うぬぼれの強い人々
われわれは陳列店のようなものである。われわれはそこで、他人が与えてくれるわれわれの特質なものを、自分でいつも整頓したり、覆い隠したり、光に当てたりする。ー 自分を欺くためである。 曙光 385 男女ともにうぬぼれの強い人はいつの時代でもたくさんいます。「うぬぼれがかっこ悪い」ということが問題ではなく、うぬぼれの根底は恐怖心であるというようなことが問題です。 うぬぼれは、他人に対して主張しているとか、意識の中で作り上げた架空の他人を説得し
物に対して勇敢
生まれつき、人に対しては思いやりがあったり小心であったりするが、物に対しては勇敢である者は、新しい親密な知人たちを憚り、旧知の人たちを制限する。それは、彼の匿名と彼の容赦なさとが真実に成長して一体となることのためである。 曙光 512 動植物には思いやりがあるのに、物にはあまりない、そんなことを言われることがあります。 特に物を粗末に扱うというわけではないものの、物への愛着と言うか思いやりのようなものはそれほどありません。その理由は、や
誘惑者
正直はあらゆる狂信者たちの偉大な誘惑者である。悪魔の姿もしくは美しい女性の姿をしてルターに接近するように思われ、ルターがあのような無作法な仕方で自分を守るために防いだものはおそらく正直であったのであり、しかもひょっとすると、一層珍しい場合ではあるが、真理でさえあったであろう。 曙光 511 誘惑者ということで、キレイになろうとするような人について触れていきましょう。美貌こそが誘惑の武器であると思っている人たちです。 エステ経営者に聞いた
確かな助言
慰めを必要とする人々にとって、あらゆる慰めの手段の中で、君たちの場合には慰めになるものは何もないという主張ほど快いものはない。ここには、彼らが再び頭をもたげるような栄養がある。 曙光 380 正確な助言ではなく、慰めや協調のほうが重視されることがよくあります。 基本的には、真っ当な意見よりも相手が落ち着くような意見の方が重要視され、真っ当な意見を言った人も「そんなんだったら聞くな」とか「もう二度と助言などしてやるものか」という気分になり
ありそうでもあり、ありそうでもない
ある女性が密かにある男性を愛し、彼を自分よりも高いところに祭り上げ、全く内密に百度も自分にこう言った。「あんな方が私を愛して下さるとしたら、それは恩寵のようなものであり、私は恩寵にひれ伏さなければならないでしょう!」― 男性の方でも全く同じことが、しかも余人ならぬこの女性に関して起こった。そこで彼は全く内密に、やはりほかならぬこの考えを自分に言いきかせた。 曙光 379 前半 曙光のこの項目では、その後両者がその思いを相手に伝えてしまう
夢と責任
「夢は人を狂わせる」 いつもそんなこと言っています。 ただ、すこし注釈を加えると、そうした狂いのもととなる「夢」は他人によって設定されたものであり、他人によって誘導されたものであり、また、たった数回味わった情動の記憶によるものであり、同時に、少ない情報源の中から設定し、夢を設定したからこそその周りが見えなくなっているという構造を持っているということです。 夢を持ってそこに邁進するのはいいですが、何度もそれを見つめ直すということをしていく
目的に従って
あらゆる行為の中で、おそらく最も理解されないのは、目的に従った行為であろう。それはいつも最もわかりやすい行為として認められてきたからであり、われわれの意識にとって最も平凡なものであるからである。重大な問題は巷にある。 曙光 127 行動をせき止めているもの、現実の流れを堰き止めているもの、それは思考です。 できるかできないか、そうした検討が現実が進むことを止めています。 今目の前にコップに入った水があって、それを飲もうと思ったとき、思考
