カテゴリー別アーカイブ: miscellaneous notes 雑記

miscellaneous notes 雑記

みどりのマキバオー

突然現れたマキバオー

ゴールデンウィークのある日、起きた途端に頭の中で「走れマキバオー」が流れ始めました。 するとその日は一日「んあ?」という感じになります。 走れマキバオーを観ているだけで、マキバオーやカスケードはもちろん、「あ、モーリアロー」とか「サトミアマゾン!」「アマゴワクチン!」「んー・・・ニトロニクス!」「ベアナックルやん」という感じになり、や

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Finn’s Lawと動物保護の意識

つい一ヶ月くらい前のことですが、BBCによると、イギリスで動物保護法の改正案が上院でも可決され、ひとまずイングランドとウェールズで適用されるようになったようです。 Finn’s Law: Stabbed police dog law given Royal Assent Finn’s Law(フィンズ・ロー)と

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うさぎのファミリー認定と食による馴致

養子のうさぎが教えてくれたファミリー認定の厳しさについてでも触れていきましょう。 うさぎが亡くなってしばらくが経ちますが、彼のファミリー認定が著しく厳しかったことを思い出したりします。 これは、愛情表現として舐めてくるという行動をすることをもってファミリー認定と考えた場合、その認定基準がかなり厳しく、末期に世話をしていた父や母ですら最

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平成から令和へ 一応振り返る平成

令和になりました。平成から令和に変わったので、「一応振り返る平成」といった感じでちょっとだけ平成について思い返してみようと思います。 こうしたタイミングに反応するというのも微妙ですが、一応数十年に一回なので触れていこうと思います。 ひとことでも触れていましたが、僕は昭和生まれなので、昭和・平成・令和を経験していることになりますが、僕よ

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偉大なるセキセイインコのプーコちゃん

この季節、春から初夏にかけての陽射しを浴びると、セキセイインコのプーコちゃんのことを思い出します。プーコちゃんはメスのインコであり、僕にとってはお姉さんのような存在でした。 人生で一番誰かを応援した瞬間は、今でもプーコちゃんが卵を産んだ瞬間です。諸手を挙げて応援していていました。 その時産んでくれた卵は無事に孵り、ひなが生まれました。

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あまりに無防備なモンカゲロウ

先日、家の裏にカゲロウがいました。モンカゲロウです。 弱すぎる上に短命なことで有名なカゲロウですが、幼虫の時は水中で生活していて、亜成虫という不完全変態を経て自然界最弱級の成虫になるという感じです。 しかし「水辺でも何でも無いのに何でこんなところにいるんだ?」という感じです。 きっと車とか自転車とかに張り付いたりなんかして移動してきた

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倒木しても満開になった「奇跡の桜」桂川

倒木した桂川~天神川の桜と社会

先日、桜の季節ということで桂川の方に行きました。 いつもの菜の花スポットですが、そこには桜並木があり、ほぼ毎年のように行ったりしています。しかし、桜の季節は比較的人が多いので、桜が散った後に菜の花を見に行くことが多いという感じです。 ただ今年はちょうど桜が満開の時期に暖かい晴れの日が訪れてタイミングも良かったので、多少の人の多さを覚悟

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骨格と装飾と問題

文章と音楽は全く別物かのように見えたりもしますが、知っている人は知っているように、骨格と装飾といった感じで、中心となる部分とオマケの部分があります。 また、そこにある美しさは、フィボナッチ数列から導かれる黄金比のような法則性もあります。そういうわけで、本来文理芸は切り離されているものではありません。 言語なら言語的意識、音なら聴覚とい

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爆笑して起きてしまうゆかいな夢

僕は今なお夢に爆笑して起きてしまうことがあります。 月に一度以上はそんな感じで起きてしまうのですが、ゆかいな夢で爆笑し、愉快な気分で目が覚めます。 つい先日は、養子のうさぎやインコのピーコちゃん、ガチョウの雪雄や鹿の王などを筆頭とした仲の良い動物や鳥、以前に保護したアシナガバチや逃した米びつ虫をはじめ、ひっくり返っているところを起こし

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ある人にとっての「面白い」が、ある人にとっては「面白くない」のは、なぜなのか

ある人にとっての「面白い」が、ある人にとっては「面白くない」のは、なぜなのかという点についてフロイト的にでも触れていきましょう。 世間では、あることを面白いと思う人がいる一方、そのことを面白くないと判断する人たちもいて、両者の中で軋轢が生まれたりもします。その様子自体が若干面白いのですが、無駄な争いですし、「この心」として怨憎会苦を得

