三人馬鹿
古い土着の昔話の中には、非常に良い示唆に富みつつ、非常に洗練されているものが見つかることがあります。 それもまた「名もなき方が作り出した」というところに魅力があります。 そのような感じで、以前にご紹介した「ふるさと和気 民話編」の中から僕が爆笑した僕好みの昔話をご紹介します。 民話・昔話の類型としては、笑い話となっていますが、笑い話を
その時間を無かったものとして扱う人たち
世の中には平気で遅刻したり、残業代や取引代金を支払わなかったりする人がたまにいます。僕としては信じられませんが、いくら世の中が変化していこうが、未だにそうした人たちがいるようで、その様子が耳に入ってきます。 それら人たちのその行為は、要約して言うならば「その時間を無かったものとして扱う」ということです。 約束の時間にこないということは

宝ヶ池のガチョウ「雪雄」
「雪雄」は京都市左京区の宝ヶ池にいたガチョウです。長年宝ヶ池公園のアイドルだったガチョウの雪雄は、2017年1月9日に亡くなりました。 宝ヶ池のガチョウ「雪雄」の写真などをまとめておこうと思います。ひとまず「ひとこと」に分散していた画像をまとめつつ少し追加してみました。 宝ヶ池のアイドル、ガチョウの雪雄。 なお「雪雄」という名は僕が勝

虚しさの先にある安穏
経験の始まりと終わりを明確に捉えて区切ることはできませんが、終わりに生じる結果を観察していると、たいへん虚しい気持ちになってきたりします。 それはいわゆる諦めのようなものとは違っています。 一見虚しいような感覚にもなりますが、それでも憂いはありません。 なぜなら単なる虚しさには奥に期待があり、期待なき一種の虚しさには安らぎしかないから
日々必要となる大量の飲み水
僕が日々特に必要としているもの、それは大量の水です。 小学生の頃から水を飲む量が人よりも断然に多く、その影響で腹痛がよく起こっているのではないかと思うほどです。 義務教育的ですが、厚生労働省でも「健康のため水を飲もう」推進運動というものを行っているようですので、ついでにご紹介しておきます。 「健康のため水を飲もう」推進運動(厚生労働省
園長先生のクレヨン
つい先日のことですが、カール・ラガーフェルド氏が亡くなられたそうです。 かなり前からカール・ラガーフェルド氏を知っているような口ぶりですが、その存在と名前が一致したのは去年の夏頃でした。 真鍋島で船の運行がイレギュラーになり、出戻り後に次の便を待っている間、テレビ画面にコシノジュンコ氏が登場していたのでそれを見ていました。 その話を父
おばあちゃんの梅干し
梅の花が満開になる季節です。 梅・桃・桜といったバラ科サクラ属の花々は、順序よく咲いていきますが、僕は昔からやたらと騒がれる桜よりも梅の方が好きだったりします。もちろんすべての花が好きですが、強いて言うなら開花する順番通りに梅・桃・桜といった順に好きです。 さて、本題であるおばあちゃんの梅干しです。 今年のはじめ福井県に行きましたが、
変化する怪物と四半世紀の混乱
先日夢の中で、なぜかリヴァイアサンが出てきました。リヴァイアサンといえばトマス・ホッブズの「リヴァイアサン あるいは教会的及び市民的なコモンウェルスの素材、形体、及び権力」でもありますが、僕たち世代としてはファイナルファンタジーシリーズに登場する幻獣のイメージが強い感じです。 一度必然的に出てきた流れは止めることができず、その変化は
八割方はすぐに叶う時代の一眼レフカメラ
技術が進むにつれて、ある程度の地点までは誰でも簡単にたどりつけるようになっていきます。その裏では素人目には理解不能なレベルでのすさまじい高度な技術が組み込まれていたりします。 素人が簡単に操作できるとすれば、その簡単さに応じてその裏にある技術のレベルは高いものになっています。 そのような感じで、以前まではプロの領域だったものであっても
虚飾や虚栄を支える他人の目
「虚飾や虚栄を支える他人の目」ということで、見た目で態度を変える人たちについて、そして、それが影響し虚飾や虚栄を繰り返してしまう人たちの意識の中身を少し覗いてみましょう。 虚飾とは、中身は薄いながらも見栄から外見を飾ることであり、虚栄とは、体裁を気にして栄えているかのごとく振る舞うことを意味したりしますが、共に実質的にはペラペラなまま

