友情
久しぶりの「曙光」です。前回の更新から2ヶ月近く経っていますが、再開です。今回から曙光を持ち帰ることにします。 さて、「友情」です。シンプルなタイトルですね。今回は引用は避けておきましょう。 最近、若い事業家仲間のひとりがマルチネットワークにハマり出しました。その話を、他の人から聞いたのですが、その人は彼に会った時にマルチネットワークに勧誘されたそうです。 それに関する投稿「マルチ商法(MLM)と洗脳」を公開しました。 その話を聞いたと

南風の風下で
甲。僕は自分がもはや分からない!昨日はまだ僕の内面はひどい嵐で、それと同時にひどく暖かで、ひどく日当たりがよく― 極端に明るかった。しかし今日ときたら!すべては今や静かで、広く、憂鬱で、暗い。ヴェニスの入江のようである。 曙光 492 前半 苦しみへの勇気の時もそのような感じだったかもしれません。あの時確かに憂鬱で暗い感情を「どかん」と味わったような気がします。 その前の日までは極端に明るかったのに、急にシナシナになったというような感覚
恥辱
そこに立派な馬がいて、地面を引っ掻いている。それは鼻を鳴らし、乗馬を熱望し、いつも騎乗する人を必要としている。― しかし、おお恥辱!今日彼は跳び乗ることができない。彼はくたびれている。― これは、くたびれた思想家が自分自身の哲学に対して抱く恥辱である。 曙光 487 「恥辱」はよく胡散臭い人がマインドコントロールにおいて使う手法です。 別に胡散臭い人でなくても、晒し者にすることによって「自発的な退職」を迫ったり、はたまた義務教育でもムラ

苦しみへの勇気
われわれは現在のままの状態で、かなり多くの不快に耐えることができる。われわれの胃はこの重たい食物に適している。ことによるとわれわれはそれがないなら人生の食事には味がないと思うかもしれない。苦痛へのよい意志がないなら、われわれはあまりにも多くの喜びを逸するにちがいないであろう! 曙光 354 「いままで一度も、特に歓喜というものを味わったことがありません」 「おそらくそれは一度も『努力の末に勝ち取った』ということを経験していないからでしょ
通り過ぎよう!
彼を大切にせよ!彼を孤独にまかせておけ!諸君は彼を完全にこわそうと思うのか?突然熱すぎるものがそそがれたコップのように、彼にはひびが入っている。― そして彼はとても貴重なコップだったのだ! 曙光 478 中学1年生の時です。真夏の窓辺に一週間放置した森永マミーを「いける!」といって飲み干して、最大級の下痢になった時です。 お母さんに付き添ってもらいながら、瀕死のまま病院まで歩いて行ったのですが、道中でスキンヘッドおじさんが細い道ながらも

心にググっと群馬県 2015 番外編(京都から群馬・栃木まで)
さて、「心にググっと群馬県 2015 番外編」と題しまして、昨年と同じく番外編です。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 番外編 毎度のことながら、「心にググっと群馬県」と言いながらほとんど道中のことについてばかりになります。しかしながら、まずはやはり、関連したような事柄から。 初めて見る野菜たち 尾瀬市場農産物直売所にて いつも旅に出ると道の駅だけでなく、その地元スーパーなどに行くことにしています。それは海外でも同じです。 そう

やすらぎの栃木路 2015 いろは坂
人生初めての栃木県、そして日光のいろは坂です。と言ってもイニシャルDのエンペラーのエボ3乗りの須藤京一やMR-2・MR-Sの小柏カイのホーム「いろは坂」のみなので栃木県に行ったと言っても入り口だけです。 今回向かった「いろは坂」は、栃木県日光市にある中禅寺湖畔と栃木県日光市馬返までの間の国道120号の坂道で、下りが第一いろは坂、上りが第二いろは坂です。 さて、栃木県のキャッチコピーは現在「本物の出会い」ということになっているようですが、

