原因や結果や現実の軽蔑

結局現実的なものは、それが象徴でありうるかぎりにおいてのみ、まだ価値があるのだと考える。こうして人間は風習の倫理に威圧されて、第一に原因、第二に結果、第三に現実を軽蔑し、すべての彼の高級な感覚(畏敬や、崇高や、誇りや、感謝や、愛の感覚)を、想像された世界、いわゆる高級な世界と紡ぎあわせる。そしてやはり今日でもわれわれは、人間の感情が昂まる場合には、何らかの方法であの想像された世界が働く、という結果を見るのである。悲しいことである。しかしいつかは学問的な人間にとってすべての高級な感情が疑わしくなるに違いない。 曙光33

原因、結果、現実、これらを軽蔑して、何か別のものと関連させようとするのはトンチンカンであり、トンチンカンのやることです。

「関連して納得しよう」とするのはアイツの働きですから、本来は「即時的にそれで終わり、何も考えないくらいでちょうどいい」といったようなところでしょうか。

しかしながら、それを少し離れて原因と結果を「アイツ」が考えたときに、原因を探して潰せば結果である現実が変わる、ということをやろうとします。残念ですが、これはほとんどの場合徒労に終わります。

「太ももをつねると痛い」、これはつねることをやめれば痛みはなくなります。因果の探求は、そのレベル位に終わらせたほうが賢明です。

原因を探してそれを潰そうとする試み

以前、有名なラジオ番組であった話ですが、「どうやったら夫が早く帰ってくるか」ということを考えて、「おいしいご飯を作ったら早く帰ってくるかもしれない」ということが議論されていたというような内容の回がありました。

同様に、好きな人を振り向かせたいということで、モテテクを研究したり、雑誌に書いてあるような「今年の愛されメイク」などを試したりしますが、ほとんど効果はありません。

自分がモテないのは、デブだからだ、と結論づけてダイエットなどを頑張りますが、そんなことはしなくてもかまいません。

モテない人の妄想

100%の人間に対しての100%の確率のモテ、というのが存在し、それへの階段が「スペック上げ」だと思っているのはモテない人の妄想です。

同様にハゲがモテない、ホーケイがモテない、というのは都市伝説ですから、信じてはいけません。

あれはそれに対する需要を生み出して、解明解決策を提示する産業がそのように広告しているだけですから(いわゆるコンプレックス商法ですね)。

ただ、絶対的に拒否する層もいるとは思います。そういう人は初めからパスするに越したことはありません。

世のスーパートレーダーたちも、全ての銘柄で勝てるとは思っていません。勝てる銘柄を見つけたり、ダメな時は素早く損切りできるからスーパートレーダーなだけで、市場にある100パーセントの銘柄に投資するというのは今のところ聞いたことがありません。

モテる秘訣とモテない理屈

過去など知らなくていい

つまりは、原因の探求をしても、そこでの法則が本当に今後適用されるかはわかりません、というようなことです。つまり「過去など知らなくていい」ということです。

これは他人に対してではなく、自分に対しての方が重要です。

「自分はデブだからモテなかった」というのは、デブだからモテなかったわけではありません。

よく言われるのが、デブだからモテないという「自信のなさ」です。

自信のなさと攻撃態勢

ここで考えられるのが、体育会系のように「自信を持て」と言われてもそんなことはできない、というものです。これは非常にわかります。言われてすぐに変えられるなら、もうすでにしてきたはずです。

そこで次に陥るのが、「攻撃態勢」です。自信のなさを潰すように、攻撃的になってしまう人がいます。いわゆるアンチというやつでしょうか。ただ、そんなことをしても嫌われます。

次に「じゃあどうしたらいいんだ!」というヤケクソの境地が訪れるでしょう。

チャンスはその時です。「何も変える必要がない」と気づく時です。

原因や結果や現実の軽蔑 曙光 33

Category:曙光(ニーチェ) / 第一書

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