「操作できる」という実感
リアリティを高める重要な要素としての「操作性」や「操作できるという実感」、そして「自分の意志で情報が変化する」という点や反応がない場合に起こる憤りなどについて触れていきましょう。 ― 映画やドラマ等々を長時間視聴することは難しいものの、ゲームなら半日でもやり続けることができる理由はどこにあるのかということをふと考えました。 昨年から観
感謝の効用のカラクリと注意点
「感謝」について、感謝の効用のカラクリと注意点についてでも触れていきます。 胡散臭い自己啓発やスピリチュアリズムなどが蔓延してからというもの「感謝」が安物になりました。 言霊が云々なんてなことを言いながら、何にでも感謝しろというような一種の社会的圧力すら出てきているような感じもします。 ありがとうなんて思ってもいないくせに「ありがとう

新年 2019
みなさまあけましておめでとうございます。 2019年になりました。 亥年ということで歳男です。 今年も例のごとく早速白味噌の雑煮で餅を7つ食べました。 年明けの瞬間は草津温泉の湯の花を入れた風呂に浸かっていたので、はっきりとしたタイミングはわからないまま新年を迎えることになりました。 亥年がやってきた! 亥年ということなので、せつこに
さよなら2018
2018年が終わります。一応例のごとく2018年を少し振り返っておきましょう。 昔からですが、僕は戌年が嫌い、というよりもおそらく相性がよくありません。学年で言えば概ね一つ上であり、最も相性の悪かった人たちです。おそらくそんな事が関係しているのでしょう。 戌年の人には申し訳ないですが、犬や戌という概念すらあまり好きではなく、昔は戌年の
本能的な相性のスイッチ
お近づきになったような女性に関して思い返してみると、同じようなタイプの人に好かれ、同じ名前の人に好かれということが不思議なくらいに起こっていたりします。 昔お付き合いしていた彼女にそっくりな女性の上司が職場にいて、ある時ふと「別れた元夫とよく似てるの」なんてなことを言われ、その元夫さんにそっくりだという息子さんの写真を見せてもらったら
自己主張の強すぎる家電
「近年、家電にもいろいろな技術が組み込まれてきて、便利になる一方だ」なんてなことは言いません。むしろ逆で、家電の自己主張が強すぎて迷惑をしています。 アプリケーションからの通知しかり、家電から発する光や通知音然り、鬱陶しくてたまりません。 特に「寝る時のことを考えているのか?」ということをよく思ったりします。 「ITだAIだIoTだ、
「外国では神を信じてると言おう」は、無神論・アナーキズムとニヒリストへの恐怖
まあ一度くらいはボコボコに書いておこうかと思ったので、「外国では神を信じてると言おう」という発想に対する答えについて書いておきます。 結局、キリスト教圏などを含め外国で、無宗教、無信仰、無神論が非難されるのは、アナーキズムとニヒリストへの恐怖の裏返しであり、自分たちの思想の押し付けにしかすぎないということになります。 英語学習や国際関
「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処
「キャー!」「きゃあん!」といった超高周波の奇声を絶叫する子供が激増してきました。 家の前、飲食店、スーパーなどの小売店、そして温泉ですら、「無線のチューニング」並みの「キャー!」「きゃあん!」という子供の奇声が聞こえてきます。これは完全に公害です。 最初に言っておきますが、「うえーん」や「えーん」「ぎゃあああ」といったように、怪我を
「は?」となる心理学者たち
安物の心理学の本には、絶望的な心理学者による絶望的な実験結果が引用されていたりします。 小学生くらいでも「は?」となるレベルです。 そうした実験結果を報告する心理学者は「本当に頭は大丈夫か?」と思ってしまうレベルであり、それを引用して根拠になるかのように思っていることも絶望的です。 「アメリカの〇〇州立大学のナントカ博士が300名程度