忘却
忘却が存在するということは、まだ証明されていない。われわれが知っていることはただ、回想ということはわれわれの力の及ぶところではない、ということだけである。さしあたってわれわれは、われわれの力のこの割れ目にあの「忘却」という言葉を置いた。 曙光 126 前半 なんだか「われわれだらけで読みにくい」と国語の先生に酷評されるほどですね。 さて、忘却です。忘却について詳しく書いてもいいのですが、まあ特別企画ですから自由にいきます。 記憶力と忘却
「重要さ」を捨てて現状のストレスを少しずつ取り外す
なんだか「うつ」テーマの需要が増えているみたいです。ということで、ネット上ではどんなことが書かれているのかと思うと、やっぱりうつを長期化させるような記事だったり、広告収入のための広告的な記事で溢れかえっているので、またまたちょっと記事を追加します。 現在、ちょっと右脇腹が痛くて、おそらく胆嚢に響いているようで、身体が怒りに過敏になっています。 でもこれはすごくいいチャンスで、そんな感情も楽しんでいけばいいと思っています。 ということで、
自分の美徳から逃亡する
折に触れて自分自身の美徳から逃亡する術の心得がないのなら、思想家など問題ではない!思想家は言うまでもなく「単なる道徳的な存在ではない」のでなければならぬ! 曙光 510 そう言えば最近タイヤの細いチャリの発見率が下がってきました。彼らの中でブームが去ったのでしょう。 「自分に酔いつつ、影響されやすい人」という人は一定数存在します。 純度100%というわけではないですが、「ビューティフル・ライフ」を観て美容師になった男性などは、影響されや
支配する
ある者は、支配欲からして支配する。他の者は、支配されないために支配する。― 後者にとっては、それは二つの悪の中で小さい方の悪であるにすぎない。 曙光 181 支配と被支配について考えたわけでもないのですが、世の中の大半の人は、支配されたいという側にいます。おそらく9割以上でしょう。 それは性欲動的なものなのか、意識の中の刷り込みなのかはよくわかりません。 まあ支配する側と支配される側をよくよく観察すると、支配する側のほうが色々と目配りも
「うつ」という成功法則から脱却しよう
「うつという成功法則から脱却しよう」ということで、うつにまつわる免罪符や成功法則としての機能、「プレッシャーから逃れられる」という一種の機能について、自らはどのように扱うべきかという点について触れていきます。 ― どうも「うつ」テーマによくアクセスがあるようです。 そこで菩提心というほどのものではないのですが、こうしたうつ病に関するテーマの記事を少しずつ増やしていこうかなぁなんて思っています。 その理由は次のとおりです。 最近では少しマ

交渉の本質 アイツの判断による小手先のテクニックを追うな
なんだか久しぶりに会社経営と商いでも書いてみようかなぁ、ということで交渉の本質についてちょっとだけ触れてみましょう。 営業や交渉の現場において、例えばやり手の上司と同行するということがあると思いますが、そうした時に、アイツ目線でテクニックを盗もうとすると、小手先のテクニックばかりを習得し、結局すごい人材にはなれません。 実は社会のそうした現場でも、教える側としても「教えることと言えば…」ということになって、そうした小手先のテクニックを伝
願望とは何だろう!
