タグ別アーカイブ: 倫理・道徳

倫理-道徳に関すること

大口の生命保険契約に潜む罠の見抜き方

大口の生命保険契約に潜む罠の見抜き方ということで、生命保険の胡散臭い詐欺的営業について触れていきます。生命保険等金融商品の不適正募集の背景や手口の続編であり、その補足といった感じです。 僕も金融関係の業界にいましたし、当然にそうした業界にたくさん友だちがいるため実際の営業方法を含め業界の情報がたくさん入ってきます。 生命保険等金融商品の不適正募集の背景や手口や無面接募集の生命保険契約を無効にするなどで生命保険に関する不適正募集、つまり不正営業、不適正営業について触れていましたが、それが現実となるように、最近某生命保

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足音や振動など隣の家の騒音への対処

足音や振動など隣の家の騒音への対処ということで、隣人がもたらす騒音への対処について触れていきます。 二ヶ月ほど前、直接注意に行ったりしましたが、最近また調子に乗り始めているので、そろそろ本格的に対処しようかなぁと思います。 この騒音についてですが、一般生活レベルの騒音ではなく、親が煽ることで子供が走り回る時に生じる強烈な足音というか振動という感じです。 まあ単純には親が「えーい!うぇーい!」などと煽り、子供が「あーあー」などと騒ぎながら「ドドドドドドド」と走り回るという感じです。 「公園でやれ」 ということになりま

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際限のない「何をどこまで」を防ぐ表現

良いことと悪いことを考える時、通常の加点方式で考えてしまうと限界がなく「これでよし」という定義ができません。 「この心が苦しみを受け取る」という視点から考えた場合、いわゆる幸せ的なものは加点方式ではなく「本来の完全で理想的な状態を阻害しているものを削ぎ落としていく」という構造になるはずです。 「対人恐怖と人間不信への対処」や「この世界のささやかな全て」などで善行為的なことについて「表面的な作為のみならず不作為すらも、不善ではないという事自体が、絶対値的に差分だけ与えられたということになる」という感じのことを書いたこ

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起こった出来事に対する処理と今後の予防

社会における物事の善悪や正義的な判断には、処理と予防という視点が必要になります。いわば非難する側される側といった人達の間にある紛争においても「起こった出来事に対する処理」の意味合いと「今後の予防」としての観点を検討するのが一番です。 そしてその対象範囲を個人間という範囲、そして社会全体という範囲、それぞれで俯瞰しておくとすぐに解決するはずです。そうしたメリットを知ってか知らずか、こうした点はかつて暗黙の了解的であった印象があるのですが、あまりにも自己という視点のみしか見えていないような印象を受けました。 単純には言

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頻発した自転車トラブル

令和に入ってからというもの、家族たちに若干のトラブル的なことがよく起こりました。といっても自転車トラブルで、一方的に被害を受けるような感じのことばかりです。 それもなんだか変な感じで、一昔前ならあまり起こり得なかったような事柄ばかりです。少し全体を見れば問題点もすぐに発見できそうなことばかりで、いかに加害者が近視眼的かということがよく分かるような事例ばかりでした。 ― 以前までは前に出てこなかった人たちが変に前に出てきたり、責任感があったであろう人たちが責任回避をしだすという部分などが影響しているような気がします。

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動物愛護からみる人のあり方

動物保護と虐待といったコントラストによって、倫理的な人のあり方が見えてきます。 「Finn’s Lawと動物保護の意識」で触れていた「フィン」の活躍の動画を観ていると、関連動画で動物保護団体の活動の動画が出てきました。 すると関連動画で日本語で再編集された動画が出てきたのでいくつかご紹介しておきます。 動物を虐待するのも人間なら救うのも人間です。 それを見た時、トルコにてぼったくりバーで胸ぐらを掴んできたのもトルコ人なら、バスの休憩時間に紅茶をおごってくれたのもトルコ人だったことを思い出しました。詐欺を働きかけてこ

