三字熟語
「四字熟語辞典」に載っている「三字熟語」を無理やり2つ合わせてタイトルとして設定していくという感じで進めてきた特別企画 その7「三字熟語」が完了しました。 「ひねくれつつもすぐに終わりそうな感じ」を目指し、タイトルには三字熟語を使いつつ、本文にはその三字熟語を一切使わないというテーマで書いてみました。 今回、高橋書店の「四字熟語辞典」
老婆心からの両天秤
機関投資家レベルでよほど大きなお金を動かすのでない限り、リスク分散のためにポートフォリオを組むという感じはあまりおすすめはできません。手間がかかるだけだったりしますし、規模が小さいとそんなにリスクの分散効果はないからです。 ポートフォリオというと、金融の世界では分散投資のようなことを意味します。様々な金融商品の組み合わせて、様々な市場
理不尽な疫病神
考え方、というよりも社会における視野が大きく違うと、話も合わなくなってきます。そんな中、「隣の高校だった人」などなど、知らぬ間に縁が切れていったような同い年の人たちを見渡してみると、やはり学校の風土的な違いがどこかしら影響しているような気がする時もあります。 最近では無くなりましたが、そうした人たちから集まりのお誘いを受けたりしました
八百長の胸算用
世の中のいたるところで出来レースが展開されています。いかに作品に作者が記載されていても、ゴーストライターが書いたものかもしれないという点は、どこまでも疑問として残ってしまいます。 作詞が歌い手名義になっていても、トークの機会を観察する限り、ご本人の気質や語彙力から「本当のところはわからない」と感じるときもあります。 「まあわざわざそん
無尽蔵の耳学問
ちらっと聞いたり耳にした情報にとらわれている人を相手にする場合、そうした変に固定観念化した知識を壊すことから始めなければならなくなったりします。 マスコミの情報ももちろんですが、そうしたものや井戸端会議などで登場したワンフレーズを変に覚えていたりして、そのフレーズをあまり吟味しないまま解釈していたりして下手に固定観念ができていたりする
未曾有の満艦飾
全身を着飾ること一つとってもその人となりが表れるので面白いと思っています。 未だに人があまりに豪奢に着飾っている姿を見ると、笑ってしまう癖があります。特にゴー☆ジャス氏が世に登場されてからは、彼がすぐに脳内再生されてしまうため、より一層笑うようになってしまいました。 洗練されていない、わかりやすい着飾り姿を見ると笑ってしまいますし、そ
朴念仁と没交渉
日常、特に人と関わりたいということを思うことがありません。拒否することはありませんが、積極的に人と会うということは全くといっていいほど無くなりました。 昔は積極的に人を誘って遊びに行ったりもしましたが、人と会うという空間にそれほど快さを感じなくなったのでしょう。遊びの誘いを断るということはないものの、自発的にこちらから遊びの誘いをする
無頼漢の屁理屈
たいていの人とは難なく接することができるのですが、強烈な感情によって頭が働いていない人を相手にするときは少し辟易したりすることもあります。 なぜなら話が通じないからです。 最終的には話が通じるのですが、「己の都合」しか見えなくなっている人を相手にするときは若干厄介です。 もちろん己の都合を伝えてもらうのはいいのですが、相手はそこにばか
不退転な不死鳥
永遠の命への憧れのようなものを持っている人がいます。しかしよくよく考えてみると生きていると煩いがたくさんあります。そんな中、仮に「永久に死ねない」ということになってしまった場合、本当にそれでいいのでしょうか。 よく物語の設定などで王様が「あとは永遠の命だけだ」というような感じで、「トップに立ったのだから後はその喜びをずっと味わっていた
風来坊と風物詩
ひとことで触れていましたが、少し前深夜に道端でおばあさんに声をかけられ、会釈をして目が合った瞬間に怯えられて逃げ去られたという感じのことが起こりました。 全国平均がどのようなものかがわからないのでなんとも言えませんが、そのような感じで「変な人出現率」においては京都もそこそこ高いのではないかと思っています。 変な人については細かく定義す
日和見な昼行灯
