フリーランスの精神的な欠落

全てのフリーランスの実態を知っているわけではありませんが、クラウドソーシングで出会うようなフリーランスの方の中には「何かが欠落している」と思わざるを得ないような人が結構いるようです。精神的な欠落ともいうべきか、基礎的な何かが欠落している感じです。

僕自身はそうしたクラウドソーシングを利用したことはありませんし、今後も利用することはないと思うので実害があったわけではありません。

ただ、社長仲間から色んな話を聞く限り「基礎が欠落している」という意味で信用の面で問題があると言わざるを得ないような事例がよく聞こえてきます。

広告目的かどうかはわかりませんが、一時「これからはフリーランスが増えるだろう」ということをいう人達が結構出てきました。

しかし、営業活動や雑務等々の効率性を考えるとある程度のまとまりになった方が事業は上手くいくという構造があるから、たくさんの会社が生まれたわけです。

「苦手なところを得意な人が補う」ということができますからね。

会社組織等々ならばそれができますが、フリーランスであるということは、それ相応のすべての要素について一定基準以上は満たす必要があるか、よほど周りが支えてくれるほどの能力があるかのいずれかくらいでないと成り立ちません。

そして、それ以上に一種の才能というべきか「精神としてのあり方」が重要です。特に個人事業を進めていく上で精神崩壊を起こさず最低限社会に適応できるかという部分が重要になります。

しかしクラウドソーシングやメールでのやり取りが進んでいる現代においては、対人コミュニケーションの機会が減っているので、精神崩壊を起こしやすい環境となっています。

飛んだフリーランサー

ある時、社長仲間が一度フリーランスに頼んでみようと思いたち、クラウドソーシング的なサービスを利用してフリーのデザイナーに会社の広告物の作成の依頼をしたそうです。

しかしながら、納期近くになって音信不通となり、広告の予定がぐちゃぐちゃになってしまったようでした。

その後1ヶ月位して「間に合わなくてすいません。報酬は要りません」というメッセージとともに、一方的な感じで完成物が届いたようでした。

「いや報酬は払いますよ」と連絡したそうですが、連絡は返ってこなかったようでした。

まあ見方によれば納期に間に合わないどころか音信不通ということで賠償問題レベルの失態という感じですが、それでも温厚な社長仲間は「遅れてしまったのはもういいですから、入金先を書いた請求書を送ってください」と支払う気持ちはあったわけです。

それでもそのフリーのデザイナーの方は、何かしらに恐怖してか、一切連絡を返してこなかったようでした。

そんな話を聞いたりすると、やはりフリーランスというものはある程度「神経が図太いこと」が成り立つ条件になるのではないか、ということを思ったりしました。

仕事でインターネットを使える、クラウドソーシングサービスがあるという時代背景的な「やりやすさ」がありつつ、逆にそれが対人恐怖を含めたコミュニケーション能力の低下等々を引き起こしているような気がしました。

基礎が欠落したマイペース

また、別の社長仲間に聞いた話ですが、同じようにクラウドソーシング的なサービスを利用して出会ったフリーランスの方は、「連絡の返信が2、3週間後」という感じで強烈なマイペースだったようでした。

それでは困るということなので、結局他の業者さんに依頼することになったようですが、その旨を伝えたところ…

「夜道を歩くときにはお気をつけください」

と言ったような若干のちゃちな脅迫まがいのメールをバンバン送って来たということがあったようでした。

精神年齢が十代です。

「この程度以上が社会人としての基準」というものが明確にあるわけではありませんが、「基礎が欠落している」としか考えられないような感じです。

どこかしらに芸術家気取り的な要素があります。なので、ある程度マイペースで変なこだわりを持っていても許されるという感じで思っているのでしょうが、お客としては発注自体が経済活動の一端を担う部分ですから学生を見るような気持ちで見守ることはできません。お金をもらう側ではなく払う側ですからね。

クラウドソーシングの以前と以後

まあそうした感じで、クラウドソーシングによって出だしの敷居は低くなったのでしょうが、結局プロとしてフリーランスで食べていくにはある程度の能力が必要になるというのは、いつの時代もそれほど変わりないという感じがしてしまいます。

クラウドソーシングの以前と以後の違いを考えてみると、その登場後は敷居の低さから「自由」や「才能の表現」を求めて「フリーランスという生き方」を選びやすいという感じになっていますが、対人コミュニケーションの機会が著しく減っているという点も挙げられるでしょう。

「締め切り前に徹夜」というのはよく聞きますし、「代金を踏み倒される、値切られる、というようなことを防ぐために啖呵を切ったり交渉したりということがあった」という話は水木しげる氏のお話でも出てきましたし、うちのお父さんもよくそんな話をしていました。

しかし、インターネット上で出会い、メール等々でやり取りして完結していくというケースも結構多いので、交渉にビビったりして「音信不通」ということが起こり、誰とも会わない空間の中で精神が鬱屈していくということも起こりやすくなっているという姿は想像に容易いという感じになっています。

