先を争うようにして駈けて行く

「争いの先、突っ走った先に何もなかったらどうするのか?」ということが見えないまま、モテをこじらせたように「一生懸命がカッコいい」という感じで奮闘している人たちがいます。 それはそれで個人的志向でやってもらう分にはいいのですが、他人を巻き込んだり、はたまた自分たち以外の人を愚弄したりするということになることがあるので困りものです。 勤め人は企業の奴隷であるというようなことは、ある方面から見れば正しくても、そうした企業のチームの中でないとできないことがあったり、それを独立してやるには効率が悪いという感じになっていたりし

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相手が案内人である以上

以前にも少し触れたことがありましたが、睡眠中を含め、空間からの脱出が難しく、身の安全の確保が意識に上るサービスほど、丁寧な接客となるという感じになっています。 旅館業はもちろん、飛行機などもそうですし、本来は電車や長距離バスでも同様の配慮が望ましいという感じになります。 生理的欲求や安全の欲求を考えれば、事実上密室空間の中にいることや無防備な睡眠中等々、生存の安全性に意識が向く場所でのサービスにおいては、その「逃げられない」という要素の強さに応じてお客に安心してもらうための配慮が望ましくなります。 ビジネス研修に生

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確実に見たかどうかを繰返し自分に問い質してみよう

なんだかんだで思い違い、記憶違いということは未だによくあり、自分自身が見たもの、見た記憶を信頼しきらないことにしています。 「確実に見たかどうかを繰返し自分に問い質してみよう」ということで、テストがてらコンビニに貼ってあるライブ案内のポスターに掲載されていた方々の名前を思い出してチェックすることがあります。 失礼な形になりますが、たいてい自分の知らない方々の名前は変な形で記憶しており、ほとんどの場合で間違えます。 名称の記憶 特に名字と「人の名前ではない名詞」やカタカナ語が組み合わさったようなパターンの場合は高確率

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体験の非日常性

非日常的な体験をすると、意識がカーッとなり、平常時では考えられないような意志決定をしてしまうことがあります。 それが「人から仕掛けれたこと」ならば注意が必要になりますが、そうした一種の狂気、一種の強い変性意識がないと事を成し得ないという場合もありますし、そうして起こった現象がすべてダメなものかといえば、そうでもありません。 合理性から考えれば非合理な男女の仲 合理性から考えれば非合理な男女の仲においても、一種の非日常があるからこそカーッとなり、論理性、合理性を超えて、非合理な方を選んでしまうということが起こります。

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イメージをともなわない言葉だけの網

感動という文字を見ても感動しないように、言葉はうまく紡ぎ合わせて何とかイメージを形成しないと、感情を動かすことはできません。 しかしうまく編まれたからといって「イメージ」が生まれないということもあります。 「笑う月」の中では次のように語られています。 「日頃から言葉の操作に従事しているぼくのような場合、イメージをともなわない言葉だけの網が編まれてしまう可能性だってあるわけだ。夢を見たという表現は、もはや適切でなく、夢のなかで言葉が編まれた、とでも言い替えるべきだろう」 言葉が発端となり、言葉と言葉が編まれ、言葉と視

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自己検閲の機構

どうしても自我というものは悪者扱いされるフシがありますが、「それはそれ」というだけのものであり、退治する対象のものというわけではありません。 凝り固まった自我意識というものは、制限を生み、偏見を生み、悪どくなってしまうものとして扱われたりもしますが、こうした自我は時に自己検閲の機構として、逆に洗脳・マインドコントロールをブロックするものとして働いたりもするわけです。 万が一の誤解があるといけないので、改めてこうした「自己検閲の機構としての自我」について触れておこうと思います。 定義が曖昧な自我 というのも、「じろり

