モテる秘訣とモテない理屈

さて、モテる秘訣とモテない理屈について書いていきます。

世間では様々なモテテクやモテるための条件、モテる秘訣、そしてモテない理由としての理屈が並べられています。

しかしながら、そういうものを鵜呑みにしてしまうと、婚活業界、結婚相談業界のお客になってしまうだけです。

どのような分野でも同じですが、具体的な事例自体を知ること自体はいいですが、そんな具体的な領域にとどまっていると、そのレベルの内側に居続けることになります。

そんな浅い領域から高い地点にまで視野を高めて俯瞰すると、そんなそれぞれの細かなモテテクなどバカらしく見えるはずです。

小学生か中学生の時の問題を大学生が解いてみると、非常に簡単に見えるはずです。

それと同じように、世間での具体的事例としてのモテテクやモテのための心理学など、子供だましにしか思えなくなるはずです。

特別企画もひとまず一段落したことですし、サービス投稿的にモテテーマについてでも書いていきましょう。

モテたければ客観的・言語的データの領域から脱しなさい

まず、世間で言うところのモテる男の条件とかモテる女の条件というものは、なぜか客観的・言語的データで語られていることがよくあります。

しかしながら、脳の情報処理においては、それらのデータは無意識の体感レベルでの情報に比べれば、地球サイズに比べての米粒くらいにしかなりません。

で、それと関連する事柄なので、先に今回の投稿の動機について先に書いておきましょう。

意識のスクリーニングが強い人同士が行う「見合い」

先日結婚相談所の人と話した時のことです。

そんなサービスを提供しているくらいだから、どのような恋愛経験があるのかを聞いてみたくて、「今までで一番ドキドキした経験は何ですか?」と聞いてみました。

すると

「わからない」

という回答がやってきました。

ちなみに僕は、中学一年生の時に2つ上の先輩にデートの申込みをした時です。

今でもはっきり覚えていますが、耳たぶが燃えました。

さて、当の本人も見合い婚ということのようでしたが、そこでひとつのことがわかりました。

ドキドキ感を筆頭に、体感レベルでの恋愛を経験せず、客観的・言語的データで人を判断し、そうした情報を元に強烈な意識のスクリーニング(遮蔽)を行なっている人だからこそ、同じタイプの人たちを取り扱うことができるのだ、ということをです。

まあ言ってしまえば、僕は好きな人と結婚という制度を選択しつつ一緒に暮らすという選択は良いと思っていますが、相手もいないのに「結婚がしたい」という人の気持ちがわかりません。

もしいわゆるスペックのようなものから思考で判断した相手と結婚生活を送るか、その結果はどうあれ、中学一年生の時に体験した「耳たぶが燃える」ほどの恋をするかどちらが良いか言われれば、0対100で後者を選択します。

しかし、その結婚相談所の人を筆頭に意識上の客観的で言語的なデータで人を判断しようという人としては、それとは具合が異なるようです。

そして、それらの人は、現にモテていないはずです。むしろモテた経験すら無いでしょう。

なぜなら無意識の体感、感情・感覚の世界を思考で解釈しようとしているからです。脳で言えば、右脳の世界を左脳のみで解釈しようとしているということです。

有名な画家の絵画を観る際に、絵を見て感じるのではなく、○○賞を取ったとか、値段はいくらだとか、その作品につけられた言語的評価しか見ていないということです。

そういう人が画家になれるはずはありませんし、そこまでいかなくても絵画鑑賞の楽しみを本格的に感じることはありません。

つまりそうした人同士を結びつけるのが、現代の見合いということなります。昔は親が決めたりしていましたが、今は本人の活動で決まることが多いですからね。

感情や感覚を配して思考領域で判断するため、感情的な喧嘩はないかもしれませんが、客観的データとしての年収などの減少があると破綻するかもしれません。

まあそれは個々人の自由ですから別にいいですが、少なくともそういう人はモテません。

現にモテていないからお金を払って人の世話になろうとしているというのがわかりやすい証拠です。

客観的・言語的データの領域

すごく簡単なのですが、TOEICが何点だとか、出身校はどこで、今の勤め先はどこか、というような客観的・言語的データを筆頭に見た目などは入り口でしかありません。

確かに多少は最初の入り口が楽になるでしょう。

その理由は相手の人が持つフレームに応じた意識のスクリーニングを一応通過して、スタート地点に立てるからです。

「これだけの条件を持っている人しか嫌だ」

という意識のブロックがある場合に、それをひとまずパスするということはできます。

しかし、そうした条件に満たなくても、一応話ができるレベルにまで相手にされているのであれば、そうしたフレームなどは飛び越えてどうにでもすることができます。

さて、そうした客観的・言語的データは入り口にしかならず、貢献度としても少し話題に使える程度で、車で言えばGTウイングくらいにしかならないという感じになります。

肝心要のエンジンや足回り、ボディそのものがない状態でGTウイングやアンダーネオンなどがあっても仕方ありません。

やれ、有名校を出ていればモテるとか英語が話せるとモテるとか、そうしたものは同じように言語的処理で相手を判断しようとしている人と表面上の付き合いをするときにしか使えません。

