無面接募集の生命保険契約を無効にする
ご無沙汰しております。bossuです。 考えてみれば、「お金に関すること」カテゴリーの投稿は人気(?)にもかかわらず、最終投稿は1年半以上前になります。 まあそれほどお金に関心がなくなってきているのでしょう。でも一応元プロなので、ちょうど今あったばかりのトラブル、「無面接募集の生命保険契約を無効にする」ということについて、覚書程度に書いていきましょう。誰かの役に立つかもしれませんので。 満期保険金を受け取るシーン、つまり、養老保険保険が満期になった時に被保険者の生年月日証明などを求められる時があリます。 そんな時に
「話題」は暇な人の消費対象
昔トリビアでやっていたのですが、群れから外れた狼に狼の鳴き声で声をかけ、返ってきた鳴き声をバウリンガルで解析したら 「ボクは何をしたらいい?」 と言っていたことに感慨深さを感じています。 ご無沙汰しております。bossuです。 仕事に追われているわけではありませんが、自発的にブーストをかけています。フェイスブックのハッシュタグをいい加減やめてほしいと思っている毎日です。 最近「話題」と言う言葉に寒さを感じています。街談巷説はもちろん、一見意味のありそうなことでもよくよく見れば知ったところで意味が無いようなものばかり
環境の選択
威厳を保って沈黙することもできず、高級なことを打ち明けることもできないので、われわれの不平や要求やわれわれの窮境全体の話などを知らせるより外には道のないような環境で生活することは避けた方がよい。その際われわれは自分で不満を覚え、この環境に不満を感じる。 曙光 364 前半 よく「この環境からは逃れられない」という類のことをいう人がいますが、ほとんどの場合どころか、すべての場合においてどんな環境からも脱却することができます。 本当は環境を選択する自由はいつどこにでもあります。 その制限は、どこから来るのでしょうか?
よいものすべてに必要な乾燥
どんなに新しいよい作品でも、その時代の湿った空気に触れている限り、― それはさらに、市場や、敵や、最新の意見などの匂いを、明日をも知れぬ無常なすべてを、いたく身につけているからこそ― その最小の価値しか所有しないということを、諸君は気づかれなかったのか?あとになると作品は乾燥し、その「時代性」は死滅する。 曙光 506 中腹 湿度が高い京都では、乾燥を欲することがよくあります。 湿度が高いと息苦しくなる上に、汗が乾かず同じ気温でも暑く感じ、そして実際に体に熱がこもりますからかなり不快です。 最近、道を歩く度に発見す
実際家たち
われわれ思索者たちは、あらゆる事物の美味をまず確認し、必要なときにはそれを決定しなければならない。実際家の人たちは、結局それをわれわれから受け取るのである。彼らのわれわれへの依存は信じられないほど大きい。 曙光 505 前半 「実際家」という言葉をはじめて使うことになりました。 意味がわかるようなわからないような言葉ですね。 さて、久しぶりに連投しています。 やはり下界に長らくいると感覚が鈍りますね。 決算だ何だで、少しフラフラになりましたが、このフラフラは国家に振り回されているということです。 と気づくと一気に楽
孤独を学ぶ
おお、諸君世界政策の大都会に住むあわれなやつよ。諸君若くして才能に恵まれ、名誉心に苦しめられている人々よ。諸君は、あらゆる出来事に― いつも何かしら起こるのだが― 一言するのを義務と心得ている! 曙光 177 前半 また少し久しぶりになってしまいました、曙光です。 引用にも出てきていますが、コメントしたがる奴って何なんでしょうね。 「一言するのを義務と心得ている!」という感じなのか、何の価値もないようなことを平気でコメントしてくるやつです。 「一言するのを義務と心得ている」安易なコメント 特に現代では安易なコメント
