タグ別アーカイブ: 心理

心理・意識・精神について

「うつ」という成功法則から脱却しよう

「うつという成功法則から脱却しよう」ということで、うつにまつわる免罪符や成功法則としての機能、「プレッシャーから逃れられる」という一種の機能について、自らはどのように扱うべきかという点について触れていきます。 ― どうも「うつ」テーマによくアクセスがあるようです。 そこで菩提心というほどのものではないのですが、こうしたうつ病に関するテーマの記事を少しずつ増やしていこうかなぁなんて思っています。 その理由は次のとおりです。 最近では少しマシになりましたが、アフィリエイターやひどいときには大企業までが、こうしたうつの人

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交渉の本質 アイツの判断による小手先のテクニックを追うな

なんだか久しぶりに会社経営と商いでも書いてみようかなぁ、ということで交渉の本質についてちょっとだけ触れてみましょう。 営業や交渉の現場において、例えばやり手の上司と同行するということがあると思いますが、そうした時に、アイツ目線でテクニックを盗もうとすると、小手先のテクニックばかりを習得し、結局すごい人材にはなれません。 実は社会のそうした現場でも、教える側としても「教えることと言えば…」ということになって、そうした小手先のテクニックを伝えてばかりいます。 しかし、こうした交渉のような局面では「交渉術」みたいなものな

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願望とは何だろう!

願望ってなんだと思いますか? なんてね。 さてさて、願望の定義なんてほとんどどうでもいいのですが、一応書いておきましょうか。 辞書なんかを引っ張っても 「望んでいること」 とかそんなレベルだと思います。 調べてみると 「願ってその実現を望むこと」と出ました。 比較的ポジティブに「不足に気づくこと」 願望というのは一応望んでいることには違いないのですが、99%くらい、比較的ポジティブに「不足に気づくこと」です。 望んでいるということは、今現在無いという認定であり、かつ、それが自分の幸福感にとって不足している対象だと考

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犠牲の価値

国家と君主から個人を犠牲にする権利(司法や従軍などの場合のように)を剥奪すればするだけ、一層自己犠牲の価値が高まるだろう。 曙光 374 まあこれはパラドクスのようなもので、自由を欲しながら、自由にストレスを感じるということがよくあるという感じでしょう。 忙しいと休暇が欲しくなるというのが普通だと思いますが、お金が無限にあったとしても、永久に休暇ばかりだと気が狂れてしまうという感じに近いです。 自己犠牲の価値という表現は面白いですが、人から命令されることや責任感や義務感を感じて生きている人たちは、自由が与えられる事

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秘密をもらす非難

「彼は人間を知らない。」― これはある人の口にかかると、「彼は世俗的なことを知らない」ということを意味する。他の人の口にかかると、「彼は異常なことを知らず、世俗的なことをよく知りすぎている」ということを意味する。 曙光 373 曙光を持って帰ってきましたので、曙光シリーズ再開です。 以前は 「本当のことを言ったほうが良いのかどうか?」 ということに迷う瞬間がありました。 なぜなら、場合によっては、本当のことを言うといわゆる「夢を潰す」ということになりますし、本当のことを言わないというのは、「間接的な嘘をつく」という

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不足感や願望は「過去からの因果」という思い込み

一月ぶりになりました。曙光シリーズを進めようと思ったら、実家に置いてきていたようでした。ということで、哲学カテゴリでも良かったのですが、あえて「うつ」テーマとして、根本的なことについて触れてみましょう。 だいぶ前に「ストレスは溜まるものではない」みたいなことを書きましたが、何となく意味は伝わっているでしょうか。 そんなものは実在はしないのです。そして、今現在、そうした思考なんかが再燃して今現在ストレスを感じているということや、そうしたことの繰り返しによる身体のダメージがあるだけで、ストレス自体が溜まっているのではな