心にググっと群馬県 2015 赤城山と大沼
妙義山、榛名山と並んで上毛三山残るひとつの赤城山です。赤城コースは群馬県道4号線ですね。とにかく勾配があり、「標高500m」というモノが見えたかと思えば、すぐに「標高600m」「標高700m」と、上りの時はぐんぐん標高が上がって行くのがわかります。 急な気圧の変化が激しく、進む度に二リットルの水のペットボトルが、「ポコッ」っと音を立てて変形していきます。ちなみにモルツの水源である赤城山にちなんで、サントリーの天然水の話をすると、京都では

心にググっと群馬県 2015 伊香保温泉
「秋名下り」こと群馬県道33号線(渋川松井田線)を榛名湖から渋川方面に下ると伊香保温泉街に着きます。県道33号線から15号線に行くと水沢うどん街に行くこともできます。 伊香保温泉の存在を初めて知ったのは、ビジュアルバムの「都」です。 伊香保温泉には、「黄金(こがね)の湯」と「白銀(しろがね)の湯」がありますが、元祖黄金の湯だけ三回入ってきました。 たくさんの温泉旅館があり、また、日帰り温泉もたくさんあります。 伊香保温泉観光案内図 伊香

心にググっと群馬県 2015 榛名山と榛名湖
毎度の事ながら榛名山にはもちろん行くのですが、「秋名下り」の溝落としは夜のお楽しみということで、昼間の榛名山・榛名湖に行きました。 溝落としとか溝走りとか言われる側溝に引っ掛ける走り方は、この付近に行かないとあのタイプの側溝自体がありません。イニシャルDの実写版も「秋名」の撮影は新潟のようですが、このタイプの側溝はおそらく近畿圏にはありません(個人的に確認したことはありません)。 頭文字Dのお菓子シリーズ(土産) 昨年の記事 心にググっ

心にググっと群馬県 2015 妙義山
「碓氷と妙義は目と鼻の先だ」と言ったことを妙義ナイトキッズのR32使い中里毅が言っていたような気がしますが、碓氷峠と妙義山は確かに目と鼻の先です。 ちなみに「富岡市妙義町中里」という地名もあります。初めてこの辺りを通った時に偶然標識をみつけて思わず微笑んでしまいました。 昨年は、碓氷と妙義をひとまとめにしてしまいました。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 碓氷~妙義 朝から出発はしたものの、「腹が減ってから『おぎのや』に行って、

心にググっと群馬県 2015 碓氷峠「アプトの道」
なぜか毎年恒例になりつつある、盆明けの「群馬ツアー」です。 今回は1500キロほど走りました(4日半、1515km)。 さて、「心にググっと群馬県」第一発目は、長野県軽井沢から群馬への玄関口、中山道の「碓氷峠」です。碓氷峠には当然昨年も行きました。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 碓氷~妙義 碓氷峠といえば、有名なのがやはり「めがね橋」こと碓氷第三橋梁です。 このめがね橋上は、「アプトの道」として歩くことができます。前回もめが
そんなに重要ではない
人の死を見守ると、われわれには通常ある考えが浮かぶが、われわれは直ちにその考えを作法通りという不適切な感情によって心の中でおさえつけてしまう。すなわち、死ぬという行為は、一般に畏敬の念で主張されているように重要であるのではなく、また死んでゆく人は、彼がここでまさに失おうとしているものよりも、おそらくもっと重要なものを生きている間に失ったことであろう、という考えである。結局はここではたしかに目標ではない。― 曙光 349 おじいちゃんやお
われわれの幸福は賛否の論拠ではない
多くの人間は、わずかの幸福しか感じる能力がない。 曙光 345 序 思い返せば明確に人生に疑いをかけた瞬間というのがあります。 おそらくそれまでにも細かいものはたくさんあったのでしょうが、一番明確に覚えているのは、高校二年生の時です。 アルバイトを終えて、家に返ってホットコーヒーを飲みました。 その瞬間です。 「うまい」 と、ここまではただのおっさんのようなつぶやきです。 その「うまい」の瞬間にやって来た虚無感です。 ある種の安堵と幸福
義務の変化
幾度と無く触れている中学生の時のお話です。義務の変化ということで、やはり義務教育における「義務」について触れていきます。 白靴下の件は幾度と無く出てきているので、既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、さらに自分が卒業して15年以上経った現在、母校の生徒を見てみると、蛍光オレンジなどのスニーカーを履いて歩いているという実情があります。 合理性のない義務というものはたくさんあります。 特に体育会系ではそれが多いでしょう。今でも関わりたく

