カテゴリー別アーカイブ: 菊花の約

雨月物語「菊花の約」より

菊花の約(ちぎり)

菊花の約

旧暦五月の雨月に開始した雨月物語の菊花の約(きっかのちぎり)は、予定通り旧暦の菊の節句である10月9日に完了しました。 「靑々たる春の柳、家園(みその)に種ることなかれ。交りは軽薄の人と結ぶなかれ」で始まり「咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん」で終わる菊花の約は、安永五年(1776年)に上田秋成氏によって刊行された作品です。ちなみに菊花の約は江戸時代のもののため、読みがなは本来「きくくわのちぎり」となっています。 菊花の約は、播磨国加古にお母さんと住む若い学者「丈部左門(はせべ さもん)」と出雲国富田の城主塩冶掃

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咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん

明るく楽しく熱意を持ってやってくる人、というのは一見良さそうですが、一時的なブーム・興奮によってブーストされているだけなので、その興奮が沈下した時にすぐに去っていくという特性を持っていたりします。 生きていると興奮等々により「多少気が狂れていないとできない」というようなこともあります。それは起業やプロポーズというような大それたことでなくとも、例えば朝まで話し込むというような親和の形成などもそれにあたります。興奮して若干理性が外れているくらいでないと親友も彼女もできにくいという感じになっています。 なので、そうした現

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立ち騒ぐ間にはやく逃れ出でて跡なし

どさくさに紛れてということは混乱期によくあることですが、最近もまた給付金等々において唆しによる詐取が横行したりしていたようです。その他、安易に電子化を進めようとした結果、勝手に口座からお金が引き出されていたというようなどうしようもない犯罪が起こっていたりもするようです。 名義を貸して受け取り、手数料を払うというような構造でちらほら給付金が不正受給されたようですが、個人的には、不正受給を唆すような、そんな甘い話に疑いを持たないという感じの危機管理能力というか危機意識が無い方が驚愕の対象となっています。 僕としては、小

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信義を重んじて態々ここに来る

「信義を重んじて態々(わざわざ)ここに来る」ということで、接待等々について触れていきましょう。 接待ゴルフという言葉は昔からありますが、全くいやいやというわけでなくとも、本当はそれほど乗り気でもないのに付き合いできているという人たちと遊んで本当に楽しいのか、と小学生の時から思っています。 まあ脳筋体育会系としては、部下や後輩を侍らせている、とか、自分の鶴の一声で、というところで自尊心を回復していたりするのでしょう。 仕事の利害を絡めないと誰も一緒に遊んでくれないということは、それだけ本人に魅力がないということになり

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栄利にのみ走りて士家の風なきは

営利という字の並びはよく見ますが、栄利という字の並びはそれほど出くわすものではありません。注釈には栄達利益と解説されていました。つまり、高い地位になることや儲けることといったところでしょう。 本来、地位はその人の役割に応じたものであるべきであり、利益についても人の役に立った分だけもたらされるものであるべきです。しかしながら、世の中には、一見で合理的そうでありながら、その実、実際の地位のあり方や収入のあり方を狂わせる仕組みがたくさんあります。 そうしたものの代表例は、お役人の出世のあり方でしょう。 お役所や半分お役所

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骨肉の人

深いところで軽視され、また一方深いところで重要視されたりするのが骨肉の人といった印象があります。 深い部分で理解し合えず、また一方深い部分で理解し合えるというようなものでもあり、様々な聖典の部類に示されるように、敬意は示されにくいものという感じになっています。それが「骨肉の争い」の元となっている一つの要因なのでしょう。 だいたい自分がどうなろうと、何をしようと身内や地元の人達からは深い部分では敬意など持たれないということは、太古の昔から人間社会の常となっているようです。 敬意を持たれているとすればそれは大昔から持た

