倒木した桂川~天神川の桜と社会
先日、桜の季節ということで桂川の方に行きました。 いつもの菜の花スポットですが、そこには桜並木があり、ほぼ毎年のように行ったりしています。しかし、桜の季節は比較的人が多いので、桜が散った後に菜の花を見に行くことが多いという感じです。 ただ今年はちょうど桜が満開の時期に暖かい晴れの日が訪れてタイミングも良かったので、多少の人の多さを覚悟しながら桂川の方に行きました。 桂川と天神川が合わさる手前の場所で、厳密に言うと天神川の方なのですが、やたらと人が多く、「うーん…まあ仕方ないだろう」と思っていました。 桜並木の方に行
骨格と装飾と問題
文章と音楽は全く別物かのように見えたりもしますが、知っている人は知っているように、骨格と装飾といった感じで、中心となる部分とオマケの部分があります。 また、そこにある美しさは、フィボナッチ数列から導かれる黄金比のような法則性もあります。そういうわけで、本来文理芸は切り離されているものではありません。 言語なら言語的意識、音なら聴覚といったように、美術なら視覚といったように、どの次元で表すかとかどの次元で捉えるかというだけの違いで本質的にはそれほど違いはありません。 骨格となるものと装飾的な部分についての差は、文章で
システムや機械の利用と依存
システムや機械の利用と依存ということで、利用と依存についてでも書いていきましょう。もちろんシステムや機械自体は悪くないという部分もありますが、機械への依存が増えると、本質的なクオリティは下がってしまう場合もあるというような点について触れていきます。 特に今に始まったことではありませんが、現代においてもひとまずいかにして「人の代わりに機械にやらせるか」という方向で技術開発は進んでいます。 それ自体は別にいいのですが、単にシステムや機械を利用することと依存することは全く別物です。 全体像を理解した上で、部分を機械に代替
就職活動でもその気になればルールを超えることができる
「その気になればルールを超えることができる」 僕がそれを実感したのが就職活動でした。 相手に文句だけを言っても変えることはできません。 身内の人などであれば、それに応じてくれる人もいるかもしれませんが、若造一人が何の接点もない企業相手にいくら真っ当そうな自説を説いたとしても通用しない、それを突きつけられるのが主に就職活動です。 相手には求める条件があって、その条件を満たそうと思っても各々環境が違うので、条件を満たせるかどうかのハードルは平等ではありません。 平等であるべきですが、それは国家や社会の理想、目指すべき到
表と裏と社会性と匿名性
一時期やたらにインターネット上で著者を示そうとか実名で公開させようとするような流れがありました。しかしそれは、インターネットの役割として相性が悪く、頓挫する形になりました。 まあインターネットの匿名性は、時に社会の中で問題となることがありますが、そうした場合被害者側の思いばかりが語られ、匿名性がもたらした害悪だということが語られたりしています。 そうした問題自体は、インターネットにまつわる一つの問題としての側面として、事実として検討してくべきポイントとなります。しかしながら、いわゆる加害者側にも動機の発生から実際の
芽が出るまで穏やかに待つこと
結果が出ることを焦ると全てが台無しになることがあります。 待つ時には待たねばならないと言う感じです。 焦燥感から物事を待てずにフライングしてしまうと、せっかく現れるはずだったものが姿形を変えてしまうことがあります。また逆に痛みを恐れて判断が遅れると損失がひどくなることもあります。だから穏やかに過ごすのが一番です。 「成長を温かく見守ること」で結果的にうまくいくとか、芽が出るまで穏やかに待つことによって、万事うまくいくということはよくあります。 ただ、単に待つだけでいいときと、待つにあたって「待つ体制」を整える必要が
対人恐怖と人間不信への対処
