
第1600回投稿記念
これで1600記事目になります。ブログ創設から1600回目の投稿ということで「第1600回投稿記念」です。 前回の第1500回投稿記念は、2019年6月1日で、前回からの100記事は、4ヶ月ちょっとかけて投稿したという感じです。旅行記を細分化して連投したことや「笑う月」を開始したことで後半にはスピードが高まりましたが、前半はかなり緩や
動物愛護週間
9月20日から26日は動物愛護週間です。と、義務教育全開のような感じになってしまいましたが、ちょうどよい機会なので動物愛護について触れようと思います。 好きと愛、そして好意と慈悲の違いのようなもので、対象を好きなだけの人は、自らの楽しみ、高揚感などのためにそれを利用するにとどまりますが、慈悲から観れば、幸せを願い苦しみが取り除かれるよ
生兵法とレトリック
自転車トラブルが起こった時のケース(頻発した自転車トラブル)等々、「知能が発達していないゆえに生兵法で挑んでくる」といったケースが身の回りでも頻繁に起こっているようです。 「生兵法は大怪我のもと」という言葉があるにも関わらず、よくもまあそんなに強気に出れるなぁと思ったりもしますが、むしろ「凄さがわかるのも能力である」ということから考え

オグリキャップとライスシャワー
笠松競馬場に行ったついでと言ってはなんですが、ダビスタとみどりのマキバオーによって競馬ファンとなった小学生時代を思い返し、大好きな二大馬オグリキャップとライスシャワーについて少し触れておこうと思います。 我が家に競馬文化はなく、また、僕自身もダビスタをやりこんだのはⅡとⅢなので、この2頭が現役で活躍していた時は本格的に競馬を知っていた
ウォシュレットの逆襲から解決までのプロセス
小学五年生の時の懺悔タイム以降、「この世で最も苦しいのは腹痛であり、何事にも優先して腹痛を回避せよ」という信念を持っており、腹痛回避には余念がありません(ゆかたビフォーアフター)。 しかしながら、想定外の急激な冷えなどにより、少なからず腹痛が起こる可能性があります。そうした万が一の腹痛時、トイレが汚いとテンションが下がります。なので、
問題が生じた時に意識に余裕を生み出す論証
問題が生じた時に意識に余裕を生み出す論証ということで、今回は心の観察等々意識的なあり方ではなく、実質的で理性的な「問題への対峙の仕方」について触れていきます。 僕の身の回りの人、特に女性の多くに「相手の言っていることはなんとなく理解できるが、変だなぁという違和感だけがあって、結局言い返せない」という悩みを持つ人がいます。 そうした形で
足音や振動など隣の家の騒音への対処
足音や振動など隣の家の騒音への対処ということで、隣人がもたらす騒音への対処について触れていきます。 二ヶ月ほど前、直接注意に行ったりしましたが、最近また調子に乗り始めているので、そろそろ本格的に対処しようかなぁと思います。 この騒音についてですが、一般生活レベルの騒音ではなく、親が煽ることで子供が走り回る時に生じる強烈な足音というか振
際限のない「何をどこまで」を防ぐ表現
良いことと悪いことを考える時、通常の加点方式で考えてしまうと限界がなく「これでよし」という定義ができません。 「この心が苦しみを受け取る」という視点から考えた場合、いわゆる幸せ的なものは加点方式ではなく「本来の完全で理想的な状態を阻害しているものを削ぎ落としていく」という構造になるはずです。 「対人恐怖と人間不信への対処」や「この世界
妄想は感情を知識がこじつけることで生まれる
妄想は感情を知識がこじつけることで生まれるということで、謎のスピリチュアルとかカルト宗教のカルト臭い論理と感情について少しだけ触れておこうと思います。 世の中にはそうしたものに違和感を感じている人も多いと思いますが、それでも一定数気が狂れたように盲信している人たちもいます。 そうした霊魂系の話は、多少なりと具体的に示し得ないメタ領域的
起こった出来事に対する処理と今後の予防
社会における物事の善悪や正義的な判断には、処理と予防という視点が必要になります。いわば非難する側される側といった人達の間にある紛争においても「起こった出来事に対する処理」の意味合いと「今後の予防」としての観点を検討するのが一番です。 そしてその対象範囲を個人間という範囲、そして社会全体という範囲、それぞれで俯瞰しておくとすぐに解決する
頻発した自転車トラブル
令和に入ってからというもの、家族たちに若干のトラブル的なことがよく起こりました。といっても自転車トラブルで、一方的に被害を受けるような感じのことばかりです。 それもなんだか変な感じで、一昔前ならあまり起こり得なかったような事柄ばかりです。少し全体を見れば問題点もすぐに発見できそうなことばかりで、いかに加害者が近視眼的かということがよく
物事の完璧さプロの定義
物事を完璧にこなそうと思っても、やはり多少はアラが出ます。 完全な状態を目指すというのはいいですが、あまり根を詰めるとその分緊張するので、結果的にミスを生み出してしまったり、カリカリして空気が悪くなったりして物事がうまくいかなくなってしまうことがあります。 ― 小学生の時はテストが簡単だったので「100点中100点でクリア」という感覚
目の痛みによって体がパソコンから逃げる
どうも昔から何事もスイッチが入るとやりすぎる傾向にあり、今までの間も何度か「過労によって体が震える」というような感じを経験しています。 先日から、公私共に気持ちだけはずっと前のめりでしたが、目が限界に来たようで、体がついてこないというか、パソコンなどの光から体が逃げるという感じになりました。 先日読んだマキバオーにちなみますが、感覚的

