タグ別アーカイブ: 宗教

宗教や思想・主義について

倫理と道徳が陥る罠

倫理と道徳が陥る罠ということで、倫理と道徳について触れていきます。徹底的に書いてもいいのですが、深く触れていったところであまり意味を成さないためふんわり書いていきます。 倫理とは、人が生きる上で、理と関係性の中での基準となる行動基準、いわば秩序としての行為の基準という感じです。単純には「人はどうあるべきか」というようなものということになるでしょう。また、道徳とは、結局ある「道」に関して、つまりある基準の上で「それがよし」とされているような指針という感じで、もう少しふわっとした概念です。倫理と道徳の違いとして、倫理は

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「真理」と「真理とは呼べないもの」

「真理」と「真理とは呼べないもの」について触れていきます。 もちろん「あなた達の言う真理が正しい真理ではなく、私の説が正しい真理だ」というような感じではありません。 真理とは、誰にでも再現可能であり、今すぐに確認できるものであり、誰かの主義や考え方で変更できないようなものです。誰がどう考えたところで揺るぐことのない「理(ことわり)」を意味します。法則というふうに考えても良いでしょう。 真理の定義として、論理的な法則に適合していることや命題が事実と適合していることという感じで考えても良いですが、さらにもう少し突っ込ん

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親友からの宗教勧誘とアンチ宗教の終わり

以前に触れたことがありましたが、僕が膨大な量の書物を読み漁るようになったきっかけは、18歳の時の彼女からの宗教勧誘でした。 もちろんそれだけではありませんが、その時人生屈指の集中力を持って考え、考えた結果宗教の教義に対して「価値観が合わない」と話すと大泣きされたという出来事がその後の人生観を大きく変えてしまいました。 そしてまた近頃になっては、20代の初めの頃に親友に宗教勧誘をされたことを思い出します。 特に思い出す必要もないのですが、ただ単なる春先の思い出を記した「洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳

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真夏の墓参りと花々

真夏の墓参りと花々

「墓場ビジネスと霊感商法」などで触れていますが、墓自体はただのビジネスであり、墓参りという文化そのものが、文化という名のマインドコントロールであると思っています。 そんな中、母に頼まれて母方の先祖の墓に花を添えに行くということをこの夏経験しました。 その時に最も感じたのは憂いです。花に対しての憐憫です。 生きている花たちが、もう既にいない死者のために、もっと言えば宗教という狂気のために、なぜ劣悪な環境に晒されに行かねばならないのか、という憂いです。 人がその感情のために、―狂人的思考の結果思いついた行動によって、今

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墓場ビジネスと霊感商法

京都という土地柄もあってか、同級生の家が寺ということも多く、墓場ビジネス、冠婚葬祭ビシネスが盛んに語られる事が多い環境に育っています。 なんだかんだで家の電話を取ってみたら近所の寺からの「お墓のご準備はお済みですか?」という営業だったということもたまにあります。 僕としては昔から墓には否定的な印象を持っています。そして墓場ビジネスはそれほど問題視されないもののタダの霊感商法だと思っています。 そしてたまに何故かいろいろな人の墓参りに付き合うということがあります。どこかに行くついでに「お墓が近くにあるからついでにお墓

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意識の分野の解消法その3 断捨離的に関係を解いていく

世の中では「断捨離」ということで、物を捨てることでスッキリしましょうという感じのことが囁かれています。断捨離がうつにも有効的であるという感じで語られることもあります。不要なものを捨て、所有物を少なくしていこうということで、なるべく執着から離れれば気持ちが楽になるというようなことが語られています。 しかし、おそらくそうした効用的な面だけが語られているにとどまり、本質的なことについてはあまり語られていないと思いますので、あえてそうした断捨離がなぜ効くのかということについて書いていきます。 アイツこと自我の根底にあるもの

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洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた

洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みてみました。宗教勧誘を論破して撃退するという感じではなく、相手のフレーム合わせて、対機説法をしてみるという感じです。 普通は宗教勧誘に対して上手く断るという感じだったり論破して撃退するという感じだったりするでしょうが、僕の場合は目的が少し違っていて、追い返すことではなく、短時間で脱洗脳のタネを撒いておくことです。 先日、Twitterでこっそりつぶやいてみましたが、ほんの少し前の休みの日に我が家に宗教勧誘の人がやってきました。 それで玄関先で話すことになったので

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イスラエルの民族について

ヨーロッパのユダヤ人の運命の決定は、次の世紀がわれわれを招待してくれる演劇のひとつである。 曙光 205 序 一応イスラエルはユダヤ人の国です。で、エルサレムはユダヤ教徒区画とキリスト教徒とイスラム教徒区画があったりします。 日本国内ではキリスト教以外のアブラハム系の宗派について、ほとんど認識がありません。だからその共通点も相違点もあまりわからないまま、ニュースなどで雰囲気だけ伝えられ、感情的に嫌だと思っているというのが本当のところでしょう。 しかしながら、国際的な敵対などを考えたときでも、常に国家という単位ではな

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隣人をもこえて

何だって?真に道徳的なものの本質は、われわれの行為が他人に及ぼす身近で最も直接的な結果を注目し、それに従って決心することにあるというのか?これは狭い小市民的な道徳であるにすぎない。 曙光 146 序 いちばん身近な「隣人」は、家族ということになりそうですが、世の中では家族がいない人もいるので、隣人とは常に接するような身近な人という感じになりましょうか。 僕は昔から実際の家族が一番大事だということを思ったことがありません。 それが何故だったのかはわかりませんが、あまり家族というものに執着自体が無かったのでしょう。 と

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神の誠実

全知全能であり、しかも自分の意図がそれから想像されたものによって理解されることを配慮さえしない神、― それは慈悲の神であろうか?数かぎりのない懐疑と疑念を、人類の救済にとって危険なものでないものであるかのように、数千年も長いこと存続させる神、しかも真理をつかみそこねた場合には、再び最もおそろしい結果を約束する神が?真理を持っていて、人類が真理を求めて悲惨に苦しむ状態を観察しうるのは、残酷な神ではないのか?― しかしおそらくそれはやはり慈悲の神であるであろう。― 彼はただ自分をそれ以上にはっきりとは表現することができ

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貴族の将来

高貴な人々の挙動は、彼らの身体の中で、絶えず力の意識が魅力的な演劇を演じていることの表現である。そこで、貴族的な風習の人間は、男性であれ女性であれ、さも疲れたようにして椅子に腰を下ろすことが嫌いである。 曙光 201 序 先日の投稿「貧困に耐える」で触れた貧乏マインドの反対にあるのがこうした貴族的な風習です。 まあまた新約聖書マタイ6章的ですね。引用しておきましょう。 「断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っ

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罪としての懐疑

キリスト教は円を完結するために全力を尽くした。そして懐疑はすでに罪であると告白した。人は理性なしで、奇蹟によって、信仰の中に投げこまれるべきであり、さてそれから信仰の中を、最も澄み切って明白な活動舞台にはいったように、泳ぐべきである。 曙光 89 前半 「懐疑はすでに罪である」という構造は、カルトを含め世界中の宗教によくありふれている構造です。 「疑うということは信仰心がない」 そういって、考えることをやめろ、という感じにもっていきます。 これは一方で正しく、一方で誤りです。 なぜなら、「疑い、考える」ということは

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戦場で

「われわれは物を、それが値する以上におもしろく考えなければならない。ことにわれわれは長いことそれを、それが値する以上にまじめに考えてきたのだから。」― 認識の勇敢な兵士たちはこう語る。 曙光 567 真面目なことはいいのですが、歴代の偉人とされるような人々をよくよく観察すると、本質に対して真面目であるだけで、社会的には不良だった人が数多くいます。 イエスに関しても、真面目という意味では当時主流だったファリサイ派に対しては異端ですし、先ほどのマルティン・ルターに関してもローマ・カトリック教会からすれば不良です。 シッ

