倫理と愚化

風習とは、利益になるあるいは害になると思われるものについての、昔の人間の経験を代表する。 ― しかし風習のための感情(倫理)は、ある経験そのものに関係しないで、風習の古さ、神聖さ、明白さに関係する。そしてこれによってその感情は、人が新しい経験を重ね、風習を修正することに反対の働きをする。 ― 倫理は人を愚化する。 曙光 19 株式会社

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自発的な意志による苦悩の道徳

友人が自発的に「新興宗教に入った」と告白してきたことがあります。 実はそれは後に告白されたというより、その宗教団体に属しているということを先に知ってから、友達になったのですが、僕はご周知の通り宗教には絡んでいません。宗教ではないというような団体にも属していません。 新興宗教・カルト宗教はもちろん、それに類するような団体には関わりたいと

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宝ヶ池

宝ヶ池(宝ヶ池公園)

宝ヶ池(宝ヶ池公園)について。京都市左京区にある宝ヶ池公園に関する情報及び宝ヶ池に訪れる方々へのお願いです。 宝ヶ池(宝ヶ池公園)はその周りが遊歩道になっています。老若男女が訪れる自然あふれる公園です。メインとなる宝ヶ池周りの遊歩道の他、子どもの楽園、菖蒲園(しょうぶ園)、いこいの森、桜の森、北園、野鳥の森、梅林園などがあります。緑あ

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よい自然と悪い自然

よい自然と悪い自然

自然か人混みかの二択なら、断然自然によく行きますが、三流のコンサルですら何かの本で読んで知っているように、自然を見て「いいなぁ」と思える原因としては、「視界が開ける」ということが一つのポイントになります。 これを何処かでサービスとして味わおうとすると、ただ単に視界が開ける、ということを味わうがために料金は数倍になったりしますが、それで

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文明の最初の命題

野蛮な民族にあっては、その意図するところが要するに風習であるように思われる一種の風習がある。 綿密すぎる、そして根本において余計な規定がある。 曙光 16 序 余計な規定はこの世の中にたくさんあります。 「それがみんなのためになる」とか、「地球温暖化防止のため」など、なんでも理由をつければ相手は従うだろう、というようなもので、自分の都

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最も古い慰めの手段

人が慰めを欲する時は、自尊心が欠落した時です。自尊心の欠落は本能的恐怖心が社会的フィルターにかけられた時に顔を出してきます。 世の中には、自尊心の欠落を食い止める、もしくはその充足に関する提言で溢れていますが、自尊心自体が虚像であり、それに関する解明解決策は、アイツの内で踊っているだけです。 最も古い慰めの手段ということで、自尊心を回

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道徳の歴史における狂気の意義

狂気という言葉は、「みんながやっていないことをやっている」という意味で、常識はずれの範疇にあります。 その常識はずれの中でも自分に害がありそうなものは「狂気」になり、自分の利益になりそうというようなことは「偉業」などと言われたりします。 無害というかほとんど自分とは関係なさそうならば、印象は「変な人」くらいのものです。 それくらい人の

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人類の新しい教育のために

たまに掲示板みたいなところに標語が貼ってあったりします。 標語を集めて意識を高めようというのは義務教育と公務員の発想ですが、実際に選考に関わる審査員はやっぱりギムキョなので、何が問題かということに気づいていないことがよくあります。 たとえばこのような標語ですが、まず「君なんだ」ということで、どうして他力本願なのか、という疑問が残ります

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付加物としての結果

昔、人々は、行為の結果ではなくて、自由な付加物―つまり神の付加物であると信じた。これよりも大きな混乱が考えうるであろうか! 曙光 第一書 12 行為の結果ではなくて、それが「もたらされた」というような勘違いですが、どうしてそのようになるかというと、アイツにはその因果関係が理解不能だからです。 それよりも少し小さい混乱としては義務教育の

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民間道徳と民間療法

民間道徳であっても、それが心をきれいにするようなことであれば、基本的には問題ありません。基本的には問題がないのですが、それを条件化してしまうので、最後の壁で結局逆戻りしてしまうことがあります。 たとえば、苦しんでいるような人を民間療法で苦しみを一時的に解除することはいいですが、その民間療法を条件にしてしまうとそれに捉われていきます。

