タグ別アーカイブ: 倫理・道徳

倫理-道徳に関すること

道徳教師の虚栄心

道徳教師が全体として成功することが少ないのは、彼らがあまりにも多くのものを同時に望んだこと、すなわち、野心に燃えすぎていたことで説明される。彼らはあまりにも快く、万人に対する処方箋を与えようとした。 曙光 194 序 万人がこぞって理解できるような道徳というものはなかなかありません。道徳が倫理的なものであり、社会の中の関係性を示すよう

» 道徳教師の虚栄心の続きを読む


あわれな人類!

脳の中の血が一滴多すぎたり、少なすぎたりすると、われわれの人生は、いいようのないほど惨めになり、つらくなることがありうる。そこで、プロメテウスがそのはげ鷹に苦しんだより以上に、われわれはこの一滴に苦しまなければならない。しかしあの一滴が原因であることをわれわれが知りさえもしないときこそ、一番恐ろしいことになる。知りさえもしないで「悪魔

» あわれな人類!の続きを読む


聖職者の襲撃

「君はそれを自分自身で決着をつけなければならない。なぜなら、それは君の生命の問題であるから!」― こう叫んでルターが跳びかかってくる。首に短刀がつきつけられたようにわれわれは感じるだろう、と彼は思う。われわれはしかし、高級でより思慮深い人の言葉で、ルターを近づけない。「あれこれのことについて、全く意見を立てず、こうしてわれわれの魂から

» 聖職者の襲撃の続きを読む


聖者の人間性

世間の聖者のイメージとしては、どこかしら厳しい戒律を守っていて、温厚で優しい人というイメージがあると思いますが、僕は昔からこの戒律というものについて首を傾げていました。 なぜなら、「戒律を守らなければならない」「律法を遵守しなければならない」という一種の制限自体が、戒律を破る動機の存在を認め、また、強制されることでそれ自体が苦しみとな

» 聖者の人間性の続きを読む


正しく評価されることが珍しい人

多くの者は、何かある方向にひどく不正なことをすることなしには、よいこと、偉大なことに熱中することができない。これは彼の持ち前の道徳である。 曙光 404 偉人と言われるような人、偉業を成し遂げた人、そうした人たちは概してマイノリティです。 育った環境が特殊なものであるというような原因は、あまり関係なく、ひとまず変な人だらけです。 勤め

» 正しく評価されることが珍しい人の続きを読む


一番危険な忘却

われわれは、他人を愛することを忘れることではじめ、愛する価値のあるものを自分にもはや見出さないことでおしまいにする。 曙光 401 「自分自身に全幅の愛を注ぐ」という感じでいきましょう。そうなるとナルシシズムのようだと思う人もいるかもしれませんが、「うぬぼれ」とは少し属性が違いますので注意してください。 所謂「うぬぼれ」は、他者との相

» 一番危険な忘却の続きを読む


将来の徳について

世界が理解しうるものになればなるだけ、それだけ一層あらゆる種類の荘厳が減少したというのはどうしてであろうか?あらゆる未知のもの、神秘的なものに面したときわれわれを襲い、理解できないものの前に崩折れて恩寵を願えとわれわれに教えた、あの畏敬のいたく根本的な要素は恐怖であったからか?そしてわれわれが恐怖感をもたなくなったことによって、世界は

» 将来の徳についての続きを読む


一層やさしくなること

われわれがだれかを愛し、尊敬し、讃嘆していて、さて、あとになってから、彼が苦しんでいることが分かると、― われわれは彼から湧き出てくるわれわれの幸福は、自分自身の幸福の豊かな泉から出てくるということ以外は考えていないから、いつも大いに驚くのであるが― 、われわれの愛や、尊敬や、讃嘆などの感情は、本質的な点で変化する。それは一層やさしく

» 一層やさしくなることの続きを読む


自己弁護する

多くの人間はしかじかの行為をする最上の権利を持つ。だが彼らがそのために自己弁護すると、われわれはもはやそれを信じない。― そして見当違いをする。 曙光 399 自己弁護することにはさまざま弊害があります。それが正当そうに見えるようなことであっても、どこかに自己欺瞞があります。 自己弁護とは、もちろん自分をかばう目的で言い訳がましく弁護

» 自己弁護するの続きを読む


「真理」のために!

「キリスト教の真理が本当であることを証明したのは、キリスト教徒たちの節操のある実行であり、苦しみに際しての彼らの沈着であり、しっかりした信仰であり、何よりまず、あらゆる試練にもかかわらず普及し、成長したことである。」― そのように諸君は今日でもなお言う!気の毒なことだ!これらすべては、真理が本当であることも証明しないし、偽りであること

» 「真理」のために!の続きを読む


なぜ「自我」を二重にするのだろう!

