カテゴリー別アーカイブ: miscellaneous notes 雑記

miscellaneous notes 雑記

不安がもたらす安易な行動

不安がもたらす安易な行動ということで、不安が行動を促し、そうした情動が落ち着くとその行動を終えるという人と、安易な提案では満足できず矛盾を嫌う人たちについて書いていきます。 一時期女性向けウェブメディアのようなものが検索結果を汚染していた時期がありました。盗作のような形の転載が基本であり、安易な内容で不確実なものも数多くあり、信憑性の問題から一気に墜落しました。またそうしたものもちょろちょろ復活していくと思いますが、ここで考えてみたいのがなぜそうしたものに人が集まってくるのかという点です。 性差的に女性は男性よりも

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専門分野への沈黙の強要

小学生の時からずっと抱えている違和感にはなりますが、専門分野、特に芸術分野などでは「素人は語るな」とか「素人は手を出すな」的な雰囲気があります。専門分野への沈黙の強要といった感じです。 いくら文化といえど所詮遊びの延長であるはずの美術や音楽の分野において大学などができていったせいで、「しっかりと学んだものしか世に出してはいけない」というような雰囲気があります。 別に誰でも絵を描くことを楽しみ、楽器で遊ぶということをしてもいいはずですし、自由に語ってもよいはずですが、どうもそれが許されないような空気感が出ています。

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感情と目の色の変化

目の日なので、感情と目の色の変化についてでも触れてみましょう。 以前、父が激昂した時、目の色が変化したことがありました(僕に対して激昂したわけではありませんが)。 普段は黒い瞳の色が白気味の茶色になったという感じです。そしてあまりに激昂していたので、なだめて横になってもらい、目に手を当ててしばらくすると気持ちも落ち着き、同時に瞳も黒に戻りました。 もちろん僕の目で見た感じの瞳の色だったので、物理的にはどうなのかははっきり知りませんが、感情によって明らかに黒から白茶、そしてまた黒へと目の色が変化しました。 まあ体温や

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耐え難き極寒

寒さというものは辛いものですが、当然ながら寒さという感覚は情報空間にも広がっています。 その寒さの最たるものは、せっかくの演出を台無しにするというようなものです。 そういえばかなり前に「サプライズ」というような言葉について触れた時がありました。そんな事は感情を高めるための粋なテクニックとして何千年も昔から利用されているようなことであるはずですが、あえてラベリングしてしまうことで、せっかくの演出効果が激減してしまうというような事になっています。 先程マーケットインについても触れてみましたが、「プレゼントは何がいいか?

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入力の品質と食事

食べ物の美味しさを最大限に味わおうとするならば、素材や調理法を含めて料理そのもの出来ばかりに着目するのではなく、食べる側の感受性にも着目する必要があります。 受け取り手の集中力が低く、今現在の感受性が低下している状態では、五感の全てにおいて受け取る情報が低下するので、本来の情報よりもかなり低いレベルでしか物事を味わえなかったりもします。 そうしたことを「近代人の養育」で触れていましたが、今回は「入力の品質と感受性」という感じで書いてみようと思います。 それは、音であれば「聴こえる音の周波数の幅」といったような、基礎

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合理化によって失われた分を何かで補う

合理化が進んだ分だけ何かが失われて、その失われた分は何かで補わなければバランスがおかしくなるということで、結局かけているコストの総量としてはあまり変化がないような気がしたりもします。 ということで、便利になってできた余白は何かに使わねばなりません。でないとただ愚化していくだけになってしまいます。 「求める結果を最短最小のエネルギーで手に入れる」という合理化自体は良いですが、ある部分を合理化することで、ある部分の能力が低下し退化していったり、また、別の側面で非合理となるという問題もどこかに潜んでいたりします。 省エネ