確固とした意志を持つことがなく、その時の状況に合わせて多数の勝ち馬に同調するという層がだいたい7割、それは腸内細菌の世界ですら起こっていることなので、変わることのない自然のバランスなのかもしれません。 ただ腸内細菌においてもそれは細菌類たちの社会の中でのバランスであり、一つずつの細菌自体は一応独立した存在でもあります。 これを人間社会
一筋縄ではいかない檜舞台
何だかんだで新規創業の相談などを受けることがあります。 起業などにおいても、やってみないとわからないこともあれば、やる前から準備がいくらでもできる事柄もあります。 やはりどんなことでも、やり進めてみて実際のフィードバックを得てからでないと本質がつかめない部分は出てきます(フィードバックを奪う人たち)。 そういうものもあるので、準備ばか
左団扇であるからこそ鐚一文無駄にしない
無料という名目のものは、概ね結局その分どこかで埋め合わせをするように消費欲を刺激するような仕掛けがいっぱいしてあります。その目的にもよりますが、特に企業が運営しているものであればほぼ確実にそのような構造になっています。 お金の使い方としては、ただお金を使うだけの使い方と、お金を生み出すための使い方というような似て非なるものがあります。
破天荒と半可通
斬新なアイデア、画期的なアイデアというものを生み出すにも、概ねその手前にたくさんの情報が必要になります。 考えが凝り固まった玄人が見落としているようなところを初心者が発見するといった感じで、稀にビギナーズラック的にアイデアが生まれることもありますが、ほとんどのケースでそのようなことは起こりません。 アイデアは、それを発想することより形
裸一貫の白日夢
万が一、自分が身一つで「すっからかん」になったとしても、特に憂いはないだろうなぁということを思う時があります。もし、一切の資産がなくなったとしても、何とかやり直せる自信のようなものがあるからという感じになりましょう。 この自信のような、余裕のようなものは、ある種結果的であって、その手前に「絵」があるからそう思うという感じになります。
野放図への白眼視
京都という土地柄か、少しの言葉遣いの違いなどに過敏です。すぐに「なんて低俗な」とか「小癪な。何様のつもりか」という感想を持ってしまい、時に爪弾きにしてしまうという感じです。そうした言葉への感度は、デメリットとして無駄に怒りが生じてしまうと言う面もありますが、逆に言語表現が豊かになったりコミュニケーション能力を培えるというメリットもあり
根無草の二枚舌
最初から計画して嘘をつくということは詐欺師並の輩にしかできない芸当ですが、時に人は嘘をつきます。お金が絡んできたり異性絡みだったり、はたまた地位や名誉などに関する事柄となると、人を心底信用することはできません。 嘘と言ってもその種類は様々で、ただ自分を守りたいだけなのか、私利私欲のために相手を陥れるためのものなのか、相手を傷つけないた
丼勘定で長丁場
それがたった数%の違いでも、気づいた瞬間からなるべく早く取り組むか取り組まないかで長期的に見ると大きな差になります。 そうした数字的な物事で結構見落とされているのは「複利計算」です。イメージとしては初年度は元本のみ、翌年は元本と利子を合わせて再投資するというやつです。複利で回数が多ければ多いほど、その差は歴然としたものになります。 運
土壇場の泥仕合
なるべく揉め事というものは避けたいものですが、そうした局面ほどその人の本性やエゴイズムを垣間見れることはないので面白かったりします。 争いや揉め事のようなものをあえて仕掛けることはありませんが、不条理な要求に応じることはないので必然的に多少一悶着が起こったりします。 むしろ昔からこうした揉め事を好んでいるようなフシがありました。なぜな
桃源郷への登竜門
アドラーは目的論という方向性で心について語っていきましたが、そんな「目的」すら因果律的には外界からの情報でセッティングされてしまっています。 そして意識は直近に得た情報によって大きく左右されてしまいます。 ある目的、目標を持ったところで元の木阿弥になってしまう大きな要因の一つは、環境の整備が整っていないという点にあります。 以前某会合
