
人間をロボット化しようとする流れ
最近知りましたが、某メーカーがAI搭載のカメラ付き肩掛けスピーカーでいろいろと提案してくれるような商品があるようです。人間をロボット化しようとする流れです。 色々と提案してくれるというのは利便性がありそうですが、結局はそのAI回答に反応するだけの人間を作るようなものです。まあおそらくネタで終わると思います。 手塚治虫氏がご存命なら真っ先にテーマにしそうな状況です。 AIの回答が問題です。近くのお店を提案したりするのはいいですが、その提案

お呼びでないことは百も承知
ずっと感じていた違和感の正体が先日わかったので書き記しておこうと思います。まあ根底にあるものは前々からわかっていたことではありますが、人と話すとどんどん露見していくものです。 幼稚園の行事に参加した時、保護者会会長の挨拶的なものがあったのですが、どうしても前々からその空気感に違和感というか不快感を感じていました。 「非Z会的な空気感からだろうか?」などと思っていましたが、別に友だち全員がZ会というわけでもないですし、数で言えば非Z会の方

友人たちの離婚ラッシュから見えるもの
「友人たちの離婚ラッシュから見えるもの」ということで、ここ数年の友人たちの離婚が相次いでいることから、今生きている自分の意識について変な角度から触れていこうと思います。 実際に離婚経験がないのは僕だけで、男女問わず仲の良い友だちは全員離婚しています(その後再婚している例もあります)。唯一親友だけが婚姻を継続していましたが、その最後の一組が先日、離婚成立となりました。 最近会っていない友だちですら年賀状で「息子二人と三人家族になりました」

「女の支配欲から逃れる」という僅かながらの可能性
結局のところ、女性というものは基本的に支配欲の権化であり、僕は、この「女の支配欲から逃れる」という僅かながらの可能性をこの人生のうちの男としての人生の最大の目的にしているフシがあります。 「身の周りの他人を支配し、自分で勝手に決めた理想、自己実現を叶える」 具に観察するとそのようになっています。 「他人を支配して」いかにサボるか、「他人を利用して」いかに自分は恐怖や不安から逃れるか、他人に気を使わせ、いかに「他人の労力」で自己の理想生活

父への評価と仕事や資産
よく父との仲や父への評価と仕事運や金運は大きく関わっているというようなことが言われます(なお、お父さんがいない人は、対象は父性の象徴になるというだけです)。 確かに過去を振り返ってみたり、今現在でも周りを見渡すと「不本意なフリーターのような状態や引きこもりニートになっている人(主に男性)」はたいていそのお父さんを嫌っています。 もちろんそのお父さんには嫌われる要素があるのでしょう。嫌う要素があるのだから仕方がありません。ということで、そ

十二月の憂鬱
毎年十二月になると、月の中ほどまでの間に激しい憂鬱がやってきます。その重圧は、十一月の後半くらいからやってきます。 振り返ってみると、夏の暑さが厳しかった年ほどそうなる傾向にあります。また夏や秋にスケジュールを埋めすぎるとそのようになりがちです。 ここ数年は、毎年のように十二月になると限界に近づきます。 睡眠と栄養の不足、そして「他人の空間」に入りやすいからでしょう。 睡眠が不足したりしてくると消化能力が落ちて食事量が減り、結果栄養不足

日々の花束
先日11/22はいい夫婦の日でした。そうした日に、妻に花束の一つでも渡すということはどれくらいの家庭で行われているのかは知りません。 そうした日に限らず「日々の花束」ということで、僕の中ではランダムに花束を渡すということにしています。 属性として妻や母であったとしても、どれだけ年齢を重ねても「女の子」という部分がなくなったわけではありません。 花束を渡すという習慣の発端 こうした花束を渡すという習慣が習慣づいたのは、両方のおばあちゃんの