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動機の奥底が見えればそれを憐れに思う

意識的に行ったことでも無意識的に行ったことでも、その奥底には動機や意図があり、その動機の奥底が見えればそれを憐れに思うようなことがよくあります。 基本的に行動には動機があります。突発的な出来事への反射というものもありますが、原則的に、まず心というか意識・無意識を含めた精神がそれを意図しない限り、行動というものは生まれません。そしてその動機や意図と呼ばれるものは、本人の口から表面的に他人へと説明されるそれとは異なったものとなっていることがよくあります。 その理由は簡単で、本当の動機や意図が知られると恥ずかしいとか、そ

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腹痛の治し方や急な激痛の和らげ方

腹痛の治し方や急な腹の激痛の和らげ方について触れていこうと思います。 人生で最大の苦痛、最悪な瞬間は確実に腹痛の時だと思っています。 ところが、インターネットで腹痛の治し方などを調べようと思っても、下痢とは、便秘とは、過敏性大腸症候群とは、といった解説ばかりだったりもします。 「ストレスにも気をつけましょう」 「ふざけるな!こっちはそれどころじゃないんだ!」 というのが本音ではないでしょうか? ということで前振りはいいので、急激な激痛の和らげ方などについて書いていきます。雑談は後にします。 食中毒と疑われる場合でな

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テレビを見ない生活

もうかれこれテレビを見ない生活が十数年続いています。家にはもちろんテレビ自体がありませんし、今後も買うことはありません。ということで、自宅でテレビを見るというようなことは一生ないでしょう。 今年の台風で家のテレビのアンテナが吹き飛んでテレビがない生活ということを経験した人も結構いると聞きました。そしてアンテナを直そうにも、復旧工事が殺到していてなかなか順番が回ってこないという感じのようです。そしてさらに、まさにテレビ依存ということなのか、テレビのない生活に耐えられないということで、ひかりTVやケーブルTVを契約する

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今なお印象的な悲劇

先日、シェイクスピアの「マクベス」を読んでいたら、ふとLIVE A LIVE(ライブ・ア・ライブ)の中世編を思い出しました。 マクベスはハムレット、オセロー、リア王と並ぶシェイクスピア四大悲劇のうちの一つですが、それに触発されてか、しばらくの間「人生で最も最初に明確に印象付いた悲劇」である「LIVE A LIVE 中世編」のイメージが頭から離れませんでした。 LIVE A LIVEは、1994年頃のゲームなので僕はまだ小学生でした。 「えー…ストーリーの終わり方でこんな終わり方もあるのかぁ」と幼心にショックでした。

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親友からの宗教勧誘とアンチ宗教の終わり

以前に触れたことがありましたが、僕が膨大な量の書物を読み漁るようになったきっかけは、18歳の時の彼女からの宗教勧誘でした。 もちろんそれだけではありませんが、その時人生屈指の集中力を持って考え、考えた結果宗教の教義に対して「価値観が合わない」と話すと大泣きされたという出来事がその後の人生観を大きく変えてしまいました。 そしてまた近頃になっては、20代の初めの頃に親友に宗教勧誘をされたことを思い出します。 特に思い出す必要もないのですが、ただ単なる春先の思い出を記した「洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳

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体験と精神の薬

手塚治虫氏の漫画の中には戦時中や終戦直後の日本を取り扱った作品がいくつかあり、直接的でないにしろそうした体験を元にしたような描写が各作品に散りばめられたりしています。 社会のあり方や人間のあり方、そして人間以外の様々な生き物との接し方などについて、現代でもいろいろな人が色々な表現で描いたりしていますが、どうしてもリアリティに欠けてしまう場合があります。 それはやはり直接の体験ではなく、言語的・思考的な産物としての意見や感覚を発端としているからではないでしょうか。 直接的な体験 動物との違いとして言語による情報の伝達