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祝五周年

本ブログも五周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1480記事目になります。今回も祝四周年の時と同様に、単純に祝五周年というタイトルです。 「五年経つとこんな感じになっているのか」という感じです。 祝四周年の時点で、1140記事だったのでこの一年で340記事を書いたことになります。書庫の増設等もありましたが、この一年もまあまあ書

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日々を彩るアウラと駄アウラ

なんだかんだで年数回旅立ったりしていますが、日常これといって刺激を「求める」ということはありません。元々怒りが強く排除の方に気が向くくらいであり、かつ、放っておいても刺激はやってくるので「不足している感じがない」という感じです。 で、勝手に刺激は展開されていってしまうので「日々を彩るアウラと駄アウラ」といった感じでそんな日々の様子につ

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ピアノの先生と幼き日の弱さ

なんだかんだで小学一年生から六年生までピアノを習っていました。 きっかけは何だったかはっきり覚えていませんが、「ピアノを弾きたい」と父に言うと、数日後家にピアノが届き、さっそく近くのピアノ教室に通うことになりました。 最初の1年くらいは多分楽しかったと思いますが、その後すぐに辞めたくなりました。 なぜならピアノ教室の先生と合わなかった

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内発性と自発性

一見同じように見えてしまう「内発性」と「自発性」は、似て非なるものであり、「内発的」と「自発的」というものも異なる概念です。 まあ言葉の定義というものは、各々の方々によって違ったりしますが、ここでは、アリストテレス的に内発性と自発性について少し触れていきます。先程、類語について触れていたのでそのついでです。 世の中では内発的動機づけと

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谷野杢蔵(歌の勝ち負け)

ついでなので、いかにも昔話的で、できれば日本昔ばなしでやって欲しい感じのお話もありましたのでご紹介しておきます。 現在ところ検索しても一切出てこない感じなので、おそらく「まんが日本昔ばなし」にはない作品だと思います。もしタイトル違いなどで類似作品があったら誰かに教えていただきたいくらいです。 三人馬鹿に引き続き、もちろん今回のお話も、

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三人馬鹿

古い土着の昔話の中には、非常に良い示唆に富みつつ、非常に洗練されているものが見つかることがあります。 それもまた「名もなき方が作り出した」というところに魅力があります。 そのような感じで、以前にご紹介した「ふるさと和気 民話編」の中から僕が爆笑した僕好みの昔話をご紹介します。 民話・昔話の類型としては、笑い話となっていますが、笑い話を

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その時間を無かったものとして扱う人たち

世の中には平気で遅刻したり、残業代や取引代金を支払わなかったりする人がたまにいます。僕としては信じられませんが、いくら世の中が変化していこうが、未だにそうした人たちがいるようで、その様子が耳に入ってきます。 それら人たちのその行為は、要約して言うならば「その時間を無かったものとして扱う」ということです。 約束の時間にこないということは

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宝ヶ池のガチョウ 雪雄

宝ヶ池のガチョウ「雪雄」

「雪雄」は京都市左京区の宝ヶ池にいたガチョウです。長年宝ヶ池公園のアイドルだったガチョウの雪雄は、2017年1月9日に亡くなりました。 宝ヶ池のガチョウ「雪雄」の写真などをまとめておこうと思います。ひとまず「ひとこと」に分散していた画像をまとめつつ少し追加してみました。 宝ヶ池のアイドル、ガチョウの雪雄。 なお「雪雄」という名は僕が勝

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虚しさの先にある安穏

経験の始まりと終わりを明確に捉えて区切ることはできませんが、終わりに生じる結果を観察していると、たいへん虚しい気持ちになってきたりします。 それはいわゆる諦めのようなものとは違っています。 一見虚しいような感覚にもなりますが、それでも憂いはありません。 なぜなら単なる虚しさには奥に期待があり、期待なき一種の虚しさには安らぎしかないから

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日々必要となる大量の飲み水

僕が日々特に必要としているもの、それは大量の水です。 小学生の頃から水を飲む量が人よりも断然に多く、その影響で腹痛がよく起こっているのではないかと思うほどです。 義務教育的ですが、厚生労働省でも「健康のため水を飲もう」推進運動というものを行っているようですので、ついでにご紹介しておきます。 「健康のため水を飲もう」推進運動(厚生労働省