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頭を低れて言なし

「頭を低れて言なし」という文字列を見て真っ先に思い浮かんだのがこちら。 雰囲気的に 「バイト帰りにこんな感じで腰を下ろしてしばらくを過ごしたい」 という気分になってきます。 ということが関連付いているのか、少しそのような姿勢を取ると80%くらいの確率で「Olympia WA」を思い出してしまいます。 そして必然的にNOFXの方も思い出します。 ということで、Rancidの方を聴いてしばらく項垂れ、NOFXの方を聴いてパーソナルテンポが速めにシフトされた後に再度Rancidの方を聴いてみると 「世の中も、日常も、まあ

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年少しといへども奇才あり

今年の夏に鳥取県に行ったときのことです。 大山、米子、境港のあたりから鳥取市方面に移動中、トイレがてら道の駅に寄りました。 男子トイレを出て通路に差し掛かった時、小学校低学年くらいの男子の後ろ姿が見えました。 後ろ姿ではありますが、誰に見せることなくと言った様子で「変なおじさん」が始まりました。 まだ家族の方々はトイレ内にいるようだったので、その後、館内待合室に一人です。 変なおじさんの研究 鏡ではありませんが、反射で自分の姿が見える場所まで移動し、真剣な面持ちで一人、変なおじさんを研究しています(どうやら動きのキ

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若し諱むべからずのことあらば

人生には様々なリスクがあります。そうしたものについて考えることは気を重くしたり暗くしたりするので見ないようにしているという人もいるかもしれませんが、何かしらのリスクが常にあるということを全く無視するということはできそうでなかなかできません。 世間の人達を見ると、実際にどうしようもなくなるリスクということは考えない割に、自分が恥をかいたり惨めになるということに対するリスクには敏感だったりするので少し滑稽に見えてしまうことがあります。 様々なリスクには予防策があります。しかしながら、不得手なことは、人任せにしてしまった

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ねがふは明かに答え給へかし

高校生くらいの時のことですが、何かのアニメの脇役のおじいさんが「答える義務はない」というセリフを言っていたのを観てからというもの「そうかぁ。答える義務はないのかぁ」と、ひとつの返答の形を学習してしまいました。 まあ義務と言っても究極的には何かしらの権利が欲しければ的な仮言命法的なものにしかすぎないので、権限の維持や相手からの好意等々を含めそうした対となる対象を欲しなければ何事に対しても義務というものはないという感じになっています。 そう考えると他人に対する責任というものは、相手からの信頼等々を欲する場合にしか生じな

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吾が学ぶ所

物事がわかる時はいずれにしても「なぜだかはわからないが急にわかった」という構造になっていたりします。 散々考えたりして少し間が空き、再度取り組んだ時に「見える!」という感じで「なぜだかはわからないが急にわかった」という感じになったりもしますし、現役で考えているときでも実際に「わかった!」となる直前までは理解できなかったということになるので、その「わかった!」の瞬間においては何か光が降りてくるような感覚で理解をしたりしているわけです。 楽器の練習においても、同じような反復練習をしている間、「うまくいかないなぁ」と思っ

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飢ゑて食を思はず、寒さに衣をわすれて

寝食を忘れるほどの集中力がある時はそれ以外のことに意識が向かない、つまり雑念が浮かばないので心地が良いものであったりします。 気力不足というものは実際に体に動かしたりして体力を消耗した時に起こるものではなく、どちらかというと意識的な情報が錯乱した時、意志決定やペース等々を振り回されたりした時、意識に上っているか無意識の底にあるかということに関わらず、ずっと気がかりなことがある時に起こったりします。 そうした状況にある時に「体力は消耗すれど精神はひとつのことに集中している」という感じになると、表面的な体力的消耗とは裏

