鞄を持たずにいれば

本能的な「保存・貯蔵」の意図が反映されているのか、女性というものはほとんど必ずと言っていいほど鞄を持っています。鞄を持たずにいれば逆に不審がられるというレベルでそれが普通ということになっており、どこにいても鞄なしの人を発見する方が難しかったりします。

そんな感じで、普通は持っているという感じで捉えられているものを持たずにいると、持っていないことや何もしていないことの方が不思議がられ、時に不審がられるということがあります。

その代表例は、たまに乗る電車の時です。駅のホームで電車の到着を待っている時に「何もせずにいること」が不審者の挙動に見えるのか、やたらと視線を感じることがあります。

誰かと一緒で話しているわけでもなし、音楽を聞くわけでもなし、スマートフォンの画面を見たり本を読んだりしているでもなし、ということになると、「この人は何かを企んでいるのではないか?」というレベルで不審者扱いを受けるような感じです。

普段電車に乗らないので、そうしたスキマ時間の利用という局面があまりないということに加え、自分としては、駅のホームから見える景色や「駅を行き交う人」というものを見る事自体が稀なので、観察してみようという感じで過ごしているわけです。

旅行者でもなさそうな雰囲気で行うその行為自体が不審者感を出しているということになるのか、排除対象となる異物として捉えられているような気がします。

まあ実際に、そうした電車の利用自体が日常ではなく、だいたい何かの会合に向かう時くらいしか利用しないので、その人達からすれば異物であるという方が正しいということになるのでしょう。

そしてさらに、そうした電車利用の際は、時に「スーツで手ぶら」という、世間的には謎の風体なので、さらに異物感がするのではないかと思います。

「スーツ姿なら普通ビジネス用の鞄くらいは持っているだろう」という普通の感覚から乖離しているというのがその原因になっていると推測できます。

「スーツで手ぶらで待ち時間に何もしない人」というのが世間的には不審者ということになるのでしょうが、まあそれら判断をする人たちの感覚とは、少し異なった感覚で生活をしているので致し方ありません。

鞄で思い出しましたが、そういえば勤め人の頃の上司でトップセールスだったある人は、初訪において鞄を持って行かないというスタイルを持つ人でした。

「鞄は持っていかないんですか?」と聞くと

「え?重いだけでしょ?」と答えられました。

結局「クリップボードとコピー用紙とペンだけで十分」ということのようで、それが「仕事の上で欠かすことの出来ない道具」で触れていたように、僕の中でずっと七つ道具として君臨しています。ということで、彼から学んだことも数多くあります。

そういえば、法学部生でありがちですが、法改正されていない程度の古本という限定付きであるものの古本屋でポケット六法、デイリー六法などをもう一冊買い、民法等々「よく使う部分」を切り取ってホッチキスで止めて持ち歩くということがなされていたりします。

そんな感じで工夫次第で様々なシーンにおいて「鞄なし」でもいけるはずですが、鞄あり前提だとそんな工夫すら出てきません。

和食における「引き算の発想」のように絞っていけば、様々な煩いが減ります。重さだけでなく「微かながらにも気になる対象」も減るので、その分だけ気も楽になります。

Category:笑う月

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