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園長先生のクレヨン

つい先日のことですが、カール・ラガーフェルド氏が亡くなられたそうです。 かなり前からカール・ラガーフェルド氏を知っているような口ぶりですが、その存在と名前が一致したのは去年の夏頃でした。 真鍋島で船の運行がイレギュラーになり、出戻り後に次の便を待っている間、テレビ画面にコシノジュンコ氏が登場していたのでそれを見ていました。 その話を父

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おばあちゃんの梅干し

梅の花が満開になる季節です。 梅・桃・桜といったバラ科サクラ属の花々は、順序よく咲いていきますが、僕は昔からやたらと騒がれる桜よりも梅の方が好きだったりします。もちろんすべての花が好きですが、強いて言うなら開花する順番通りに梅・桃・桜といった順に好きです。 さて、本題であるおばあちゃんの梅干しです。 今年のはじめ福井県に行きましたが、

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変化する怪物と四半世紀の混乱

先日夢の中で、なぜかリヴァイアサンが出てきました。リヴァイアサンといえばトマス・ホッブズの「リヴァイアサン  あるいは教会的及び市民的なコモンウェルスの素材、形体、及び権力」でもありますが、僕たち世代としてはファイナルファンタジーシリーズに登場する幻獣のイメージが強い感じです。 一度必然的に出てきた流れは止めることができず、その変化は

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八割方はすぐに叶う時代の一眼レフカメラ

技術が進むにつれて、ある程度の地点までは誰でも簡単にたどりつけるようになっていきます。その裏では素人目には理解不能なレベルでのすさまじい高度な技術が組み込まれていたりします。 素人が簡単に操作できるとすれば、その簡単さに応じてその裏にある技術のレベルは高いものになっています。 そのような感じで、以前まではプロの領域だったものであっても

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虚飾や虚栄を支える他人の目

「虚飾や虚栄を支える他人の目」ということで、見た目で態度を変える人たちについて、そして、それが影響し虚飾や虚栄を繰り返してしまう人たちの意識の中身を少し覗いてみましょう。 虚飾とは、中身は薄いながらも見栄から外見を飾ることであり、虚栄とは、体裁を気にして栄えているかのごとく振る舞うことを意味したりしますが、共に実質的にはペラペラなまま

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「操作できる」という実感

リアリティを高める重要な要素としての「操作性」や「操作できるという実感」、そして「自分の意志で情報が変化する」という点や反応がない場合に起こる憤りなどについて触れていきましょう。 ― 映画やドラマ等々を長時間視聴することは難しいものの、ゲームなら半日でもやり続けることができる理由はどこにあるのかということをふと考えました。 昨年から観

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感謝の効用のカラクリと注意点

「感謝」について、感謝の効用のカラクリと注意点についてでも触れていきます。 胡散臭い自己啓発やスピリチュアリズムなどが蔓延してからというもの「感謝」が安物になりました。 言霊が云々なんてなことを言いながら、何にでも感謝しろというような一種の社会的圧力すら出てきているような感じもします。 ありがとうなんて思ってもいないくせに「ありがとう

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新年 2019

新年 2019

みなさまあけましておめでとうございます。 2019年になりました。 亥年ということで歳男です。 今年も例のごとく早速白味噌の雑煮で餅を7つ食べました。 年明けの瞬間は草津温泉の湯の花を入れた風呂に浸かっていたので、はっきりとしたタイミングはわからないまま新年を迎えることになりました。 亥年がやってきた! 亥年ということなので、せつこに

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さよなら2018

2018年が終わります。一応例のごとく2018年を少し振り返っておきましょう。 昔からですが、僕は戌年が嫌い、というよりもおそらく相性がよくありません。学年で言えば概ね一つ上であり、最も相性の悪かった人たちです。おそらくそんな事が関係しているのでしょう。 戌年の人には申し訳ないですが、犬や戌という概念すらあまり好きではなく、昔は戌年の

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本能的な相性のスイッチ

お近づきになったような女性に関して思い返してみると、同じようなタイプの人に好かれ、同じ名前の人に好かれということが不思議なくらいに起こっていたりします。 昔お付き合いしていた彼女にそっくりな女性の上司が職場にいて、ある時ふと「別れた元夫とよく似てるの」なんてなことを言われ、その元夫さんにそっくりだという息子さんの写真を見せてもらったら

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