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生は浮きたる漚のごとく

形として見えるものでありながら、実際にあるとまでは言い切れないものであり、かつ「自らの意志」があるように見えながら流れの中にあるものということで、生とはまさに浮きたる漚のごとくという感じになりましょう。 「自らの意志で頑張った」ということも朧げなものであり、「一生懸命がカッコいい」というような周りの評価から形成されたという点もありつつ、そんな「一生懸命がカッコいい」というような評価そのものもどこかから生じたものであったりします。 そして、そうしたことを伝えた人も、言葉も、概念も全て流れの中でまとまりとして形成された

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尊体を保ち給うて

サプリメント等々が普及したということもあってか、体調が悪いなぁと思った時に、費用を使って何かを取り入れようとしてしまいがちですが、何となく体調が悪いという場合、単に慢性的な酸欠状態だったという場合が結構あります。 そうなると体はガチガチになり、血の巡りも悪くなり、また当然に呼吸もしにくくなってさらに酸欠となります。 一旦そうなってしまった場合は深く息を吸いながら体の柔軟性を取り戻すべくストレッチなどをすればある程度体は復活していきます。 意外と脇腹上部の肋骨あたりが固まっていることがあります。そうなると呼吸が浅くな

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徒に天地のあひだに生るるのみ

日常社会生活を送る上ではさして問題視されない「生きていかなければならないからね」というような言葉も、哲学の空間に足を踏み入れた人たちにとっては「ねばならない」というような断定に違和感を感じるものですし、厳密には「ねばならない」ということは確定していません。 人間賛美や生命賛美というのが当たり前かのように語られたりしますが、それら賛美は当然中の当然というわけではありません。 「価値あるものということにしておかないと何かと都合が悪い」というところが生き物としての人間の共通項のような感じになっているので当たり前かのように

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幼きより身を翰墨に托するといへども

詳しいことはわかりませんが、才能と呼ばれるものは基本的に「幼少期にどれだけ対象に夢中になったか」ということからしか生まれないものであると思っています。 それは文化系の領域だけなのかもしれませんが、そうした才能のようなものが語られる時、「生まれつき」と表現されたりするものの、本当は単に幼少期の体験から生まれるものばかりなのではないかと思ったりするわけです。 話し方のパターンなどは小学生くらいの時からほとんど変わっていませんし、何を面白いと思うかという点についても細かなジャンルやパターンは枝分かれしていそうなものの根本

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渇するものは夢に漿水を飲む

欲やその充足については、まさに喉の渇きと例えられるように充足してもマイナスからゼロになるだけであり、プラスに感じてしまうのはその差の大きさからの印象にしか過ぎないということになっています。ということで、基本的には苦の範疇です。 そんな中でも生きているからにはどうしようもないという生苦の範囲に入るものと、やはり厳密に考えれば自作自演の「苦」としか捉えることができない無駄な苦しみがあります。 水を求めるように求めよ それが意識的なものでそれほど厳密に決まっていないようなことであっても、自我は生理的な喉の乾きの不快パター

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愚かなるかとつよく諌むるに

愚かなるかと強く諌められている方が、何が問題なのかを把握し、改善していくことができるので、その指摘が感情に任せた戯言でもなく、一考の余地のあるようなものなのであればそれはそれでありがたいものであったりします。 言われているうちはまだいいですが、年齢を重ねていくにつれて誰も指摘してくれなくなっていきます。ということで、どんどんと改善の可能性が減っていきます。 しかしながらあまりに度が過ぎていると怒りではなく呆れや情けなさという一種の悲しみがやってくるため、諌めるという気すら起こらなくなってしまうことがあります。 お客

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只声を呑みて泣く泣くさらに言なし

「言わなくてもわかって欲しい」という人と「言ってくれなければわからない」という人とはなかなか相容れないものです。 しかしながら「言ってくれなければわからない」という人はまだマシであり、言ったところでどうにもならない人もたまにいたりします。 言わなくてもわかるということが成立するためには、相応の「言わなくてもわかって欲しいなぁ」という経験をしている人が聞き手側にいる必要があるような気がします。 しかしながら、もし経験をしていなくても、また、解釈・想定に多少の間違い・勘違いがあろうとも、破壊的とも取れるほどの明るさがあ

