一番マシだったからであって支持したわけではない

別にそれを支持したわけでも何でもなく、目的の商品が在庫切れだった時の代替物として一番マシだったというだけなのに、まるで投票行為において支持したかのごとく「企画が当たった」と思われるのはどうか、と思うことがあります。

そしてその支持したかのような構造になってしまうものがデータとして傾向を示すものとして取り扱われるとなると、どんどんどんどん本質的なニーズからは外れたようなポンコツ商品ばかりになってしまうのではないかと思うことがあります。

プロダクトアウトが主流だった時代を経て「消費者の声を聞こう」というマーケットインがもてはやされたりしました。それはそれでいいですが、直接的な調査や販売する人たちの感性を頼りにしていたくらいまでは良いものの、その後コンピュータによるデータの利用が進んでからというもの製品に関する「顧客の声」というものの抽出が歪んでいるような気がしてなりません。

その一例としては、今回触れるような「代替物として一番マシだった」というだけなのに、データ上は「それが選ばれた」というところしか出てこないという点です。

代替物として一番マシだったというだけ

20歳過ぎくらいの時、経済学を勉強したりなんかして、コンビニに行く時にでも「この商品購入という行為一つとっても投票行為的な属性も持っているのだなぁ」というようなことを思い始めました。

しかしながら、昼に弁当を買いに行くとき、目当てのものが売り切れていて仕方なく他のものを買う時などがあります。

「なんだ売り切れか」と思いつつ、仕方無しにそれ以外のものを探すしかないという場合です。

休み時間は限られていますし、それはそれで代替手段として仕方ない面がありますが、そんな時に売れ残っていた商品が「アイドルとコラボレーション」とか「アニメとコラボレーション」的な感じになっていたりした場合、そのような企画に賛同したかのように、まるで支持して投票したかのようになってしまうのが嫌になったことがありました。

端的には代替物として一番マシだったからであって支持したわけでは無いのですが、企画した人たちに「成功した!」と思われるのが嫌で2番手の代替物の方を買ったこともあります。

自分としては買おうと思っていたものが売り切れだったので仕方なく代替物として何かしら昼食を買うしか無いというだけだったのに「アイドルとのコラボ企画が当たった」とか「やっぱりアニメとコラボすると売れるんだ」などと、まるで一票投じたかのように解釈されるのが嫌で仕方がないという感じです。

普通に考えるとそうした背景はデータ上には残りません。

「店員さんの声」を集めるという場合であれば「別にそれが欲しかったってわけでもなさそうでしたよ」という部分が見えます。

しかしながら、レジを通して残るデータとしては「年齢、性別等こうした属性を持つ人物が、その商品を購入した」という部分しか残らないというのが基本です。

別にそれが欲しかったわけじゃない

そういえば先日パインジュースが欲しくてスーパーまで買いに行ったのですが、パインジュースは売っていませんでした。もちろん酒屋に行けばあると思いますが、帰りついでだったのでそこまで欲しているわけではないという感じでした。

パインジュースはなかったのですが、マンゴージュースがありました。

そこで一応代替物としてマンゴージュースを買ったのですが、その時にふと今回の「一番マシだったからであって、特にそれを支持したわけじゃないぞ」ということを思い出したという感じです。

買ってから気づきましたが、極端な話をすれば、僕がマンゴージュースを買うことでそれが一票になるので、スーパーの人が「いまマンゴージュースが売れているんですよ」なんてなことを言い出すのに加担してしまったことになります。

本音でいうと「パインジュースを取り扱って欲しい」なのですが、わざわざそうした旨を伝えるのも面倒なので、ひとまず適当に代替物としてマンゴージュースを買ったという感じです。

それでも、お店の人からすれば「マンゴージュースが当たった!」と勘違いしてしまうかもしれません。

特に昔のように店主と買い物客が直接コミュニケーションをとるような売り方ではなく、合理化が進んでいるためそうした本音は抽出しにくくなっていると思います。

別にそれを求めてお店に向かったわけでもなければ、店内でインスピレーションを得て購入したというわけでも何でもなく、本当に欲しかったものが置いてなかったからこそ代替物として購入したにもかかわらず、「今、これが売れているんだ」という投票の一票として支持したかのように扱われるのは何だか変な感じがします。

本質的なニーズの抽出

最近ではAIとかセルフレジ、果ては「レシートの情報を集めます」的な感じでなんでもビッグデータで事が済むと思っている風潮がありますが、そうしたことで確かに管理コストなどは削減できるかもしれないものの、本質的なニーズの抽出はしにくくなっているのではないかと思います。

そんなことを考えていると、昔料理漫画で出てきた「顧客をデータ管理する」という話を思い出したりします。

若手の主人公が顧客の志向をデータ管理しましょうと提案するのですが、長年勤めている板前は、そんなデータ管理などしなくても全て把握している上に、その日のお客さんの体調なんかも考えているので、結局無駄だと言うような話です。

ということで、端的には「プロをなめるな」ということです。

バブル崩壊以降、「合理的なシステムだけ組んで、あとはすべてバイトにやらせる」という方法論で経営の仕組みが作られ、それが蔓延しましたが、その代償としてプロが極端に減ったような気がします。

小売にしろ何にしろ、販売や営業の現場にいる人達がプロとしての自覚を持ち、顧客の反応を見たり相談して本音を聞いたりすれば、より良いものを作り出したり仕入れたりするという局面においてより内容が洗練されるはずですが、どうもそうした「感性への自信のなさ」が垣間見れるようなことがよくあります。

データ自体に頼り切ることはできない

それをAIが埋めることができるのならそれでいいのですが、先程見たように、表面上には表れない「本当の気持ち」をどうやって抽出するかというところが課題となるはずです。

究極的には防犯カメラを駆使して顧客が商品を手に取る時の表情を読み取り、「諸手を挙げて支持したわけではないな」という判定すらできるようになれば、集まったデータ自体を疑うこともできるようになるのかもしれません。

ただそれは、そのデータ自体に頼り切ることはできないということがわかるだけであって、何をすればいいのかを知ることはできません。

まあそんな感じで微妙に完成しきらずに歪んでいる状態だと言えるでしょう。

今後どのように洗練されていくのかが見ものですし、一部は時代が逆行するということも起こりうるかもしれません。

確かなデータと事実の意味

Category:company management & business 会社経営と商い

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