第1400回投稿記念
これで1400記事目になります。ブログ創設から1400回目の投稿ということで「第1400回投稿記念」です。 前回の第1300回投稿記念は、2018年10月19日で、前回からの100記事は、40日ちょっとくらいかけて投稿したという感じです。なんだかんだで長文のものも結構ありますが、比較的短期間で100記事を迎えた感じになります。これは、
一度でいいから演劇でブラボーと叫んでみたい
未だに演劇で感動したことがありません。 演劇、舞台、芝居と言われる類においては、ほとんどの場合強烈な寒気がして鳥肌が立ち「見ているこちらが恥ずかしい」という気分にしかなったことがありません。 そんな中、やはり玉サブローが大好きであり、七色いんこが大好きなので「一度でいいから演劇でブラボーと叫んでみたい」という気持ちがしています。 演劇
孤独や孤独感と「独立して自由であること」
孤独や孤独感と「独立して自由であること」という感じで、孤独や孤独感を中心にまたまとめておきます。そして孤独という概念から「他との関連性から独立して自由であること」についても書いておきます。孤独感に苛まれた時に「軽い脱却」を叶えた「孤独感についての独り問答」についても触れてみます。 まず、孤独であることや孤独感は、「分離」が前提になって
何かが切れる瞬間
寝て起きてしばらくしてまだまだボーッとしている時、変な気がかりが起こることがあります。たいていはすぐに何とも無くなるのですが、稀にすごく嫌な気分になることがあります。 しかしそんな時は、ほとんど必ずそのすぐ後に何かが切れます。切れる瞬間が明確にわかるような感じで何かが切れます。 そしてだいたい何かに没頭することになります。その間嫌な気
同情と共感
同情と共感についてまとめておきます。同情と共感は似ていますが、己の心にどう影響するかが全く違うので、似て非なるものとしてその違いについても触れていきます。 英語的な話をすると「同情」は「sympathy」であり、「共感」は「empathy」と言う感じになりますが、もちろんそれが心理学者なのか哲学者なのかといったことを筆頭に、その言葉を
曖昧さのもつ力
抽象的で曖昧な言葉ほどものすごい力を発揮したりします。 言葉が抽象的である場合、その分だけ包括する概念の範囲が広く、解釈可能性もたくさんあるということになります。 ただ、具体性からは逆行することになるので意味を捉えにくくなるということになり、その分だけイライラするということもありますが、やはり曖昧な言葉は凄まじい効力を持っていたりしま
人を信用することと人間不信
「人を信用することができない」 ということが人を苦しめる最たるものの一つです。 しかしながら、人間不信ということに限定することなく、何事も信用し切ることはできませんし、かといって一切の信用がなければ社会生活はままならないという構造になっています。そんな中「信用しようとすること」自体が疑いを含んでいるため理屈の上でどう考えようがその信用
縁起が良い動物とか悪い動物という発想
世の中では縁起が良い動物とか悪い動物という発想をする人たちがいます。もちろん本来の意味での縁起、「因縁生起」とはまた少し異なった感じで俗っぽくこうした縁起の良い動物や縁起の悪い動物について考えてみましょう。 縁起が良い動物は何か? 縁起の悪い動物は何か? A そんな分類は意味をなさない 単純な答えとしては以上となりますが、もう少し詳し
僕のもとに帰ってきたドラえもん
いまなお「ドラえもんを観ると目が少年になる」という現象が起こります。 最近はTV版のドラえもん(もちろん旧声優陣の頃のドラえもんです)を観たり、「ドラえもん のび太の恐竜」などなど、劇場版のドラえもんを観たりしています 先日は手塚治虫記念館に行きましたが、やはり僕の中では藤子・F・不二雄氏が最も好きな漫画家であり、いつまでもその感覚は
加速するギャップと埋まり難き情報差
思い返すとこの十年くらいで大きく生活が様変わりしたような感じがします。そんな中一番顕著なのが、周りの人とのギャップかもしれません。友人たちを一通り観察すると、その変化が大きく枝分かれしていったように感じます。 社会的な評価基準のようなものが直接的に影響を及ぼしているというわけではありませんが、結局日常どんな生活をしているかで人格の変わ

第1300回投稿記念
これで1300記事目になります。ブログ創設から1300回目の投稿ということで「第1300回投稿記念」です。 前回の第1200回投稿記念は、2018年6月30日で、前回からの100記事は、4ヶ月半くらいかけて投稿したという感じです。最近は通常投稿をしていたので、軽いものもちらほらありつつ長文のものが目立つ感じになりました。 さて、常連さ