カテゴリー別アーカイブ: miscellaneous notes 雑記

miscellaneous notes 雑記

植物と仲良くなった日

植物と仲良くなった日ということで、植物を育てることが絶望的に下手だった僕が植物と和解しうまく育てることができるようになった時の思い出について書いていきます。 内容が具体的だからか、そういえば何だかんだで植物カテゴリへのアクセスも結構あるのですが、それで何となく思い返すと僕は20歳位まで植物を育てることが抜群に下手でした。 小学生の頃は、家にインコのピーコちゃんを筆頭にたくさんのインコと接していたため鳥とは仲良しでした。傷ついた雀を保護したことがありますが、その雀ともすぐに友だちになれたため、結構長生きしました。普通

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元祖ダイエットアファメーション

元祖ダイエットアファメーションということで、言葉によるダイエットについてでもお伝えしていきます。 ダイエットと一口に言っても、元々ダイエット(diet)という言葉は規定食という意味があり、減量だけを目的とするものではありません。 といいながら、だいたい肥満は食い過ぎから起こりますし、食事の質や量は体調不良にも密接に関わっています。 「適正な量の食事」という感じで言えば、今回ご紹介する「詩」は、まさに元祖ダイエットアファメーションであり、既に2500年以上前に実践されていたということで面白みがあります。 先日、ひとこ

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皮肉骨髄から考える「人の意見」

皮肉骨髄から考える「人の意見」ということで、皮肉の語源となっている達磨大師の「皮肉骨髄」の逸話から、人の意見をどう受け止めるべきかということについて考えていきましょう。 皮肉といえば京都の文化であるということで「現代人の皮肉」では京都の皮肉文化について触れていましたが、元々皮肉という言葉は、達磨大師が弟子に対して行なった最終試験の逸話が元となっています。 皮肉骨髄 知っている人は知っているような話ですが、「僕が伝えたかったことは何か、それを示してみなさい」をいう最終試験で、4人の弟子がそれぞれ異なったアプローチで回

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墓場ビジネスと霊感商法

京都という土地柄もあってか、同級生の家が寺ということも多く、墓場ビジネス、冠婚葬祭ビシネスが盛んに語られる事が多い環境に育っています。 なんだかんだで家の電話を取ってみたら近所の寺からの「お墓のご準備はお済みですか?」という営業だったということもたまにあります。 僕としては昔から墓には否定的な印象を持っています。そして墓場ビジネスはそれほど問題視されないもののタダの霊感商法だと思っています。 そしてたまに何故かいろいろな人の墓参りに付き合うということがあります。どこかに行くついでに「お墓が近くにあるからついでにお墓

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反応の対象

煩いの根本原因の一つは、「反応」にあります。 社会においても反応する側と反応させる側で、立ち位置が全く異なり、自由意志で選んでいるようで誰かの意図に反応しているにすぎないというのが本当のところです。 反応するという事自体は本来無属性ですが、その奥に誰かの恣意的な意図が含まれている場合は、意志を操られているとすら考えることができます。つまりそれは一種の洗脳です。 ― 強烈なリーダーシップ かつては強烈なリーダーシップを持った人がそれを実現していましたが、現代では「合理化」の考え方が進み、猫も杓子もマーケットインの手法

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意図的に意識を揺らす場所

京都も今では観光バンザイのような風潮を持っていますが、明治初期までの間、女性は神社仏閣への立ち入りは禁止されていました。 おそらくそれは「儒教の影響を受けた仏教」の影響による男尊女卑的な風潮もどこかにありながら、女性自身を守るためのものでもあったと思っています。 女性は共感性の高さから強烈な変性意識状態に陥りやすく、いわゆる「狐憑き」のような事が起こりやすいということ防ぐためという配慮です。 歴史的に観ると欧州でも修道院などで女性の集団ヒステリーがよく起こっています。そういうわけでヒステリーを起こしやすいということ

