だったとしましょう。しかし、一応可能性としては、明日にはそれが解決しているという可能性もあります。それがどのような解決のプロセスかはわからなくても、可能性としてはゼロではありま

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現代の精神状態の反映として

現代の精神状態の反映としてわかりやすいのが、音楽や映画などなど、文化面において「何が流行っているか?」というような点になりますが、最も如実に表すもののひとつが「笑うポイント」であると昔から思っています。 先日たまたま知人の教え子である大学生たちとお話をしましたが、一番感じてしまったジェネレーションギャップは、強烈さへの耐性とか、笑いへの昇華への部分であるような気がしました。 特定の文化や出来事について、知っているとか知らないとかそうした

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滑稽を自覚できない一途さ、自分を客観化できない視野の狭さ

滑稽を自覚できない一途さ、自分を客観化できない視野の狭さこそが青春たるものであるということのようで、狼狽えること無く突き進むことができるその衝動こそが成長の原動力であるという感じになるのでしょう。 まあそうした滑稽を自覚できない一途さや、自分を客観化できない視野の狭さ自体は別にいいのですが、その場限りならばそれほど大したことにならないようなことでも、インターネットでそれが起こると収集がつかなくなることがあります。 情報が反芻され、また、

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絆という大きな束縛

絆という大きな束縛を解き放つこと、それが苦しみから脱することのポイントとなります。 サンユッタ・ニカーヤ第Ⅳ篇第一章第四節、第五節の「わな」をヒントに、大きな束縛について触れていきましょう。 本日で、養子のうさぎが亡くなって二年になります(うさぎの死 さようならわが息子よ)。昨年は、「愛別離苦」愛するものと別れる苦しみを書いてみましたが、今年は愛別離苦の元となる絆という大きな束縛について触れていきます。 「あなたは悪魔のきずな(わな)で

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ぼくは狼狽した

「狼狽した」という経験がここ数年ほとんどありません。 「解決しておいたほうがいいだろう」と思うような問題はちらほら起こりますが、瞬間的な感情は生じても、感情に振り回されるということがないので、淡々と物事を進めて終わらせてしまうという感じになっています。 もちろん以前からそうだったというわけではなく、アランが「考えているのではなく悩んでいるだけだ」と説き、ドラえもんが「悩んでなんかいないね、たんに甘ったれてるだけだ」と諭すというプロセスを

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催眠的な支配力

「催眠によって支配力を得たい」というのは、誰しもが一度は考えるようなことなのかもしれません。そのような感じで、心理学や催眠研究などはどちらかというと邪念を持つ人に好まれる傾向にあると思っています。しかしながら、そうした目的を持つこと自体が結局外の世界をコントロールしないと自分は安心できないのだという自己催眠をかけていくことになりかねないという落語のような構造になっています。 「催眠的な支配力」という感じで、マインドコントロールによって支

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なるべく意識しないように努めて

デジタルデバイスの使用を控えるよう「なるべく意識しないように」努めてみたところ、意識はまとまり、また、顎の筋肉がほぐれてきました。 普段はガラケーしか使っていませんが、自宅には一応iPadやiPhone、デスクトップPC、ノートPCなどがあり、もちろんインターネットに常時接続可能な状態になっています。一度それらをフルで遮断し、意識がどう変化するのかを実験してみました。 まあこうしたものは俗世間の垢のようなもので、一応便利なものではありま

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万一の僥倖をたのんでの事だろうか

万一の僥倖をたのんでの事でしょうか、定型文的な営業メールが未だによくやってきます。 まあ営業メールにおいて、調べても出てこないような業務形態のあり方が垣間見れたりするので少し面白かったりはするのですが(めったに体験を語らない)、もうそろそろいい加減にそうした文化は廃れていけばいいと思っています。が、それでも一定数の人が引っかかるからこそ今でもそうした手法が取られているのでしょう。 こうした旨は、数撃ちゃ当たるの発想と営業代行や「我こそは

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磁石に吸い寄せられる鉄片のように

磁石に吸い寄せられる鉄片のように魅力なり何なりに弱い側が強い側に引き寄せられるという感じで考えると、商いでもなんでも結構うまくいったりします。 ただ、そうした魅力のようなもの自体は画一的に決まっているわけではなく、ある人にとっては魅力的に映ってもある人にとっては気持ち悪いものとなりうることもあるという感じになっており、また、ある特定の魅力がさも絶対的なものかのように演出して物を買わせたりしようとする人達もいるので、「魅力」というものにつ

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見晴しのきく場所は、同時に見られやすい場所でもある

見晴しのきく場所は、同時に見られやすい場所でもあるということなので、高い位置にいる事自体はいいですが、同時にリスクを増やすことにもなります。 何かしら代表となったり、壇上に立って話をしたりすると、「その注目を浴びるはずなのは私だ」というような僻み根性を持った人たちからの反発を浴びることになることがあります。 そのような現象はどの業界でも同じだと思いますが、本来人の成功のようなものと自分の成功のようなものは関係がありません。 まるで唯一で

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食糧分配係

食糧分配係といえば、元祖は鍋奉行、現代では「介護アピール」という感じです。 セキセイインコ等々草食の鳥類における殻付きの穀物と殻剥きの穀物の違い、うさぎにおける牧草とペレットの違いのようなもので、ある種食べやすいということは、食べるということに対する本能的な満足感を低下させてしまうようなものになると思います。 「むきえさ」でも大丈夫ですが、「殻つき」の方が鳥は活き活きしたりします。またうさぎも牧草が無いと怒りやすくなったりします。 食料