胡散臭いコンサルの次はポンコツなコンサル
考えてみれば6月に入ってまだ一度も書いていませんでした。 いろいろな人と会う機会が多かったので、外出が多く、なかなか更新できませんでした。 さて、久しぶりに胡散臭いコンサルについて、そしてその次に現れたポンコツなコンサルについて触れていきましょう。 経営コンサルタントを代表としてコンサルタントという職業は胡散臭いという印象があります。しかし、しっかりしたコンサルタントの方がいることも確かです。 ただやはりコンサルタントと言えるのかすら怪しい、胡散臭いコンサルタント、そしてポンコツなコンサルタントというものがいること
商人文化の根本思想
個人的な競争が古代ギリシア人にとって精髄であり、戦争や、勝利や法がローマ人にとって精髄であったのと同じように、商業が精髄である社会の文化が成立しつつあるのを、われわれは今日幾重にも見る。商人は一切ものを作ることなしに評価し、しかも彼自身の個人的な需要に応じてではなく、消費者の需要に応じて評価することを心得ている。「誰がどれだけこれを消費するのか?」が、彼の問題中の問題である。 曙光 175 前半 商人文化の根本思想ということで、商人とそれ以外の人との根本的な商いに対する考え方の違いや商人文化や商業を嫌う人たちについ
和解させる
一体哲学の課題は、子供が学んだものと大人が認識したものとを和解させることであるだろうか?青年たちは子供と大人との中間にあり、中間の欲望をもっているから、哲学はまさしく青年たちの課題であるだろうか?哲学者たちが現在どんな年齢で哲学の構想を抱く習慣であるかを考えると、― それは、信仰には遅すぎ、知識にはまだ早すぎる年齢年齢なのであるが― ほとんどはそのように思われてならない。 曙光 504 一ヶ月以上ぶりの曙光です。 今回は「和解させる」ということで、和解について書いていきましょう。 僕は厳密な意味では、昔から人と和解
コミュニティで何とかなると思っている人たち
「コミュニティで何とかなると思っている人たち」ということで、世の中には群れていれば何とかなると思っている人たちがいます。群れて人がたくさんいればどうにかなると思っていて、自分の頭で考えることもなく人に反応しているだけで、結局相互依存状態になって破綻するということが見えないという感じになっています。 コミュニティの中にいることに安心し、和を乱さず「はい!」と元気よく返事をしていれば、それで後は誰かがなんとかしてくれるというような脳筋体育会系の後輩ポジションのようなものに類似しています。「自分は馬鹿でもいい、能力がなく
「道。」
いわゆる「近道」は、いつも人類を大きな危険に導いた。そのような近道が見つかった、という福音に接すると、人類はいつも自分の道を離れ― そして道を失う。 曙光 55 毎度のことながら「道」という言葉を見るとどうも松下幸之助氏を思い出してしまいそうになりますが、それはさておきましょう。 ただひとつの道 昔からよく「近道を選ぶとえらい目になる」というようなことが色んな所で囁かれます。 しかしながら、それは横着をするなという戒めのようなもので、効率のよいやり方を模索することは、非常に険しくリスクも伴いつつも、人を成長させるも
商業社会の道徳的流行
現在の道徳的流行の原則― 「道徳的な行為とは、他人に対する同情心の行為である」― の背後に、恐怖心という社会的な衝動が支配するのを、私は見てとる。 曙光 174 序 某産業団体の「裏役員(決して怪しい存在ではありません)」をしているため、先日、自己啓発に洗脳された人から、当該師匠をセミナー講師として、起用して欲しいという説得をされました。 僕が直接されたわけではないのですが、団体構成員を経由して、団体の方に依頼が来ました。 洗脳系の自己啓発であり、普段はぼったくり自己啓発セミナーを開き、あげくセミナー受講生を弟子と