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Finn’s Lawと動物保護の意識

つい一ヶ月くらい前のことですが、BBCによると、イギリスで動物保護法の改正案が上院でも可決され、ひとまずイングランドとウェールズで適用されるようになったようです。 Finn’s Law: Stabbed police dog law given Royal Assent Finn’s Law(フィンズ・ロー)と呼ばれるこの改正案は、内容としては、警察犬を傷つけた場合の適用法が器物損壊罪のみであったところを、動物保護法の上で罰することができるようにするためのものです。 外国法なので詳しくは知り

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うさぎのファミリー認定と食による馴致

養子のうさぎが教えてくれたファミリー認定の厳しさについてでも触れていきましょう。 うさぎが亡くなってしばらくが経ちますが、彼のファミリー認定が著しく厳しかったことを思い出したりします。 これは、愛情表現として舐めてくるという行動をすることをもってファミリー認定と考えた場合、その認定基準がかなり厳しく、末期に世話をしていた父や母ですら最後まで舐められたことがなかったという感じでした。 その線引が一体何だったのかを考えると、やはり下の世話あたりになるのではないかということを思ったりします。 元気な時であれば小屋の掃除、

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不当な賃下げへの対抗

マキャベリによると「君主は、恐れられたとしても恨まれてはならない」、「財産などを一方的に奪うと恨みを買い、革命を呼び起こす」ということのようです。 それを実感どころか平民側として革命的に反乱を起こした経験があります。と言っても大したことはありませんし、見方によったら非難されるのは僕たちの方でしょう。 でも、この時に経験した知略は今も活きていますし、革命を起こされた側の失敗の要因もよくよくわかっているので、個人的には良い経験だと思っています。 僕の労働組合未加入の原点であり、正攻法ではない大人の喧嘩の仕方の原点です。

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偉大なるセキセイインコのプーコちゃん

この季節、春から初夏にかけての陽射しを浴びると、セキセイインコのプーコちゃんのことを思い出します。プーコちゃんはメスのインコであり、僕にとってはお姉さんのような存在でした。 人生で一番誰かを応援した瞬間は、今でもプーコちゃんが卵を産んだ瞬間です。諸手を挙げて応援していていました。 その時産んでくれた卵は無事に孵り、ひなが生まれました。 大好きなピーコちゃん(オス)とプーコちゃんの子どもです。 ピーコちゃんにお嫁さんがやってきた 小学生の頃、ある時家の近くの会社に勤めるおばさんが、メスのセキセイインコを連れてやってき

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爆笑して起きてしまうゆかいな夢

僕は今なお夢に爆笑して起きてしまうことがあります。 月に一度以上はそんな感じで起きてしまうのですが、ゆかいな夢で爆笑し、愉快な気分で目が覚めます。 つい先日は、養子のうさぎやインコのピーコちゃん、ガチョウの雪雄や鹿の王などを筆頭とした仲の良い動物や鳥、以前に保護したアシナガバチや逃した米びつ虫をはじめ、ひっくり返っているところを起こした虫たち、宝ヶ池の鯉たちなどの魚類、家に現れたヤモリなどの爬虫類、それに家にいる植物たちなど、ありとあらゆる生き物たちに全身を覆われ、愛情表現的に舐められたり体を這われたりしながらくす

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表と裏と社会性と匿名性

一時期やたらにインターネット上で著者を示そうとか実名で公開させようとするような流れがありました。しかしそれは、インターネットの役割として相性が悪く、頓挫する形になりました。 まあインターネットの匿名性は、時に社会の中で問題となることがありますが、そうした場合被害者側の思いばかりが語られ、匿名性がもたらした害悪だということが語られたりしています。 そうした問題自体は、インターネットにまつわる一つの問題としての側面として、事実として検討してくべきポイントとなりますが、いわゆる加害者側にも動機の発生から実際の行動までの間