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対象者ごとの語彙と文体

使用している単語の持つ意味に対する印象は人によって異なりますし、普段その人がどのような環境にいてどのようなものを重要としているのかによって、同じ文章でも伝わり方が変わってきます。 そう言えば最近、若年層向けのマーケティング、特にライティングにおける国語表現に関することを調べていると、やはり文体にしても使用語句にしてもその人達に合わせたものの方がよりよく伝わるということを改めて気付いた次第です。 意図的な文体の揺れ もちろんかつてからその通りだとは思っていましたが、語彙のみならず誤字脱字のあるような、文法すらもぐちゃ

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変な意識の力と「諦め」

僕単体ではどうということもないのですが、特定の人たちと共に意識を向けると対象が無くなってしまうということがよく起こります。 変な話なのですが、十年くらい前から僕には変な意識の力があり、最近では相手に「諦め」を与えるような形になっています。おそらくそれは同調によって情報状態の変化をもたらすという感じになるのでしょう。 僕個人として一番最初に現実に起こったのは、勤め人の頃です。 担当エリアに狂犬がいて、いつもその犬が散歩している時に出くわし、毎度毎度噛みつかれかけていたのですが、さすがに敵意むき出しでやってくるのでその

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気力を奪う人たち

気力を奪う人たちということで、自尊心の回復のために人から気力を奪っていく人たちについてでも触れていきましょう。 世の中には、自尊心の低下を何とかしようと人に罵声を浴びせたり、ウジウジと憐れみ乞いをしたりして気力を奪っていく人たちがいます。そうした人たちをまともに相手すると、それまで元気だったのに元気を奪われ、パワーやエネルギーというものを奪われてしまいます。 根本的には気力を奪う側も、自尊心と気力が低下しているからこそそうしたことをしてしまうのですが、だからといってまともに付き合う必要はありません。 若い女の子から

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落語的思考

普段からよく散歩をしますが、特に今のシーズンは「春になった」ということでよく外を散歩します。 そんな折、不可思議な看板や案内や観光地にありがちな「由緒書」的なモノに出くわしたりします。そしてそれを見て頭の中で遊んでいます。 ということで落語的思考の遊びです。 落語的なのかどうなのかはわかりませんが、言葉の違和感や論理的な矛盾に爆笑しています。そういうわけで、周りの通行人の人からは怪訝な目で見られたりしています。 例えば空き地に次のような幟(のぼり)が立っていたとしましょう。 これを見て違和感を感じた人はいるでしょう

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良きものを称賛するという意識の向け方

たいてい思考は言葉で行われていますし、意識の状態も普段使う言葉に大きく影響されるというのは本当のところですが、言葉にさえ左右されなくなる領域まで行ければ、言葉はもうこの心を縛ることはできません。 しかしながら、基本的には言葉によって意識は方向付けられています。ということで、言葉選びは結構重要だったりします。 言葉選びも大事ですし、何より「何に意識を向けるか」ということが結構大事だったりします。 否定的な言葉と肯定的な言葉 言葉を選ぶ時や意識を向ける時に、それが否定的な言葉を使うか、肯定的な言葉を使うかという面や、悪

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哲学の道の黄昏

哲学の道の黄昏

哲学の道の黄昏ということで、昨日行ったばかりの哲学の道について触れながら、道行く人を見ながら感じたようなことについてでも書いていきましょう(ついでに、たった今の出来事ですが、なぜか、「みちゆくひと」と打っても通行人としか変換が出ません)。 このシーズン、哲学の道は桜吹雪の大乱舞という感じなので、人でいっぱいです。外国人だらけで、地元の人はほとんどいないような感じでしたが、想像よりは人が多くなかったので、程よく散歩することができました。なお、哲学の道はホタルスポットでも有名だったりします。桜もいいですが、ユキヤナギを

