ジグソーパズルで高まる集中

ジグソーパズルで高まる集中力

先日から、ちらほらとジグソーパズルを楽しんでいます。

ジグソーパズルを楽しんでいる時は集中力が高まりますし、そうして高まった集中力がその後も続いています。

20歳過ぎくらいの時はよくジグソーパズルを楽しんでいましたが、かなりのブランクを経てまた楽しむことになりました。

きっかけは、水木しげるロードにて自宅用土産にとゲゲゲの鬼太郎ジグソーパズルを購入したことでした。しかし、300ピースのため、すぐに終わってしまいました。なので「次は1000ピースだ」ということで、リサとガスパールの1000ピースにチャレンジしています。

20歳ごろにジグソーパズルを始めた時のきっかけは、単純にビル・ゲイツ氏が「ジグソーパズルは楽しいぞ」というようなことを何かで書いていたからという感じです。彼の影響により始めたという感じでした。

一つのことに集中していると、その他のことは無意識が処理してくれるという面もありますし、何より集中している時は、その集中度合いに応じて楽しかったりします。

高まる集中力の度合い

ジグソーパズルをしている時に高まる集中力の度合いは凄まじく、気づけば10時間くらい経っているということもざらにあります。

仕分け分類に始まり、色彩や形状から論理的に確率を高めていく、といういゆる左脳的な戦略の時もあれば、寝起きのぼ~っとした頭を用いて、直感で空きを埋めていくといういわゆる右脳的な作業を行う時もあり、頭を総合的にフル稼働させているという感じがジグソーパズルの醍醐味です。

基本的に目を酷使しているはずですが、パソコンなどをよく使う日よりも圧倒的に目は楽であり、肩や首や腰が疲れてきたりもしますが、それらは「一日寝れば治る疲れ」であり、健全な疲れ方という感じがします。

集中力が高まっているからということになるのか、体はほとんど動かしていないのに、体がカーっとしてきます。

ジグソーパズルとその他のパズルゲーム

何だかんだで一番好きなゲームはパズルゲームですが、ぷよぷよのようにある種アクション性のあるゲームとは異なり、元祖・純パズルゲームたるジグソーパズルは、焦りや深読みの必要がないので、純粋に楽しむことができます。

リアルタイムのアクション性が少ない方が好きな傾向にあり、パズルゲームの次はシュミレーションなどが好みだったりします。

しかしそれらには相手がいて、相手に勝つための戦略が必要になります。それはそれで楽しいのですが、純粋に混沌から秩序へという感じを楽しむにはやはりジグソーパズルが一番だと思います。

パズル的な性質が強い、上海(牌を消すゲームの方)やマインスイーパも好きなのですが、時間的焦りがあったりもしますし、ミスが原因で、手詰まりやゲームオーバーにもなってしまうという性質がくっついていたりします。

それらを全て排除して、純粋に「まとまりを形成していく」という感じを味わえるので「やはりジグソーパズルが一番純粋なパズルゲームだなぁ」と思ったりします。

ふわっと見える瞬間

ジグソーパズルで高まる集中

ジグソーパズルの他、クロスワードパズルでもあるような現象ですが、「空いているところを埋めてやるぞ」と、やたらに執着している時は上手くはまらず、一息ついてぱっと見直すと、スコンとハマるピースやワードを発見することができるという瞬間を味わうことができます。

また、それまではちらほらと予測で埋めようとしていたものの、ハズレばっかりだったり、全く検討もつかない状態だったものが、その場所に隣接する他の部分が埋まった瞬間に、ふと、ハマるピースがふわっと見えたりもします。

「さっきまでの苦悩は何だったんだ?」

と思えるような瞬間ですが、まさに「執着を手放して無意識に任せると最適化される」ということの表れを実感するような瞬間です。

直感の働きが鈍ってきた時は「確率論的な確率を上げる作業」が功を奏す時もありますし、それで煮詰まってきたときには一息ついて、また直感に頼るという方に戻るという感じになったりします。

そんな感じで、頭の使い方にしても、集中のあり方にしても「一様ではない感じ」を味わうことができます。

集中によりその他の対象が最適化される

ジグソーパズルをやり込むことで生じる面白さの一つが、あまりの集中により時間を忘れ、そうした極度の集中によりその他の対象が無意識になり、勝手に最適化されるという部分です。

かがんだ姿勢などを続け、若干体は傷んだりしてきているはずですし、カーっとなったりして息も荒くなったりしていたはずですが、翌朝は頭がスッキリしていたりします。

ジグソーパズルに挑んでいる時、頭は脂ぎり、背中は丸まって「はぁっ」と連続して溜息を継いていたはずですが、翌日になると頭は爽快です。

ということなので、やることなすことがパパっと終わっていきます。

混沌・無秩序の状態から、秩序ある状態へと変化させていく楽しさ

ジグソーパズル 秩序ある状態へ

ジグソーパズル 秩序ある状態へ

ジグソーパズルの楽しさは混沌・無秩序の状態から、秩序ある状態へと変化させていくという点にあります。

ジグソーパズルをしていて途中でふと思い出したことは、かつて会計処理をしていた時に同じような感覚を経験したことがあったということでした。

しかしふと振り返ると最近ではそんなことを全く思ったりはしませんし、むしろ雑務的に感じてしまったりもしています。

まあ決まりきったものを処理していくということ、そして、混沌・無秩序の状態から、秩序ある状態へと変化させていくという感じは、後処理的な会計と似ているところがあります。

しかしながら、ある程度の経験を経て、税務や財務的なテクニックを知っていくに従い、「後の処理」ではなく、「後の処理を考えて」という要素が加わっていったせいか、純粋に秩序ある姿へと変化させるという作業を純粋に楽しめなくなったという感じになるのでしょう。

いわば、ジグソーパズル的な感じに寄っていた会計処理が、シュミレーションゲーム的になってしまったという感じです。

というようなことすら考えさせてくれるジグソーパズル。

まあたまに楽しむには最適の遊びだと思います。


ジグソーパズルのような原始的で直接光を浴びない純粋なゲームも集中力を高めたり、程よく頭を動かしたりするのによく効きますが、一般的に批判の対象となりがちなテレビゲームにおいても、モノによっては、「ルールを理解し、効率も考え、先読みもする」という属性を持っていたり「一つの物語を深く読み解く」という経験をもたらしたりもします。そして「ゲームのように面白くやるとすぐに達人になる」ということに気づくきっかけにもなります。

ゲームと知能

Category:miscellaneous notes 雑記

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