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地図をしらべてみたほどのリアリティ

地図をしらべてみたほどのリアリティのある夢といえば、やはり西宮の夫婦岩でしょうか(西宮の夫婦岩から六甲山・摩耶山・再度山へ)。 縁もゆかりもないはずではありますが、もしかすると幼き頃に有馬温泉か何かに行くついでに通ったということもあるのかもしれません。もしくは、父が仕事の関係でよく神戸市内中心地方面に行っていたので、温泉レジャーではなく「ついでの付添」みたいな感じで神戸に向かう途中に通ったのかもしれない、とも思います。 しかしながら神戸に行くにしろ、わざわざこのルートを通ったりはしないだろうということを思ったので、

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体験する主体としての一人称感覚

好き嫌いの範疇になりますが、幼少期の頃から「浅いもの」が嫌いであり、浅い付き合いも好きではありません。 「人馬一体」という言葉がありますが、人馬が一体になろうと思えば、相手のことはもちろん自分のこともよくわかっているという状態でなければなりません。その上でいかに信頼し、双方が自己開示するかというところが、人馬一体を叶えるものであると思っています。 それは相手が人でも動物でも機械でも同様です。 人馬一体感 自分が相手を操るという感覚、一方的に自分が相手を利用して楽しませてもらうというという感覚では、「浅いもの」になり

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こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか

「こんな風習がなぜいつまでも黙認されつづけているのか」という風習はたくさんありますが、「いつまでも黙認されている理由」としては、「どちらでもいい」という要素の中、取り留めて被害も少なく、反証材料もないという感じのもの、そして、「採用するにしろしないにしろ、その前提となる全体の構造が不明瞭」というような部分があるような気がします。 「誕生日を祝う」ということすら、祝うということが何なのかよくわからない部分があります。しかしながら、基本的には喜びに即したものであり、費用などの面でも大したことはないのでとくに問題になりま

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風習に無知な旅行者

みなさんの地域ではどうなのかわかりませんが、ここ京都では数年前から外国人、特にアジア系の外国人旅行客に汚染されてきているフシがあります。観光公害というやつです。 最近ようやく条例によって規制が入りましたが、一時期ゲストハウスというものがやたらと乱立し始め、市街地のど真ん中、そして住宅街において外国人がどんちゃん騒ぎしたりするようなことが起こり始めました。 いわゆる民泊というものですが、旅館業の許可得ていないような業者は単に儲けだけを意識しており、下手をすれば外国人がやっているので、迷惑をかけられた上に収益も外国に流

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休憩時間が過ぎれば、いずれまた幕が上る

絶望の淵に立った時、あえて絶望を楽しんでみてはいかがでしょうか。 やることがなくて虚無感に苛まれた時、虚無感を楽しむ時間としてそれを楽しんでみるというのも一つの手ではあります。 またいずれうつテーマにでも書こうと思いますが、感情は抑えずに味わい切ったほうがうまくいきます。 ただ、絶望感なり虚無感なりに苛まれた時は、具体的行動として人や物に八つ当たりしてパワー的に解放しようとしたり、具体的解決策にいきなり奔走しようとはしないほうが賢明です。 そうした行動ではなく、情動、わかりにくければ今感じている絶望「感」、虚無「感

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じろりと白眼をむいて

意図的にじろりと白眼をむいている様はまだしも、日常的に白眼をむいている様は、精神に狂いがあるというか洗脳されている人という感じがします。 比較的最近のことになりますが、経営者会合において「持続可能な云々」の絡みで、外国の十代の人が表立ってスピーチしている動画を観たことがありました。 目がイッています。 ああいうタイプの人は、だいたい誰かにマインドコントロールされているという感じがするのでまともに相手にしてはいけませんし、発していた発言も憲法前文のような譫言感があったので、動画を観ていた社長仲間、士業の方々は、一同「

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こめかみのしこりを揉みほぐし、くじけかける心を、はげましながら