願望ってなんだと思いますか? なんてね。 さてさて、願望の定義なんてほとんどどうでもいいのですが、一応書いておきましょうか。 辞書なんかを引っ張っても 「望んでいること」 とかそんなレベルだと思います。 調べてみると 「願ってその実現を望むこと」と出ました。 比較的ポジティブに「不足に気づくこと」 願望というのは一応望んでいることには違いないのですが、99%くらい、比較的ポジティブに「不足に気づくこと」です。 望んでいるということは、今
犠牲の価値
国家と君主から個人を犠牲にする権利(司法や従軍などの場合のように)を剥奪すればするだけ、一層自己犠牲の価値が高まるだろう。 曙光 374 まあこれはパラドクスのようなもので、自由を欲しながら、自由にストレスを感じるということがよくあるという感じでしょう。 忙しいと休暇が欲しくなるというのが普通だと思いますが、お金が無限にあったとしても、永久に休暇ばかりだと気が狂れてしまうという感じに近いです。 自己犠牲の価値という表現は面白いですが、人
秘密をもらす非難
「彼は人間を知らない。」― これはある人の口にかかると、「彼は世俗的なことを知らない」ということを意味する。他の人の口にかかると、「彼は異常なことを知らず、世俗的なことをよく知りすぎている」ということを意味する。 曙光 373 曙光を持って帰ってきましたので、曙光シリーズ再開です。 以前は 「本当のことを言ったほうが良いのかどうか?」 ということに迷う瞬間がありました。 なぜなら、場合によっては、本当のことを言うといわゆる「夢を潰す」と
不足感や願望は「過去からの因果」という思い込み
一月ぶりになりました。曙光シリーズを進めようと思ったら、実家に置いてきていたようでした。ということで、哲学カテゴリでも良かったのですが、あえて「うつ」テーマとして、根本的なことについて触れてみましょう。 だいぶ前に「ストレスは溜まるものではない」みたいなことを書きましたが、何となく意味は伝わっているでしょうか。 そんなものは実在はしないのです。そして、今現在、そうした思考なんかが再燃して今現在ストレスを感じているということや、そうしたこ
実践的対処法 身体側からのアプローチ
5月です。毎年だいたい3月頃に更新するのですが、今年は3月恒例のこの「うつ」カテゴリの更新ができなかったため、ゴールデンウィークを利用して更新します。 やっぱりカテゴリ別にみるとトップのアクセス数です。ということで3月更新に期待されていた方もいるかもしれないので、少し遅れてですが「うつ、もしくはうつ気味の方へ」に久しぶりに投稿してみることにしました。 毎度のことながら文献などの参照はしないまま今回は、意識から少し離れて実践的対処法として

専門家の名誉のために
ある人が、専門家でもないのに審判員の役割を演じるや否や、それが男性であれ、女性であれ、われわれは直ちに抗議すべきである。ある事物やある人間に対する熱中と有頂天は何ら論拠にもならない。嫌悪や憎悪よりもやはり論拠にならない。 曙光 372 「褒め教育」や「愛され何とか」みたいなものについて書こうと思いつつ、曙光のページをめくるとちょうどぴったり良い項目になっていました。 さて、「ほめる」や「威厳と恐怖心」などなど、今まで「褒め」については幾
強さの悪
情熱の、例えば怒りの結果としての暴行は、生理学的にいって、窒息の発作の恐れを予防する試みとして理解される。他の人々に己れををされけだす無数の傲慢な行為は、強い筋肉運動による突発的な充血の放水路であった。もしかすると「強さの悪」の全体はこの視点に該当するかもしれない。 曙光 371 前半 個人的には元々怒りタイプなので、特に欲はないのですが、何事も心の安穏の条件は少ないに越したことはありません。 怒りも、目の前の状況が不快だからそれを改善
第三の眼
二つの他の眼を通して世界を眺める大きな第三の眼を開け! 曙光 509 文末 手が腱鞘炎気味ですが、早朝利用です。 アナリティクスでサイト内検索を見ると皆さんの関心事がなんとなくわかってくるような気がします。 さて、第三の眼です。第三の目と表記しても構わないのでしょうが特別企画なので仕方ありません。 これは、第三の眼を開く、第三の眼で観るとか言われるときの第三の眼です。この部分に関する興味や感覚は古今東西様々なところでみられ、第三の眼が開
思想家はどこまでおのれの敵を愛するか
