大浦湾 ジュゴンの見える丘から

ジュゴンの見える丘 2017

突然ですが、一月ほど前沖縄に行きました。

今まで生きてきて沖縄に行きたいと思ったことは一度もないのですが、何故かこれで三回目です。

沖縄自体は好きでも嫌いでも無かったのですが、どうも都市部での生活や自分の地元に嫌悪を抱いた人たちがドロップアウトする場所のイメージがあるので、あまり印象はよくありませんでした。

もちろん沖縄という場所自体、沖縄の人自体には何の問題もありません。

そこで現地に行って少し考えてみると、沖縄と京都は風土は全然違っても似ているところがあるんだなぁと思いました。

それについては後述しましょう。

さて、タイトルは「ジュゴンの見える丘」ですが、沖縄での出来事をちょろちょろここに記します。

どの場所に行くときもそうですが、「遊びに来てやっている」という感覚を持ってはいけません。最近気づいたのですが、やっぱり心持ちひとつで、その土地に受け入れられるか、拒絶されるかが決まってきます。

意識の持っていき方も変わりますから自分自身でも見えるものが変わってきます。

むしろそう考えるほうが良いかもしれませんが、自分中心に考えるとまさにアイツが出てくるので、ふわっとした気持ちで、その土地を感じる準備をしましょう。

行く前にCoccoの本を手渡されたので、Coccoの本を2冊読むことになりました。

ただ勘違いしていただきたくないのが、別にCoccoに影響されて沖縄行きを決めたとか、米軍基地がどうのこうので行ったわけでもないということです。

行った理由は、「いわゆる親孝行をしたら親孝行の分を沖縄旅行で返された」という感じです。

行ったら行ったでノープランだということでした。

Coccoの本を読んでおいて正解でした。

ということで初日に向かったのは糸満のひめゆりの塔です。

ひめゆりの塔 糸満市

翌日ジュゴンの見える丘へと向かう

沖縄での移動はもちろんレンタカーということになりました。高速道路が制限速度80キロだということはこの時知りました。

那覇市内からブーンと名護市まで。

面白いことに「ジュゴンの見える丘」はグーグルマップで調べるとそのまま場所が表示されます。

ジュゴンの見える丘 GoogleMap

で、高速に乗って近くのインターまで行ってから下道を走っていると、まさかの

辺野古 交差点

辺野古基地反対のデモ

これは帰りに撮りました

大浦湾

で、そのまま走って海沿いに突入した瞬間、明らかに気のレベルが違うというか、俗に言うオーラが違う風景が目に映りました。

ナビを見ると「大浦湾」と表示されていました。

沖縄について特に関心がなかったので、全く無知だったのですが、感覚でわかりました。

ここで、別に流しておいていただいても良いのですが、僕には見えました。大浦湾の海の上の空にしっかりと。まあ共感覚のせいかもしれません。

パズドラのライトニングホーリードラゴンみたいなのが。

いや本当に辺野古基地移設反対とか個人的にそういうのが言いたいわけではなくてですね…

もともとCoccoの本では、ジュゴンの見える丘は、観光客の行かない場所ということで、僕にぴったりだと思ったのと、本の出た時期の問題ですが「ジュゴンが来たことはない」ということで、そういうのは面白いと思ったのが行ったきっかけです。

辺野古の名前はしってても、大浦湾ところだということは知りませんし、前提として大浦湾のこと自体は知りませんでした。

で、2007年にこの大浦湾に本当にジュゴンが来たということを知ったのはこの日の夜に調べて知ったくらいです。

それくらい沖縄には関心がなかったということです。

でも、この大浦湾のもつ気は通っただけでわかりました。そしてジュゴンの見える丘は、この大浦湾を一望する場所なのだということもなんとなく察知しました。

いざ、ジュゴンの見える丘へ

ジュゴンの見える丘の入口

住所を元にナビに示されて到着した場所。

明らかに観光地ではありません。

それで、この場所から山の方に向かいます。

写真で言えば右後ろの方です。

車で少し進む ジュゴンの見える丘

進むと右手には工事現場用の道がありますが、Yの字を左です。

駐車スポット ジュゴンの見える丘

道なりに行くと謎の車輪。

本当はこの先まで車で行けるようですが、草の茂りが結構あるので、この辺に止めて後は歩きです。

ジュゴンの見える丘の手前の平野

真っ直ぐ行くと少し開けた場所に出ます。本来はここまで車で来れるようです。

で、この先はどうあがいても歩いて向かうしかありません。

ジュゴンの見える丘に続く山道

圧倒的に細い山道

ジュゴンの見える丘への山道の崖

左右が崖になっているところもあります。

そんな感じで山道を進んでいくと

ジュゴンの見える丘まであと一歩

だんだん海が見えてきます。ジュゴンの見える丘まであと少しです。

ジュゴンの見える丘に到着

大浦湾 ジュゴンの見える丘から

ジュゴンの見える丘から見た大浦湾。正確にはあの岬の向こう側が大浦湾ですね。

この日は曇り~小雨でした。

ジュゴンの見える丘 反対側

iPhoneのパノラマで撮ったジュゴンの見える丘です。

ジュゴンの見える丘 パノラマ

もうこの丘に呼ばれて来たとしか思えない、といった感想です。

この時僕は沖縄を受け入れ、また沖縄にも受け入れてもらえた気がしました。

実を言うとこの前の日は気候の変化から体調がおかしく、夜中に何度も起きたりして、体が重かったのですが、大浦湾くらいからすっきりして、ジュゴンの見える丘ですべての重たい感じが吹き飛んだからです。