新しい投稿を用意する時、こめかみのしこりを揉みほぐし、くじけかける心を、はげましながらタイピングをすることがあります。 どうもブルーライト的なものなのか何なのか、はたまた指や腕の負担的なものなのか、疲労は、目と合わせて親指、人差し指、中指を中心として溜まり、それが腕、首を経由し、こめかみに来て、結果「顎」に蓄積するという感じになっています。 寒くなってきたこの季節、時折口を開けるだけで「ミシッ」と顎筋肉か何かが引っかかり電気が走ったようになる瞬間があります。そこまで来ると重症です。 撮った画像を整理すべくモニタの画

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秘密の抜け穴

どのような業種でもプロだけが知っている秘密の抜け穴のようなものがあり、それを知っているかいないかで結果に大きな差が生まれたりすることがあります。 その秘密の抜け穴は、現実には隠されているものでも何でもなく、「その領域にいない人としては、目に映っても見えていないもの」という感じのものばかりだったりします。 また、「わかる」と「できる」は全く異なるので、わかっていてもできないという場合もあります。 ということで、そうした秘密の抜け穴については、知っただけで万事解決というわけではなく、一定の全体的な知識やスキルがあってこ

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口に出して呟いて

思うだけよりも口に出して呟いていた方がより強固であり、何かしらに書き出してつぶやいているとより強力となるというのは、アファメーションの原則のひとつということのようですが、僕の場合は昔から口に出して呟いていると、向こうから勝手にやって来るというのが基本となっています。 因果関係の全てが観えないと、変なふうに感じるはずですし、一般的な解釈としては、認知バイアス的な部分として、「意識の向け方を変えれば見える」的な説明がなされたりもします。それはそれでいいですが、「万人が納得しそうな感じ」でしか語られないという感じです。

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総員玉砕せよ! 水木しげる氏

総員玉砕せよ!

「この『総員玉砕せよ!』という物語は、九十パーセントは事実です」 と、あとがき「あの場所をそうにまでして…」で記されているように、水木しげる氏の実体験に基づく「ほぼノンフィクション戦記物」である「総員玉砕せよ!」。 一年ちょっとくらいになりますが、「水木しげる 魂の漫画展」に行った時に知ってその場で買いました。「総員玉砕せよ!」の単行本の初版は1991年10月のようで、その時購入した講談社文庫も1995年6月に出ていたようですが、その日まで存在すら知りませんでした。なお、「総員玉砕せよ!聖ジョージ岬・哀歌」という題

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気に入らない貰い物は、そのまま突き返してやるのが一番だ

「気に入らない貰い物は、そのまま突き返してやるのが一番だ」ということで貰い物です。 人から物を貰うということにあたっては、基本的にはありがたく頂戴したりしますが、そんな中でも一応昔から「嫌いな人からは飴の一つも貰わない」ということを基本にしています。 ということで、物を貰うということについて一元化しているわけではありません。悪意を含めて相手の思いを受け取るのか否か、というところをどう取り扱うのかによって、精神の負担が変わってくるからです。 一応「律儀に反応するかどうか」というところは一種の配慮、マナーとしてきちんと

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悪意に満ちたいたずら

僕がいたずらを覚えたのは中学1年生の時、中学校でできた友だちの影響でした。 小学生の時は真面目というわけでもありませんでしたが、いたずらといういたずらをしたことがなく、その概念すらあまり知らないくらいの感じでした。 現役でもわずかばかりのいたずら癖は残っていて、本ブログにおいても、転載してパクっていく「ブログで稼ぎたい人たち」を踊らせるために、書庫においてありもしない概念をまるであるかのように装い、彼らが引用元表記無しで転載などをした後、喪黒福造のように「オーホッホッホ」と笑いながら、削除するということをしたりして

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顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい

何かしらの犯罪に関しては、「顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい」というのが常であり、赤の他人に対するものであれば、実利だけが目的とされるものの、顔見知りに対するものであれば怨恨というものが含まれるからということになるでしょう。 実利の部分が金品なのか、愉快犯における愉快さなどの無形のものなのかはわかりませんが、赤の他人を標的にしたものであれば、そうしたものを獲得することが目的であり、なるべく無駄なことをせずにリスクを低減したいということは当然という感じです。 というのが基本でしたが、僕たちが中学生くらいのときから「変

