目の前の現象への解釈は無数にあります。しかし人が各々に持つ視点、重要度のバランスはバラバラなので、解釈の仕方も 千差万別の百人百様です。そして、実際に何かの行動を取ったり選択したりというときには基本的に一つしか選べないので他の人と食い違いが出てくる場合もよくあります。
変な人にもその人なりの考え方や視点があり、それはそれでいいのですが、まれに自分の意見に同意したり同調しないことに腹を立ててくる人もいます。
そして同調しないことに対して「捻くれている」などとレッテルを貼ってくるのです。
「捻くれている」とレッテルを貼ってくる人
これは、自分の意見に賛同しない、同調しないということに対して、「頑固だ」とか「捻くれている」とかそうした言葉を用いて拗ねてくるようなタイプです。
しかしながら、同調しないということは、感情的に「あえて同調しない」という捻くれ根性から来ているわけではない場合もよくあります(一匹狼の一家言)。
ということで、「捻くれている」などとレッテルを貼ってくる人は、単に他の可能性が見えていないだけの人であり、端的には頭が悪いだけだったりもします。
そうしたことは棚に上げて、人に「あなたは捻くれている」などというのですから、もう救いようのないほどに頭が悪いということになります。
「他の意見を理解した上での選択」と「単なる偏見」
本来、一つの物事に対する解釈は複数あります。そして選択肢がたくさんある中、ひとまずどれかひとつに決めなければ、行動としては前に進まないというようなことがよくあります。
そんな時に、ある一つを選択した場合、一応他の可能性は一旦排除せざるを得ないということになります。
それと同じように、何かしらに対する意見というものも、一応複数のものがあり、何か一つを選ぶのであれば他の意見を排除しなければならないという場合があります。
ただその時に、他の意見を理解した上で合理性や他との関係性から「選択しない」というものもあれば、他の意見を理解すらしようともしない上で偏見を持つというのでは雲泥の差があります。
ということで、「捻くれている」とレッテルを貼ってくるような人は、単に他の可能性、他の解釈の構造が見えていない、見ようともしていないだけの人であり、救いようのないほどに頭が悪いだけということになります。
説得すること自体が馬鹿らしい
ということで、時に「説得すること自体が馬鹿らしい」ということになったりします。
「バカはバカであり、それはすぐには救いようのないことなのだ」
「前提となる部分から考えるような頭にするためには、かなり長時間かけて前提の前提くらいから理解させていく必要があるが、そうなると幼稚園児くらいからやり直してもらわねばならない」
ということに早く気づいたほうが賢明です。
「わかってくれるだろう」
「私が伝え方を工夫しさえすれば…」
「自分の言葉選びが悪かったのかな」
と思って頑張ってみるのもいいですが、相手に理解してもらうということに自分の一生をかけるつもりくらいでないと、その願いは通じなかったりします。
ということで「捻くれ者」とされている人は、そうした「どうせ理解もできないような人」を説得すること自体が馬鹿らしいとすら思っているかもしれません。
それは一種の諦めであり、行動としての賢明な選択肢の一つです。
そしてそうした思いは行為として現れないため、「あなたは捻くれている」などと言って怒っている人には、そうした「賢明な判断」がなかなか見えないのです。
「理解できるような人にしか話すつもりはない」
「この人をゼロから教育するような義務はない」
そんなことを胸の奥に潜ませているということになりましょう。
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