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空間の争奪戦

まるで囲碁のように、その空間を占めているものの面積や体積がその人の力を示すような代理構造になっていたりするので、至るところで空間の争奪戦が起こっていたりします。 ― 部屋の中の物はその人の意識の中を示しているフシがあります。少なければ少ないほど重要なものが少なく、重要なものが少ないほど何かの変化に反応することも減るため、結果的に煩いも減っていきます。 意識の中においてもその空間に占めるものがたくさんあり、重要性の高いものがたくさんあると

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ちっぽけな誤解の種子

以前、「スーツ姿の時とパーカー姿の時で人の対応が違う」ということについて触れたことがありました。そのような感じで、ちょっとした許容や一時的な役割ですら相手に勘違いを生み出してしまうというようなことについて触れていきます。 ちょっとの「許容」や「一時的な役割」といったものは、ちっぽけな誤解の種子となることがあり、良かれと思って選択したそれらは、時に相手の中に邪念を生み出してしまうことがあります。 「聖人君子ならば、何事も広い心で許すだろう

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第1600回投稿記念

これで1600記事目になります。ブログ創設から1600回目の投稿ということで「第1600回投稿記念」です。 前回の第1500回投稿記念は、2019年6月1日で、前回からの100記事は、4ヶ月ちょっとかけて投稿したという感じです。旅行記を細分化して連投したことや「笑う月」を開始したことで後半にはスピードが高まりましたが、前半はかなり緩やかでした。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方

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一滴の雨のしずくが、大海の主成分であることに変わりはない

一滴の雨のしずくが、大海の主成分であることに変わりはないように、客観的な世界を仮定した場合、一人ひとりが社会の構成員であるように、言葉、情景といった一つひとつの記憶が膨大な無意識を構成するものであることには変わりありません。 それがどのようなものであれ、いずれ心的複合体として重要度の高いものとして発露することがあります。非常に微細なものであってもいつか何かしらの意図の発生の材料となっているという感じになります。 ひとつの言葉がきっかけと

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無名性によって構成された世界

「名」は何かを区別し、他との分離を引き起こします。それは基本的に便利なものですが、個という執著をもたらすものにもなりえます。 言語を用いない自然界は「無名性によって構成された世界」ですが、それでもやはり視覚や聴覚といった別のベクトルで区別がなされていたりはするでしょう。そんな中でも記憶の組み合わせから起こる言語的な判断が無い分、分離の感覚は少ないと考えることができます。 ― 名があることによって起こることは良いことばかりではありません。

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意識的操作を超えたもの

自分が外の世界に反応するのではなく、外の世界が自分に反応する、ということは、認知バイアス等々を用いてある程度論理で説明しようと思えば説明できますが、それだけで捉えられるものではありませんし、あまりそうした事を言うと「表層的な意識とは裏腹なのはなぜだ!」ということになりかねません。 まあ、目覚めが最悪ならば、その最悪具合に応じてその日一日は「不快なものに目が行く」ということになってしまう、と言う程度ならばなんとなく納得がいきますが、そんな

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ある種の侮蔑

何かを必要以上に保護することは、ある種の侮蔑を意味することになってしまうという構造を持っています。 「〇〇だから大目に見ろ」「〇〇だから仕方がない」というような論調は、その属性を持ちつつも為し得るべきことを成し遂げた人々を侮蔑することにもなります。 そしてそうした達成の可能性をハナから放棄することにもなりかねず、それは俗的表現をすれば自信を獲得することを他者が奪うということになるということでもあります。 ― 環境の差異を考慮できない思慮

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主人公の最後の叫び

人体の構造上、「いえあおう」の順番で音の出る部分が奥に入っていき、軽々しいものから重々しいものへと変化していきます。 これは、そのまま情報空間に対するもの~物理空間に対するものというバロメーターを示すという感じになっています。「い」なら情報的で意識寄り、「う」なら物理的で肉体寄りといった感じです。 「いえあおう」の順でわかる意識的な叫び~肉体的な叫び 母音が「い」から始まるということは、いわば意識的なものであるという感じになり、「う」か

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どうやら糠喜びにすぎなかった

僕は普段あまり世間的な喜びを感じることがありません。 何かにつけて喜んだとしても、喜びに舞い上がって脇が甘くなって結局失敗したり、誤解したまま喜んで後で事実を知って落胆したり、喜びも束の間自体が急変するということもあります。 ということで「どうやら糠喜びにすぎなかった」ということが起こりうるというのが、理として否が応でも成り立っているので、そうした理から現象を観ているというのが基本になります。 爆発的な喜びに舞い上がることがない それが

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意識下で書きつづっている創作ノート

何だかんだで一度見聞きしたものは全て覚えていて、ふとした時にそれが意識に上がってきて影響を与えたりします。意識下で書きつづっている創作ノートには常に何かが書き込まれ、まとまりとして形になった時、何かしらの理由で必要になった時にふっと意識に登場し、日常に影響を与えてきます。 見聞きしたものについては、サブリミナル的に無意識に届くということもありますが、やはり基本的に意識が向く矛先とか解釈の仕方は認知バイアスによって取捨選択されているという

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