動物愛護週間

9月20日から26日は動物愛護週間です。と、義務教育全開のような感じになってしまいましたが、ちょうどよい機会なので動物愛護について触れようと思います。

好きと愛、そして好意と慈悲の違いのようなもので、対象を好きなだけの人は、自らの楽しみ、高揚感などのためにそれを利用するにとどまりますが、慈悲から観れば、幸せを願い苦しみが取り除かれるようにというような視点になります。

そういえば先日、元競走馬のたてがみを勝手に切って持って帰るという事件があったそうです。まあそれが金銭目的なのか何なのかはわかりませんが、そうした行為をする人も、そうした行為の上に商品化されたものを購入する人も、共に愛護からは程遠く、単に自らの欲に従っているだけということになります。

それが単なる「好き」の範疇であり、愛護や慈悲とは全く異なるものです。

といっても、好きから始まって愛や慈悲にたどり着くということもあるでしょう。なので、「好き」をきっかけとして愛護の方に意識が向いてくれることを願います。

ここで、愛や愛護とは何なのかということを一応示しておきます。

相手が人であっても好きと愛の違いは単純に「世話ができるか」とか「介護ができるか」という点であり、単に好きなだけではそうした面倒で都合の悪そうなことからは逃げるということが良い例だと思います。

うさぎのファミリー認定と食による馴致でも触れていましたが、相手が動物であっても、「掃除を含めた世話」をしないとファミリー認定されないという感じで、相思相愛になることはできません。

しかしながら、いわゆる「愛」は、時に執著を生み、結果的に愛別離苦を生みます。なので、できれば愛から執著を無くした慈悲にたどり着くのが最も良いですが、最低限好きから愛になるようにという感じで気楽にいきましょう。

動物好きと動物愛護

世の中には「女好き」ということを誇らしげにしている人がいたりしますが、そんなことは誇りにするようなことでも何でもなく、所詮女性を踏み台にして自分の気分を高めようという程度であり、女性愛ではありません。

もし女性愛というものがあるのならば、夜の世界になどお金を使っていないで、貧困国で自立しようとしている女性向けの慈善事業などに寄付するというくらいが正しいはずです。なので「女好き」など褒められたものではありません。

それと同じように、単なる動物好きというのと動物愛護というのは少し違います。もちろん動物嫌いよりは動物好きの方が良いですが、単に動物好きだという場合は、動物の本能的な習性などを無視して「我が物」として動物を扱ってしまう場合があります。

例えば、うさぎは草食動物で臆病です。体も小さく、自然界では捕食される側の動物です。

そうしたうさぎを「きゃーうさぎちゃんかわいいですね」と他人に言われたいがために散歩させすぎたりするとうさぎにはよくありません。なぜなら、犬や猫に会うだけでも相当のストレスだからです。そうするにしても「守られている」という安心が前提にないと心身を病んでしまったりします。

という、うさぎの気持ちを考えないと、単なる「好き」の範疇になってしまいます。

そして草食動物は全般的に臆病なので大きな音が苦手です。なので、周りへのアピールを含めたような「きゃーかわいい!」という大声も草食動物には迷惑です。

「気持ちだけもらっておきます」

という感じです。

そういえば感覚的なものですが、あくまで「本人が下の世話を筆頭に世話をしていた」という限定が入るものの、友人・知人を見渡しても動物の世話をしていた人は例外なく共感力の高く、傍から見れば言葉数が少なく冷たそうな人でも深いところは温かい感じがします。

