けふは誰某がよき京入なる

京という字だけで都を表すとなれば、京都はみやこにみやこを重ねるという感じになっています。という僕たち京都人の感覚から言ってどう取り扱えばよいのかわからなくなるのが世間一般的な「上京」という言葉です。

さらに上京区民ならもっと「上京」という言葉に違和感を感じてしまいます。第一に「かみぎょう」と読んでしまうはずです。

そういえば、イスラエルのエルサレムやトルコのアンカラに行った時にふと思ったことですが、古くからある首都というものは結構内陸にあるものなのだなぁということを思いました。

イスラエルにおいては、経済の中心、そして国際的な首都は沿岸部のテルアビブということになっていますが、自国民の間ではエルサレムということになっているようです。というより聖都としてアブラハム系の宗教においては当然に都として捉えられている感じになっています。

またトルコにおいても経済の中心は沿岸部のイスタンブルですが、首都は内陸のアンカラであり、その他訪問したところで言えば中国においては上海に対する北京がその代表例になるでしょう。

経済の中心は貿易がしやすい沿岸部になることが必然という感じがしますが、逆に水害などの関係で首都としては避けられる傾向にあるということになるのかなぁと思いました。

海からそれほど離れてはいないものの一応内陸で災害に強い場所という感じの設定が多い気がします。

音韻的な言語障壁

これは江戸弁やその他関東地方の方言ではなく標準語というものに関することになりますが、京都において排他性をもたらしてしまう障壁となるのが音韻的な言語の部分です。

京都弁は国内で最もイントネーションパターンが多く、クリティカルエイジでも無い限りなかなか習得することができません。

地方から京都にやってきた人が時の京都弁を使いこなすという様を見たことがありません。その一方、京都人が標準語を習得することなど瞬間的な作業で終わってしまうという感じになっています(発想の種子の、登場のしてきかたのさりげなさ)。

標準語と京都弁を対比した場合、ラップとジャズボーカルくらいの差、打ち込みと管弦楽くらいの差があるという感じになっています。

違和感が生む排他性の背景

というそんな部分が違和感を生み、内か余所かを無意識レベルで選別してしまうという部分があります。

通常「そんな排他的な考えはよそう」という感じになりますが、都人には都人なりの言い分があります。

それは「既に解決済みのトラブルを知らず、経験しておらず、過去に出来上がっているルールを破るかどうか」というところの面倒くささが関わっています。

それは、誠実な遊戯で触れていた「二回説教しても治らない路上駐車」などが良い例でしょう。古くから人が多く住み、既に大昔に同様のトラブルが起こっていて既に解決しているような事柄から発した、「そのエリアにおいて形成されていた当然のルール」の基準が違うということになります。

端的には「余所者は厚かましい」という感があるというやつです。

特に顕著なのは車に関する点ではないでしょうか。

例えば京都では、洛中から外れていくに従い、大通りにおける右折のあり方が変わってきます。ある交差点を境に段階的に、店舗駐車場に右折で入るか否かが変化していきます。それはそれで交通量の関係なのでいいのですが、他府県ナンバーの車が洛中に入ると地元の感覚で無理に右折したりしてくるわけです。

そして譲らない地元民に怒りをぶつけてくる、という格好になっています。

「帰れ、というより、来るな」

という感じになってこないでしょうか?

そして少し洛中から外れるだけでも、勝手に家の前や横に車を長時間駐めたりしてくるわけです。

そして挙げ句「お互い様」というようなことを言ってきます。

その無い頭で考えてみよう、もともと自分の家の前に駐められなからうちの前に駐めているという中、僕が君の家の前に駐めることがあると思うかね?

ということを出だしから避けるために言語的な違和感から排他的になってしまうという感じになっています。

もちろんそうした排他性の裏に自尊心が関わっている人たちもいるでしょう。しかし、傲りからくる排他性のように見えて単なる傲りではない部分があることをお忘れなく、というのが都人の言い分となりましょう。

安易に京都入は避けた方が無難

これは地元において長年観察してきたデータからの推論になりますが、「京都に移住」的な感じでやってきた人のうち、比較的年齢が若い人であれば大丈夫なものの、中年以降にやってきた人たちにおいては、男性は急死、女性はまれに発狂ということがよく起こったりしています。

実家の町内においては、転入後約1年以内に男性側が亡くなったりすることが多く、女性は精神疾患になるということがよく起こっています。

大丈夫な人は比較的若い人か、もともと京都の何処かに住んでいた人くらいで、地方からやってきた人においては、不思議にすぐに亡くなってしまうということがよく起こっています。

女性の発狂率はまだ低いですが、男性の死亡率はびっくりするくらい高く、地元では密かに呪いと扱われていたりもします。

というとオカルトのようですが、要因として考えられるものはいくつかあります。

ひとつは何の科学的根拠もありませんが、地元に生息しているカビや何かしらの磁場などが合わないというもの、もうひとつは、社会的適応の問題で言語障壁等々から慢性的な緊張が生まれ、病気になってしまうというようなものです。

いずれにしても若いうちであれば共生できますが、年老いてからとなると適応が間に合わないという感じになりそうです。

カビ等々が疑われるという点は、実家の町内においてどうしても通りの西側は男性が亡くなり、東側は女性が発狂したり寝たきりになるという事が多いというところから来ています(逆に考えれば、西側の女性は大丈夫で、東側の男性も大丈夫という感じになっています。また危険を察知してか、西側は男性が家を出ていったり、東側は女性が出ていったりしています)。検証していないので詳しくはわかりませんが、30年以上の観察の結果そのような傾向自体はあります。なお、近隣に寺が多く墓が以上に密集しているという点も推論に関わっています。

けふは誰某がよき京入なる。

唯、適応は困難なり。

Category:菊花の約

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