夫婦仲の秘訣
夫婦仲の秘訣は何ですか? というような話題がありますね。 「あれこれをしてくれる」云々、「こういうところがいいと思う」云々、様々な意見がありますね。 逆に仲の悪い人たちや「一方が当て馬のポンゴになっている夫婦」は「別れるに限る」というようなものもありますね。 しかし、どれも本質とは異なります。 答えを言いましょうか。 男側の自信です。 それだけです。 夫婦仲の秘訣は「男側の自信」 その自信に根拠がなければないほどいいですね。 つまり、最

Z会
極めてシンプルにZ会について触れていきます。定義としてZ会とは絶倫すぎる男たちです。実はかなり昔にZ会に触れてからというもの、たまにご相談を受けることがあります。今までに数人の方にご連絡をいただきました。 ただ今回触れたいのは、「ナチュラルZでもない者が、肉体改造などによってテストステロン値を高めすぎてしまうとロクなことにならない」ということが中心となります。そのような感じで「無理に変わろうとしないでください」ということをお伝えしていこ

「誠実」という若き男の悩み
古今東西、若き男の悩みというものは特に変わっていません。若き男と表現するものの、思春期以降老年期までの間にたいていの男性にはいつか訪れる悩みです。有名どころで言うと、サマセット・モーム氏はその悩み、怒りを「人間の絆」で表現しました。 まずは事実を知り、そして、それをどう取り扱っていくかというところが問題です。これを曖昧にすると、老年に差し掛かるまで悶え苦しむことになりかねません。 これは、本能と理性の問題でもあります。 それは、端的には

駆け引きと安心
思い返すと何人かの女性に「あなたは駆け引きもできない」と言われたことがあります。 駆け引きができるとかできないとかそうした問題ではなくて、そうしたものをしたくないんです。コロコロコミック育ちですからね。 そうした観念がある事自体が息苦しいんです。 とりわけ異性間の付き合いであったり、友達関係であったりにそんなものを持ち込もうという考え自体が貧しすぎます。 裁判や商談ではありません。いや、それらでも相手がよほどの悪人でもない限り、駆け引き

木漏れ陽が灼く影
この8月、なぜか昔お付き合いしていた方に二人も会いました。共に「ばったり」です。今でもキレイでしたね。でも、それぞれの方に特に思い入れはありません。 思い入れは無いのですが、やはりそれら方々に共通して「なんで?」という疑問がありました。 なぜか「ふっ」と気分が変わるんですね。 気持ちの上で何が変化するのかということがわかりませんし、分かる必要もないと思っています。 何かが足りないというわけでもないのでしょう。 何かが嫌だというわけでもな
第2000回投稿記念
これで2000記事目になります。ブログ創設から2000回目の投稿ということで「第2000回投稿記念」です。 前回の第1900回投稿記念は、2020年9月29日だったので、前回からの100記事は、1年3ヶ月くらいかけて投稿したという感じです。それまでに比べてかなりのローペースでした。 なお、第1000回投稿記念は、2017年9月20日だったので、4年3ヶ月ちょっとで1000記事を投稿したことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがと
最初から出ていた答え
遡って色々と振り返ってみると、最初からいきなり答えが出ていたというようなことが数多くあります。 そうしたことが多いので、今でも直感に従うことがよくあります。 世の中では「努力」についていろいろなことが言われていて「努力は絶対に必要だ」というような脳筋から、「努力は不要であり、嫌々する努力は逆効果」というようなものまでたくさんあります。 それは努力必要論、不要論の範疇に入りますが、それ以外にも、「努力というものでは何ともならない領域のもの