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気がつくと目の前にあるという日常とサロメ

ある時家の中である本を読んでいると、その中に安部公房氏の「砂の女」について触れられている部分がありました。 そこですかさず「安部公房の砂の女持ってる?」と聞くと、「目の前にあるよ」と言われてしまいました。 本を読んでいる自分の目の前の本棚にあったのです。 … 連続するサロメ そして先日、手塚治虫氏の「七色いんこ」を読んでいると、サロメという章がありました。 何の気なしに読んでいたものの、言われて気づいたのですが、居間にぽつんと置いてあった「岩波美術館 テーマ館 第11室 幻想 ファンタジー」の表紙もサロメ(ギュスタ

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中途半端な私服勤務

IT系ベンチャーなどなどにおいて、私服勤務で「オシャレに働いている」と思っている人たちの広告写真をみるといつも違和感を感じます。 なぜなら自分たちは「スーツなんて着ない」ということをアピールしているにもかかわらず、縁の太い眼鏡をかけながら、淡色のパンツ、淡色のシャツといったように、全員同じような服を着ているからです。 A. 誰が誰かわからない というのが本音です。 私服勤務というのはいいですが、その奥に「スーツやネクタイに縛られてなどいない」とか「自分たちは自由を謳歌している」という匂いを醸し出しつつ、さらに若干の

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白露の沈鬱

夏の暑さが去り過ごしやすくなるような季節のはずなのですが、どうしても昔からこの季節になるとやる気が無くなります。 20歳前後の頃は、このシーズンによく体を壊していました。 最近では特に体は苦しくないのですが、手足に力が入らなかったり、体が微妙に震えたりもします。 偏頭痛の一種である「頭の内側の痒み」みたいなやつが来るシーズンです。 一日の気分の乱高下が激しい 極端に一日のうちでの気分の乱高下が激しく、少しやる気になったと思ったら30分でそれが終わり、ひたすらしばらく間はやる気が出ないという感じの日々が続いています。

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「世界を動かしている」という実感

それが芸術的行為であれ、社会における権力の中の行動であれ、動機をたどると結局は「世界を動かしている」という実感欲しさに人は行動をしていると考えることができます。 その奥にはもちろん「世界をコントロールできるのだ」という、自分の意志の反映の確認という意図があり、そうしたものを求める根本は「世界が自分の意志とは別に動いている」ということに対する恐怖心です。 もちろんここで言う「世界」とは、客観的な世界とイコールではなく、この自我を通した世界、つまり自分の視点で自分が経験する世界です。 意志と表象と音楽 アルトゥール・シ

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日々の体温と人々の記憶

パソコンやスマートフォン、タブレットの光にさらされると体温が下がるような気がします。実際の体温がどうなっているのかわかりませんが、気力とでもいいましょうか、生きる力、生命力が失われ、体温が下がっていくような感覚がしています。 それは視覚にだけ集中し、変な姿勢を続けていることも影響しているのかもしれません。 衣服と肌の間にこもった体温を感じる そんな折に僕が小学生だった頃、つまりまだパソコンや携帯電話などが普及していなかった時代の音楽を聴いたり、映画を観たりすると、男性であれ、女性であれ体温の高さを感じることがありま

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真夏の墓参りと花々

真夏の墓参りと花々

「墓場ビジネスと霊感商法」などで触れていますが、墓自体はただのビジネスであり、墓参りという文化そのものが、文化という名のマインドコントロールであると思っています。 そんな中、母に頼まれて母方の先祖の墓に花を添えに行くということをこの夏経験しました。 その時に最も感じたのは憂いです。花に対しての憐憫です。 生きている花たちが、もう既にいない死者のために、もっと言えば宗教という狂気やそこから派生した習慣のために、なぜ劣悪な環境に晒されに行かねばならないのか、という憂いです。 人がその感情のために、―狂人的思考の結果思い

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先祖の数は想像できないほど多い

占い師や墓ビジネスを展開しているような霊感商法系の人たちはすぐに「先祖」を話題に出してきますが、やはり「知っている対象」程度しか話題に出てこないという感じのことを思ったので少し計算してみました。 「墓場ビジネスと霊感商法」で「どの先祖のことを指しているのか?」ということについて触れていたり、諸法無我などなどで、思考の対象となる「因」について触れていたりという感じで、ひとまず先祖に限って言えばどれくらいの数になるのだろうということを考えました。 旅立つ前夜に計算を始めてしまったのですが、数の単位が日常は出てこないよう

