万一の僥倖をたのんでの事だろうか

万一の僥倖をたのんでの事でしょうか、定型文的な営業メールが未だによくやってきます。

まあ営業メールにおいて、調べても出てこないような業務形態のあり方が垣間見れたりするので少し面白かったりはするのですが(めったに体験を語らない)、もうそろそろいい加減にそうした文化は廃れていけばいいと思っています。が、それでも一定数の人が引っかかるからこそ今でもそうした手法が取られているのでしょう。

こうした旨は、数撃ちゃ当たるの発想と営業代行で触れたりしていましたが、最近来たものはもっとひどく、差出人としての名前と、文末の署名欄がバラバラというものがありました。いわば、今までは2名の名前で交互に営業メールが来ていたのですが、先日来たものは、その2名がごっちゃになっていました。

すなわち、差出人として「株式会社〇〇の△△と申します」から始まり、文末は「株式会社〇〇 営業部 ☓☓ ▽▽」と別人の名前になっているという感じです。

ここまでくるともうふざけているとしか思えないという感じになります。

こうした業者に限って「配信停止はこちら」などと、URLを載せていたりします。

少なくとも自分が問い合わせやメールマガジン登録をしたというのならまだしも、一方的に送りつけておいて何様かという感じです。(特定電子メール法に抵触する一方的な営業メールと「配信停止」)。

というようなことを「相手に思われる」ということすら検討できないのは愚かに見えます。ということで、「情報化社会の合理化がもたらした愚かさの加速」という感じがします。

生き物としての物理的な臨場感

と、先日の営業メールで思ったわけですが、情報空間に晒されているとやはり頭が変になっていくのではないかということを思ったりしました。

ついでにいうと、先日、たまたまの機会があって某世界的IT企業の人と話をすることがあったのですが、やはりその人も変でした。通常の「生き物としての物理的な臨場感」が低下しているということなのか「情報空間に侵食されている」という感じで、そのうち危ない事件を起こすか、発狂でもするのではないかという印象を受けました。

違和感を感じる部分

まあ単純なところでは、先の「配信停止はこちら」みたいな感じで、機械的には合理的なのかもしれませんが、「人の心情としては違和感を感じる」というような点が、どんどん見えなくなっているというような気がしました。そうした違和感を感じる部分が多々あったという感じです。

生身の人の意識というか、日常的で感情的な感覚がどんどん薄れていっているような気がしました。

感覚がズレていると言うよりも、もはや検討の対象にすらなっていないという感じです。

世界的IT企業のエンジニアの方々の自殺率が非常に高いということの理由が垣間見れたような気がしました。

目の前の現実から全体の統計へ

先日、大学生や高校生とお話する機会がありましたが、特に何の違和感もなく、いい人ばかりという印象がありました。まあそんな感じでリアルに人と会う場所に来るような方々だからという面もあるでしょう。一方、近年世代を問わずインターネット空間で強気でもリアルで会うと弱気になるか、空威張で虚勢を張るかという感じの人がちらほら登場してきたような気がします。

結局人がそうしたふうになっていくのは、インターネット等々仮想の情報空間への臨場感が強すぎて、頭に血が上り、腹に血がいかないというような構造が関係しているような気がします。

何事も規模が大きくなると人の命の捉え方は統計の数字になりやすいという感じで「目の前の現実から全体の統計へ」というふうになりやすくなっていきます。

そんな感じでインターネットやコンピュータの利用が日常化すると、何でもかんでも統計の数字や言語データとして捉え「生き物として取り扱うべきところが無視される」というような風になっていってしまうという恐ろしさがあります。

なので、仮想的情報空間に晒される機会が多い人ほど、矯正の意味を込めて時にリアルな空間に没入する方が望ましいという感じになるでしょう。

そういうわけなので、本日は雨でしたが、あえてカッパを着てバイクで走ってみました。

合理性からはかなり逆行しているはずですが、心地よかったですよ。

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