他人の体験の場合それを眺めるのを常としているような眼で、われわれ自身の体験を眺めること、― これはわれわれの心を極めて和らげるものであり、推賞するに足る薬品である。これに反して他人の体験を、あたかもそれがわれわれのものであるかのように眺め、受け取ること― 同情の哲学の要求であるが―、これはわれわれを破壊に導くであろう。しかも極めて短時

» なぜ「自我」を二重にするのだろう!の続きを読む


しかしわれわれは諸君を信用しない

諸君は人間通であることを示したがる。しかしわれわれは諸君の誤りを見落とさないであろう!諸君は、諸君がそうである以上に、経験が豊かで、深く、興奮し、完全であるように見せかけるということを、われわれは気がついていないだろうか? 曙光 545 前半 「わざわいだ!偽善の律法学者パリサイ人よ!あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのため

» しかしわれわれは諸君を信用しないの続きを読む


隣人憎悪

他人が自分自身を感じるとおりに、われわれが他人を感じるとすれば― ショーペンハウアーが同情と呼ぶもの、そしてもっと正確には、苦しみをひとつにすること、共に苦しむことといえるものだが―、他人が自分自身を、パスカルのように、憎むべきものと感じるときには、われわれは他人を憎まなければならないであろう。 曙光 63 前半 隣人憎悪ということで

» 隣人憎悪の続きを読む


真理は力を必要とする

たとえ口の上手な啓蒙主義者がいかにその反対を言うことに慣れていようとも、― 真理はそれ自体では断じて力ではない!― 真理はむしろ力を自分の味方に引き付けるか、あるいは力の味方になるか、でなければならない。 曙光 535 前半 社会を見渡してみると「力を手に入れなければならない」というような印象が多いですが、力は手に入れるものではありま

» 真理は力を必要とするの続きを読む


考えうる将来から

すごく単純なことなのですが、「夢と責任」などで、安易に夢を聞くこと自体が夢を潰している可能性があるということについて触れたことがあります。 幼い時、若いときの少ない情報量でカテゴライズされた中から一つを選ばせるということは、視野を狭め、その他の可能性を排除することになりかねないからです。 そんな時期に「将来の夢は何?」と聞くことは、様

» 考えうる将来からの続きを読む


隠れた人たち

世の中では表舞台に立たずに黒幕に徹している人たちが結構います。 そうすることで、ふとした時の怒りの矛先が自分に向くこともないからです。 意図的に誰かを担ぎ上げているというわけではなく、そうした人を自由に泳がせて、間接的にサポートする形で表舞台に立たせ、いいように使っているという場合もあります。 あえて表には出てこない隠れた人たちは、世

» 隠れた人たちの続きを読む


永遠の葬式

永遠の葬式

永遠の葬式ということで、葬式の話でもします。 つい昨年の今頃、おばあちゃんが亡くなりました。これで全てのおじいちゃんおばあちゃんが亡くなったという感じです。 ということで、このシーズンになるとおばあちゃんのことを思い出します。 実家建て替えの間、少し離れたところに住んでいたのですが、その頃毎朝おばあちゃんの自転車の後ろに乗って小学校前

» 永遠の葬式の続きを読む


自分の内的な力を身近な人たちの中に放棄しない!

すなわち自我[エゴ]を避け、憎み、そして他人の中で生き、他人のために生きるということを― これまでわれわれは、確信を抱いて、また同じように軽率に、「非利己的」したがって「よい」と呼んできた! 曙光 516 文末 「自分の内的な力を身近な人たちの中に放棄しない!」ということをニーチェが書いています。 一応、彼の言う「エゴ(ego)」は自

» 自分の内的な力を身近な人たちの中に放棄しない!の続きを読む


危険な美徳

「彼は何ものも忘れない。しかも彼はすべてを大目に見る。」― そのとき彼は二重に憎まれる。というのは、彼はその記憶と寛容によって二重に人を恥ずかしがらせるからである。 曙光 393 危険な美徳ということで、引用とはあまり関係ありませんが、動物保護団体について、ちょっと考えたことを書いていこうと思います。 まあ少しショックでした。 まずは

» 危険な美徳の続きを読む


礼儀の条件

慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉があるように、丁寧過ぎる対応で逆に相手に対する皮肉を込めているようになってしまうというパターンもあります。 礼儀の条件ということで、礼儀について触れていきますが、これは一種の洗脳であり、意識的な結界でもあります。基本的なマナーというものは「相手を不快にさせない」というものであるはずなのに、礼儀が形式

