変装した人

目下彼は品行方正になっているが、ただ他人にそれで苦痛を与えるにすぎない。そんなに何度も彼に目を留めるな! 曙光 275

「変装した人」ということで、最近ではあまり見かけませんが、十年以上前にはよく「女装したおじさん」なども街を歩いていました。梅田にも、ほどよく禿げつつ、ピンクのミニスカートという出で立ちのNさんがよく出没していました。

最近では「コスプレイヤー」という形で変装した人が肯定されている傾向にありますが、元祖コスプレイヤーといえば、やはりお遍ローラーなどを筆頭とした、仏教や修験道などの修行者のコスプレではないでしょうか?

という点はどうでもいいのですが、昔から男性による女装が嫌いです。特にそれを笑いのネタとしてやっている姿など嗚咽モノです。

変装は面白いことではない

女装を面白いこととして、忘年会などでやったりする人がいますが、特に面白いと思ったことはありません。同様に男装した女性も良いとは思えません。

なぜなら体育会系の人に多い同性愛のようなものを感じるからです。

そしてそんな感じで同性愛のようなものを若干の笑い要素として主張するということは、笑いのセンスを疑ったほうが良いと考えています。

同性へ「愛」というより同性への性欲

この場合の愛は、どちらかというと芥川龍之介氏の言うような、性欲の詩的表現であり、同性愛、同性への「愛」というより同性への性欲であって、イエスやジョンレノンの言う愛ではありません。欲であるから苦しみであり、良いものではありません。

変であって面白いというわけではありません変なことをやれば面白いと思っているのがおもんないグループですから、致し方ないのかも知れません。

ついでに言うと、いまだにハロウィンが何なのかよくわかっていません。たまに大阪などにいるコスプレイヤーもよくわかりません。

それがシーズンイベントごとの単発的なものであれ、定期的なものであれ変装が趣味だという人で、精神が健全な人に今のところは会ったことがありません。

おそらく変身願望というものがあるということは、どこかしら素の自分に嫌悪感を持っているということなのでしょう。

なお、お父さんお母さんが子供との楽しみのために変装したり、某商店街のおじさんのように、「祭りの時に子供を喜ばせよう」という思いを持ってやる分には構わないと思っています。

夜にサングラス

そのような変装までいかなくても、夜にサングラスをしているような人が信用できません。

目の病気や障害があるならわかりますが、たいていは外すと、似顔絵を書いた時に目が「ちょんちょん」になるような人が多いでしょう。あれも目は大きい方がいいというネジ曲がった宣伝によって出てきた結果なのでしょう。

個人的には大きいパッチリ目が好きではありません。パッチリなら切れ長の方が好みであり、「ちょんちょん系」なら猫村さんくらいでちょうどいいでしょう。

変装した人 曙光 275

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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