そうしたタイプの友人は、例えば世話をしていたのが犬で、うさぎと接するのが初めてという時には、先に習性を確認したりと、うさぎのことを理解しようとしてくれます。

サンクスホースプロジェクト

そういえばついでなのでサンクスホースプロジェクトについて少し触れておきます。

サンクスホースプロジェクトは2016年に発足した引退競走馬のセカンドキャリア支援を行うプロジェクトです。乗馬センターにあった冊子内の記事で知りました。

競走馬として育てられたサラブレッドを乗用馬として再調教するということがメインとなりますが、「気軽な馬事文化の浸透」が最終目的ということのようです。

まあ根本をたどると再調教にかかるコストの問題になると思いますが、実質的に少なからず馬たちに道が開けるという感じになると思います。

乗馬を通じて

僕は個人的に7月にディアマーベルやアイソトープの世話になり、8月にカミーロの世話になったりと、最近乗馬を通じて馬たちに助けてもらったフシがあります。サンクスホースプロジェクトとは直接関係ありませんが、彼らも元競走馬でした。

大山では、極めて知能の高いディアマーベルやジャイアンのようなアイソトープ、そしてくちびるで鎖遊びを披露してくれるスカイフォレストなど、みんなの個性が輝いていました。

カミーロのヘッドバンギングについても同様です。

でも彼らも競走馬時代はいわば劣等生の部類に入っていたはずです(カミーロについては不明です)。

しかしながらそれは競走馬としての視点からだけの話であり、馬術競技で花を咲かせる馬もいれば、最高の観光馬として才能を発揮する馬もいるはずです。下手な心理カウンセラーよりも人の気持ちを汲み取る能力に長けた馬もいます。

そうしたそれぞれの個性や能力を画一的な尺度でしか測れないというのは何とも残念です。

世界中に名馬と名高い競走馬はたくさんいますが、僕の中ではディアマーベルたちも名馬です。

体調のことを考えると、7月と8月に馬と触れ合っていなかったら、今頃倒れていたかもしれないとすら思います。それくらいに彼らが体の緊張をほぐしてくれたのは僕の中では事実です。

そういうわけなので、愛護どころか愛護されているくらいの感じです。

何だか乗馬というと馬術・競技としてのイメージが強くおカタイ雰囲気が未だに残っている感じがしますが、もっと気楽に行けるような雰囲気が浸透していけばなぁと思います。

シッダルタには王子時代に愛馬カンタカがいたようですし、ニーチェも晩年馬に抱きついて泣いていたという逸話が残っているように、気質として思考がぐるぐる回ってしまう気難しい人には、馬は適度なリラックスを与えてくれると思います。

なお、ホースセラピーというものもあるようですが、主な対象が障害者の方という感じになっているようです。しかしながら、心身が疲弊している人であれば誰でも対象になると思うので、個人的にはもっと対象者を広く扱うと良いと思います。

動物愛護の基本姿勢

動物との関わり合いについて、一方的に世話をするという感覚はなく、基本的にみんな友達だと思っていますが、どうしても人間側でしかできないことがたくさんあります。

自然とは程遠い環境で育ってきた動物にとって、人間側が手をかけないと成り立たないという構造になっている部分もありますし、金銭的な面で工面をしなければならないという部分もあります。

ただ、基本的には友達という感覚でいればそれで十分だと思います。その友達の感覚はもちろん慈しみです。

友情というものは、家族等々本能的に保護しようとしたり(そうでないケースもありますが…)、利害関係があって手をかけるという感覚ではなく、基本的に相手を独立した存在として尊重して幸せを願いつつ、弱っていたらできる限りサポートしようという感覚です。

一人の人間が全ての生き物を等しく保護することは物理的に不可能ですし、非現実的ですが、目の前の存在くらいは愛護することはできるはずです。ということでそれが基本姿勢です。

そういえば以前に「LITTLE BUSTERS」で少し触れていましたが、トルコにて視覚障害者の方が車道にはみ出しかけていたとき、レストランの店員は少し走りながら、彼に近付いてその肩を抱いて、次の交差点まで彼を誘導しました。そしてすぐに仕事に戻っていった姿を見て「自然でスマートだなぁ」と思いました。その殊勝な姿勢は誰が見てもきっと美しいと感じるはずです。

動物に対してもただ単なる好きという領域を超えて、そんな姿勢でいてくれる人が増えればなぁと思います。

動物愛護からみる人のあり方

Category:miscellaneous notes 雑記

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