勇ましい人の最後の論拠
そろそろ一回胡散臭い「自称コンサルタント」について書こうと思いましたので、そろそろそんな人たちのことについて書いていきましょう。 最近は出張が多く、様々な企業とやり取りするようなことが多くなり、特にほとんど「コンサルタント」に近いような仕事の形態の比率も上がってきました。 しかしながら世の中には自己啓発に感化されただけの「自称コンサルタント」や「自称コーチ」という胡散臭い人達がいます。 そうした人たちは自称の肩書上はコンサルタントやコーチなのかも知れませんが、いわゆる一般的なコンサルタントやコンサルティング会社とは
黄金と飢餓
彼が触れるすべてのものを黄金に変えるような人間が、時折いるものだ。ある日彼は、彼自身そのもののために餓死しなければならないことを発見するであろう。 曙光 486 前半 最近またよくいろいろなところから会社宛にDMが届くようになりました。 創業時も、法人の登記を見てたくさんの事業者が勝手に送りつけてきますが、会社が継続しているということが理由で第二段階ということになるのか、また、よくわからないDMがちょろちょろ届くようになりました。 会社宛なのですが、代表取締役宛、ということで僕個人宛です。 高級マンションや宿泊施設
苦しみへの勇気
われわれは現在のままの状態で、かなり多くの不快に耐えることができる。われわれの胃はこの重たい食物に適している。ことによるとわれわれはそれがないなら人生の食事には味がないと思うかもしれない。苦痛へのよい意志がないなら、われわれはあまりにも多くの喜びを逸するにちがいないであろう! 曙光 354 「いままで一度も、特に歓喜というものを味わったことがありません」 「おそらくそれは一度も『努力の末に勝ち取った』ということを経験していないからでしょう」 こういったやり取りが二十代中頃の頃に実際にありました。 実際に「苦しんで努
さけがたい
諸君に好意を寄せないものは、諸君が何を体験しようと、その体験の中から諸君を腐す機会を見つける!諸君が心情と認識の最も深い革命を経験し、ようやく快方に向かう病人のように切ない微笑を湛えて、自由と明るい静寂の中へ行き着いたとしても― 曙光 480 前半 どんな人がどんなことを言おうと、おそらくどう転んでも非難というものはやって来ます。それは、「自分の意見」を言いたがる人たちが必ずどの時代でもいるからです。そしてそれはアイツが足掻いてくるからです。 今となっては、人の意見を特に聞くことはありません。社会の中で、異業種の方
良心的な人々の悪用
つい先日喫茶店に行った時のことです。何やら思想団体のような団体が、デモ行進について会議をしていました。といっても若い人たちです。京都といえば昔からその気が多いのですが、やはり例に漏れず群れたいだけのB層でした。 耳を欹ててみると、「デモ行進中の差し入れに感動した」ということを女性が語っていました。しかしながら、自分たちの代弁者である思想団体に差し入れをするくらいたやすいことです。 良心的な人々の悪用として行動と思想の内容との無駄な関連付けについてでも触れていきます。 行動と思想の内容 「差し入れ」という善意・良心的
労働の讃美者
「労働」が称賛され「労働の祝福」について倦まず語られる場合、私は公益的であって個人的でない行為が賞讃される時と同じ底意を見てとる。あらゆる個人的なものに対する恐怖という底意を。 曙光 173 前半 労働自体がよく賞賛されることがありますが、そうした労働を含め、社会的な物事においては、個人的な利益よりも公益のほうが賞賛される傾向にあります。 なぜ個人的な利益よりも公益的なモノのほうが評価されるのか? それはそれを判断している人としては、相手の個人的な利益は自分の利益に一切つながらないものの、公益的なものであれば少しは
新しい魂の医者はどこにいるのか?
