狂信が望まれる場合

粘液質の人々は、狂信されてわずかに感激するだけである。 曙光 222

狂信の対象は、いわゆる宗教的なものだけではありません。企業や政治思想、末端はアイドルまで、様々です。

狂信といえば代表的なものは変なカルト宗教ですが、気が狂れているとしか思えないほど熱烈な信仰というものは、愛社精神や政治思想への信奉、アイドルへの陶酔といったものまで様々なタイプのものがあります。

実際にあった話ですが、強烈な寒気を催したことがあります。

昔の勤め先ですが、そこまで大々的ではないものの、変なコンサルか何かに吹き込まれたのでしょうか、やや洗脳的なことをやろうとしてきたことがあります。

企業が企画する狂信への道

そこで、イベント的なものを行ってマインドコントロールを行い、より一層狂信に拍車をかけようとしてきたことがあります。イベント会場では、もう「最高ですか?最高です!」に近いようなノリを出してきました。

同期数人が駆り出され、旗みたいなものを持って会場を駆け巡っていました。その時の同期の顔は、確実に「イッて」ました。顔は紅潮し、目がおかしかったのを覚えています。

西城秀樹氏のYOUNG MAN (Y.M.C.A.)のイントロのような音楽が爆音で流れ出し、会場の両脇から「熱血!」とか「やる気!」的なことが書いてある大きな旗を抱えて同期の社員が「うおーっ!」と走ってきて会場を駆け巡るというイベントでした。

カルト臭しかしません。

宗教団体の儀式のような異様さ

ひとまず大企業も、宗教屋と同じく、崇拝の対象を創立者などに仕立て上げて愛社精神をもたせようとします。国旗と会社のロゴに敬礼させたりするやつですね。この時のイベントは、それに加えて現役の支社長や本社役員を崇拝の対象にしようとしていたようでした。

まさに企業が企画する狂気の「狂信への道」です。群衆とは恐ろしいものだと思いました。参加者は熱狂し、理性を失っていました。

普段はその気配はあまりありませんでしたが、このイベントの時はかなりの異常さを誇っていました。まるで宗教団体の儀式のような異様さに文字通り鳥肌が立ったのを覚えています。

その時の本社役員の顔を覚えています。人気がなくなったと同時に、非常に冷めた顔をしていました。僕がしていたのと同じような、非常に呆れた、冷めた眼つきをしていたのを覚えています。

儀式などで、冷静な判断力を失った状態で、熱狂し、気が狂れていたことを正気に戻って気づいた時、それがライブイベントくらいなら笑えますが、この手のイベントでは笑えません。

カラオケ屋で全裸になるくらいなら良い思い出ですが、シラフで目がイッたまま旗を持って走り回っていた思い出は苦しい思い出です。まだ、お客様感謝デーに「大売り出し」という幟をもって走り回っていたのならいいですが、社内の人間同士のイベントです。

変なコンサルがこの手の手法で洗脳的なことを吹き込みまわっていますから、お気をつけ下さい。

洗脳系自己啓発コンサルタントの実態

狂信が望まれる場合 曙光 222

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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