第1500回投稿記念
これで1500記事目になります。ブログ創設から1500回目の投稿ということで「第1500回投稿記念」です。 前回の第1400回投稿記念は、2018年12月2日で、前回からの100記事は、半年くらいかけて投稿したという感じです。通常投稿ばかりだとやはり緩やかですね。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contact
動物愛護からみる人のあり方
動物保護と虐待といったコントラストによって、倫理的な人のあり方が見えてきます。 「Finn’s Lawと動物保護の意識」で触れていた「フィン」の活躍の動画を観ていると、関連動画で動物保護団体の活動の動画が出てきました。 すると関連動画で日本語で再編集された動画が出てきたのでいくつかご紹介しておきます。 どうやら日本語で再編集されたもの

突然現れたマキバオー
ゴールデンウィークのある日、起きた途端に頭の中で「走れマキバオー」が流れ始めました。 するとその日は一日「んあ?」という感じになります。 走れマキバオーを観ているだけで、マキバオーやカスケードはもちろん、「あ、モーリアロー」とか「サトミアマゾン!」「アマゴワクチン!」「んー・・・ニトロニクス!」「ベアナックルやん」という感じになり、や

Finn’s Lawと動物保護の意識
つい一ヶ月くらい前のことですが、BBCによると、イギリスで動物保護法の改正案が上院でも可決され、ひとまずイングランドとウェールズで適用されるようになったようです。 Finn’s Law: Stabbed police dog law given Royal Assent Finn’s Law(フィンズ・ロー)と

うさぎのファミリー認定と食による馴致
養子のうさぎが教えてくれたファミリー認定の厳しさについてでも触れていきましょう。 うさぎが亡くなってしばらくが経ちますが、彼のファミリー認定が著しく厳しかったことを思い出したりします。 これは、愛情表現として舐めてくるという行動をすることをもってファミリー認定と考えた場合、その認定基準がかなり厳しく、末期に世話をしていた父や母ですら最
平成から令和へ 一応振り返る平成
令和になりました。平成から令和に変わったので、「一応振り返る平成」といった感じでちょっとだけ平成について思い返してみようと思います。 こうしたタイミングに反応するというのも微妙ですが、一応数十年に一回なので触れていこうと思います。 ひとことでも触れていましたが、僕は昭和生まれなので、昭和・平成・令和を経験していることになりますが、僕よ
偉大なるセキセイインコのプーコちゃん
この季節、春から初夏にかけての陽射しを浴びると、セキセイインコのプーコちゃんのことを思い出します。プーコちゃんはメスのインコであり、僕にとってはお姉さんのような存在でした。 人生で一番誰かを応援した瞬間は、今でもプーコちゃんが卵を産んだ瞬間です。諸手を挙げて応援していていました。 その時産んでくれた卵は無事に孵り、ひなが生まれました。
あまりに無防備なモンカゲロウ
先日、家の裏にカゲロウがいました。モンカゲロウです。 弱すぎる上に短命なことで有名なカゲロウですが、幼虫の時は水中で生活していて、亜成虫という不完全変態を経て自然界最弱級の成虫になるという感じです。 しかし「水辺でも何でも無いのに何でこんなところにいるんだ?」という感じです。 きっと車とか自転車とかに張り付いたりなんかして移動してきた