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実践的対処法 身体側からのアプローチ

5月です。毎年だいたい3月頃に更新するのですが、今年は3月恒例のこの「うつ」カテゴリの更新ができなかったため、ゴールデンウィークを利用して更新します。 やっぱりカテゴリ別にみるとトップのアクセス数です。ということで3月更新に期待されていた方もいるかもしれないので、少し遅れてですが「うつ、もしくはうつ気味の方へ」に久しぶりに投稿してみることにしました。 毎度のことながら文献などの参照はしないまま今回は、意識から少し離れて実践的対処法として「うつ」に対しての身体側からのアプローチについて書いていきましょう。 意識レベル

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専門家の名誉のために

ある人が、専門家でもないのに審判員の役割を演じるや否や、それが男性であれ、女性であれ、われわれは直ちに抗議すべきである。ある事物やある人間に対する熱中と有頂天は何ら論拠にもならない。嫌悪や憎悪よりもやはり論拠にならない。 曙光 372 「褒め教育」や「愛され何とか」みたいなものについて書こうと思いつつ、曙光のページをめくるとちょうどぴったり良い項目になっていました。 さて、「ほめる」や「威厳と恐怖心」などなど、今まで「褒め」については幾度となく書いてきましたが、基本的な内容は同じものの、なぜ「褒めない教育」の方が良

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強さの悪

情熱の、例えば怒りの結果としての暴行は、生理学的にいって、窒息の発作の恐れを予防する試みとして理解される。他の人々に己れををされけだす無数の傲慢な行為は、強い筋肉運動による突発的な充血の放水路であった。もしかすると「強さの悪」の全体はこの視点に該当するかもしれない。 曙光 371 前半 個人的には元々怒りタイプなので、特に欲はないのですが、何事も心の安穏の条件は少ないに越したことはありません。 怒りも、目の前の状況が不快だからそれを改善したいという欲として考えることができるのですが、こうした怒りにも幾つかのタイプが

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第三の眼

二つの他の眼を通して世界を眺める大きな第三の眼を開け! 曙光 509 文末 手が腱鞘炎気味ですが、早朝利用です。 アナリティクスでサイト内検索を見ると皆さんの関心事がなんとなくわかってくるような気がします。 さて、第三の眼です。第三の目と表記しても構わないのでしょうが特別企画なので仕方ありません。 これは、第三の眼を開く、第三の眼で観るとか言われるときの第三の眼です。この部分に関する興味や感覚は古今東西様々なところでみられ、第三の眼が開眼すれば超能力が得れるとか、様々なことが観れるようになるとかいうようなことが語ら

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思想家はどこまでおのれの敵を愛するか

君の思想と反対に考えることのできるものを決して抑制するな。口外せずにおくな!自分にそれを誓え!それは思想の第一の誠実に属している。 曙光 370 前半 かなりご無沙汰しております。bossuです。 何だかんだで投稿自体は1ヶ月以上ぶりですね。 やはり世間と接していると、俗世間の垢のようなものがついてきます。 久しぶりにアナリティクスを見ていたら、更新をしなかったにも関わらず、リピートユーザーさんの数とPV数、そして滞在時間の長さに驚き、「そろそろ書き出そう」と思ってしまいました。 以前からその傾向はあるものの、人に

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Z会・サービス精神で相手の意識のブロックを解く

そう言えばさっきの投稿「自分のみじめさをこえて高まること」で「Z会として意識のブロックを解いていく」をしっかり書こうかなぁとおもったら、ベランダにいるスズメバチが気になって、あまりはっきり書けなかったので、続きを書きます。 まあ特定キーワードを使ってもいいのですが、あまり書くと検索エンジンなんかが反応してきますからね。 一応Z会についてはこちら「Z会」 いろいろな段階を突破する 飛び込み営業をしたことがある人としたことがない人では、その実際の訪問先の反応が意外と優しいということへの理解が大きく異なります。 小学生の