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倫理の感覚と因果関係の感覚との相互運動

倫理の感覚と因果関係の感覚との相互運動ということで、ニーチェはまさに曙光のこの項目で、核心に迫るようなことを言っています。 「必然的な作用を把握する」、つまりあるがままの因果関係だけ把握できれば、アイツの特性である、空想的な因果関係が破壊されるということについて触れています。 空想的な因果関係を観察する 「空想的な因果関係」とは先に触

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風習の倫理の概念

倫理とは、いかなる種類の風習であるにせよ、風習に対する服従より何ものでもない―。 風習とはしかし行為と評価の慣習的な方式である。慣習の命令が全くない事物には、倫理も全くない。 曙光 9 一部抜粋 さて、風習とはいったいどのようなものでしょうか。 「風習とは、行為と評価の慣習的な方式である」という感じでニーチェは語っていますが、まあたい

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変容

「ずっと変わらないもの」というものはありません。それは自分が過去との対比との中で変化を検証している対象のみならずです。 変容(へんよう)とは、一応姿形が変わることを意味しますが、変化との違いとしていろいろな説明がなされています。変化は物理的変化であり、変容は質的変化であるという定義や、変化は可逆性をもつが、変容は不可逆性を持つというよ

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カタツムリ

ONE LIFE

ONE LIFE/the pillows 昔は家の前にも蛙や蝸牛がいました。もう20年くらいは見ていないような気がします。母校も昔は校舎裏が森のようになっていました。今ではその面影もありません。 母校もそうですが、観光客への見栄か、地元の「無菌状態」を好む人のヒステリーかわかりませんが、京都中が整備されすぎて、どんどんその土地らしさが

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空間感情の学び直し

たしかなことは、最高の幸福と最低の不幸の間の空間の広さは、想像された物の助けを借りてはじめて作り出されたということである。 曙光 7 一部抜粋 最高の幸福を自己啓発ウェーイは「最幸」と書きます。それだけで新興宗教のような胡散臭さが拭えません。たしかなことは、最高の幸福は、群れてウェーイすることではありません。 幸福と不幸の間に空間があ

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第300回投稿記念

またまた特別企画中かつ、書庫の作成中ですが、これで300記事目になるので少し中断して、第300回投稿記念の回にしようと思います。中断というよりも、合間合間に普通のやつを挟んで行くつもりですので、あまり関係ありません。 常連さんいつもいつもご高覧ありがとうございます。 早いもので記事は300になりました。一周年までにどれくらいになるのか

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書庫の作成

特別企画中ですが、投稿時期にとらわれないようにカテゴリ別のページ送りを設けました。特別企画中は、なるべく連続して投稿しないと前後ページの一貫性が保たれません。 それを気にしないでおくためと、一応全記事一覧を設けてはいるものの、数が増えると内部リンク構造を見直さないと埋もれてしまうものが生まれるのではないかということで、さらなる内部リン

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奇術師とその反対

マジシャンの方は、複雑な因果律を単純な因果かのように見せ、学問は単純な因果律を複雑なように見せて単純な因果律を放棄させる。 ニーチェはそのようなことを言いましたが、これはアイツの特性でもあり、また単純に大学の授業のことを言っています。 ということで簡単なことを難しくし、単純な因果律を放棄してしまうということについて触れていきましょう。

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感謝しなさい!

どうして命令されなければならないのか、多感なティーンの頃には悶々と考えなければなりません。 感謝というものはこちらが一方的に即時的に、わき上がってくる性質のもので、「感謝しなさい!」の一言は、感謝している素振りをしなさい、ということになってしまいます。 どれだけありがたい状況か考えてみなさい もしくは「どれだけありがたい状況か、考えて

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夢想された天体不調和に反対

ニーチェは時々こういった、自称アーティストの劇団員がソーシャルネットワークでつぶやきそうなことを言います。ただ、これはタイトルであって、続きがあります。彼には彼なりの考えがあったので、今回は引用します。 夢想された天体不調和に反対。―われわれは多くの誤った雄大さを再び抹殺しなければならない。それはあらゆる物がわれわれに要求する正しさに