浦富海岸と「うらどめ号」
今月上旬、鳥取県と兵庫県に旅立ちました。ひとまず最初は鳥取県です。毎度のことながら鳥取砂丘に行きました。 鳥取砂丘でカマキリ(?)とご対面 鳥取砂丘は昨年も行ったので、ここではあまり時間はとらずに今回の鳥取でのメインとなる浦富(うらどめ)海岸に向かいました。 鳥取県岩美郡岩美町(いわみちょう)にある浦富海岸(うらどめかいがん)は、山陰海岸ジオパークの浦富海岸エリアに含まれる山陰海岸国立公園で、約15キロメートルにわたるリアス式海岸です。
「人間性。」
われわれは動物を道徳的な存在とは考えない。しかし一体諸君は、動物はわれわれを道徳的な存在と考えると思われるか?― 話の出来る動物が言った。「人間性とは、すくなくともわれわれ動物が苦しむことのない偏見である。」 曙光 333 動物が道徳的でないとするならば、その従う指針のようなものがない、という意味ででしょう。以前に触れた我が家のインコの夫婦は、夫婦を解消した後も介護をしていました。インコ同士にも愛情はあります。 どうも動物と人間を対比
道徳の空位時代
いつか道徳的な感情や判断と交代するであろうものを、だれが現在早くも記述することができようか!― それらは土台のすべての点で設計に誤りがあり、その建築物は改修不可能なことをわれわれは確実に洞察しているとはいえ、ともかく理性の拘束力が減少しない限り、それらの拘束力は日増しに減少するに違いない! 曙光 453 前半 理性で判断すると、たいてい行き詰まりになります。思考が行き詰まった時に、その理屈に「根拠なし」ということが、わかった時点で、自由
商売に精通していないのが高貴である
教師として、公務員として、芸術家として、その美点を最高の価格でだけ売りつけたり、その上にそれで高利貸しをしたりすることは、― 天賦の才や素質を小売商人の仕事にすることである。人はその知恵を何といっても小利巧に利用しようとしてはならない! 曙光 308 最近福祉関係の仕事をされている方とお話する機会がありました。福祉関係と言っても、運営は株式会社であり、どちらかというと福祉っぽくない方でした。 どういうことかというと、その方のお客さんは福

本田宗一郎と井深大展
本田宗一郎氏と井深大氏、それぞれホンダ、ソニーの創立者であるこの両名は「尊敬する人」として、よく挙げられるお二方です。 「僕も尊敬しています」 ということが書きたくて、というわけではありませんが、僕が躍進するきっかけになったお二方です。 「なんだか楽しそう」 仕事に対する見方がほとんど180度変わってしまったきっかけであり、それは2004年の11月、いまから10年半くらい前の話です。 本田宗一郎と井深大展 夢と創造 「もの」づくり・町工
われわれが極めて疎いギリシア的なもの
東洋的であれ近代的であれ、アジア的であれヨーロッパ的であれ、これらすべてのものは、ギリシア的なものと比較すると、嵩高(かさだか)なことや、崇高なものの表現としての巨大な量を楽しむことが、特有なことである。われわれは、ペストゥムやポムペイや、アテナイにおいて、またギリシア建築術全体の前において、ギリシア人が、どんなに小さな量で何か崇高なものを表現することができ、また表現することを好むかに驚くのに。― 同じようにギリシアでは人間自身が、彼ら
上品な人々の悲劇
心からの親密さをうまく示すことの出来ない上品な人々は、その上品な性格を、慎しみ深さや、厳格さや、ある種の親密さの軽蔑などによって推測させようと努める。彼らの強い信頼感は姿を見せることに恥じらいを抱いているかのようである。 曙光 288 よくビジネスマナーなどの研修で言葉遣いについて研修をすることがありますが、相手尊重した版、こちらが遜った版、丁寧に言った版、そして「おビール」。 おビールって何よ? 美化語です。 何じゃそりゃ。 というよ
子供らしい
子供のように生きる― したがって自分のパンのために戦わず、自分の行為に決定的な意義が属していると信じない― 者は、いつまでも子供らしい。 曙光 280 温泉やスーパ銭湯などに浸かっていると、他の客の中に騒がしい子どもがたまにいますが、動きまわるだけでなく「奇声を発する」という場合があります。それが集団となると狂騒と表現するのがふさわしいほどの奇声ラッシュとなります。この手の奇声は金切り声と呼ばれるような高音、高周波の奇声です。 この奇声