顔の締まりとランラン光線
最近聞いた話ですが、推しの文化により、関連したものによって自分を表現しようというか、話の取っ掛かりを作って誰かに絡んでもらおう、できればモテようとするような雰囲気があるようです。 しかしながらそんなことでいくら取り繕おうが、本来、顔だけで人格はバレてしまうので、深い部分ではあまり意味がないのではないか、深い仲になったりする点においては、それほど有効ではないのではないか、と思ったりします。 また、服装がもっさいわけではなく、実は顔が…とい
電話とメールの使い分け
思い返すと、友人との連絡においては、この数年ほぼメール、メッセージ機能を使っていないということに気づきました。 逆に業務関連ではほとんどがメールのみということになっています。 その大きな違いは、仕事においては「言った/言っていない」というようなものを防ぐため、認識の齟齬を防ぐためというような意味合いが強く、友人関係においてはそうした証拠保全の必要がないという点が挙げられると思います。 直接話す、通話、メッセージという順 原則的に人とのコ
「雑」の極みとしての発想
世の中には驚くほど雑な人がいます。近年では「失言」として取り扱われたりして後で撤回ということもよく起こっていますが、根本的にそうした失言は「うっかりしてたなぁ」といったものでもなんでもなく、本心から出た言葉であるというのが本当のところとなっています。 相手や社会のことはお構いなしで、自分の感情に正直、そして、偏見に満ちており、思ったことをすぐに口にするといったような感じで「雑」を極めていたりします。そして自分に都合の悪いことには耳を貸さ
咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん
明るく楽しく熱意を持ってやってくる人、というのは一見良さそうですが、一時的なブーム・興奮によってブーストされているだけなので、その興奮が沈下した時にすぐに去っていくという特性を持っていたりします。 生きていると興奮等々により「多少気が狂れていないとできない」というようなこともあります。それは起業やプロポーズというような大それたことでなくとも、例えば朝まで話し込むというような親和の形成などもそれにあたります。興奮して若干理性が外れているく
信義を重んじて態々ここに来る
「信義を重んじて態々(わざわざ)ここに来る」ということで、接待等々について触れていきましょう。 接待ゴルフという言葉は昔からありますが、全くいやいやというわけでなくとも、本当はそれほど乗り気でもないのに付き合いできているという人たちと遊んで本当に楽しいのか、と小学生の時から思っています。 まあ脳筋体育会系としては、部下や後輩を侍らせている、とか、自分の鶴の一声で、というところで自尊心を回復していたりするのでしょう。 仕事の利害を絡めない
大丈夫は義を重しとす
「義」というものは、統制のためにMr.脳筋の思想が取り入れられたものである部分が多少なりとあります。しかしながら、そうした思想的なものがなくても、義を重んじるというところは大丈夫としてのあり方としてある程度自然に成り立っているフシがあります。 そうした義について、それを崩してしまうものの代表例としては、概ねムラムラによる錯乱と「女の入れ知恵」です。 男同士の友情において「友情が崩れてしまう」という局面において垣間見れるもの、それはたいて
実やかに約りつつも
様々な試験の結果のデータを見ていると、何故かわずかばかりは「申し込みながらもテストを受けに来ていない」といったものがあったり、「合格したものの入社していない」とか「初日で退職」というものがあったりします。 しかも数が多くなると何故か毎回のように同じような数字というよりも比率になっていたりします。 なので採用等々においては、予めそうしたものを予測して「少し多めに」ということで備えていたりします。 こうした一定比率の「結ばれないもの」が起こ
のっぴきならない証拠
たまに苦し紛れ感もなく当たり前かのように辻褄の合わないようなことを言い出してくる人がいますが、そうした事ができる背景として「本能による衝動」というという面が潜んでいます。 いわば非理性的ということになりますが、理性でないならば本能という感じで、結局は根本として本能的な生存欲求の方が強く、本能による衝動のまま言葉を並べているにしか過ぎなかったりします。 ある人が普段は理性的でありながら、急に非理性的になる時を想像してみれば結構わかりやすく
遭難の悲愴感
本格的な遭難を経験したことはありませんが、「まだ実りそうな希望」と「チャンスが失われた中の希望」というものは若干異なり、「広い荒野にぽつんといるような感じ」が、遭難の悲愴感を示すのに最もふさわしいような気がします。 以前、「企画した人の地図のマークのミス」により想定外の山中をうろつくというような軽い遭難について触れたことがありました(すばらしい日々)。その時に後輩が不安から泣きだしたりということもありましたが、「必ずなんとかなる」という