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理性

どのようにして理性は世界に入り込むようになったのか?当然のことながら、非理性的な仕方で、偶然によって、である。人はこの偶然を謎同様に解かなければならないであろう。 曙光 123 苦悩の元凶は理性ですが、一般的には理性ほど素晴らしいものはないとされています。 理性があると、身の安全を確保できると思っています。 「理」に関するものですから、「物を手から離すと下に落ちていく」と知っていることもある種の理性です。そういった様々な「理」に沿った考えをしようということですね。 マナーとされるものは、一見本能的には合理的ではない

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自由精神の背教者

一体敬虔で信心堅固な人間に対して嫌悪の情を抱いた者があろうか?むしろわれわれは静かな尊敬の念を抱いて彼らを注視し、このすぐれた人間たちはわれわれと共通の感じをもたないという遺憾の念は抱くけれども、彼らのことを喜びはしないか?しかし、かつてあらゆる精神の自由をもっていたのに、結局は「信心深く」なった人に対する、あの深刻で、突発的で、理由のない反抗心は、どこから由来するのであるか? 曙光 56 序 自由精神が語られる上では、自由意志の有無が哲学的な話題となりますが、根本的に自由意志はないと思っておいたほうが賢明ですし(

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自分のみじめさをこえて高まること

自分たちの威厳と重要さの感情を作り出すため、怒鳴りつけたり暴力を加えたりすることができるような他の人たちを― つまり、無力で卑怯なため、その面前である人が崇高な挙動や憤慨した挙動を示しても罰せられず―、差支えがないような者たち!― いつもまず必要とするのは、自負心の強い奴らであると私には思われる。― それゆえ彼らは、ちょっとの間、自分自身のみじめさをこえて高まるために、その環境がみじめであることが必要である! 曙光 369 前半 みじめであることの感情も、その場での自我の反応にしか過ぎません。 そして、嫌だと思った

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リズムネタとポッキー理論

僕は昔からリズムネタが嫌いです。 ネタが安易で寒いということもありますが、メロディなどが聞いていられないくらい寒い。 だから嫌いです。 なんだか少し前にもてはやされた「なんとか太郎」がよくyoutubeでおすすめ的な感じで出されますが、絶対にクリックしません。 でも、一度だけ、どこかの店でたまたまついていたテレビに映り、嫌でも見せられてしまいました。 あれはね、一言で言えばポッキー理論を応用した自慰メロディです。 って意味わからないでしょう? 今からお伝えします。 ポッキー理論 ポッキーがなぜポッキーという名前なの

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いつも幸福そうに見える

「幸福」 なんだか変な気分になる単語ですね。 まあ某集団のせいでさらに変な感じのする単語になってしまいました。 さらにいうと「最高」を「最幸」という人のせいでさらに変な気分になるようになってしまいました。 さて「いつも幸福そうに見える」です。 以前何かの記事で書いたかもしれませんが、最高の状態とか言うのがあるとすると、その状態というものは普通維持されずに下降の一途をたどるはずです。 「いつも幸福」とはどんな状態か? いつも幸福そうに見えるというよりも、いつも幸福なのはどんな状態でしょうか? たいてい心というか感情は

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犯罪者の悲哀

犯罪者であることが発覚したとき、彼が苦しむのは犯罪ではなく恥辱であり、馬鹿げたことをしたことに対する嫌悪であり、通例の生活必需品に不自由することである。この点を区別するためには、めったにないような敏感さを必要とする。 曙光 366 前半 梅雨時くらいからでしょうか、宝ヶ池に行くと「ガチョウの雪雄がどこにいるか」を示したホワイトボードが設置されています。 さて、かつてある哲人は言いました。 「反省する動機がないことが一番の問題だ」 彼によると、「故意の犯罪は、悪いことだとわかっていてやっているので、反省する動機がある

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虚栄心

虚栄心とは、独創的だと思われることに対する恐怖心である。それ故に誇りの欠如である。しかし必ずしも独創性の欠如というわけではない。 曙光 365 久しぶりの曙光です。 ニーチェによると虚栄心とは、独創的だと思われることに対する恐怖心=「誇りの欠如」ということになっているようです。 虚栄心(きょえいしん)は、いわゆる見栄をはり、自尊心を高めようということを意味します。ブランド品で着飾ったり、立派な肩書を得たいというものから、「有名人と知り合いである」というところをもって自分の身の回りの人から「すごい人だと思われたい」と