君の思想と反対に考えることのできるものを決して抑制するな。口外せずにおくな!自分にそれを誓え!それは思想の第一の誠実に属している。 曙光 370 前半 かなりご無沙汰しております。bossuです。 何だかんだで投稿自体は1ヶ月以上ぶりですね。 やはり世間と接していると、俗世間の垢のようなものがついてきます。 久しぶりにアナリティクスを見ていたら、更新をしなかったにも関わらず、リピートユーザーさんの数とPV数、そして滞在時間の長さに驚き、
Z会・サービス精神で相手の意識のブロックを解く
そう言えばさっきの投稿「自分のみじめさをこえて高まること」で「Z会として意識のブロックを解いていく」をしっかり書こうかなぁとおもったら、ベランダにいるスズメバチが気になって、あまりはっきり書けなかったので、続きを書きます。 まあ特定キーワードを使ってもいいのですが、あまり書くと検索エンジンなんかが反応してきますからね。 一応Z会についてはこちら「Z会」 いろいろな段階を突破する 飛び込み営業をしたことがある人としたことがない人では、その
理性
どのようにして理性は世界に入り込むようになったのか?当然のことながら、非理性的な仕方で、偶然によって、である。人はこの偶然を謎同様に解かなければならないであろう。 曙光 123 苦悩の元凶は理性ですが、一般的には理性ほど素晴らしいものはないとされています。 理性があると、身の安全を確保できると思っています。 「理」に関するものですから、「物を手から離すと下に落ちていく」と知っていることもある種の理性です。そういった様々な「理」に沿った考
自由精神の背教者
一体敬虔で信心堅固な人間に対して嫌悪の情を抱いた者があろうか?むしろわれわれは静かな尊敬の念を抱いて彼らを注視し、このすぐれた人間たちはわれわれと共通の感じをもたないという遺憾の念は抱くけれども、彼らのことを喜びはしないか?しかし、かつてあらゆる精神の自由をもっていたのに、結局は「信心深く」なった人に対する、あの深刻で、突発的で、理由のない反抗心は、どこから由来するのであるか? 曙光 56 序 自由精神が語られる上では、自由意志の有無が
自分のみじめさをこえて高まること
自分たちの威厳と重要さの感情を作り出すため、怒鳴りつけたり暴力を加えたりすることができるような他の人たちを― つまり、無力で卑怯なため、その面前である人が崇高な挙動や憤慨した挙動を示しても罰せられず―、差支えがないような者たち!― いつもまず必要とするのは、自負心の強い奴らであると私には思われる。― それゆえ彼らは、ちょっとの間、自分自身のみじめさをこえて高まるために、その環境がみじめであることが必要である! 曙光 369 前半 みじめ
リズムネタとポッキー理論
僕は昔からリズムネタが嫌いです。 ネタが安易で寒いということもありますが、メロディなどが聞いていられないくらい寒い。 だから嫌いです。 なんだか少し前にもてはやされた「なんとか太郎」がよくyoutubeでおすすめ的な感じで出されますが、絶対にクリックしません。 でも、一度だけ、どこかの店でたまたまついていたテレビに映り、嫌でも見せられてしまいました。 あれはね、一言で言えばポッキー理論を応用した自慰メロディです。 って意味わからないでし
いつも幸福そうに見える
「幸福」 なんだか変な気分になる単語ですね。 まあ某集団のせいでさらに変な感じのする単語になってしまいました。 さらにいうと「最高」を「最幸」という人のせいでさらに変な気分になるようになってしまいました。 さて「いつも幸福そうに見える」です。 以前何かの記事で書いたかもしれませんが、最高の状態とか言うのがあるとすると、その状態というものは普通維持されずに下降の一途をたどるはずです。 「いつも幸福」とはどんな状態か? いつも幸福そうに見え
犯罪者の悲哀
犯罪者であることが発覚したとき、彼が苦しむのは犯罪ではなく恥辱であり、馬鹿げたことをしたことに対する嫌悪であり、通例の生活必需品に不自由することである。この点を区別するためには、めったにないような敏感さを必要とする。 曙光 366 前半 梅雨時くらいからでしょうか、宝ヶ池に行くと「ガチョウの雪雄がどこにいるか」を示したホワイトボードが設置されています。 さて、かつてある哲人は言いました。 「反省する動機がないことが一番の問題だ」 彼によ
虚栄心
虚栄心とは、独創的だと思われることに対する恐怖心である。それ故に誇りの欠如である。しかし必ずしも独創性の欠如というわけではない。 曙光 365 久しぶりの曙光です。 ニーチェによると虚栄心とは、独創的だと思われることに対する恐怖心=「誇りの欠如」ということになっているようです。 虚栄心(きょえいしん)は、いわゆる見栄をはり、自尊心を高めようということを意味します。ブランド品で着飾ったり、立派な肩書を得たいというものから、「有名人と知り合