体験の非日常性
非日常的な体験をすると、意識がカーッとなり、平常時では考えられないような意志決定をしてしまうことがあります。 それが「人から仕掛けれたこと」ならば注意が必要になりますが、そうした一種の狂気、一種の強い変性意識がないと事を成し得ないという場合もありますし、そうして起こった現象がすべてダメなものかといえば、そうでもありません。 合理性から考えれば非合理な男女の仲 合理性から考えれば非合理な男女の仲においても、一種の非日常があるからこそカーッ
例外的な偶然の産物
自然淘汰を考える上で重要なのが、誰かしらが何かしらの「違う可能性を試す」という感じで例外的な偶然の産物として生まれ出ることです。 古典的な形で予定説的に考えると、因果は決定しているという感じですが、決定しているのは確率であり、確実の方ではないという感じになります。確率の次も確率ということになれば、それこそ可能性的には無限に不確定・不確実ということになりますが、それでもだいたいの確率でそれが起こるという感じになっています。 時間の概念から
認知のあり方と解釈
認知のあり方と解釈について触れていきます。 社会においては、誰が発したのかというところが影響することがありますが、本来は意味において誰が発するかというところは、哲学領域等々、領域によっては本当に関係がありません。 出典を根拠とされようが、その出典自体は何に保証されているのか、という感じになります。より詳しい論証やデータがあるくらいで、蓋然性が高まる程度でしかなく絶対的な根拠としては成り立たないのです。 ただ、 「内容は同じでも誰が発する

真面目と怠惰
真面目と怠惰というコントラストがあります。真面目は良くて怠惰はダメだとかそんな感じですね。 「真面目だけど不器用」 とか 「真面目でいい人なのにうまくいかない」 ということがよくあります。 もちろん真面目なことはいいことですが、真面目なようで実は真面目っぽさにかこつけた怠惰であることがあります。そうなるともったいなかったりしますので、逆説的な怠惰について触れてみます。 真面目で誠実というのはすごく良いのですが、それに甘んじることで本質か
本能的な相性のスイッチ
お近づきになったような女性に関して思い返してみると、同じようなタイプの人に好かれ、同じ名前の人に好かれということが不思議なくらいに起こっていたりします。 昔お付き合いしていた彼女にそっくりな女性の上司が職場にいて、ある時ふと「別れた元夫とよく似てるの」なんてなことを言われ、その元夫さんにそっくりだという息子さんの写真を見せてもらったら顔も体格も僕に似ていたというようなこともありました。 「息子によく似ていると言えばいいのに」ということも

ロミオとジュリエット効果
ロミオとジュリエット効果(Romeo and Juliet effect)とは、困難・障壁がある方が気持ちが燃えるという心理効果で、元はもちろんウィリアム・シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」から。 困難・障壁によって恋心は燃えやすくなる ロミオとジュリエット効果は、特に恋愛において、困難・障壁がある方がかえって恋心が燃えやすいという効果であり、逆にそうした障壁が取り除かれると急に熱が冷めるという側面も持っている。 交際を誰かに邪魔
不安がもたらす安易な行動
不安がもたらす安易な行動ということで、不安が行動を促し、そうした情動が落ち着くとその行動を終えるという人と、安易な提案では満足できず矛盾を嫌う人たちについて書いていきます。 一時期女性向けウェブメディアのようなものが検索結果を汚染していた時期がありました。盗作のような形の転載が基本であり、安易な内容で不確実なものも数多くあり、信憑性の問題から一気に墜落しました。またそうしたものもちょろちょろ復活していくと思いますが、ここで考えてみたいの