鉄面皮との天王山
世の中には考えられないほど厚かましい人もいますが、そうした図々しい人の意見を受け入れるべきか否か、というところは少しばかり俯瞰しながら対処する必要があります。 ひとまず騒がれるのも面倒なので、特殊事案として適当に対処するというのもひとつですが、下手にそうした図々しさを受け入れるとそれが基準となり、今後その基準の上で対処していかねばなら
張本人の付焼刃
事態をそれ以上に大きくしないためにと、何かが起こった時の事後対策として様々な工夫が凝らされたりもしますが、そうしたものの必要性自体は理解できるものの「うまくごまかす」という方向性ばかりを勧める人たちもいて、遺憾に思うことも多々あります。 根本解決や今後の対策という重要な部分を棚上げして、「うまくごまかす」という部分だけに着目してその場
断末魔の長広舌
もう明らかに諦めたほうがいいのにまだしつこくのらりくらり感を出して意味不明な弁明をしているような会見なども多々あります。 ただやはりそれは客観的に見ているからこそ相手が変に見えるだけで、実際の当事者ともなるパニックでまともな思考力を保てなくなるということになるのでしょう。 当の本人も冷静なときであれば自分を客観視して、もっと良い弁明を
短兵急にて立往生
気持ちの先走りを上手く利用すれば、そのエネルギーで目の前の問題を突破できることもあります。創業社長はだいたいせっかちな人が多い印象もありますし、あまり深く考えすぎないことが物事の展開のスピードを高めているという感じもします。 しかしながら、そうした人たちは、あまりよく考えていないようで、意識の裏側では最低限以上のことは考えていたりもし
大磐石ゆえ太平楽
「もうこれで安泰だ」と安心したい気持ちはわかりますが、世の中に安定というものがあると思っていること自体が誤謬であり、慢心が起こるととんだ災難に見舞われることがあります。 「安定はない」というのは普通に考えれば誰でもわかりそうなことですが、喜びの感情などによってそれが見えなくなる場合もよくあります。 安定というものが必ずあり得ないという
大上段への大団円
起業する前の最後の上司というか支店長的な人は、いわゆる「全然足りねぇじゃん!」系の人でしたが、そんな彼への最後の仕打ちを決行してから退職しました。 直属の管理者には世話になっていたので、彼には恩返しがしたいと思いつつ、やはり「全然足りねぇじゃん」系の支店長を泣かせてから去ってやりたいという気持ちも少なからずありました(しかしわれわれは
大黒柱の醍醐味
醍醐(だいご)という言葉の持つ意味がバター味やチーズ味らへんの乳製品の味のことを指すということを知ったのは比較的最近のことです。京都にも伏見に醍醐寺があり、付近は醍醐という地名なので少しは馴染みのある言葉だったはずですが、本格的に意味を知ったのは20代になってからです。 さて、リーダーたるもの、とりわけ社長たるものだけが味わうようなこ
走馬灯の如く思い返す太公望
「能ある鷹は爪を隠す」のおじさんは釣り好きであり、また勤め人時代には結構釣り好きの人がいました。すべての人ではないと思いますが、そうしたタイプの人から受ける印象はどうしても「趣味に生きている人」といったような感じがします。 生活を趣味に合わせて生きているという感じがして、有給などを念入りに消化していく感じの人が多いという印象です。 「
千里眼への先入観
遠くにあるものが見渡せたり、人の未来が見えたりするという能力は開眼後に発揮される能力であるというような伝承が一部であります。 「そんなことはないだろう」 と思う人も多いと思いますが、少なくとも世の中の「占い師」みたいな人たちのそれはデタラメです。そういえば某カルト宗教の教祖もそのような能力を持っていると自称していました。それもおそらく
瀬戸際の善後策
なんだかんだで切羽詰まった感がないと人は大きく変わることがありません。かといってその緊迫感は特に苦しいものや悲しいもの、そして辛いものでなくても構わないという感じになります。 以前、学生の課外活動に関するNPO法人の人に相談されたことがあります。 「どうすれば大学生により良い経験を与えることができるでしょうか?」 ということだったので