小心者

ほかならぬ不器用で小心な人たちこそ殺害者になりやすい。彼らは目的にかなった小さな防御なり復讐なりの心得がない。精神と沈着な心構えとの欠乏のため、彼らの憎悪は絶滅以外の打開策を知らぬ。 曙光 410

なんだか曙光のこの項目を見ると北九州一家監禁殺人事件の緒方純子受刑囚を思い出します。それだけでなく、世のDV被害者が浮かびます。変な宗教まがいの団体に洗脳された人たち、パートナーに洗脳されてしまった人たちがどうしても思い浮かびます。

小心者といえば、気が小さい人や臆病者のことをさしますが、時にそうした小心者を餌食にして自己犠牲の方向へ持っていくような人たちもいます。小心の裏にある優しさを利用し、自分の都合の良いようにマインドコントロールしていくという感じです。

しかし小心者であってもいたずらに苦痛を与えられているだけではその領域から抜け出そうとするはずです。普通は苦痛が限界を迎えたらそこから抜け出すはずなのに、逆に依存したりして抜け出せなくなったりするケースもよくあります。それではDV被害者のマインドから見ていきましょう。

DV被害者のマインド

DVに関しては身の回りでも何件か実例がありました。

そうした被害者側にいる人達の口癖は

「あの人を分かってあげられるのは私しかいない」

というようなものです。

そして、「頼りない自分のせいで『本当はいい人』なのに、あの人の心を傷つけ、あんな行動をさせてしまっている」という感じで思っています。

共感力や母性、正義感などが裏目に出ている典型例です。

まあ完全に思考が「ほぼ停止状態」ですね。

ブラック企業で過労死してしまう人も同じようなマインドを持っています。自責と自己犠牲がキーポイントです。

ブラック企業でありがちな自責と自己犠牲

基本形は、「私のせいであの人を傷つけてしまった」というようなものです。

「50社面接を受けてダメだった自分にチャンスをくれた会社に対して恩返しがしたい」

というものが前提にあります。

そして、売上等々相手の要求に応えられていない自分を責めだします。恩返しがしたいのにできない、という感じです。

そこで、相手は怒り出します。罵声を浴びせて精神的に追い詰めます。

そうした時に、先ほどの前提があると、

「せっかくチャンスをくれた優しい人をこんな風にしてしまったのは私のせいだ」

と思ってしまいます。

そして、相手の要求に答えるため、残業申請をせずに休日返上で穴埋めをしようとします。

辛い時に支え合った「仲間」がいるならなおさらです。

「自分だけが甘えるわけにはいかない」

そんな風に思っていきます。

これが典型例です。

自己犠牲の精神からの脱却

思考停止中の人にできること

思考停止中の人に対して、世間的な合理性のもとに「説得」をしても効果はありません。

既に設定された方向性から思考を変更するという気力もないからです。

DV被害者みたいな人を説得したとしても

「あの人を分かってあげられるのは私しかいない。私しかあの人の気持ちをわかってあげることができない。あの人を助けてあげられるのは私しかいない」

と返されてしまうでしょう。

体に痣があっても、本人は「私が悪い」と思っています。

ということで、どんな話をしても効果は期待できません。

外界の情報を遮断する「洗脳」への対抗としての隔離

そんな時にできることは、その空間からの切り離しです。

X JAPANのToshl氏は、入院中に自分が狂っていたことに気付きました。医師があえて「独りにしてくれる空間」を作ってくれたからです。団体の空間から離れ、病院の一室という自分だけの空間を取り戻したからこそ、団体が異常であることに気付けたわけです。

じろりと白眼をむいて

だいたい洗脳というものは、外界の情報を遮断し、肉体的、精神的に追い詰めて思考が働かなくなるような環境に閉じ込めて行われます。

ということで、DV家庭は一種の閉鎖空間です。外に働きに出ていても、メインは家庭です。

完全にそうしたDV空間から隔離しないと、思考停止状態が延々と続きます。

北九州一家監禁殺人事件でも、緒方純子受刑囚が住み込みでスナックで働いてお金を作ろうとした時、松永太は芝居を打って緒方受刑囚を引き戻しました。その理由はおそらく、洗脳状態が解けることを恐れたからでしょう。

だから思考停止中の人にできることといえば、呼び出して数時間説得するというような普段ありがちな方法ではなく、その空間から数週間以上隔離することです。

DVであろうが、過労死寸前ブラック企業であろうが、おそらく自分が異常であったことに気付いていくはずです。

近視眼的にしか見えていなかった世界を俯瞰して見ることができるようになった時に異常さに気付くものです。

空間から抜け出すことによって起こる「異常」への気づき

大企業でも愛社精神を叩き込まれ、社員寮に住み、休みの日も組合のバスツアーなんかに行っている人は、おそらく客観的に見ると異常です。外界の情報がほとんど遮断されていますからね。

しかしながら本人は異常だとすら思っていないはずです。

そんな人でも、仮に2ヶ月位のバケーションがあれば、「もしかしたら自分はおかしいかもしれない」と思ってくるはずです。

まあそれくらいの洗脳ならまだマシですが、DVやブラック企業、カルト教団やカルトまがいの団体なんかは笑えないですからね。

簡単に言うと、広い可能性の中で視野が狭まっていくのは普通避けられないものの、少し今の現状と距離を取って客観視することで、おかしな面がどんどん露見していくといった感じです。

おそらくそれが行ききれば「絆」という言葉が爆笑の対象になっているでしょう。

小心者 曙光 410


カルト宗教としてのカルト教団やカルトまがいの団体では自己犠牲を美徳とするような洗脳・マインドコントロールを行っています。ということで、宗教勧誘を受けた際に逆に脱洗脳を試みてみました。

洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試み

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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