あれこれネット上などで「どういうスペックを持ち、どういう属性を持てばモテるのか?」ということを探している人がたくさんいますが、それらは単にオマケです。

モテない理屈

ということでモテない理由、モテない理屈は非常に簡単で、客観的な評価に自分を合わせて、RPGでいうところの能力の数値を高めようとしていることです。

どうしてそれがモテない理屈につながるのかと言えば、それも非常に簡単で、人に合わせているからです。

客観的なデータ、ファクトベースで勝負すると、高スペックな人たちの一人勝ちのはずです。

しかし世間を見渡すとそのようにはなっていないはずです。

そもそも「TOEICで何点取った暁には、誰かが自分を評価してくれるだろう」という、意識のズレが問題です。

そしてそうしたフィールドにいると、自分より高い能力がある人を目の前にすると尻込みするようになります。

ということは、無意識的にいつもどこかで負ける可能性を意識しながら過ごすことになります。

それは、完全に自信を持っているということにはなりません。

その自信の無さこそがモテない理由なのです。

モテるための秘訣

さて、モテるための秘訣ですが、それも非常に簡単なのですが、人に好かれる好かれないは、言語的領域で決まるわけではありません。

例えば、近所のおばさんに好かれるか好かれないか、というところから考えてみてもいいでしょう。

有名大学卒で陰気臭く高慢な人か、大学は出ていなくても、いつも笑顔で元気よく接する人かどちらが好かれるかというところです。

モテたければ客観的・言語的データの領域から脱しなさいというセクションの通り、そうした裏側の作業の結果を見た誰かに一方的に評価されよう、という感覚を脱する必要があります。

まずは自分がドキドキしてみろ

モテるために一番必要なのは、自信よりも先に自分がドキドキしたことがあるという経験の体感記憶です。

意識のスクリーニングが強い人には残念ですが、人に恋をするということ以外であっても、何かに熱中するという経験をしたことがない人は、モテる可能性がありません。

仕事に熱中している人がモテるのは、仕事というものに対してドキドキしたりワクワクしているからです。

人はイライラしている人と一緒にいるとイライラしてきます。

同じように、ワクワクしている人と一緒にいるとワクワクし、ドキドキしている人と一緒にいるとドキドキしてくるのです。

それは言動にも一応表れますが、非言語領域です。

まずは自分がドキドキを呼び起こせないと、同調によって相手を感化することもできないのです。

だから、モテません。

モテるためには、まず、自分が人を好きになる必要があります。

何かしらのスペックを上げたりだとか、特定のフレーズを使ったりだとか、そうした小手先で相手から自分に惚れ込んでくれるだろうと思うことこそがモテない理由です。

人を好きになるには、客観的なデータを用いて意識でスクリーニングさせずに体感ベースで感じる必要があります。

つまり社会的な評価というものを外した上で、動物レベルで体感を感じるしかないのです。

データはリアルの高い臨場感に勝てない

僕たちが高校生くらいの頃から、メールなどでのやり取りが主流になりましたが、それ以前は電話が主流でした。メール機能がない分、直筆の手紙のやり取りも結構ありました。

電子上のデータのやり取りは非常に広い意味でのデータ量が少なく臨場感が低いという特徴があります。

例えば、同じ言語データでも、メールなどではバイト表現のただの言語ですが、直筆の手紙なら筆跡などの情報が付加されます。

同じメッセージを伝えるにしても、電話であれば文字に書き起こせばメールとあまり変わりないとしても、声質や間という非言語領域での情報が付加されています。

そういうわけで最強なのは直接会うことです。

そのきっかけとしてメールのようなものを使うのはいいですが、メールだけ済まそうとすればするほど、臨場感がなく同調も起こりません。

スマートフォンなどでのやり取りが主流になった現代を嘆くというわけではありません。

周りがそのような形でしか異性にアプローチしていないのなら、直接フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションをしたものが一人勝ちするというだけです。

モテたければモテればいい

水商売の人は、そのフレームで異性を見ていますが、もちろんそうした店にすら行かないという層がこの世の中には少なからず存在します。

といっても、そんなことを意識してしまえば、せっかくの非言語での情報伝達に影響を与えてしまうので、そのような業種の人は、「自分はどんな人にでもモテる」と思っておいてください。

しかしながら、頭に電極をつながれたり薬物を投与されれば別かもしれませんが、仮に日本一のホステスが僕のところにやってきても、僕の意識を動かすことはできないでしょう。

別に嫌う必要もないので、その人を好きにはなるかもしれませんが、街でたくましく生きる雀に対するのと同じ意味での好きであるという感じになります。

そう言えばスティーブ・ジョブズが、生前に「好かれるに越したことはないが、嫌われることを恐れない」というようなことを言っていました。

その意味でも、千利休のように、「叶うはよし、叶いたがるは悪しし」という感じになりましょう。

モテたければモテればいいのです。

モテたがりモテようとすることではないのです。

そしてそれは、言語的領域で「自分はモテている」と説得することではありません。

その体感とともにある、というのが本当のところです。

まずは意識のスクリーニングを虚像と見切り、誰かを心底好きになってみましょう。

「好きなことに理由はいらない」とか言うでしょう?

スタートはそこからです。

そしてそれができたのなら、その人を越え、人類を越え、全ての生き物に対してその気持ちを広げていってください。


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