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陰風に眼くらみて

人は主に視覚情報を頼りに外界を判断していると言われたりもしますが、もちろん聴覚や嗅覚、味覚、触覚なども頼りにしていたりします。 視覚の比重が高いからこそ動画や画像を見て美しいものであると捉えたりもしているのでしょうが、実際に実物はそれにニオイというものも要素として加わってくるわけです。 たいていの場合「ニオイ」というと、良い匂いによる加点よりも臭さによる減点の方が大きい感じになっています。 という中、動画などにおいては視覚と聴覚の情報はやってきても嗅覚情報はやってきません。だからこそ実際よりも美しく感じてしまったり

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今夜陰風に乗りて

近年やたらとデータを集めよう集めようとしている世の中の動きがあります。その奥には様々な意図が潜んでおり、理由は一つに限定されるものではありません。 ただ、その原動力になっているもののひとつが、相関関係の発見という面であり、因果関係はつかめなくとも何かしら相関関係がわかればそれはそれで意味があるというような点がデータ収集への固執を生み出しています。 これは直接的な因果関係をつかめなくとも、ある習慣を持っている人々が、その習慣を持っていない人々に比べて、寿命が長いということがわかってくれば、その習慣と寿命の長さとの直接

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腹心爪牙の家の子なし

知人の一人に、いつも少し気弱な若者を舎弟にしようとしながらも一年以内に去られているというような人がいます。 連れてくる若者は大学生だったり、第二新卒あたりの年齢の人だったりするのですが、何となくの雰囲気から察するに「何となく嫌になって去っていく」という感じで一年以内に縁が切れたりしています。 「自尊心充足の踏み台」を察知して去っていく 知人としては食事をおごったり仕事を与えたり等々で世話をしているつもりなのでしょうが、傍から見ていると自尊心の充足という面と「雑用をやらせよう」というスケベ心が垣間見れてしまうので、お

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万夫の雄人に勝れ

特に弟の友人あたりの人たちになりますが、勤め人の方に副業関連の話をたまに相談されたりします。 そうした時によく出てくる言葉が「月数万円くらい」という言葉です。まあ仮に5万円としておきましょう。 しかしながら残念なことに副業という感覚で月5万円を稼ぐより50万円稼ぐ方が簡単だったりします。まあこれはあくまで例え的な数値ではあるものの、感覚としてはそんな感じです。 数値的に「それはおかしいだろう」となりそうなものですが、それは事実なので仕方ありません。 その理由としては簡単で「月5万円」と考えると、月5万円の収益のパタ

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何ゆゑにこのあやしきをかたり出で給ふや

理屈が通っていないような「何を分けのわからんことを言っておるのだ?」と思わざるを得ないようなことを譫言のように言ってくる人がいたりします。 もちろんその人にはその人なりの理屈があって言っているのでしょうが、「さっき言っていたことと今言っていることが違う」とか、「全く関係のないことを関係あるかのように語る」という場合がよくあります。 それは暑さや疲れなどで頭が回っていないという場合もありますが、人によっては原因は別にあって、何とか現状の不快感を解消したいと思いつつ、それがうまくまとまらず意味不明のことを口走ってしまっ

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陽世の人にあらず

今年に入ってから爆読みしたもののひとつに楳図かずお氏の恐怖マンガがあります。 楳図かずお氏にはあまり馴染みがなかったのですが、「なるべくたくさんの一流に触れる」ということで、一気にたくさん読んでみました。 基本的にグリム童話系のマンガはあまり好きではなく、特にひどく残虐であればそれでいいというような描写は好みではありません。 楳図かずお作品も「その延長にある中の一流のもの」かと思っていましたが、良い意味で予想外に素晴らしく洗練された作品となっていました(とりわけ「イアラ」の「わび」は良い鍛錬となるでしょう)。 「こ

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