多少はプロの心境に近づきはじめたしるし

プロというものを定義するにも様々な尺度から考えることが出来ます。一般的にプロと言うと「それ一本で食えるか否か」というような点で語られる事が多いですが、プロの心境ということになると、それそのものに何かしらの楽しみや価値や喜びを見出しているかどうかという点で捉えることもできそうです。

根本的に小学生から脳筋体育会系とは合いませんが、スポーツにしろ仕事にしろ何にしろ、ライバルというものに対する心持ちが、プロの心境であるかどうかを決定づけていくものであると思っています。

ライバルに対する心持ち

勝負事や競争というものは、そのままになりますが、勝ち負けが生まれるということになります。

それをどう取り扱うかというところがプロの心境と大きく関わってきます。

いわば、ライバルというものに対して、自分の名誉や実利に対する妨害者と捉えるのか、自分を高めてくれるものと捉えるのかというのがプロか否かを分けるものになっていきます。

下手に報酬を与えると、それそのものに楽しみを見出していたという状況から報酬を得ることが目的になってしまうというような心の癖があります。

相対的な順位による実利

なので昔から「何かの試合に勝ったら推薦で入学できる」とか「これだけの実績があれば契約継続」いうような制度、つまり、その行為の結果が直接の実利に結びついてしまうという構造は、切っても切れないという部分はありながらも、よほどシビアに考えないと人を堕落させてしまうということを思っています。

でないと、人を意図的に怪我させてまで名誉と実績を獲得しようというようなことを考えてしまうからです。

邪魔をすることを考えてしまう

これは企業の中でも同じで、出世などなどと何かしらの成績という尺度がわかりやすくつながっている場合は、「人を陥れ、踏み台にしてでも」という発想も成り立ってしまいます。

相対的な順位というもので測られるのであれば、それに参加している人たちの邪魔をしていれば、相対的に自分の順位は上がるということを考えてしまうというのは、すぐにでもわかりそうなものです。

そうした構造を防ぐためにと、罰則という抑止力で防ごうとしても、あれやこれやとバレないようにずる賢く立ち回る人も出てきます。

アマチュアの方が純粋な気持ちで取り組むという逆説とアマチュアの責任感の問題

そうなると、それで食べているという意味ではプロかもしれませんが、「プロの心境」としては、報酬をもらうどころか、逆に費用を払っているくらいのアマチュアの方が純粋な気持ちで対象に取り組むという逆説が成り立ってしまいます。

ただ、そうした側面はありながらも、アマチュアというものは責任の面で脇が甘かったりもします。

「相手は虎の子のお金を出してくれている」ということから生じる責任感の面で、アマチュアは費用を出しているくらいなので責任から逃れることができます。

なので、プロとアマのそれぞれの良いところだけを組み合わせて行くことが、本来の理想的な「プロの心境」という感じになるでしょう。

物事の完璧さプロの定義

笑う月(一覧)

Category:笑う月

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