対人恐怖と人間不信への対処について触れていきます。 人間不信や疑心暗鬼が加速すると、人によっては他人と接するのが恐いという感じになりますし、人によっては攻撃的になってしまったりします。 自分の「自我」を含めて人の意識は不安定です。なので、人を心底信用することはできませんし、それはそれで大いに理解できることですが、恐怖を感じたり攻撃的にならざるを得ないというのは「この心」にとっても苦しいことなので、「それとこれとは別次元のこと」として捉え、苦しみを時空の彼方に追いやってしまいましょう。 対人恐怖と人間不信への対処とし
真面目と怠惰
真面目と怠惰というコントラストがあります。真面目は良くて怠惰はダメだとかそんな感じですね。 「真面目だけど不器用」 とか 「真面目でいい人なのにうまくいかない」 ということがよくあります。 もちろん真面目なことはいいことですが、真面目なようで実は真面目っぽさにかこつけた怠惰であることがあります。そうなるともったいなかったりしますので、逆説的な怠惰について触れてみます。 真面目で誠実というのはすごく良いのですが、それに甘んじることで本質から目をそらしているだけだったりすることがよくあります。 なので「いい人止まり」み
見栄や恥に釣られる甘い客
見栄や恥に釣られる甘い客ということで、恥の意識とマインドコントロールについて少しだけ触れていきましょう。 マインドコントロールの要因はいくつかありますが、用いられやすい心理的要因として「恥の意識」があります。 恥をかきたくないということに始まり、カッコをつけたいとかモテたいという意識があると、意志決定をコントロールされてしまい時に「甘い客」として取り扱われてしまう他、最悪の場合は世間でいうところの「洗脳」をされてしまいます。 北九州監禁殺人事件においても、そのマインドコントロールに恥の意識が利用されていたというのは
些細な力の無限連鎖
もう随分と前のことですが、弱体化した支店を立て直す敏腕管理者の方がいました。僕が実際に目の当たりにした良きリーダーの一人です。 彼は今でも僕の中での「理想のリーダー像のモデル」として重要な位置にいます。 彼が見せた「些細な力の無限連鎖」という奇跡のような復活劇について振り返ってみようと思います。 凄腕の支店長がやってきた ある時、売上が極端に低迷する支店に凄腕の支店長がやってきました。 従業員たちの心は諦めかつ退廃的になっていて「サボったもん勝ち」という空気すら流れていました。 営業成績で言えば、全国でも下から数え
その時間を無かったものとして扱う人たち
世の中には平気で遅刻したり、残業代や取引代金を支払わなかったりする人がたまにいます。僕としては信じられませんが、いくら世の中が変化していこうが、未だにそうした人たちがいるようで、その様子が耳に入ってきます。 それら人たちのその行為は、要約して言うならば「その時間を無かったものとして扱う」ということです。 約束の時間にこないということは、その時間に来ていた人たちの待ち時間というものをまるで無かったかのように扱っているということになりますし、残業代を支払わないということは、働いた人の時間、働いていた時間を無かったものと
中小零細企業を侮る中小企業診断士
中小零細企業を侮る中小企業診断士ということで、胡散臭いコンサルタントとまではいかないものの、たかだが国家資格を取得した程度で先生気取りをする中小企業診断士持ちのコンサルタントについてでも書いていきます。 「国家資格を取得した」ということで、もちろん中小企業診断士です。 まあもちろん中小企業診断士としてまともな人もいるのですが、一回も会社経営をしたことがない中、国家資格取得によって自惚れている人も結構いるので、全国の中小零細企業の方々を代弁すべく少しそうしたコンサルタントについて触れてみようかなぁと思ったしだいです。
ウジウジが続く時は極論や極端な発想で思い切る