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祝四周年

なんだかんだで本ブログも四周年です。これで1140記事目になります。今回も祝三周年の時と同様に、単純に祝四周年というタイトルです。祝三周年の時点で、842記事だったのでこの一年で298記事を書いたことになります。過去分の転載等もありましたが、この一年はまあまあ書いた方になるのでしょう。 … さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、ありがとうございます。 四周年記念ということで、一部の過去記事に追記をし

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洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた

洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みてみました。宗教勧誘を論破して撃退するという感じではなく、相手のフレーム合わせて、対機説法をしてみるという感じです。 普通は宗教勧誘に対して上手く断るという感じだったり論破して撃退するという感じだったりするでしょうが、僕の場合は目的が少し違っていて、追い返すことではなく、短時間で脱洗脳のタネを撒いておくことです。 先日、Twitterでこっそりつぶやいてみましたが、ほんの少し前の休みの日に我が家に宗教勧誘の人がやってきました。 それで玄関先で話すことになったので

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うめぼしの謎

うめぼしの謎

今回は「うめぼしの謎」特集です。同世代の方にしかほとんどわからないと思いますが、「うめぼしの謎」は90年代半ば、スクウェアエニックスになる前のエニックスより出版されていた「月刊少年ギャグ王」で連載されていた伝説的4コマ漫画です。 やはりなんだかんだで少年期の頃に人格の基礎ができるような気がします。コロコロやボンボンから背伸びする同級生は、ジャンプやマガジン、サンデーの方に行きますが、僕たちの小学校では少年ガンガンと少年ギャグ王が圧倒的に優勢でした。 「何で笑うか?」という感性の基礎が出来上がるような年頃に、どのよう

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虚栄心の原因と心理の裏側

虚栄心の原因と心理の裏側ということで、虚栄心について書いていきます。 虚栄心(きょえいしん)は、つまるところ自分を大きく見せたいということであり、その裏の心理としては生存本能としての恐怖心があります。見栄を張ることで自分を大きく見せたい、実力以上に評価されたいと思う心理の根本動機は、生命としての恐怖心ということになります。 虚栄心というと、大げさな話や嘘、そして虚飾により見栄を張る心という感じになりますが、その目的が自尊心を高めることやモテることというものであっても、結局個としての生命として、大切にされたい、優位に

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合理化や最適化が機械にできる限界

AIがすごいとか、少し前であればIT化がすごいとか、そうした事が世の中でよく囁かれますが、「合理化」や「最適化」が機械にできる限界であり、結局大切なことは文語ではなく口語でないと何ともならないというようなことについて触れていきます。 哲学カテゴリでも会社経営と商いカテゴリでも良かったのですが、抽象的な感じなので雑記にしておきます。 まず最初に、新世代に対する旧世代的な後ろ向きの考えではないということに注意してください。 合理化や最適化の意味するところ まず合理化や最適化の意味するところについて一応再考しておきましょ

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進化と退化

「テクノロジーを筆頭に、社会は目まぐるしく進化を遂げています」 そんなことがよく言われますが、僕はそうした表現に違和感を覚えています。 いつの時代でも、「進化に甘えて、現実が疎かになっている」というようなことを言いたがる人は出てきます。 「便利さに自由を奪われている」 みたいな感じで世代間のギャップに違和感を覚えている人ですね。 しかし僕の違和感はそうしたものとはまた異なったものです。 そういう人たちが言いたいことも理解することはできますが、根本的に便利さの追求はある種の退化であり、進化とは言いません。 最適化しエ

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父への勝利

なぜかふと父から受けた最高の影響を思い出すので、あえてお父さんとの思い出についてお話しましょう。 僕の体育会系嫌いの原点です。 「生まれた順序で人に差をつけること」 その根拠なき差別に対する思いは、哲学的思考による論証だけに裏付けられているわけではなく、幼少期の体感が背骨となっています。 お正月の一悶着 確か小学校低学年くらいの時だったと思いますが、あるお正月に我が家で一悶着ありました。 それはおじいちゃんが僕のお年玉を1万円と設定したにも関わらず、なぜか弟は半額の5千円だったことに起因します。 お父さんがすごい剣

