お互いに素直であれば仕事は驚くほどうまくいく

何だかんだで会社を創業してから結構な月日が流れました。それで今までに取引した中でうまくいっている人を観察していると共通点として「素直さ」が際立つ感じがします。

お互いに素直であればいろいろな仕事は驚くほどうまくいきます。

まあ確かに世の中には悪徳業者もいて、そうでなくても騙し要素が含まれているという面も多々ありますが、「1ミリも損したくない」と血眼になってアラ探しをしたり、駄々をこねてたくさん業務をやらせようとしてみたりするより、結局投資で言う「成り行き」のような感じで気楽にやった方がうまくいきます。

素直さがないとトータルで見れば結果的にかなり損をする

いろいろと検討や交渉をしている間の機会損失や、相手のコンディションや相手との親和の低下による能力の出し惜しみや「仲良くもないのに無償サービスなんてとんでもない」という気持ちが起こる点等々、トータルで見れば結果的にかなり損をしていることになったりすることがよくあります。

あくまで経験上ですが、「権限のない担当者を前に出してきて、決定権がある人は奥で文句を言うだけ」という場合や「1から10まで自分を納得させてほしい」というような人相手の場合は、仕事は数倍の労力がかかり、結果も半分以下になります。

こちらもあちらも無駄な対応の時間・労力・コストがかかる上に、意識が散漫になりやすいからです。

部分的な偏った知識から起こる気がかり

近年では、素人でもある程度インターネットで情報を仕入れることができるようになってきたからか、全体を見る目は素人で、部分的に偏った知識を持っている人がやって来ることが多くなりました。

「よく見ると関連してはいるものの少し畑違いの点」について「ある記事では〇〇と掲載されていたはずなんだが」というような引っ掛かりからか、「納得できない」的な感じで意見してくる人もいます。

しかしながら、そもそも論点がズレていたり、全体を見た上での見解ではないというものばかりとなっています。

一方、うまくいっている人は「玄人に任せます」というのが基本で、質問自体してこないという感じになっているため物事のスピードが早く、気力等々の消費も少ないという感じになっていたりします。

「我執」と「素直さ」

また、質問があるにしても根が素直な人は、同じような疑問でも疑問を持つ点や問いかけ方の様子が異なっています。

その違いの根本にあるのは、「多少の損失の受け入れ」や「最適解はなかなか出せず、出そうとすれば大きなコストがかかる上に結果は近似解と変わりない」ということを知っているという点もありますが、それを含めて無駄なプライドがないという点が大きいという感じになっています。

「その分野は専門ではないが、私の方が頭がいい。私の方が人間として優れている」

というような自尊心の欠落から起こる我執が無いというような感じです。

時間・労力・コストを含めて、お互いに最適な感じで楽に「結果」を出しましょう、というのが基本的な姿勢になっているという感じになるでしょう。

「100回やって100回とも当てなければならない」というような執著もありません。

公務員に多い「私達が間違うわけがない」というような感じでもありません。「何回かに一回は外れる」どころか、「何回かに一回は当たる」くらいの感覚です。

素直さと言えば松下幸之助氏がよく用いていましたが、ここで言う素直さは概ね彼の解釈と同じように「人の教えを受け、それを踏まえて本質を見る」というような素直さであって、自分の頭で考えず相手の言うことを鵜呑みにするというということではありません。

参考までに引用しておきましょう。

「素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通ずる心であります」

互いに素直さがあれば意思の疎通も円滑になり、互いの潜在的能力も引き出しやすい

業種にもよりますが、世のサービスにはかなりの比重で相手へのカウンセリングのような部分が含まれています。ちょっとした料理店で店主が話すような店などでもその要素は結構大きめです。

そして最近ではよくエビデンスという言葉を使う人がいます。

その影響からか、膨大なデータを示したりしないと納得しないというような人がいます。しかし、データはデータであって単に相関を示すだけという場合もよくあります。

そんな人を説得するだけで相当の労力が必要になります。納得したい気持ちはわかりますが、自由競争経済社会は学校ではありません。それ相応のコストを覚悟してもらわなければならないという感じになります。

その業種にいるわけではないので詳しくは知りませんし、聞いたような話ですが、例えばお店のロゴなどをデザインする等々においても、「一発で決まるのであれば数分の1の値段でも良い」と思っている人は多くいるはずです。

それをやれ「友だちに聞いたらイマイチだと言われた」とか、やれ「たくさんの案から選びたい」というようなことを言われるのであれば、そこそこの値段設定にしなければならないというのが実情ということのようです。

デザインにおいて「なぜそれにしたのか?」という根拠の説明ばかりを求められると困りますが、業種は違えどそれと同じようなことをしている人が意外と多くいます。

「前提となる知識を教えるだけで1年かかりますけど」

と言いたくなるようなほど根拠を求めてくる人もいます。

互いに素直さがあれば意思の疎通も円滑になり、また、互いの潜在的能力も引き出しやすくなるためスピードも早く、結果的にローコストハイリターンとなります。

目指しているものが業績的な結果であり、互いに同じものが見えていれば物事はうまく進みます。

一方、その中に「自分は優れていると証明したい」とか「スベった時の恥は相手にかかせたい」というようなものが含まれてくると厄介です。

うちの会社のお客でも稀にそんな「納得させて系」の人が混じっていますが、個人的には別にお客に素直になって欲しいとは思いませんし相応の費用をいただいています(むしろ自分が相手に伝えすぎているくらいです)。

また、ひどい場合は相手にしないため、困ったことは起こっていません。

そして何だかんだで素直な人ばかりが顧客になるので、簡単にうまくいっています。

うちの会社の常連さんで最高に素直な方は、

「こんな感じで進めますがどうでしょう?」

と言うと

「はいはーい!お願いしまーす」

と20秒くらいで話が終わったりします。

また、先方から電話があって

「こんな感じのことを考えてるんですけど」

「じゃああんな感じのことを試してみますか?」

「じゃあひとまずそれでお願いしまーす」

というような1分程度の会話で大きなお金が動きます。

そしてそんなお客さんはさらに業績を伸ばすので、さらに追加で仕事がやってきます。

そんな人達と一緒に驚くほど簡単に企業を成長させていければ良いと思っています。

まあこれは、事業だけでなく、家庭の円満や社会の平穏にも通じるような要素であると思っています。

Category:company management & business 会社経営と商い

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