» 礼儀の条件の続きを読む


記事をパクっていくアフィリエイターたち

たまーに記事がパクられていくようです。 広告収入のために記事をパクっていくということをしている人がいます。 アフィリエイターというか、アドセンス広告収入などを得ようとしている人ですね。 まあ常連さんならおわかりの通り、このブログの内容は僕にしかかけないような内容です。 特にサイドに表示しているPV数の高い記事がパクられがちのようですが

» 記事をパクっていくアフィリエイターたちの続きを読む


悪の瞬間

活潑な性格の人々が嘘をつくのは、ほんの一瞬のことでしかない。そのあと彼らは自分で自分を偽ってしまい、確信をもち、正しい。 曙光 390 嘘をつくのはもちろんですが、嘘をつかれる瞬間というのもなかなか嫌なものです。 その嘘の内容にもよりますが、だいたいは自分都合のスケベ心か身の保身くらいなもので、方便のような気づきのための嘘や「相手を混

» 悪の瞬間の続きを読む


良心の疚しさのない悪事

良心の疚しさ(やましさ)のない悪事ということで、洗脳されてしまった人たちによる「良心の疚しさのない詐欺的営業」についてでも書いていきましょう。 「本当に頭の中はどうなっているんだろう?」 と、僕にはあまり理解できないような人たちがいます。 いい人なのですが、疚しさなく詐欺を行っているような人たちです。 ご本人は良心の疚しさなく仕事とい

» 良心の疚しさのない悪事の続きを読む


道徳的な流行

道徳的な全体判断は何と変化したことだろう! 曙光 131 序 毎度おなじみ道徳の時間です。 世の中には宗教という形を取らなくても、変化感じの思想とか道徳的教義をもって群れる集団があります。あまり言い返せそうにない道徳によって人を洗脳するという感じです。 まあこうしたものの大半は、来世主義だったり、「もうすぐ宇宙人がやってきて地球を支配

» 道徳的な流行の続きを読む


いわゆる動機の戦い

そこでわれわれは、動機の戦いを、様々な行為の可能的な結果の比較と取り違える。― 最も効果があり、そして道徳の発達にとって最も宿命的な、取り違えのひとつである! 曙光 129  文末 根本的な動機を探ってみるということを試みた場合でも、頭で考えていては、全然根本的ではないことを「根本的な動機だ」と結論づけで納得してしまうことがあります。

» いわゆる動機の戦いの続きを読む


あまりにはっきりと物をいう

完全で軽快な文体は、完全な聴き手に対してのみ許される。曙光 375 末文 僕は特に「尊敬する人」がいないのですが、「すごいなぁ」と思う人はたくさんいます。 そのうちの一人は、合気道の塩田剛三さんです。またもや故人ですね。おそらく一般に認知されている人の中では、人類史上最強の武道の達人ではないでしょうか。 塩田剛三氏 女性、特に女の子に

» あまりにはっきりと物をいうの続きを読む


雑な首尾一貫性

われわれは特筆大書していう。「これこそ特色のある人物だ!」― そうだ!彼が雑な首尾一貫性を見せるとき、それが、どんよりした眼にも明らかであるとき!しかし、一層鋭く、一層深遠な精神の持ち主がいて、高級なやり口で首尾一貫して見せるや否や、観客は、特色のある人物がいるということを否認する。そこで狡猾な政治家は、一般に雑な首尾一貫性で偽装して

» 雑な首尾一貫性の続きを読む


自分の美徳から逃亡する

折に触れて自分自身の美徳から逃亡する術の心得がないのなら、思想家など問題ではない!思想家は言うまでもなく「単なる道徳的な存在ではない」のでなければならぬ! 曙光 510 そう言えば最近タイヤの細いチャリの発見率が下がってきました。彼らの中でブームが去ったのでしょう。 「自分に酔いつつ、影響されやすい人」という人は一定数存在します。 純

» 自分の美徳から逃亡するの続きを読む


恐怖が変われば、安全も変わる

幾度となくお伝えしてきた「白い靴下事件」の舞台、我が母校が今年に入ってからメディア取材を受け、僕の後輩に当たる中学生たちが写真に映っていました。 その時見たものは「蛍光オレンジの靴」です。 こうしたように常識など、どんどん変わっていくものです。 さて、「恐怖が変われば、安全も変わる」です。 状況が変われば恐怖や安全の定義も変わる 状況

» 恐怖が変われば、安全も変わるの続きを読む


支配する

ある者は、支配欲からして支配する。他の者は、支配されないために支配する。― 後者にとっては、それは二つの悪の中で小さい方の悪であるにすぎない。 曙光 181 支配と被支配について考えたわけでもないのですが、世の中の大半の人は、支配されたいという側にいます。おそらく9割以上でしょう。 それは性欲動的なものなのか、意識の中の刷り込みなのか

» 支配するの続きを読む