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第1200回投稿記念

これで1200記事目になります。1200回目の投稿ということで「第1200回投稿記念」です。 前回の第1100回投稿記念は、2017年12月7日で、前回からの100記事は、7ヶ月弱かけて投稿したという感じです。最近また少しばかりの特別企画中ですが、しばらくは通常投稿をしていたので、長文のものが目立つ感じになりました。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。 それではおなじみのアクセス解析から投稿記念の回を進め

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アシナガバチを保護中

昨日の昼間、家の裏をアシナガバチがフラフラになりながら歩いていました。羽が機能せず、かなり弱っている様子で、足を引き摺るように歩き、その様子を観察しているとバタンと倒れてしまいました。 一昨日に近くで巣の駆除が行われたようで、その時に駆除を逃れたアシナガバチだと思います。一昨日の夜から近くで羽音と威嚇音を交互に繰り返すようなヘルプコールが続いていたのですが、どこにいるのかもわからない感じでした。何となく助けを求められている感はありましたが、どうしようもないような感じでした。 そんな中、その翌日になりますが、命からが

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凡人が天才のフリをする時に用いる統計・データに騙されてはいけない

僕はなんだかんだで統計・データの分析が得意な方です。でないと会社経営もあまりうまくいきませんし、トレードなんかで勝てるわけがありません。でもそうしたものは参考程度にしています。 データには精度というものもありますし、何某かの意図が組み込まれている場合もよくありますからね。そして何より市場も人の心理も環境も常に動いており、あくまで統計・データはある時点、ある状態の切り取りにしか過ぎず、結論も単なる「要請」くらいにしかすぎないからです。 データに騙されてしまう人はよくいます。しかしそれは、そんな人達をバカにした人たちが

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鹿の王との約束

最近、見る夢の中でも白昼のふとした隙間においても、何故か宝ヶ池の鹿の王が出てきます。 僕が勝手に鹿の王と呼んでいるだけですが、もちろん宝ヶ池に実在する鹿です。その旨は一応「宝ヶ池の鹿」で少し触れていました。 サラブレッド並みとまではいきませんが、かなり大きな体に加え、すごく立派な角を持っています。普段宝ヶ池で見る鹿とは圧倒的に体格が違うという感じです。その風格からおそらく宝ヶ池公園付近一帯の鹿の王だと思っています。 彼との出会いもまた不思議なのですが、「宝ヶ池」で触れていた通報を行った時でした。 僕が宝ヶ池公園から

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尊厳・自尊心と承認欲求

尊厳・自尊心と承認欲求ということで、人の尊厳や自尊心と他者からの承認、そしてそうした承認を欲する承認欲求について紐解きながら、それらを根本から覆していきます。 「人は他人から自分の存在を確かめる」とでも言いたげに、社会においては尊厳や自尊心を当然のものとして扱い、他者からの承認をもって尊厳を保っているとでも言いたげです。 それこそが人の幸せを決めるものであり、承認欲求は当然に起こる欲求だとでも思っています。 しかしそんなものは必要ありません。 「承認欲求を満たす」とか「自尊心を満たす」という方向性でばかり様々なこと

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家族のバランスと退行現象

家族のバランスと退行現象ということで、家庭内での人間関係のバランスとバランスが崩れた時に起こる退行現象についてでも書いていきましょう。 少し前にはなりますが、自分が作成した心理学の「退行」について改めて確認していた時に、ふと幼少期から大人になるまでの間の我が家を振り返ることとなりました。 よく人格の歪みやそれを発端とする精神疾患は家庭に原因があるというか、家庭要因が大きいということで、それが文学作品や映画のテーマとなったりします。家族療法というものもあるくらいで、それくらいに家庭内の人間同士が相互に与える影響は大き

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