倒木した桂川~天神川の桜と社会
先日、桜の季節ということで桂川の方に行きました。 いつもの菜の花スポットですが、そこには桜並木があり、ほぼ毎年のように行ったりしています。しかし、桜の季節は比較的人が多いので、桜が散った後に菜の花を見に行くことが多いという感じです。 ただ今年はちょうど桜が満開の時期に暖かい晴れの日が訪れてタイミングも良かったので、多少の人の多さを覚悟
骨格と装飾と問題
文章と音楽は全く別物かのように見えたりもしますが、知っている人は知っているように、骨格と装飾といった感じで、中心となる部分とオマケの部分があります。 また、そこにある美しさは、フィボナッチ数列から導かれる黄金比のような法則性もあります。そういうわけで、本来文理芸は切り離されているものではありません。 言語なら言語的意識、音なら聴覚とい
爆笑して起きてしまうゆかいな夢
僕は今なお夢に爆笑して起きてしまうことがあります。 月に一度以上はそんな感じで起きてしまうのですが、ゆかいな夢で爆笑し、愉快な気分で目が覚めます。 つい先日は、養子のうさぎやインコのピーコちゃん、ガチョウの雪雄や鹿の王などを筆頭とした仲の良い動物や鳥、以前に保護したアシナガバチや逃した米びつ虫をはじめ、ひっくり返っているところを起こし
ある人にとっての「面白い」が、ある人にとっては「面白くない」のは、なぜなのか
ある人にとっての「面白い」が、ある人にとっては「面白くない」のは、なぜなのかという点についてフロイト的にでも触れていきましょう。 世間では、あることを面白いと思う人がいる一方、そのことを面白くないと判断する人たちもいて、両者の中で軋轢が生まれたりもします。その様子自体が若干面白いのですが、無駄な争いですし、「この心」として怨憎会苦を得
祝五周年
本ブログも五周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1480記事目になります。今回も祝四周年の時と同様に、単純に祝五周年というタイトルです。 「五年経つとこんな感じになっているのか」という感じです。 祝四周年の時点で、1140記事だったのでこの一年で340記事を書いたことになります。書庫の増設等もありましたが、この一年もまあまあ書
日々を彩るアウラと駄アウラ
なんだかんだで年数回旅立ったりしていますが、日常これといって刺激を「求める」ということはありません。元々怒りが強く排除の方に気が向くくらいであり、かつ、放っておいても刺激はやってくるので「不足している感じがない」という感じです。 で、勝手に刺激は展開されていってしまうので「日々を彩るアウラと駄アウラ」といった感じでそんな日々の様子につ
ピアノの先生と幼き日の弱さ
なんだかんだで小学一年生から六年生までピアノを習っていました。 きっかけは何だったかはっきり覚えていませんが、「ピアノを弾きたい」と父に言うと、数日後家にピアノが届き、さっそく近くのピアノ教室に通うことになりました。 最初の1年くらいは多分楽しかったと思いますが、その後すぐに辞めたくなりました。 なぜならピアノ教室の先生と合わなかった
内発性と自発性
一見同じように見えてしまう「内発性」と「自発性」は、似て非なるものであり、「内発的」と「自発的」というものも異なる概念です。 まあ言葉の定義というものは、各々の方々によって違ったりしますが、ここでは、アリストテレス的に内発性と自発性について少し触れていきます。先程、類語について触れていたのでそのついでです。 世の中では内発的動機づけと
谷野杢蔵(歌の勝ち負け)
ついでなので、いかにも昔話的で、できれば日本昔ばなしでやって欲しい感じのお話もありましたのでご紹介しておきます。 現在ところ検索しても一切出てこない感じなので、おそらく「まんが日本昔ばなし」にはない作品だと思います。もしタイトル違いなどで類似作品があったら誰かに教えていただきたいくらいです。 三人馬鹿に引き続き、もちろん今回のお話も、