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偉大な慈善家ルター

ルターが及ぼした影響の中で、最も意義があるものは、聖者たちに対し、キリスト教の観想的な生活全体に対して、彼が喚起した不信にある。それ以来はじめてヨーロッパで、非キリスト教的な観想的な生活への道がひらけ、世俗的な活動と世俗人に対する軽蔑が制限された。 曙光 88 序 ここで言うルターは、もちろんマルティン・ルター、1500年代に活躍したドイツの神学者です。世界史なんかでも習いますね。ローマ・カトリックからプロテスタントという宗教改革で有名な人物です。 クリスチャンはその宗派を問わず、時に思い切ったことをよくやります。

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啓蒙主義に対するドイツ人の敵意

過去のものの完全な、また最も究極的な認識という外見のもとに、認識を一般に感情の下に押さえつけること、そして― 自分自身の課題をそのように規定したカントの言葉を借りていうと― 「知識にその限界を示すことによって、信仰に再び道をひらいた」ことは、決して少なからぬ一般的な危険であった、ということである。われわれは再び戸外の大気を呼吸しよう。この危険の時は過ぎ去った! 曙光 197 中腹 啓蒙主義(けいもうしゅぎ)は、封建・地主思想やキリスト教を前提とした思考方法、世界観を批判し、なるべく純化された理性による人間性の解放を

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すぐれた四つ

われわれと平常われわれの友人であるものに対して誠実、敵に対して勇気、敗北に対して寛容、常に― 礼儀。四つの主徳はわれわれにこう望む。 曙光 556 いきなりこんなところで、疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し、といったように戦国武将のような項目になっています。 だいたい「やばい」とされるのが、こうした標語を社長室に飾っている人です。ブラック企業に限って、「十訓」みたいなものを掲げていたりします。 「従業員を人間として正しい道に導くことが私の使命だ」という感じで思っていた

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力に対する勝利

これまで「超人的な精神」として、「天才」として尊敬されて来たものすべてを考慮するなら、大体において人類の知性はどうしても極めて低劣で悲惨なものであったに違いない、という悲しい結論にわれわれは到達する。立ち所にかなり人類を越え出ているという感じをもつためには、これまでほんの僅かの精神しか必要でなかった! 曙光 548 序 人を欺くつもりで演じるのではなく、本人も行ききっている形で堂々と物事を説く人がいた場合、その雰囲気に周りが感化されてしまうということが昔からよく起こっているようです。 曲芸のような「チャネラー」みた

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「死後。」

死後を経験したことがないからこそ、「夢の中では死なない」なんてなことが言われることがあります。 だいたい胡散臭い宗教が心の隙間に入ってくるときは、病気を含めた死への恐怖、身内が死に瀕している時、マルチネットワークが心の隙間に入ってくるときは、ギャンブル的スケベ心か自尊心が傷ついていた自分が認められ、社会的賞賛を受けられるかもしれない逆転チャンスと勘違いする時と相場が決まっています。 さて、死後を想起するということで、だいたいは不安感を煽られます。 しかしながら理屈で言えば、死後を経験した人が今生きているというのは、

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情熱を真理の論拠にするな!