ウジウジが続く時、そんな時は微妙なストレスが日々心身を痛めつけてきます。 変なウジウジが続く時、極論や極端な発想で思い切ると、意外とあっけなくそれが解決したりします。 友人や知人に相談なんかをして「そんなことは関係ない」とか「気にするほどのことじゃない」と言ってもらったとしても、なんだか頭では理解することができつつ、心の内では納得できずにウジウジが続く、そんな時があります。 ウジウジしている時というのは、少なからず葛藤があるときです。本当に諦めていたら気にもならなくなるはずですし、若干の期待のようなものがあるからこ
パワハラの境界線
世の中では、パワハラが問題になることも多いですし、僕もたまにパワハラ野郎という概念を使うことがありますが、そうしたパワハラの境界線を捉える上で、面白い人がいたことを思い出しました。 定義上パワハラは、パワーハラスメントなので、嫌がらせ要素が必要になり、職場への悪影響が発生していることが定義上の要件となります。 そういうわけでただ単に客観的に暴力的な指導であるからと言ってパワハラと判定することはできません。 それをパワハラとするには、やはりその奥に「自尊心の補償」という概念や八つ当たり的な要素が必要になりますし、「職
事務方の達人との思い出
特にそうなる必要はありませんが、いずれ起業する前提や社長になる前提で働いていると、様々なことが勉強になります。 学校にいる間はお金を払って勉強するという形になりますが、社会に出るとお金をもらって勉強をするという形で毎日を過ごすことができます。 ― 世の中においても、曖昧で余白的に成り立っている事柄はたくさんあり、表面的な範囲や構造だけで捉えることはできません。 法律においても信義則や権利濫用、情状酌量という概念があるように、職場においても全てがガチガチに決まっているわけではありません。 ある程度の余白があって、余白
変化する怪物と四半世紀の混乱
先日夢の中で、なぜかリヴァイアサンが出てきました。リヴァイアサンといえばトマス・ホッブズの「リヴァイアサン あるいは教会的及び市民的なコモンウェルスの素材、形体、及び権力」でもありますが、僕たち世代としてはファイナルファンタジーシリーズに登場する幻獣のイメージが強い感じです。 一度必然的に出てきた流れは止めることができず、その変化は安定するまで必ず混乱を招きます。 そしてその混乱期間としておよそ四半世紀くらいが目安になるというようなことが、何故か夢の中でリヴァイアサンの形をして出てきたわけです。 さらに起きてから
お通しやサービス料、保証金といったよくわからない商慣習
以前にも少し触れていましたが、20歳前後の頃よくわからない商慣習のおかげで外出するのが嫌になったことがあります。 いまでこそかなりマシになりましたが、当時、居酒屋のお通しと呼ばれるようなものを筆頭に、飲食店などにおいて謎のサービス料のようなものが何の説明もなしに料金に付加されたりして困惑しました。 最近ではメニュー表に記載されるような時代になったので若干は気楽になりましたが、このとき感じた違和感によって未だに飲食店に行くことがあまり好きではありません。 何故そのようなことが通用していたのかが謎でしたが、やはり納得が
虚飾や虚栄を支える他人の目
「虚飾や虚栄を支える他人の目」ということで、見た目で態度を変える人たちについて、そして、それが影響し虚飾や虚栄を繰り返してしまう人たちの意識の中身を少し覗いてみましょう。 虚飾とは、中身は薄いながらも見栄から外見を飾ることであり、虚栄とは、体裁を気にして栄えているかのごとく振る舞うことを意味したりしますが、共に実質的にはペラペラなまま、着飾ることや高級品を所有することを筆頭に外面だけ飾るということになります。 どこからが虚飾や虚栄で、どこからが相応なのかという問題にはなってしまいますが、苦しみを伴うような負債を抱え
襟を正すとすぐに吉報がやってくる
日常の展開など結局意識しだいであり、我に返るとすぐにより良い方に物事が進んでいきます。 襟を正すとすぐに吉報がやってくるという感じで、一種ふらっとしてしまった意識を元に戻すだけで、すぐに現実はより良く展開していきます。 一瞬気の迷いが生じたとしても、「カスを切るほど良いことが起こる」という感じで襟を正すとすぐに良いことが起こります。 そういえば我が事で考えてみても、おもしろいことが連続して起こっています。 先日、年末に触れていた「何なのこいつ?」が、取引の依頼をしてきたので、すぐにお断りの連絡をしました。 鈍い人た