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活字の世界と感情の世界

何かをしたり人とやり取りをする上で、活字の世界の比重と感情の世界の比重というバランスがあることは案外見落とされています。 いくら感情的になったところで、活字の世界である学校のテストで良い点をとれるわけはありませんし、逆に恋仲になろうと思った時に活字ベースで事を進めることもできません。 たまに思考の世界と感情の世界をごっちゃにしてはいけないというようなことについて触れる時がありますが、もう少し具体的に考えて思考の世界の中でも活字の世界があるということについて触れてみたいと思います。 その行動は活字をベースとしているの

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見ることを意図してから絵を描く

見ることを意図してから絵を描くということで、「絵を描く」という表現をしていますが、本当に絵画を絵の具で描くわけではありません。頭のなかで計画を設計することというくらいの意味合いです。 最近ナニワ金融道を読んでからと言うもの、実は自分の周りでも「絵を描く」という言葉を使っている人が結構いることに気づきました。たいていは社長仲間ですけどね。ということで、見ることを意図してから絵を描くと言う感じで、認知的な話について触れていきましょう。 先日の投稿で、世の中では、一発逆転的なことが好きな人が結構いるということについて書き

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他人の成長

ご無沙汰しています。bossuです。 久しぶりに頭を休めるために書こうかと思いますが、寒さのせいか、俗世間に触れたせいか少し頭の働きが悪くなっているような気がします。 思えば、昔は「他人の成長を喜ぶ」ということが本当のことかどうか半信半疑だったように思います。 おばあちゃんが孫の成長を喜ぶというようなものならば何となくわかりましたが、「部下の成長や後輩のような人の成長が嬉しいというのは本当だろうか?」ということを考えていました。 それはどちらかというと、あくまで上下関係があって、部下が成長すれば自ずと自分の評価も上

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状況によって変わる意識の身勝手さ

状況によって変わる意識の身勝手さについてでも書いていこうと思います。 意識の中に信念や考え方の傾向を持ってはいますが、そうした意識の向き方やモノの見方、いざというときの考え方や環境への対応というものは状況によって変わっていきます。 そう言えば先日、ナニワ金融道、新・ナニワ金融道、新・ナニワ金融道Rと、ナニワ金融道シリーズを読破しました。 お金を借りに来る人については、お金を貸す人借りる人で、ある程度触れていますが、ナニワ金融道を読むと改めて状況によって変わる意識の身勝手さについてヒシヒシと実感したりします。 前回の

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新年 2018

新年 2018

みなさま、あけましておめでとうございます。 2018年になりました。 早速白味噌の雑煮で杵つき餅を5つ食べました。 新年ということでひとまずは抱負のようなものを書いていきます。こうしたものを普段あまり意識することはありませんが、あえて意識してみましょう。 新年の抱負 2018年新年の抱負ですが、まずはもう少し間口を広げるためにということを含みつつ、少しはモテてみようかなぁという感じです。 これは、つい先日年末ということもあって、X JAPANの故HIDE氏のことを思い出したからです。以前、X JAPANが紅白歌合戦

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さよなら2017

さあもうすぐ2017年が終わります。 一応2017年を少し振り返っておきましょう。 急に仕事のやる気が無くなったり、養子が死んだりということもありましたが、急に大掛かりな仕事が舞い込んできたり、急に沖縄に行っていたりと、急な展開がよくありました。 最も大きな変化は養子のうさぎが亡くなったことですが、それは彼の死と同時に彼と出会う前の僕の意識との再会があったことも含まれています。 思えば我が家にうさぎがやってくる少し前の僕は、毎日が楽しかったように思います。もちろんうさぎのせいではありませんが、ちょうどその頃くらいに

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