第500回投稿記念

これで500記事目です。ということで第500回投稿記念の回です。

常連さんいつもご高覧ありがとうございます。あれほどおもんないグループについて書いているのに、再訪問いただいているということは確実におもんないグループの方ではないでしょう。

とうとう記事は500になりました。曙光のタイトルの量が膨大すぎて、なかなか進みませんが、通常カテゴリもちょろちょろと書いていこうと思います。一応3/28までは宝探しをしています。一周年が見えてきたところで「ぼちぼち」といわず、ブーストをかけて連投していきましょう(せめて一周年くらいの時までは)。

今回も投稿記念の回なので、いつもと違った趣で書いていきましょう。

今回は、「タイトルが『第500回投稿記念』の割に無駄に長文」という趣旨で書いていきます。

サイトのアクセス

検索エンジンのインデックス数は1000を超えました。サイトボリュームとしてはそこそこになってきました。一部のクエリではかなりの上位表示になっているようです。

そして書庫という試みが功を奏してか、毎日たくさんの方が新規で訪問されています。怒って帰るのか、おかげで直帰率が上がり、平均PVがかなり減少しています。まあそれでもいいでしょう。

あれを見て「おもしろい」とかいう感じに楽観的にとらえたり、「何か意図があるな」とか、深読みすることもできずに、勝手に「くだらん」と思われてしまっているということでしょうか。

まあ、自分か他人かはわかりませんが「人」を騙そうとしているような人でしょう。そんなことはやる前からわかっています。ひとまず試みとして半分くらいは目的を達成できたということにしておきましょう。

二極化

直帰率、つまり検索か何かでやって来た方が1ページ目だけ見てすぐに帰ってしまうという割合は、この一ヶ月だけ見ても73.68%と大半です。一昔前なら50%どころか30%もありませんでした。すごくわかりやすいですね。それもそのはずです。検索経由での訪問が81.68%ですから、その中の大半の方が一発で去ってしまっているということです。それは通常のサイトなら問題視されますが、検索経由での訪問の大半が書庫ページだからです。おもしろいですね。他のページはタイトルと内容があまり合致しないようなページも有りますから当然です。人が検索するような内容をあまり書いていません。しかしながら、それを揃えただけ(人が検索しそうな内容とタイトルの一致)で、これだけ訪問されるということです。

その代わりに、その他の方の滞在時間が非常に長く、完全に二極化されています。つまり、すぐに去るか、長時間滞在していただくかのどちらかです。これは非常にありがたいことです。ですから常連さん、いつもありがとうございます。

あと知らない間にちらほらソーシャルからの訪問がありました。誰かが共有してくれているということですが、これはあまり予期しないことでした。このサイト開設を期にソーシャル系はしていませんから。

ソーシャルシグナル

ソーシャルシグナルというものもこの数年で騒がれるようになりました。しかし、各SNSを放置して本サイトに一本化したのは、ソーシャルネットワークの呪縛から解放されたいという動機がそのひとつです。

いくら有用な記事であっても、SNSで共有されないケースもあるでしょう。B層の話題作り、ウェーイの騒ぎによって投票されるというのはすこし遺憾に感じます。特に「友だちのお母さんですらアカウントをもっている」というレイトマジョリティに侵食されきったフェイスブックなどは、シェアされている投稿がほとんど釣りです。あんなものを評価してはいけません。

Twitterは、SNSとしては比較的好きな方ですが、出会った方にアカウントを聞かれるということに嫌気が差したので、あれもやっていません。名刺交換とまではいかなくても、名前を聞く前にアカウントを聞いてくる人もいるくらいですから、変な時代になりました。

やたらとフォロワーを増やそうとする人の踏み台になるようで少し嫌ですね。数は何の自慢にもならないはずですが、数で人の価値みたいなものを勝手に判断するような人がいますから困りモノです。それにたくさんの人をフォローしているということはこちらのツイートも流れるということです。そんなことをして何の意味があるのでしょうか。

もし乗り気になったら、書庫と同じような趣旨で、専用アカウントを取得するかもしれません。その際は相互フォローなどは基本的にしません。ハッシュタグによる釣りのみになるでしょう。

