誠実な遊戯

多くの者は誠実である。― 感覚を佯ることが嫌いだからではなく、その佯りに信用を得させることがうまくゆかないであろうからである。要するに、彼は俳優としての自分の才能を信用しないで、誠実を、「誠実な遊戯」を好むのである。 曙光 418

「佯る」は「いつわる」と読みます。字義的には「偽る」と変わりありませんが、もしかすると何かのニュアンスの違いがあるのかもしれません。訳者の意図するところは知りませんが、一応「出会い」を無駄に「出逢い」と書きたがるような感じで使用されているのではないと思っておきます。

さて、誠実な遊戯です。

本気で遊べばそれが仕事になったりするということがありますが、逆に何事もあまりに誠実すぎるとそれほど良い結果は出ないものです。

そう言えば、都心部では高層マンションなどでヒエラルキーがあるというようなことを最近雑誌で読みました。

そういうものを見て単純に思うのが、「何がしたいのかわからない」という感じです。

そうした階層があるおかげで、地位を維持するために「付き合いで遊ぶ」ということがあるようですが、根本的にそういう人たちは本質を見失っているように思えてなりません。

なお、京都ではそうしたヒエラルキー的な感じを押し出している時点で下品だとされますので、そうした構造は古い街ではなく、比較的新しい場所でしか起こり得ないような感じもします。

何のために遊ぶのか

さて、何のために遊ぶのかと言えば「自分」が楽しむためです。そして、せっかく高いお金を払って住環境の良い所に住んだ理由は、俗っぽく言えば「幸せになりたくて」という感じのはずです。

そして、そうした元の目的を突き詰めると、少なくとも「ストレスが少ない」ということがキーポイントとなるはずです。

良い住環境に住むということは、暑さ寒さをしのいだり、何かの用事でも移動時間がかからないようにというようなストレス軽減的な意味合いがあるはずです。

しかしその場で別のストレスができてしまう、というのは本末転倒です。

個人的にお金を稼ぐということを考えた場合には、その先により楽で楽しく、ストレスが少ない毎日を目的としてという感じで設定されているはずですが、その結果さらに生き辛い生活が待っているのでは何をしているのかわかりません。

そういうわけで、個人的には、自分は楽しくもないのに「付き合いで遊ぶ」ということは公私共にありません。

付き合いで遊ばなければならないのなら、そんな友達まがいの偽物入りませんし、付き合いで遊ばないと取引をしないというのなら、こちらから取引をしないという感じで思っています。

といっても、たいていの人をハナから拒絶しているわけでもなく、誘われれば行く場合もあります。

なぜなら、そうしたヒエラルキーを作ろうとしたり、上下関係が大好きな体育会系の人は僕を誘ってこないからです。

隣近所と仲良くする必要はない

また、隣近所と仲良くする必要もありません。

あえて嫌う必要もありませんが、「仲良くしなければ」というようなものを持ち、同調圧力に負けて相手の都合を押し付けられる必要もないのです。

そう言えば、引っ越してから家の横の空きスペースを近所の人が駐車場代わりに使うケースがあり、今まで計10回以上警察を呼びました。

「少しくらいいいじゃないか」

と相手は言ってきますが、いいのはその人達だけです。

警察が来たところでドライバーが戻ってきたりということがあり、その場で説教をしたりもしましたが、戻ってこない場合は、駐禁切符を切ってもらっています。

かなり前になりますが、近所の厚かましい人は、こちらが三回怒鳴るまで家の横に駐めていました。

一番最後の三回目の説教の際は、以前に二回説教しているにも関わらず、

「今度正月に娘が帰ってくるから駐めさせてもらえないだろうか?」

と言ってきました。

そんな人もいるのです。

だから仲良くする必要はありません。

僕は声が大きいため、その人は町内の全ての家に響き渡るほどの大声で説教されるのでした。

なお、配送業者などは別に駐めてもらっても構いませんが、工事関係者が近所の家の工事の場合に厚かましく我が家の横に駐めている場合には説教しています。

お陰で今となっては、隣近所の人が震えながら直立不動で挨拶してくれたりします。

ちょろちょろ様子伺いして相手と駆け引きするようなことなんてしなくても、言うべきことをはっきり言ったほうが早いですよ。

誠実な遊戯 曙光 418


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