飯に行く

中学生の頃からでしょうか、昔から「今度、飯でも」という言葉には違和感を感じていました。

何かと「飯にでも」という言葉が使われますが、まず前提として食事自体はなるべく一人がいいと思っていたりもします。

それはさておき、社交の場においては、どうしても「まあまた今度、飯でも」というような言葉が使われたりします。それで、その「今度」があった試しは無いとは言いませんがほとんどありません。

そういえば幻冬舎の見城さんとサイバーエージェントの藤田さんの本にもそんなことが書いてありました。

行く気がないのに、今度、飯でもと誘うな

憂鬱でなければ、仕事じゃない

この違和感を徹底的に考えたことがあります。特に社会に出てからは頻繁にこのような「今度飯でも行きましょう」という言葉がやり取りされています。「行けたら行く」が京都では「行かない」とほぼ同義語である中、僕はこの言葉を発した時にはいつも本当に行くように心がけていました。行けなかった時でも連絡はとります。

確かにこのような「フリ」があって、本当に行くようなら何かしらの期待感や「おもしろそう」があったので実現したというようにも取れますが、本当に行く気がないならそんな事は初めから言わないことです。僕は昔から社交辞令でも絶対に言いません。

この言葉の裏には「お前には興味がないけど、興味があるフリをしてあげます。自分はいい人だと思われたいからね」という気持ちの動きがあります。

その前にこの言葉には少し変な点があります。なぜ、今度なのでしょうか。

飯に行くなら今すぐ行け

今度、と言わずに今すぐに行けばいいのではないでしょうか。本当は今すぐ行きたいが、今は帰らなくてはならない、ということになれば、次に会う約束が確定します。今すぐ行く気にならないのに「今度飯でも」というのは、その今度はどのタイミングなのでしょうか。

「究極に暇なときの時間つぶし程度なら結構ですよ」

というような気持ちも含まれているのではないでしょうか。

そういう気持ちを相手に伝えることになります。つまり社交辞令で「いい人だと思われよう」と思ったにも関わらず、むしろ「宣戦布告」のようなことにもなりかねません。

安易な約束

相手の関心を少し引くために「今度、仕事お願いしますね」と言って、数ヵ月後に別の業者に頼んでいる人がいます。それは結構なのですが、それに加えて、そんなことを言ったことを完全に忘れて、技術的なサポートだけおねだりしてきたりするわけですが、そういう人の神経がわかりません。

社交辞令なのか、多少は本気だったのかわかりませんが、そう言う言葉を安易に発すると、信頼は一気に崩れます。そのようなことを言わずに、サポートの依頼をしてくる方がまだマシ、ということはそんな事は安易に言わないほうがいいということになります。

やる気がないなら、社交辞令はしないほうがいいと思います。

そもそもなぜ飯

ランチョンテクニックという言葉が世に普及しだしてからですが、食事とコミュニケーションは、かなり相性がいいことになっています。

僕は親友と遊ぶときはほとんど一緒に飯に行った記憶がありません。丸一日一緒にいるときなら、空腹も当然に訪れるので、一緒に食事をとりますが、考えてみれば「一緒に飯に行こう」と誘ったことは一度もありません。あったのかもしれませんが、ひとまずは思い出せません。

満腹感と副交感神経、などなど、専門的な解説がよくされます。それも多少の影響はあるでしょうが、そんなことよりもっと重要なのは「間(ま)」です。

仲良くない人とお話すると間が持ちません。つまり一緒に飯は、言葉に詰まった時に、気まずくならないように食事で「間」を埋めながらお話しよう、ということです。仲が良ければそんな穴埋めは必要ありません。

デートにいろんなところに行くのは「間」への恐怖です。ただ、カラオケなどに行ってしまうと、お話ができません。本気でコミュニケーションをとるにはそんなところに行ってはいけません。

デートどころかほとんどの遊びは「間」を埋めるためのものです。仲良くなりきれない人達が集まった時に、他のことに意識を向けて、間を埋める行為です。つまりは言い訳です。

「今、他のことに意識が向いてしまって、あなたとのコミュニケーションが途切れましたが、それは意識が他に向いてしまったからで、あなたに関心がないわけではありません」

というようなことです。相手も同じなので、少しは気がほぐれます。このような補助輪アリの状態で、ひとまずは意思の伝達をしていきましょう、というようなことです。

「今度、飯でも」は、あまりうまくいかない

「今度、飯でも」という言葉を発している時の状況にもよりますが、ひとまずそんなことを言わずに、その場で話し込むべきです。その場で話し込むことを断られて「今度、飯でも」と言われたなら、もう一生関わらなくていいかもしれません。

今でも仲のいい社長仲間の人たちは、飲み会のあとでも一緒にラーメンを食べに行ったような人たちです。「三次会、ラーメン行く人!」という掛け声のもと、一緒に行ったわけでもなく、外で話し込んでいるうちに、「じゃあ一緒に行きましょう」、となっただけです。

安易な「今度、飯でも」という言葉は、一瞬、仲が近づいたかのように思いますが、全く逆で宣戦布告というか「あなたには関心がありません」と言われたようなものでしかありません。その場で、実現しないようなものは遠くに追いやるべきですね。ということで、自分では絶対に発してはいけない言葉の一つということになりましょうか。

Category:company management & business 会社経営と商い

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