この場合は、情熱=パッション(passion)ということで、殉教としての情熱という感じでしょうか。 世の中には「押しが強い人」がいます。その内容が理不尽であっても押しの強さでやってきたというタイプの人です。 たまに政治家でもそのタイプの人がいますね。というより、そういう人たちはそうした気質を利用されつつ、ほとんど傀儡ですから、それはさておきましょう。 新興宗教にハマった人というのは概して押しが強いものです。 「迷っている人々を救うことで自分の徳が上がる」みたいなことを本気で思っていますから困りものです。 そうした人

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最初のキリスト教徒

聖書の中には、最も野心的で最も厚顔な魂が備わり、また、抜け目がないと同様に迷信的でもある頭の持主である人の歴史、使徒パウロの歴史もやはり書かれているということ、― 若干の学者は別としても、誰がこれを知っているだろうか? ― パウロの書面を「精霊」の啓示として読むのでなく、われわれのあらゆる個人的な危機を考えないで、誠実な、そして自由な自分の精神で読んでいたなら、真に読んでいたなら、― 千五百年の間そのような読者は誰ひとりいなかった―、キリスト教もまたとっくの昔に終わっていたことだろう。 曙光 68 一部抜粋 あらゆ

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バラモン教とキリスト教

力の感情のための処方がある。第一に、自制することができる人々、それによってすでにある力の感情に精通している人々に対して。第二に、まさにこの感情が欠けている人々に対して。第一の種類の人間はバラモン教が世話し、第二の種類の人間はキリスト教が世話した。 曙光 65 この部分は、全体像が掴めればわかるような話ですが、予備知識無しでは紐解くことが難しいですね。書いている内容共々、こういうところがすごくニーチェっぽく感じます。ちなみにバラモン教と言うものはなく、便宜上の定義です。 まあよくスピリチュアリズムなんかで使われるよう

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天才の道徳的な狂気

世の中でなされる悪の四分の三は、恐怖感から起こる。そして恐怖感は、何よりもまず生理学的な現象である! 曙光 538 末 天才の道徳的な狂気ということで、世の中の様々な活動を見てみると、とりわけ歴史なんかを読み込んでいくと、「この人たちは、結局何がしたかったんだろう?」と思うような出来事がたくさんあります。 後世に天才と評価されるからには、何か大した事を成し遂げたというような感じにはなりますが、その内容をよくよく見てみると狂気じみていることがよくあります。 なんだか志が高いということで、美徳のように捉えられているよう

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宗教の起源について

事物について自分自身の意見をどうして啓示として感じることができるのか?これは宗教の発生の問題である。 曙光 62 序 宗教の起源は、埋葬やシンボルの登場、自然信仰、岩石信仰(巨岩信仰)などなどといったところですが、そうした原始的なものから、文化社会的な都合で妄想されてきたものがほとんどです。 理性では理解できないモノへの畏怖を筆頭に、何かしらの感情、元を辿れば生存本能的な恐怖心が発端となり、妄想でそれを埋めるという事がなされてきたという感じでしょう。 本能的な恐怖心は残りつつ知能が発達したために、過去や未来について

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例外で虚栄心が強い

あの人にはひとつの高尚な性質があり、それが自分の慰めになっている。彼はその本性の残余を― ほとんどすべてが残余である!― 軽蔑的にちらっと一瞥する。しかし彼はいわば自分の聖殿に行くなら、自分自身から回復する。 曙光 521 前半 いわゆる宗教やスピリチュアリズムは、ルサンチマンの典型例であり、何か別の基準を採用して自らの自尊心を高めようとする構造を持っています。 特にヒエラルキー(階層)を持つような構造の場合それが顕著です。そう考えるとまさにヒエラルキーの象徴であるテクノクラシーの世界(官僚制ね)、も自分の位置によ

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永遠の葬式

永遠の葬式ということで、葬式の話でもします。 つい昨年の今頃、おばあちゃんが亡くなりました。これで全てのおじいちゃんおばあちゃんが亡くなったという感じです。 ということで、このシーズンになるとおばあちゃんのことを思い出します。 実家建て替えの間、少し離れたところに住んでいたのですが、その頃毎朝おばあちゃんの自転車の後ろに乗って小学校前まで送ってもらっていたことをよく思い出します。 そんなおばあちゃんと最後に観たテレビ番組がブラタモリの「会津磐梯山」の回でした(病室にて)。ということで、なぜか五色沼に行きたくなります

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