咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん

明るく楽しく熱意を持ってやってくる人、というのは一見良さそうですが、一時的なブーム・興奮によってブーストされているだけなので、その興奮が沈下した時にすぐに去っていくという特性を持っていたりします。

生きていると興奮等々により「多少気が狂れていないとできない」というようなこともあります。それは起業やプロポーズというような大それたことでなくとも、例えば朝まで話し込むというような親和の形成などもそれにあたります。興奮して若干理性が外れているくらいでないと親友も彼女もできにくいという感じになっています。

なので、そうした現象が起こること自体は、生命として、社会的動物として多少なりと必要に応じてという感じなのでしょう。

やたらと熱意を持ってやってくる人

しかしながら、やたらと熱意を持ってやってくる人というのは、信頼の面ではあまり信用の置けるものではありません。

そういえば以前某経済団体の新年会において、やたらと「使い走りでも良い。色んな人達と出会いたいので連絡役にしてくれ」と熱意ある感じで上層部に懇願している女性がいました。

別にしたいならすれば良いという感じの取り扱いだったのですが、実際にその人に連絡役をお願いして2ヶ月でその人は退会していきました。

一同、「あれは何だったんだ?」という感じです。

実やかに約りつつも

そう言えば楳図かずお氏の漫画に出てきましたが、「タレントになりたい!」と言う人はダメで、「なってくれと言われて渋々くらいの人の方が結局輝く」というようなことが書いてありました。

三顧の礼ならぬ四顧の礼

ちなみに僕は、そうした団体への加入を3回断っています。

理由は単純で

「群れるのは好きじゃないんですよ」

という感じで断っていましたが、三顧の礼ならぬ四顧の礼と言った感じで、「部分的に業務委託もお願いしますので」という条件を持参されつつ、4回もお願いに来られたのでさすがに無下にするわけにもいかず、という感じで入りました。

まあ別に受注があるという部分はどうでも良いのですが、「まあそこまで来られるということは、役割として求められているということでしょう」という感じで参加することにしました。

とりわけ感情的な分野でない限り、何事もそれくらいの感じでちょうど良いと思っています。

興奮している人たちは破綻も早い

あまりに興奮しすぎている人、酔い過ぎている人たちがその後破綻しやすいということは、高校一年生くらいの時に気づきました。

それまでは「情熱って素敵だなぁ」というような事を思っていたりもしましたが、それにも質があるということを理解しました。興奮によるものと静かなるもの違いですね。

それを如実に示したのが「ペアリング」です。当時流行っていたのか、ペアリングをする男女がちらほらいました。

互いに指輪を大事にし、一人でいる時もデレデレしているような感じで二人でいる時は眺めあっているような感じが多かったように思います。

しかし例外なくペアリングをしている人たちはすぐに破局となっていました。

また、たまたま夕食の席で一緒だった「友人のバイト先の先輩のような人」が酒に酔い、「こんなもん!」と大通りにペアリングを投げ捨てる瞬間に立ち会ったこともあります。

そうした破局の話や姿を見ることが多すぎて「興奮しすぎると駄目になる」ということを思ったりしました。また、同時に思いをモノに委ねるということはロクでもないとか、自信のなさの表れにしか見えない、等々の感想も抱くようになりました。

僕は人の失敗から学ぶという感じで、そうした経験をしないままでしたが、まあ別にそうした経験をすること自体は良いのではないかとも思っています。

そうした観念を持っていたので、勤め人時代において「結婚式で使ったのであろう二人の似顔絵」などをやたらと玄関に飾っている所に行ったりした時「あかん。終わる」というようなことを思うようになってしまいました。

その後創業してからですが、、付き合いで行ったカラオケにて40歳前後の新婚夫婦が参加しており(よって結婚式の二次会等ではありません)、新郎がつぶらな瞳で新婦の方を見て「OH MY LITTLE GIRL」を熱唱した時にも「あかん!終わる!」と思ってしまったりしました。

その後歌いながら腕組みなどをされデレデレされた瞬間、意味なく「あかん!サードインパクトが始まる!」と思ってしまいました。

ちなみにその後どうなったのかは知りません。

交りは軽薄の人と結ぶなかれ。

咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん。

軽薄の人は交わりやすくして亦速なり

Category:菊花の約

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