入力の品質と食事

食べ物の美味しさを最大限に味わおうとするならば、素材や調理法を含めて料理そのもの出来ばかりに着目するのではなく、食べる側の感受性にも着目する必要があります。

受け取り手の集中力が低く、今現在の感受性が低下している状態では、五感の全てにおいて受け取る情報が低下するので、本来の情報よりもかなり低いレベルでしか物事を味わえなかったりもします。

そうしたことを「近代人の養育」で触れていましたが、今回は「入力の品質と感受性」という感じで書いてみようと思います。

それは、音であれば「聴こえる音の周波数の幅」といったような、基礎的な感受性という面もありますが、それ以外にもその場での集中力というものが大きく影響しています。

しかし世間では対象、つまり料理なら料理、音なら音の方に原因を求めたりしています。対象となる入力自体を変化させることに躍起になっていて、その入力情報をどのレベルで受け取るかということには無関心であるということです。

入力の品質

少し例えが変ですが、例えばギターの音をアンプで鳴らす場合で仮定してみましょう。もちろん、ギターの奏者による音の質というものもありますが、ここではそれは一定ということにしましょう。

ギターの音というものは、ギター本体の素材や弦、そして音を拾うピックアップやシールドケーブルなどを経てアンプに音の信号が伝わります。そしてアンプ側で音が増幅されて、アンプのスピーカーから音が出ます。

良い音を出そうと思えば、全ての部分において質が求められるのですが、例えば感受する対象をギター側、感受する受け取り手をアンプだとして考えてみましょう。

アンプがカスなら、いくら良いギターに変えても音はカスなのです。

数万円の廉価版ギターから、良い鳴りのする数百万円のヴィンテージギターに変えたところで、アンプがカスなら音はカスなのです。

もちろん少しは品質が変わりますが、やはりカスなのです。

いわばアンプに対する入力信号の質が向上したとしても、入力を受け取り、最終的に音を出すスピーカーを含めたアンプ本体が低品質なら出る音はカスなのです。

そのような感じで、いかにうまいものを食べようと、食べている側に集中力がなければ、アンプがカスなら音もカスなように、特に美味しいと感じたりもしないということになります。

そしてそうした受け取り側の問題を棚上げして、金額の高いものを欲し、入力信号自体を上げることしか考えていないということがよく起こっているということになります。

ノイズだらけの食事

よくあるのが、テレビを見ながらとか、スマートフォンなどを触りながらとか、雑誌を読みながら食事をするというやつです。

何かをしながら食事をするということは、食べ物に対する集中が必然的に分散します。うまいものを食いたいという欲望は持っている割に、その旨さの感受については無頓着というような構造になっています。

食事中に他の刺激を得ることは、味覚以外の情報を同時入力することになるので、味覚情報に関する感度が下がります。ということで、味わいが減るというのは当然の現象です。

今と未来がごちゃ混ぜに

また、今現在の意識の集中という意味で言えば、口の中に食べ物が入っている状態で、箸が次の食べ物に向かっているということであれば、今と未来がごちゃ混ぜになっていると考えることもできます。ということで集中力は低くなります。

舌を通じて感受している情報に集中せず、その次に起こるであろう出来事を予測し、意識の一部は未来に向かっているという感じになるので、感受する情報が分散します。

食事会などがよく開かれるということで、世間では「話をするくらいはいいだろう」というような感覚がありますが、やはり話をすることも集中力が下がる要因になるので好ましくはありません。

そしてこうした集中力の低下は、味わいに関する感受性の低下だけでなく、満腹感などの体の状態のモニタリング能力も低下させることになります。ということで体にも悪かったりもします。

我が家の食事中のルール

そんな感じなので、我が家では食事中のマナーとして少し厳しい目の取り決めをしています。マナーと言っても他人への行儀というわけではないので私的なルールです。

今はテレビ自体がないので(テレビを見ない生活)、テレビを見ながら食事をするということはありませんが、話をするとしても「今食べている料理に関する話しかしてはいけない」というルールを設けています。破ったところで罰則はありませんが、一応僕は基本的に無言です。

何かの拍子でそれ以外の会話が起こったとして、話しかけられても僕は応えません。なお、基本的にはダメですが、料理と食材についてあまりに気になる場合はスマートフォンで調べるのはオッケーです。

僕は友人が来ているときでも食事中は無言です。食事に行ったときでも、料理が出てくるまでの間か、双方が食べ終わってからしか話しません。

しっかりと味を捉えようとすれば、他のことに気を取られている余裕などないということが主な理由であり「それこそが楽しい食事」であると思っているからです。人と楽しく話をするのは食事中でなくてもできますからね。

人の話は同時に何人もの話を聞くことができますが、食事中は一人の話すら聞く気がないという感じになります。

Category:miscellaneous notes 雑記

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