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趣味や職業と生き物の命と不殺生

「趣味や職業と生き物の命と不殺生」ということで、生き物の命と人が生きていく上での殺生について触れていきます。 たくさんの数のご連絡の中から「趣味の釣り」や職業として殺生を避けられない職業についてのご質問を受けました。 趣味としての釣りにおいては、海の生き物に対する殺生が関連し、ガーデニングにおいてもいわゆる雑草取りや害虫駆除という殺生が関連してきます。 職業としては、畜産や漁業・狩猟をはじめ、農業や造園であっても先のガーデニングと同様の殺生が関連してきますし、清掃や建築関連であっても多少は関連してきます。 究極的に

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内発性と自発性

一見同じように見えてしまう「内発性」と「自発性」は、似て非なるものであり、「内発的」と「自発的」というものも異なる概念です。 まあ言葉の定義というものは、各々の方々によって違ったりしますが、ここでは、アリストテレス的に内発性と自発性について少し触れていきます。先程、類語について触れていたのでそのついでです。 世の中では内発的動機づけと称しながら、人をマインドコントロールしようとする人たちがいます。新入社員研修などでもありがちです。 その内発的動機づけという言葉における内発的という言葉は、おそらくアリストテレスが言っ

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その時間を無かったものとして扱う人たち

世の中には平気で遅刻したり、残業代や取引代金を支払わなかったりする人がたまにいます。僕としては信じられませんが、いくら世の中が変化していこうが、未だにそうした人たちがいるようで、その様子が耳に入ってきます。 それら人たちのその行為は、要約して言うならば「その時間を無かったものとして扱う」ということです。 約束の時間にこないということは、その時間に来ていた人たちの待ち時間というものをまるで無かったかのように扱っているということになりますし、残業代を支払わないということは、働いた人の時間、働いていた時間を無かったものと

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パワハラの境界線

世の中では、パワハラが問題になることも多いですし、僕もたまにパワハラ野郎という概念を使うことがありますが、そうしたパワハラの境界線を捉える上で、面白い人がいたことを思い出しました。 定義上パワハラは、パワーハラスメントなので、嫌がらせ要素が必要になり、職場への悪影響が発生していることが定義上の要件となります。 そういうわけでただ単に客観的に暴力的な指導であるからと言ってパワハラと判定することはできません。 それをパワハラとするには、やはりその奥に「自尊心の補償」という概念や八つ当たり的な要素が必要になりますし、「職

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お通しやサービス料、保証金といったよくわからない商慣習

以前にも少し触れていましたが、20歳前後の頃よくわからない商慣習のおかげで外出するのが嫌になったことがあります。 いまでこそかなりマシになりましたが、当時、居酒屋のお通しと呼ばれるようなものを筆頭に、飲食店などにおいて謎のサービス料のようなものが何の説明もなしに料金に付加されたりして困惑しました。 最近ではメニュー表に記載されるような時代になったので若干は気楽になりましたが、このとき感じた違和感によって未だに飲食店に行くことがあまり好きではありません。 何故そのようなことが通用していたのかが謎でしたが、やはり納得が

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君主論から考えるいじめへの対応と対策

生きる苦しみについて書いたりしたので、わかりやすい苦しみとしての「いじめられること」について考えてみましょう。 以前「なぜ、人をいじめてはいけないのか」で、善悪基準からいじめがいけない理由などについて考えてみてもほとんど無駄ですよというようなことを書いてみましたが、いじめが良いとか悪いとかそうした絶対的な善悪基準や倫理道徳云々はさておいて、自分が不当ないじめにでも遭ったら、それはもう苦しくて嫌であることは明白であり、その状態から脱することは本能的な恒常性として議論の余地無く対応していかねばなりません。 社会全体的な

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倫理と道徳が陥る罠

倫理と道徳が陥る罠ということで、倫理と道徳について触れていきます。徹底的に書いてもいいのですが、深く触れていったところであまり意味を成さないためふんわり書いていきます。 倫理とは、人が生きる上で、理と関係性の中での基準となる行動基準、いわば秩序としての行為の基準という感じです。単純には「人はどうあるべきか」というようなものということになるでしょう。また、道徳とは、結局ある「道」に関して、つまりある基準の上で「それがよし」とされているような指針という感じで、もう少しふわっとした概念です。倫理と道徳の違いとして、倫理は