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暇な人との思い出

先日養子の目の一部が赤くなっていたので、彼を動物病院に連れて行きました。 獣医に抱っこされた際に、かなり嫌だったのかドロップキックをしていました。 白内障の影響らしいのですが、特に不快がっていないということで治療は無しです。診察料金は320円。かなり良心的です。 父が車を出してくれたのですが、父の同級生に獣医がいるという話になり、「アイツんとこなら5000円位ボリよるぞ」と言っていました。 最近の養子のお気に入りは「バナナ」です。 暇な人の暇つぶしの踏み台にされないように さて、こないだの「話題」は暇な人の消費対象

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真なるものの専制政治に反対

紫外線で目がやられていましたが、先日、午前中は滋賀方面へ、帰りは夕方から京都へと帰ってきたため、さらに目が焼けてしまいました。 ついでに言うと、盆の渋滞で移動時間が無駄に長かったということも原因の一つです。 さて、「真なるものの専制政治に反対」です。 専制政治、ではないですが、資本主義と労働と時間の間接拘束についてでも少し触れていきましょう。 わかりにくいので、間接的な拘束についてでも触れていきます。 間接的な拘束 最近の行政はどうも調子に乗り過ぎ感があります。 まあ京都市や京都府なのですが。 どうも行政が力を持つ

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和解させる

一体哲学の課題は、子供が学んだものと大人が認識したものとを和解させることであるだろうか?青年たちは子供と大人との中間にあり、中間の欲望をもっているから、哲学はまさしく青年たちの課題であるだろうか?哲学者たちが現在どんな年齢で哲学の構想を抱く習慣であるかを考えると、― それは、信仰には遅すぎ、知識にはまだ早すぎる年齢年齢なのであるが― ほとんどはそのように思われてならない。 曙光 504 一ヶ月以上ぶりの曙光です。 今回は「和解させる」ということで、和解について書いていきましょう。 僕は厳密な意味では、昔から人と和解

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アイツ騙しで強力な執着による集中を呼び出した結果

ご無沙汰しています。bossuです。 最近、自分の体を使って実験しています。 … 別に怪しい実験ではありません。 怪しい実験ではないのですが、だからこそ更新頻度が減っているという点もあります。 では、それはどんな実験でしょうか? それは、一つのことに執着して集中してみるということです。 もうそろそろ実験結果も出ましたので、ついでながらのご報告と、第一段階での実験終了を宣言します。 なぜ終了するのかというと、実験だからです。 そしてもう一つの意味があります。 それは、一旦終わらないとその先には進めないからです。 執着

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第三の解放

ご無沙汰しております。bossuです。やはり睡眠が浅く体調が良くありません。 が、本日、非常に解放されたような気分になりました。第800回投稿記念目前ですが、個人的なことについて触れていきます。 御存知の通り(常連さんだけかもしれませんが)、僕は、闇雲に勉強だけしてきたタイプではありません。 どちらかといえば野草のような生き方をしてきました。 野草って強いですよね。 いつも彼らをみると元気になります。 最近でこそ煩いも少なく、平穏な日々を暮らしていますが、人生はすごい波の連続でした。 僕には人生で数回の転機がありま

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二つの異なった状態のために一言

本書「曙光」では情熱に駆られた状態のときについて述べていますが、ここでひとつ、意志決定について少しだけ触れようと思います。 胡散臭いコンサルをはじめ、胡散臭くない人であってもよく言うのが、「経営者に必要な能力は決断力だ」ということです。 まあ間違いではないでしょう。 何かを決めるときは、目の前の選択肢の中から選ぶわけですが、選んだ瞬間、他の選択肢を捨てることになります。時にイイトコどりということもできますが、概ねそんな感じでしょう。 選択肢の中から選ぶ 「車の運転が上手い人は、仕事もできる」とよく言われますが、全て

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