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物には時がある

物が物として存在するためには時間が必要になります。 すごく簡単な話で、認識するためには時間が必要だからです。 認識がなければ物は存在していようが、存在していないのと同じです。五感のうちのいずれかに認識されなければ、無いのと同じです。 そしてほんのわずかでも認識には時間が必要になります。ストップウォッチでは測れないほどの時間かもしれませ

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学者の偏見

ある研究が始まり、そのことは研究し尽くされている、ということは正しい意見ではありますが、昔より今の方がその分野への理解は進んでいるというのは全く誤謬で、さまざまな方法論的なジャンルやデータはたくさん膨らんでいったとしても、それは表現が変わっていっただけで一切進歩していない場合もあります。 さらにはそれどころか、元々は純度が高かったもの

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つけ加えられた合理性

事物はそれが人に観察された時に解釈が生まれ、人に観察されるにつれて、「法則性」が発見され、他人に指し示しうるものとして扱われ始めます。 今その場で起こる現象の解釈が、もし誰かから教わった「法則性」というものの影響を受けないのならば、その場で起こる感情は、純粋なものになります。 一見合理的な行動も、それによって得れうる結果についての合理

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特別企画 その5

投稿数で言えば普通の投稿より特別企画だらけになっていますが、文字数が全然違うということから分かるように、趣旨が違います。 基本的に特別企画は、普段なら出てこないようなことを絞り出すために、ある種の制限と、ある種のブースタ―としての形式を設けて、内側から絞り出そうという趣旨があります。やはりブログ形式で「どこまで一応のオリジナルコンテン

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保証期間は1年です

たいていの家電などはメーカー保証が1年になっています。 この「保証期間1年」というものに関してトラブルがありました。 昔学校で習ったのですが、隠れた瑕疵(欠陥)については、変に販売店保証などをつけると、瑕疵担保責任の特約になって「知ってから1年」ではなく、契約時に設定した期間に限定されてしまうというようなことを聞きました。 参考までに

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どせいさん

どせいさん

どせいさん もちろんこの方。 MOTHERシリーズでおなじみになったどせいさんです。 「380どる あったら うらかんぽー かえるのになー。1780どる あったら いのちのつのぶえ かえるのになー。」というようなことで有名ですが、「ぐんまけん!」や「もういちど ぽてんしゃる!」などの短文ももっと有名です。 そんなどせいさんですが、以前

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飯に行く

中学生の頃からでしょうか、昔から「今度、飯でも」という言葉には違和感を感じていました。 何かと「飯にでも」という言葉が使われますが、まず前提として食事自体はなるべく一人がいいと思っていたりもします。 それはさておき、社交の場においては、どうしても「まあまた今度、飯でも」というような言葉が使われたりします。それで、その「今度」があった試

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差がわかる

アイツこと自我とは、何かと何かを分ける機能ですが、ここで重要になるのは差がわかることと、差をつけてしまうことは全く別物だということです。差がわかるのは機能が純化されているだけで、差をつけてしまうのは観念による判断、という思考の産物だからです。 音楽をやろうという時に、耳コピができない人がいますが、僕はそれが信じられません。何十本も楽器

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友達申請とお知らせ

「人脈を広げたく友達申請をさせていただきました。よろしければよろしくお願いいたします」 SNSはほとんど触りませんが、こういった類のメッセージがよく送られてきます。月に数件でしょうか。それどころか社長同士の集まりに行ったりすると、その名簿を見て検索してただ友達申請してくる人もいます。 名刺交換すらしていないのに友達申請をしてくるという

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本とマンガ

親戚に究極なギムキョな人がいるのですが、確か二十歳頃に「マンガはよくない」というようなことを言われたことがあります。その頃は毎日のように本を読んでいましたが、マンガが良くないと思ったことは一度もありません。むしろ本よりも表現が多彩なのでよい表現方法だと思います。 公式的なものを示す場合には「無駄が多い」ということになりそうですが、日本

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by bossu

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