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ネット空間での人格

古くは掲示板、最近では動画共有サイトや匿名系SNSなどなどでの振る舞いがよく問題になっていますが、考えてみるとネット空間においては、少なからず人格が変容しているのではないかということを思っています。 一部の人において、それは「その人のその部分」というような一部的なものではなくて、インターネットに触れている時は全く別の人格になっているというような感じです。 匿名性がある方が、普段の主要な社会的役割の制限なく自由に活発な議論ができるというメリットがあります。 例えば、会社勤めの人で性同一性障害のある人が実名でそうした話

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誠実な遊戯

多くの者は誠実である。― 感覚を佯ることが嫌いだからではなく、その佯りに信用を得させることがうまくゆかないであろうからである。要するに、彼は俳優としての自分の才能を信用しないで、誠実を、「誠実な遊戯」を好むのである。 曙光 418 「佯る」は「いつわる」と読みます。字義的には「偽る」と変わりありませんが、もしかすると何かのニュアンスの違いがあるのかもしれません。訳者の意図するところは知りませんが、一応「出会い」を無駄に「出逢い」と書きたがるような感じで使用されているのではないと思っておきます。 さて、誠実な遊戯です

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不殺生戒と人を殺してはいけない理由

不殺生戒(アヒンサー)と人を殺してはいけない理由、という感じで、生き物の命について書いていきます。 戒めとしての不殺生戒(ふせっしょうかい)をただの戒めとせず、全ての生き物に対する不殺生について、その本質と不殺生戒の本意について書いていきます。また、不殺生戒と合わせて「人を殺してはいけない理由について」も書きますが、もちろん人だけではなく、全ての生き物に対する殺生を否定することについてが主題となります。 殺生を禁ずる「生き物を殺してはいけない」という戒律、「不殺生戒(アヒンサー)」と呼ばれるものは仏教における「戒め

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倫理的な奇蹟

倫理学という科目がありますが、何だか哲学とごっちゃにされていたりしつつ、「誰々の〇〇という思想はどういうものか?」というお勉強の類に終わっているのが非常に残念だと思っています。大学の学部に関しても、海外では哲学部というものが結構あるそうですが、日本では文学部哲学科という省庁で言うところの庁くらいの位置付けになっているようです。 義務教育ではそうした哲学や倫理思想、そして道徳がごっちゃになっていて、ありえないほどの短絡的な道徳が教え込まれていたりします。 かなり前に「覚えやすい誕生日」で「母の日の一件」と言うものをお

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倫理的世界秩序の妄想

あらゆる罪が贖われ償われることを要求したような、永遠の必然性は全く存在しない。― そのようなものが存在するというのは、罪として感じられるすべてのものは罪であるということが妄想であるのと同じように、恐ろしい、ほんの僅かな部分だけしか有益でない妄想であった―。物ではなく、全く存在しない物についての意見が、人間の心をそのように乱したのである! 曙光 563 世界平和を夢見る人たちは数多くいます。おそらくそれは今現在だけの話ではなく大昔からです。 社会的に見れば、争いの種はほとんど「君主」にあります。 国と国の戦いは国同士

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道徳教師の虚栄心

道徳教師が全体として成功することが少ないのは、彼らがあまりにも多くのものを同時に望んだこと、すなわち、野心に燃えすぎていたことで説明される。彼らはあまりにも快く、万人に対する処方箋を与えようとした。 曙光 194 序 万人がこぞって理解できるような道徳というものはなかなかありません。道徳が倫理的なものであり、社会の中の関係性を示すようなものだからというのがその最たる理由でしょう。 ともすれば、全体に適用するのか個に適用するのかというような尺度を元に、功利的・数量的に全体を包括しているもののほうが優れているというよう

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