10年前の日記 理解者との共同作業
ハードディスクを整理していると、ちょうど10年前、2005年3月23日 水曜日に記したであろうテキストデータが出てきました。その内容は以下のようなものです。 ヒロユキとタロー 忍空という漫画のアニメ、53話「友情の舞台!ヒロユキの秘密」が小学校の時から頭に焼き付いて離れない、という内容でした。ペンギンを含め、鳥好きと言うのもあるとは思いますが、たった30分のアニメなのに、僕の頭にいまだに焼きついているのも不思議なものでした。 ヒロユキと
何としばしば!何と思いがけない!
世の中には「思いがけないこと」がたくさん起こります。 今年に入って同窓会がありました。そこで、当時あまり同級生には視聴者のいなかった「タートルズ」を共に観ていた同じ町内の同級生に成人式以来に会いました。彼は途中で他府県の学校に行ったので、それからほとんど知りませんでしたが、何と今は近くに住んで家業を継いでいるというのです。 それも最近ではなく、かなり前から近くに住んでいるというのですが、一度も会ったことはありませんでした。 しかし、同窓
人間の権利と特権
われわれ人間は、うまく出来ないときには、出来そこないの文章を抹殺するように自分自身を抹殺できるただひとつの生物である。― われわれがこうするのは、人間の名誉のためであろうと、人類に対する同情からであろうと、われわれ自身に対する反感からであろうと。 曙光 274 何故か曙光のこの箇所を見た時に、一番最初に浮かんだのが戸田誠二氏でした。イエスでもキルケゴールでも太宰治でもなく、戸田さんでした。 コンプレックスプールというサイトに訪れたのは確
賞讃
賞讃や讃辞という言葉も頻繁に出てくるようになりました。曙光はどうしてもタイトルの似通ったものが多いですね。以前も「改」シリーズを作ったくらいなので構わないのですが、すぐに出てくるところが難題です。まあそんなに頭をひねる必要のあることではありません。 世の中では自己都合のためにということなのか「賞讃」によって他人をより良く働かせようとか気に入られようということをやる人がいます。そうした賞讃や讃辞というのものが相手の承認欲求を満たすとでも言
外見上の寛容
高校生くらいの時に何度か引越のバイトをしたことがあります。 その内の一回は、若い女性の引っ越しだったのですが、引っ越しが完了すると、ロングヘアの40代位の男性がやって来ました。 その男性は、その当時、京都ファミリーでやっていた催し物のジャグリングショーの人に似ているので、「ジャグリングショー」という名前で記憶しています。 引っ越し完了時に、おもむろにソファーに座り、女性の腰に手を回し始めました。そして当時高校生だった僕に語り始めました。
犬にお世辞
犬は特に好きでも嫌いでもないのですが、犬を飼う人は、犬に対しての態度よって嫌いです。どういう点が嫌かというと、人間側の都合なのに犬側の都合かのようにすり替えて正当化して居直る点です。 本当に犬のことを考えているのか疑問です。人間の思考の産物である主義やマナーなどで勝手に去勢したり、「もっとかわいく」と人間の感情のために、毛にハート型のブリーチをしたりします。理解できません。 馬を経済動物と呼んだり、犬を愛玩動物と勝手に定義するのは人間で

あの日のおにぎり Another Story
おにぎりには、たくさんの思い出があります。小学生の時の「あの日のおにぎり」や、19歳の時、チャイニーズレストランで悔しさを感じて真っ先に買いに行ったおにぎり、いつもどこかでなにか大人ぶろうとして、その流れに気づいて、また原点に帰ろうとするときには、いつでもそこにおにぎりがあったように思います。 背伸びをしようとしている時は、どうしても高い食事に目が行きがちです。しかし、やはりどんな時でも、等身大に、そして自然体に戻るときには、慣れ親しん