個人事業主は値切られやすい

また、個人事業主は値切られやすいという性質を持っています。

会社組織の場合は、上に上司が潜んでいたりもしますし、法務等々がしっかりしているところであれば横暴な主張は控えられたりもします。

しかし、全権が個人にあるので、「あなたが困るだけでしょ」という感じでなめられやすいという感じになっています。

それらも跳ね返すほどの気迫すら求められたりするわけです。交渉や代金の回収等々において、勤め人よりも強さが求められるという中、あまりに人と会ってないと気が弱っていったりもするので、さらに不利になっていきます。

ペースを作れない上に乱す要因が多い

自由なのは良いですが、生活が乱れやすく、いざという時に「気分が乗らない」ということが起こりやすい性質を持っています。

そして取り扱っているサービスが、物理的な作業だけでは完結しない発想を必要するようなものであればあるほど、「一切進まない」という感じでペースが作れないという構造を持っています。

ただでさえそんな性質、構造を持っている中で「暇を潰せてしまう」という感じで逃げられる環境が整っているので、「ペースを作れない上に乱す要因が多い」という感じになっています。

ちなみに芸大で教鞭をとっている友人は画家でもあるのですが、彼に聞くところによると「何も浮かばず、インスピレーションのためにとパソコンを開くと、You Tubeを観て一日が虚しく終わる」と言っていました。

なので生活のペースを含め、環境コントロールをして自律する等々も「業種としての才能」とは別の「フリーランスとして成り立つための条件」として必要になるのではないかと思います。

発注するなら会社か個人か

そんな感じで考えると、フリーランスは信用できないという感じになってしまいそうですが、会社であるからといって良いものが届くというわけではありません。

納期やクオリティの安定の面で、物事を計画通りにという場合であれば、圧倒的に会社の方に分があるような気もしますが、会社形態を取っているところでも、その実単なる営業会社で、「仕事を受けて下請けに流す」といったように、単に中抜きをしているだけという場合も結構あるので何とも言えません。ただ、それでも「発注と納品」という部分だけ見れば、ある程度の安定はあるでしょう。

フリーランスの中には「自分のセンス」で食おうという感じで思っている人も結構いると思いますが、特に経済活動の空間においては「世の中はそれほどセンスを求めていない」というのがその実際です。

「世の中はそれほどセンスを求めていない」というものについては、世の中の製品のシェアのあり方を見れば一目瞭然です。

いかにフェラーリが感性の面で一部の人達を虜にしていようと、実際に売れているのはハイブリッドのコンパクトカーだったりしますし、いかにアップル製品が感性の面で一部の人達から狂信されていようと、オフィスのコンピュータはウィンドウズです。

もちろんフェラーリやアップル的なものがあってもいいですし、それを目指すというのもちろんいいですが、「全体としてはそんなに求められていない」という部分を無視するわけにはいきません。

「依頼してみてもいい」という気持ちは少なからずあっても、「すごく良いものが来る」ということより、「予定通りに事を進めたい」という面で安定を求めるのが普通の企業の感覚だと思いますし、「個人にもチャンスを」と言われても、計画がぐちゃぐちゃになることのリスクと完成物のクオリティというリターンとの比較でボツになるというのが企業の本音ではないでしょうか。

そう考えると「仕事を受けて下請けに流す」といった感じで単に中抜きをしているだけかに見える営業を中心とした会社も、「発注主の安心」を報酬としてもらっているという感じにもなります。

「中抜きなしにより、同一の結果を安価で頼めるフリーランス」

というようなものも「予定が崩れ企画が頓挫するリスクに比べれば…」という感じになります。

個人的には、直接何かで出会う形で知り合った人に発注することはあっても、クラウドソーシングを利用してフリーランサーに発注するということはないと思います。

サービス内容にもよりますが、総合的に考えると、やはり小規模であろうと株式会社化している感じくらいでないと、実際の業務の安定や収益の効率性の面でリスクが大きい感じがしてしまいます。

とりわけ、クラウドソーシング登場以後のフリーランスのあり方は、対人コミュニケーションなどの面で不具合が起きやすいように思いますし、さらにリスクが高まっているような気がします。

また、実際にフリーランスで働くにしても「世の中でフリーランスが増えているから」ということはプラス要因ではありません。むしろ数に限りのあるパイを取り合う競争率が高まっているだけです。

単純なモデルですが、需要が一定で供給が増えれば、それまでは食えていたが、ギリギリ食えないようになった、という感じの人達も増えていきます。

結局敷居が低くなっても、実際の生存においてはかつてからと変わりないほどの総合的な能力が必要になります。

端的には「フリーランスをなめてはいけない」というようなことになるでしょう。

フリーランスのスケジュール感覚

Category:company management & business 会社経営と商い

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