さあ長文とは、一体何文字くらいのことを言うのでしょうか。まだ2000字にも届いていません。ひとまずは5000字くらいを目指しましょう(何のために?何のためでもありません。投稿記念だからです)。

デザイン系マックユーザーとの軋轢

どうせならインターネットやパソコンについてのテーマで統一しておきましょう。かなり前に書きましたが、僕は本当の最初はマックユーザーでしたが、それからはずっとWindowsです。別にMacintoshやAppleがどうのというわけではないのですが、マックユーザーには、マックしか知らない故の情報弱者な点があります。

「デザイン系はマックを使え」という都市伝説故に、パソコンの根本的なことが抜けている人がいます。端的にはデザインを仕事にしている人です。シンプルなのがマックの強みですが、それによって深くまで知ろうとしない人が多いですね。もちろん知っている人もいます。しかし以下に掲げることは妄想でもなんでもなくて、実際によくある話です。これは一種の人災です。

zipの文字化け

よくマックユーザーにやられることがあります。それはzipの文字化けです。デザイン系の会社から、画像素材がメール添付やファイル転送サービス経由で送られてくることがあります。その際にたいていは画像一枚というわけではないので、もちろん圧縮ファイルとして送られてきます。

で、解凍してみたら案の定文字化けです。拡張子の前に変な空白までついて、こちらのパソコンとしては何のファイルかすらわからず認識してくれません。リネームすれば開ける場合もありますが、数が何百となればこちらはたまったものではありません。

そしてこの旨を相手に伝えると、「じゃあどうしたらいいですか?」と聞いてきます。

そんなことはググりなさい。そして圧縮イコール純正のzipという固定観念を解き放ちなさい。

同じような具合で、「官公庁への提出書類なんですが、相手がPDFを開けないそうです」という質問もきます。

ふう。マックユーザーしか認めないのではなかったのかね。

常にCMYKモード

普段は紙媒体を取り扱っているのでしょうか。例えばpngでも、CMYKモードで吐き出している場合があります。それをRGBで表現しなければならないような場合、多少色に微差が出ます。そこでRGBモードで吐き出すように伝えると

「じゃあai(イラストレーターのデータ)送りますんで」

ちょっとまて、吐き出しの手間を省こうとするな。

それくらい仕事には責任を持とうよ。

えーっと、まだ3000字にも届きません。次いきましょう。

安易な無料wifi

たまに無料でwifiという言葉を聞いて「タダでできるサービスだ」と、お店なんかでwifiのパスを書いてくれているところがあります。

普通の無料wifiというものはメールアドレスの登録が必須だったりします。しかしながら、お店でのそれは、お店で引いてる光か何かを無線で飛ばしているだけです。そんなものを教えてしまっては、どこの誰にどんな使われ方をするかわかりません。

どうせお店が閉まってからでも通信は繋ぎっぱなしになっていると思います。まさか、店内だけしか通じないように壁をシールド加工しているなんて人は、まずこんな無料開放をしないでしょう。

例えば、海外旅行ついでに外国で中古でパソコンを買ってきて、店が閉まった後でも電波が届くような位置で接続したならば、もうやりたい放題です。わざわざ何かの数値をごまかしたりする必要もなく、すいすいやりたい放題できる上に足がつきません。

技術的に何かの数値をごまかす技を持っていても、それ以上の強者の前ではそれも見抜かれてしまうかもしれません。しかしながら、これはアナログに隠された手法です。

技術的なバトルをする以前の問題です。どのPCか、どの回線経由か、などがばれたところで足がつきません。つまりは格好の踏み台になってしまいます。

まだ、防犯カメラがあったり、常時店員がいて監視できる状態であれば少しはマシかもしれませんが、それでも危ないことは確かです。そんなことは特にパソコンに詳しくなくてもわかることです。スマートフォンを使いこなした程度で、通信のことをわかったようなフリをしていると痛い目にあうでしょう。

