白露の歪み

毎年のことですが、9月も中旬に差し掛かると、腹具合を筆頭に一気に気を引き締めざるを得ない状況になります。

秋を感じる空気自体はキレイなのですが、その美しさに騙されてはいけません。

季節の変わり目の体調の崩れというものもありますが、それと同調するように人々の気分も変化してきます。

そういえば毎年のように概ね8月中旬からこのシーズンあたりの間に、お客が横暴になり始めたり、変なお客がやってきたりと、事業関連で問題が起こりやすいという感じになっています。

「どうせ2月と8月は儲からない」というのが世間でも定説付いていることに加え、そうしたトラブルの起こりやすさを知っているので、毎年7月末までにほとんどの仕事を仕上げ、10月くらいまでできるだけお客と関わらないことにしています。

「8月は儲からない」というのは、暑さで頭が働かないからという感じですが、その余波によって「9月はお客が変になる」というのが僕の中での定説です。

急変するお客の態度や変なお客の到来

お客が横暴になり始めたり、変なお客がやってきたりという事が起こる流れは次のような感じだと思っています。

まず春先に気分がウキウキになり、新しいことを始めてみたいという気分になり、ノリノリでやってきます。

そして、夏頃になると、暑さから頭が回らなくなり、体へのダメージからイライラも募ってきます。

それがピークに達してくるのが、盆明けくらいでその時期になると横暴になってきたりします。まあ八つ当たり的なものでしょう。

そして、夏の終りは空が気まぐれであり、気圧の変化が激しく、ゲリラ豪雨がやってきたり雷がやってきたりします。それで夏の間に疲労を溜め込んだ体がさらにどんどん不調になってきます。

その後、今の9月中旬くらいになると、暑さは和らいでくるので、若干ですが頭は回り始めます。

春や初夏のウキウキ気分から、暑さであまり何も考えられない状態を経て、今の白露のシーズンを迎えるという形になります。

夏の暑さで得た疲労の影響で体が弱る中、春からの出来事を思い返す際、夏の暑さによって頭が一度吹っ飛んだ形になっています。さらに天気の乱れによって気分も不安定です。

「春先の記憶」が曖昧になり、「実はこうだったはずじゃないか?」などと自己都合、自己保全のための歪んだ解釈が起こり始めます。

そしてまだ若干しか頭が回っておらず、思考よりも感情優位になっている状態であるため感情面で横暴な主張をしてくるという感じになります。

というのが僕の経験則から導き出した一連の流れです。

その背景には「今の弱った自分に負担をかけたくないので、相手にやらせよう」という感じで勝手に「その部分は相手がやるはずだったはずだ」ということにしたいという「弱った体からの命令」という要素があります。

また、変な客がやってくるという点に関しては、その人達は以前利用していたところに横暴なことを言って嫌がられて「お引取りください」と返されたから「別のところを探してやってきた」という感じだと思っています。

広い意味での営業活動を自粛

まあそれが社会全般で起こっていることなのかどうかは知りませんが、少なくとも僕は社会生活の中でそんなことを感じているので回避するということも含めて意図的に予防したりしています。

自分が前に出ないというだけでなく、周りの人たちにも根本的にあまり動かないようにしてもらっています。

つまり、広い意味での営業活動を自粛するということになります。無理に前に出て新しいお客と出会おうとしたりしても、どうせ今のシーズンに出会う人は、全シーズン中の他の期間と比較するとあまり良い客層ではなかったりしますし、既存の顧客に関しても変に刺激をしないようにするという感じになります。

その分裏方の事務処理的なことをしておいて、その他のシーズンの事務負担を軽減しようという形にしています。

譫言と感情的捨て台詞

この手の季節の変わり目におけるお客の態度の急変の様子や変なお客の「変な感じ」は、酔っ払い的であり譫言や感情的な捨て台詞が多いと思います。

横暴な変化としては、契約書や過去のやり取りのメールなどを見ればすぐにわかることを、確認もせずに「聞いていない」などと言ってきたり「そんなつもりじゃなかった」などと言ってきたりする感じです。

まさに一度記憶が吹っ飛んだ後という感じです。

自分では動きたくなかったり、追加でお金を払いたくないという自己保存の意図が働き、「相手を無償で働かせよう」ということを意図し始めるのでしょう。

まあごねたところで証拠はありますからそれ以上は何もしてこないのですが、それら証拠のことを言うまでは気づきもしないということで酔っ払いレベルの思考力です。指摘するとしばらく黙って感情的になるというのが関の山です。

以前にも触れていましたが、感情的に「残念です」とか「いい人だと思っていたんですけどね」系で情や自尊心に訴えかけてこようとするパターンに移行します。まあこれは恋に負けた側の捨て台詞のようなものです。

こうした傾向は、ごく一部の人達だけでなくある程度全体的に起こりますが、態度の変化のあり方を観察するとその人の根本人格や精神の成熟度などが見れて面白かったりします。

「根はどのような人か?」ということが見えるという感じです。

思考力は鈍り、多少の解釈変更があったとしても「自分の勘違いかもしれない」という部分を残しながらやんわり質問をしてくる人と、自分の解釈間違いや確認不足を絶対に認めず、指摘しても無視して別の話題に変えようとする人まで多種多様です。

「素直さ」や「解釈可能性を頭に入れているかどうか」という部分が見えるので面白いです。まああと世話をしたい方か、されたい方かすら見えてきます。

変なお客に関しては、いきなり横柄に「負けろ」的なことを言ってきたりする人もいます。そうした人は、結局難癖つけて代金を踏み倒したり、さらに値切ったりするので最初から相手にしません。本当は違うのかもしれませんが、それに関わる人達の気力の浪費などを含め事業の効率を考えて相手にしないという選択をしているという感じです。

また、なるべく等しく扱った方がいいという感じでも捉えることもできますが、横暴な人と素直な人を同じように扱うことは、それはそれで対応等にかかる時間などを含めて等しく扱うことにはならないと思っています。

一年は12ヶ月ですが、売上目標のようなものを均等に12等分にする必要はありません。個人的には基本的に長期スパンで考えるので、無理をして変な時期に踏ん張ったりはしないということにしています。


突然横暴になったり解釈変更をしてきたり、譫言と感情的捨て台詞を吐いてきたりといった人の態度の変化は人間不信に結びつきそうなものですが、そうした変化が起こる可能性を含んでいるという前提で接していれば特に憂いはありません。広く諸行無常ということになりますし、そう捉えておくと感情的にも憂いはなく、社会的な関係についても未然に予防策を講じることもできます。

人を信用することと人間不信

Category:company management & business 会社経営と商い

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