慰めという薬は、それによって人生が、現在人々が信じているあの苦しみにみちた根本的な性格をはじめて手に入れるようになったものであった。人間の最もひどい病気は、彼らが病気にうち勝つことから生じた。 曙光 52 前半 今まで一度も入院はしたことがないのですが、ちょくちょく身体がおかしくなることがよくありました。 特に胃腸です。毎年このシーズン、夏が終わり秋が差し掛かる頃の9月上旬から中旬は、胃腸に激しいダメージの来るシーズンです。十代の頃に二回ほど十二指腸潰瘍になっています。 しかしながら潰瘍よりも、便秘との格闘の方がし
重くなる
諸君は彼を知らないのだ。彼は多くの錘(おもり)を身体に吊るすことができる。しかし彼はそれらをみんな一緒に高く持ち上げる。そこで諸君は、諸君の小さな羽ばたきに応じて、彼はこれらの錘を身体に吊るしているのだから下に留まりたいのだ!と結論する。 曙光 475 ニーチェはたまにこういった曖昧で対象を名指しせずにつぶやいたりするので文学的だと言われることがあるのでしょう。 さて、重くなる、重たくなるということで、体重の増加について触れていきましょう。炭水化物やカロリーオフ、ぶどう糖について触れていきます。 体重の増加と炭水化
弁明しない
甲 しかしなぜ君は弁明しようとしないのか? ―乙。この点でも、百の事柄でも僕は弁明できる。しかし僕は弁明の中にひそむ満足を軽蔑する。というのは、これらの事柄は僕にとってあまり大したことではないからだ。 曙光 472 前半 ニーチェ しかしなぜ君は弁明しようとしないのか? bossu それでは軽く類型ごとに示してみよう。 パターン① 相手がこちらの話をしっかり聞いていない。 パターン② 相手は感情的に反発心を持っている。 パターン③ 質問の前提が根拠なしの固定観念。 いずれにしても、相手に「認めてもらう必要」がない。
大勢の饗宴で
社長同士の集まりというのは、従業員時代には想像もつかないほどたくさんあります。商工会・商工会議所のような団体の集まりもありますし、その他単発のビジネス交流会のようなものもあります。 年末年始の忘年会・新年会などはすごい数のお誘いを受けますし、普段でも何だかんだで宴会・懇親会のようなものがたくさんあります。おそらくその気になれば毎日何かに参加できるのではないかというほどです。毎日数件ずつまわることすらできるほどです。 しかし、もう酒の席はほとんど断っています。 やはりシラフで話込めない人とは、どうせ深い関係にはなれな
美の国は一層大きい
「美しい国」という表現がたまにされることがあります。中国語などでアメリカを「美国」と書きますが、日本のことを「美しい国」と表現するということがたまに起こります。 しかしどこの国も美しいものです。美しさは受け取り手の感性の問題ですから、実態として「美しい」という属性自体は持っていません。見る人の感性によって「美しいとされる」だけの問題です。 そのようなわけで「美しい国日本」という感じが好きな人達について書いていきましょう。 日本と同化する必要はない さて、日本人だからといって、日本とイコールではありません。ただ日本に
二度の忍耐
「それによって君は人間に苦痛を与える。」― 私はそれを知っている。そしてまた、私はそのために二重に― 第一に、彼らの憂苦に対する同情によって、第二に彼らが私に返報するであろう復讐によって― 苦しまなければならないことも知っている。しかし、それにもかかわらず私のようなやり方をするのもやはり必要である。 曙光 467 世の中には同情する割に何もしないという人がいます。もちろん「かわいそうだなぁ」とか「大変そうだなぁ」などと同情したからといって、何かをする義務はありません。 しかし、ある動機から「同情」はするのに、解決策
ある出会いに際して
「出会いがない」ということをいう人がいますが、生きていればそんなことはありません。僕個人としては、できればあまり人と会いたくもないのに、毎年毎年出会いは増えるばかりです。 家に引きこもっている場合は、人と会いようもありませんが、インターネットがなかった時代ならまだしも、たいていゲーム上ででも誰かと会ったりはしているでしょう。 今では携帯電話の電話帳の中に、仕事関係と家族を除いては、10人も登録されていないほどに、人とのつながりなどそれほど必要がないということを実感しています。 仕事関係ですらも10人程度です。重要な