こんな場所を教えてくれたCoccoに感謝です。

沖縄と京都

沖縄と京都、共通点がなさそうなこの2つの場所には共通点があります。

それは、共に観光名所だということ。

そして、その光に感銘を受けて移住しようとする人がいること。

そして、そのほとんどは土地に受け入れられずドロップアウトリターンをするということです。

観光という字からわかるように、光を観るということですが、光の多いところには当然その強さだけ影があります。

沖縄も大昔からいじめを受け続けている土地ですし、京都は京都で、歴史が長い分他府県の人は知らないような深い闇もたくさんあります。

観光で遊びに来る分には光だけ観ればいいので、おそらく感動します。地元の日常から観光地の非日常へ。だからこそ、そんな非日常をスタンダードにしようと、移住なんてことを思うのでしょう。

ただ、移り住んだからと行って、それだけでは沖縄人にもなれませんし、京都人にもなれません。

京都は「洛中に住んで3代目くらいから京都人を名乗っていい」ということになっています。

変な話ですが、山科や伏見は元々京都市でもありませんし、嵐山のある嵯峨方面ですら、京都人からすれば京都ではありません。

その理由を他府県の人たちは、意味のない差別だと感じるかもしれませんが、京都人になれば、それがなぜだかわかります。

 

光の部分だけしか知らない人たちには見えません。

いま京都では、中国人などの観光客がやりたい放題です。

それについて、ほとんどの人が嫌な思いをしているでしょう。

ただ、そうした観光客も別に嫌がらせをしたくてしているわけではありません。

「文化の違いだ」

と説明されることがほとんどですが、その通り確かに常識が違うということになるのでしょう。

それの少し規模が小さい版が、洛中と洛外です。

例えば洛中は道が狭く、車での移動は不合理です。

しかしながら地方の人は、観光に来て平気で人の家の塀沿いに車を止めて我が物顔だったりします。

「田舎と一緒にするな」

それが京都人の意見です。

地方では、道の途中で右折待ちをされると後ろが詰まるので、右折組を先に行かせる風土があるようですが、私たちからすれば、「右折で行こうとするな」です。

そもそも右折しなくて良いように左折で入れるようにぐるっと周るのが普通です。

そのような細かな常識の違いの理由を突き詰めると、古くから都会だということです。喧嘩にならないように配慮が出来上がったというところが京都の文化です。

それを地元の常識を押し付けてくる(例えば中国人観光客だと考えましょう)となると、帰れと言いたくなるのも当然です。それでも良いと思えるのは観光産業の人たちくらいです(彼らはそれに合わせるだけでお金が入りますから)。

で、京都でも沖縄でも、実は観光産業を他府県の人たちが運営していることがよくあります。

自分たちは迷惑をかけられるだけ、じゃあ嫌いになるのも当然です。

さて、話を沖縄と京都に戻しますが、その程度の差はあれ光があれば闇があります。遊びに来ている人たちからは観ることのできない影があるはずです。

例えば移住して、本当にその土地の人間になろうと思えば、その土地の全てを愛す必要があります。

それはひとまず現実をすべてを受け入れるということです。その後自分たちで変革していくかは別として、ひとまず良い部分も悪い部分も含めて受け入れる必要があります。

「沖縄に移住しよう」

とか

「京都に移住しよう」

という人は、それぞれの光の部分だけに感動し、思いつきで言っているに過ぎません。

それは美人を見て、○玉の赴くまま求婚するのと同じです。

もしおいおい相手が痴呆になってその時の介護を自分がするという覚悟などありません。

そういう人たちに、「沖縄最高」とか「京都最高」と言われてもピンときません。

沖縄はその土地面積の関係から、他国に侵略されても構造上勝てません。

その中で、いつの時代もいろいろなところからいじめられ続けてきたという歴史があるでしょう。

それでもどうあがいても勝てない、でも生きていこうというその前向きな究極の諦めが体に染み付いていないと沖縄人にはなれないのではないでしょうか。

僕は当然に沖縄人にはなれないでしょう。そしてなるつもりもありません。

少なくとも、都会でうまくやって行けずに沖縄に来て再チャレンジというのは、沖縄の人にとっても沖縄という土地としても迷惑なのではないでしょうか。

ダメな自分を解放してくれた沖縄で再チャレンジといってもたぶん無理だと思います。根本的に、沖縄になんとかしてもらおうと思うすがり根性が原因なのですから。

観光する分には消費者のままでいいのですが、現地に住み現地に身を埋めるという場合は、同じ感覚のままではいきません。

おそらく現地の人にも、現地の土地にも拒絶されていくでしょう。

それはどの場所でも同じです。ただ、観光客が多い分、沖縄と京都はそれが顕著だと言う感じです。

そう思った時、沖縄の人も沖縄そのものも好きになりました。

たぶん大浦湾とジュゴンの見える丘のおかげです。

 

Category:adventure 冒険の旅

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