「操作できる」という実感
リアリティを高める重要な要素としての「操作性」や「操作できるという実感」、そして「自分の意志で情報が変化する」という点や反応がない場合に起こる憤りなどについて触れていきましょう。 ― 映画やドラマ等々を長時間視聴することは難しいものの、ゲームなら半日でもやり続けることができる理由はどこにあるのかということをふと考えました。 昨年から観続けているXファイルですが、全話で200以上あるのでまだまだ終わりません。DVD一本で4話入っており、1話が45分弱なので、DVD一本で3時間位の時間になります。しかし連続して観ようと
設計者・開発者たちの「評価への迷い」
いくらコンピュータをうまく利用したとしても最終的にそれらを利用するのは人間なので、いかにコンピュータを人間ぽく動かすかということが各種設計者たちの最大の課題になっているはずです。 いつの時代でもスパマーというものはいて、設計者・開発者の人たちが考えたアルゴリズムの裏をかくということがイタチごっこで起こっています。 AI(人工知能)への皮肉とドラえもんの設計で触れていましたが、概ねそうした設計をする人たちというのは人が良すぎる傾向にあり、我が事を基準として「人間は最も理性的な判断を採用し、最も理性的な行動を取る」と考
数撃ちゃ当たるの発想と営業代行
昔からそうなのかもしれませんが、いまなお数撃ちゃ当たるの発想でやってくる営業なんかがよくあります。 会社宛にもよく営業のメールが来ますが、まさに数撃ちゃ当たるです。レスポンスがあればそれで良し、無くてもひとまずメーリングリストには残しておいて連射するという感じになっています。 確率論的に大量の営業メールを送れば、何%かは引っかかるだろうという発想です(万一の僥倖をたのんでの事だろうか)。 まあこういうのは自社でやっているケースもありますが、営業代行会社がやっているという場合もあります。すなわち、自社で営業メールを乱
営業時間とラストオーダーの表記
なんだかんだで営業時間とラストオーダーの表記というものは結構大事だなぁということを思ったりします。 リッツのような考え方の人たちにとっては、表面的なOKとNGだけの問題なのかもしれませんが、営業時間とラストオーダーの表記の問題を軽視していると客商売ではかなりの致命傷を負うのではないでしょうか。 ― 先日福井県に行ったときのことです。 日帰り温泉にて入浴後に軽食でも取ろうかと思い、食事コーナーに行きました。 館内のいたるところに営業時間終了は22:00、ラストオーダーは21:30と表記されており、その時はまだ21:1
鈍い人たちの言動に直接反応せず、自らの洞察力を活かす
「鈍い人たちの言動に直接反応せず、自らの洞察力を活かす」ということで、世の中にいる鈍感な人たち、図太い人たちなど、いわゆる「気が回らない人たち」に対して辟易するのをやめて、そうした人たちの気の使えなさを見抜ける自分の洞察力を活かしていきましょうというようなことについて触れていきます。 以前、鬱になる人は繊細で頭が良いというようなことを書いたことがありましたが、それは適当に言ったわけではありません。 論理矛盾に気付く能力や共感力があるからこそ、鈍い人たちの言動のおかしさやひどさ、そして社会的矛盾なんかに気づいて葛藤が
確かなデータと事実の意味
著しく自信がないのか、誰かへの言い訳が必要なのか、データに期待をしすぎているのか何なのかはわかりませんが、無駄にデータから未来を決めようとする人たちが増えてきたような気がします。 「確かなデータであっても事実の意味が違う場合を考慮する」ということを完全に無視しているような気がしています。 人間ではすべて把握できないほどのデータを集めて何かを検討してみるということもいいですが、そのデータ自体が確かな事実であったとしても、その事実の背景や意味を正確に捉えられたわけではないという当たり前のことを見落としている感が否めませ