従属的な人々のお守り

支配者に従属することの避けられぬ者は、恐怖感を起こさせて支配者を抑制するような何ものかを、例えば正義とか、率直とか、毒舌とかを所持するべきである。 曙光 260

図体だけ見れば、勝てそうにないようなものでも、その対象が意識を持っているようなもの、つまり生命体であれば、意識に働きかけることによって物理的な限界を超えることができます。

社会構造上、支配者に従属することが避けられない場合や組織の大きさに怯んでしまうという場合でも、見方を変えれば想像した限界を乗り越えることができたりします。

実際に起こっている出来事よりも、想像で勝手に勝負はつくものです。

なぜなら勝敗そのものがイメージであり、情報だからです。ということは情報さえ操作してしまえば、情報である勝ち負けも、こちらで操作することができます。

黒幕を見極める

まずは黒幕に働きかけることです。どんな時でも、主体となっている人物にいくら働きかけても、それが傀儡であるかぎり、働きかける対象を間違っていては、どうにもこうにもうまく行きません。

営業の現場でも誰が決定権を持っているかという見極めが先に立ちます。

つまり、対応している人、話を聞いている人が決定権を持っているのならばいいですが、そうではない場合は、いくら雄弁に話したところで、その会話の空気感などは決定権を持った人には届きません。

ただの情報として、表面的な情報だけが伝わります。それでは、説得としての効果が薄いということです。

有効的に機能させようと思えば、決定権を持つ者に対し、人を通じて間接的に表面的でデータ的な情報を渡すのではなく、直接的に全体を通した大きな情報を伝えて飲み込んでしまう必要があるという感じになります。

奥底に眠る意識の習慣

客観的に見てもその通りですが、相手が一人であっても、黒幕というものは存在します。

それは普段意識に現れてこないような、表面の取り繕いである、仮面ではない、奥底に眠る意識の習慣です。必ずと言っていいほど何かのこだわり、意志決定の方程式を持っています。

表面的な意識、仮面としての人格ではなく、無意識領域における意志決定の部分に働きかけるという感じです。

そこにうまく働きかけられるかどうかが鍵になります。理屈の上で納得してもまだ不服そうにしている人がいます。

その場合は、相手の黒幕には届いていない証拠です。時に届きにくいこともありますが、たいていは届くものです。

従属的な人々のお守り 曙光 260

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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