スマートフォンなどはわかりやすいように簡略化されていますが、それに基準を合わせてはいけません。世の中にはたくさんの強者がいますから気をつけたほうがいいでしょう。

通信業者の無料wifiをよく考えてみよう

携帯電話会社のやつは、どうなっているでしょうか。どこの誰が接続したかわかりますね。ほかの無料系のものも最初に表示される画面はどんな画面でしょうか。メールでの認証ですね。ということは一応メールアドレスから誰が接続しているのか究極的にはわかりますね。

しかし、お店の中で、誰がどんなものを使って現在何人接続しているのかわかるのでしょうか。どこの誰が接続したのか、把握できるのでしょうか。もしその回線が何かの犯罪で使われた場合、接続主は誰か当てられますか。

そんなことも一度は考えてみてもいいのかもしれませんね。

あと1000文字くらい書いて終わりましょう。

価格比較のトンチンカン

インターネットが普及して電子商取引が浸透してきてから、より価格にはシビアな時代になりました。安売りを目玉にするなら日本一でないと厳しいということで、どこにでも売っているようなメーカー既成品のインターネット販売はもっぱら価格での勝負になっています。

そこでユーザーは価格の比較に走ることになります。送料や保証内容で差別化しているところもあり、ユーザーは迷います。

そんなユーザーに言いたいことがあります。

「買うと決めたら早く買え」です。

すいませんが、例えばぱっと検索して1800円のものを、「もしかしたらもっと安いところがあるかも知れない」と思って、最終的に1780円のところを見つけたとしましょう。その20円のために30分もかけていては、バイトをしている方がよっぽど効率的です。ポイント還元率で実質1700円になる、といっても差は100円です。そんなことに時間をかけていては、割が合いません。その分働いている方がよっぽどマシでしょう。

これが仕事なら大問題です。コストは100円削れるかもしれませんが、30分かけられてはその分の賃金を払うのは会社です。

同じように情報として記録する必要のない、一回しか郵送・配送しない相手の住所をわざわざ住所録に登録してプリンタで印刷するのも馬鹿げています。

安いのはいいですが、それにかかる時間や労力を考えられないというのは馬鹿げており、しかもそれを「努力」だと勘違いする人がいるから困りモノです。

お金の奴隷化ということになりますが、これを回避するための思考方法は、基本的には時間・費用・リスクなとど効果に着目する点ですが、もっと実用的なポイントがあります。

それはそれで、また別のテーマとして、またの機会に。そろそろ終わりに近づいてきました。

第500回投稿記念 むすびのことば

今回はムダに長い、ということをテーマにやってまいりました。一応各見出しごとにひとつのテーマとしての統一はできているかもしれませんが、ムダに長い分、無駄に作成の進行が遅いということを実感しました。

前にもどこかで書きましたが、「まとめ」という言葉が嫌いです。まとめという言葉そのものが嫌いなわけではないのですが、近年の他人のコンテンツを引用・転載するだけで評価されようとする傾向を「まとめ」とするならば、まとめは嫌いです。ですから、NAVERも嫌いなら、2ちゃんまとめも嫌いです。だから「むすび」という言葉を使いました。ちなみに「おにぎり」つながりです。

ただ、もうひとつ理由があります。ページ一つとってみても最後に結論を書かねばならないとなると、論文のようです。しかし、文章というものは多種多様な表現方法があります。ニーチェなどは短文で格言のようなものを提示していくというアフォリズムという手法をとったりしました。

同じようにインターネット空間でも多様な表現があるべきです。物語は起承転結と固定観念のように言われますが、そんなものに囚われていては学校の創作なら評価されても、それしかできないとなれば、ただの表現の幅を限定するだけの鎖、足枷になります。

時に何かの制限を設けることは、散らばる思考を集中へとシフトさせますが、その制限しか認めないという風潮になると、表現の幅を狭めるだけのものになります。

ですので、むすびも本来はあってもなくても良いものです。

音声に耳を澄ますことを手抜きし、スーパーを流さなければ伝わらないような、また、文章においては結びの項目がなければ理解できないような流れから脱却し、どんな表現方法であってもその隙間を味わうことができるような感性を磨くと、受け取り手も発信者もお互いがより深く理解でき、互いにとって味わい深い世界観が広がるような気がしますね。


第400回投稿記念

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Category:miscellaneous notes 雑記

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