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強い仲間意識で結ばれた間柄

いつまでも周りには誰かしら友だちがいるだろうと思いきや、社会生活の中での区切りごとにそうした友人知人はどんどん姿を消していきます。 強い仲間意識で結ばれた間柄というと基本的にはかなり長い間親しく付き合いのある親友たちということになりますが、こうした友人たちとは別に仕事上におけるプロ同士の仲間意識のようなものもあったりします。 今ではあまり積極的に人に会うことはありませんが、それでも先日名刺のストックが切れたので、会っていないようで会っているという事実に気づいたりしました。 しかしながらそれら関係の人は、付き合い自体

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ゴミは砕かれた人間の伝説なのかもしれない

笑う月によると、「ゴミ捨て場から聞こえてくる悲鳴」は、咀嚼されはじめた有用性の叫びであり、「まだ自分がゴミそのものではないという自覚、もしくは幻想」が、かろうじて日常を支えてくれているシャボン玉の皮なのだ、というような感じで描かれていたりします。 咀嚼されはじめた有用性の叫び 「自分はまだ有用性を失ったゴミそのものではない」という叫びは、至るところで見受けられたりします。自尊心の補償というものの一種ではありますが、「まだまだいけるぞ」というような、「老いへの抗い」のような感のほうが強く印象付きます。 老苦の範疇に入

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例外的な偶然の産物

自然淘汰を考える上で重要なのが、誰かしらが何かしらの「違う可能性を試す」という感じで例外的な偶然の産物として生まれ出ることです。 古典的な形で予定説的に考えると、因果は決定しているという感じですが、決定しているのは確率であり、確実の方ではないという感じになります。確率の次も確率ということになれば、それこそ可能性的には無限に不確定・不確実ということになりますが、それでもだいたいの確率でそれが起こるという感じになっています。 時間の概念から考えると「例外的な偶然の産物」が「ご新規さん」として生まれるというより、既に内包

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蜜柑(みかん)

蜜柑(みかん)

蜜柑(みかん)は、ミカン科ミカン属の常緑小高木です。初夏にに梢の葉腋に白く小さな5弁花を咲かせます。そして言わずと知れているレベルになりますが、冬に入る前の秋にオレンジ色の実をつけます。 説明不要なほどの存在なのでわざわざ感がありますが、ちょうどたわわに実った蜜柑を発見したので、写真ともどもという感じです。 蜜柑(みかん)という名称は、字のごとく「みつかん」から「みっかん」を経て「みかん」と呼ぶようになったと考えられています。 果実と果皮(陳皮) 蜜柑(みかん)の果実は扁球形で外皮は柔らかく橙黄色です。実は多汁で甘

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内容の解説は無用

内容の解説がありがたい場合もあれば、「内容の解説は無用」という場合もあります。 そんな内容の解説は無用であるという場合の最たるものは、ユーモアや笑いの類ではないでしょうか。 そうしたものは、解説された瞬間に芸術性、侘び寂び、奥ゆかしさが消えるというのは少し前にも触れていましたが、地域文化的な差ということなのか、地元京都、とりわけ洛中ではタブーである「そうした洒落っ気の部分を私は気付いていますよアピール」をする人がちらほらいたりするので困りものです。 「まだ映画を見ていない人のために内容、特に核心部分については触れな

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廃物、もしくは廃人のイメージ

廃物、もしくは廃人のイメージに一種のかっこよさを感じ、退廃的な雰囲気に酔っているような感じの人もいます。 別に完全燃焼したというわけでもないにもかかわらず、その廃人感に一種の美徳さえ感じ、そこに僅かばかり含まれるような芸術性と同化することで、自己陶酔しているような感じです。 まあそんな人を観察してみると単に何かの資格試験に落ちたとかそうした程度だったりします。 「期待したルートから脱落して絶望」といった感じでしょうか。 ただそうした「期待したルート」すらも、朧気なところか生まれ、虚像を実体であると錯覚して夢になった

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